ODA(政府開発援助)

平成30年6月29日

原稿執筆 在ラオス日本国大使館

ラオスの人はモチ米が好き

(写真1)ビエンチャンで最も格式が高いとされるレストランのラオス料理。モチ米(カオニャオ)は,左奥の竹編みのカゴ(ティップカオ)に入れて供される ビエンチャンで最も格式が高いとされるレストランの
ラオス料理。モチ米(カオニャオ)は,左奥の竹編みの
カゴ(ティップカオ)に入れて供される
(写真2)モチ米の中でも,色米は高級品の位置付け モチ米の中でも,色米は高級品の位置付け

 ラオスの人々は,モチ米を主食とし,こよなく愛しています。国産のお米の品質に,絶対の自信も持っています。何だか日本と似ていますね。首都ビエンチャンでは食の多様化が進み,洋食を食べる機会が増えています。家庭食ではモチ米を食べる機会が減りましたが,それでもお祭りや法事,大事なお客様を迎える時には必ずと言って良いほどモチ米が供されます。

不毛の地を豊穣の地に変えた日本の技術

(写真3)黄金色に輝く田んぼ 黄金色に輝く田んぼ
(写真4)田植え前の代かき風景 田植え前の代かき風景

 首都ビエンチャンの北の外れ,ナムグム川沿いのサイタニ郡タゴン地区では,年に2回,黄金色の稲穂が重そうに頭を垂れます。
 今から50年前の1968年1月。タゴン地区のかんがい農業開発計画を策定するため,JICAの前身となるOTCA(海外技術協力事業団)の調査団がビエンチャンに到着しました。豊富な水資源を活用した旺盛な水力発電によって今や「ASEAN大陸部のバッテリー」と呼ばれるラオスですが,それは日本をはじめとする協力でナムグムダムが整備されて以降のこと。
 当時はまだナムグムにはダムもなく,乾季と雨季でナムグム川の水位は15メートルも変動し,タゴン地区は雨季にわずかな面積に稲を作付けするのみで,乾期にはかんがい用水のない,不毛の地であったそうです。
 そのわずかな稲作も,1ヘクタールあたりの収穫量は約1トンと生産性は非常に低いものでした。我が国の技術協力により計画・立案され,資金はADB(アジア開発銀行)の借款を得て1978年に農地造成,かんがい用ポンプ,水路,農道等の整備が完了しました。1987年には内戦や経年劣化による損傷を我が国の無償資金協力により改修し,現在に至っています。こうした施設面の整備だけではなく,同地区に適した品種選定や営農方法の研究・普及にも,1966年から専門家や我が国最初期の青年海外協力隊員の派遣を通じ協力を続けてきました。
 その結果,同地区の単位あたりの収穫量が,2017年には雨季の作付で1ヘクタールあたり4.5トンに向上しました。乾期にも1ヘクタールあたり4.8トンという高い生産性で稲が収穫されています。タゴン地区をモデルとした他の農業開発の努力も相まって,2000年以降,ラオス政府はコメの国内自給を達成しています。

(写真5)お手伝い(?) お手伝い(?)

大事なポンプが大ピンチ!!

(写真6)30年以上経ち老朽化した揚水ポンプ3台中2台が止まってしまった 30年以上経ち老朽化した揚水ポンプ
3台中2台が止まってしまった
(写真7)地域の農家によるメンテナンス 地域の農家によるメンテナンス

 そして時は下って現在。地域の農家とラオス政府はかんがい用ポンプや用水路を大切に使ってきましたが,30年以上の月日で老朽化が進み,乾期の作付けが困難になるなどの支障が生じています。このため,日本の無償資金協力により658ヘクタールの水田を潤すポンプをリニューアル,水路と農道も改修し,同地区の農業生産性の向上と安定的な生産を図る新たなプロジェクトが始まります。

後発開発途上国からの卒業を越えて

 ラオス政府は後発開発途上国からの卒業を最重要政策課題の一つとして,様々な取組を進めてきました。その甲斐あって,今年(2018年),初めて卒業要件を満たしました。このまま順調にいけば,最短で2024年には後発開発途上国からの卒業という悲願を達成することができます。
 「農は国の礎」であり,人々の「食」が安定的に確保されることは,国の発展の最も基礎的な要件です。タゴン地区のような近代的農業の全国展開は,様々な課題もあり,一足飛びには実現できません。しかしながら,ラオス政府の努力もあり,ゆっくりとではありますが,着実に進んでいます。今後とも,タゴン地区がラオスの人々の食を支える農業の模範となり,更にはその上に国の持続可能な発展が遂げられることを期待します。

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