ODA(政府開発援助)
ODAメールマガジン第408号
ボリビアの村に水がきた!上水道施設建設で住民が歓喜
原稿執筆:在ボリビア大使館 二等書記官 櫻井 健
今年の6月,チュキサカ県タラブコ市タンボ・アタホ地区で,日本のODAにより上水道施設が整備され,蛇口をひねるときれいな水が勢いよく流れだし,住民が歓声をあげました。
この地区は,チュキサカ県の県都スクレ市から車で3時間の距離にあり,住民数は198名で,その大半が農業に従事しています。タンボ・アタホ地区には上水道施設がなく,住民は水源を雨水の溜まった池や河川に頼らざるを得ない状況でした。このような方法で確保した水は衛生面で問題があり,感染症等が日常的に確認されていました。また,雨期には,水を桶に集めるなどの工夫を行ってきましたが,集めた水は,家庭用水のみならず,家畜や灌漑等の農業用水にも用いられており,恒常的な水不足は住民にとって深刻な問題でした。雨の降らない乾期には,主に女性や子どもが毎日2時間かけて歩いて水を汲みに行かなければならず,5リットルの水を溜めるのに1時間を要していたことから,住民にかかる負担は非常に大きいものでしたが,上水道施設が整備されたことにより,それまで水汲みに割いていた時間を減らすことができるようになりました。
また,過去にチュキサカ県庁が同地区で井戸の掘削を実施しましたが,市役所は上水道施設の整備に係る予算を確保できず,住民の安全な水へのアクセスを確保することが困難となっていました。今般,このような事情を背景に,市役所の要望に応えるかたちで,草の根・人間の安全保障無償資金協力による支援を行うことになりました。
今回の上水道施設の整備により,住民は安全な水へのアクセスが可能となり,生活・公衆衛生の改善につながります。同地区は,水委員会を設置し,住民から賦課金を徴収し,施設の維持管理費に充てる予定です。パパイヤなどの果樹の栽培が盛んに行われている同地区では,住民はこの水を利用して農業を更に拡大したいと意気込んでいました。
日本は,草の根・人間の安全保障無償資金協力を通じて,教育,保健医療,公衆衛生,環境などの分野において,ボリビア国民一人一人の生活向上に力を入れてきました。日本はこれからもボリビアでの支援を通じて,ボリビアと日本の絆が一層強まることを心より願っています。
ミャンマー未電化地域に電力を!
ODAを陰で支える日本人コンサルタントの仕事
原稿執筆:八千代エンジニヤリング株式会社
海外事業部 電力・情報通信部電力プラント課 主幹 山川正雄
私は現在,開発コンサルタントとして,ミャンマーの未電化地域の電化に向けたODA事業に携わっています。
これまで地方部のインフラ整備が遅れていたミャンマー国では,均衡の取れた国家開発を目指し,地方開発・貧困削減を国家の重要課題と位置づけています。この方針を踏まえ,日本の円借款事業として,道路,水,電力の3部門において,複数のサブプロジェクトからなる貧困削減地方開発事業が実施されることになりました。ミャンマーの電力セクターでは2030年までに電化率100%を目指しており,既設の配電網を延伸するオングリッドと,遠隔地において既設の配電網に接続せずに再生可能エネルギー設備を導入するオフグリッドの両面からの全国電化計画があります。その方針も踏まえ,私は今回,オングリッド担当,オフグリッド(小水力発電)担当と共に,オフグリッド(太陽光発電)担当としてミャンマー全国を調査することとなりました。
この全国電化計画には世界銀行(WB)など他の多くの支援団体(ドナー)も関わるため,支援内容の重複を避け,協調も考慮しつつ関係機関と協議を行い,他ドナーが電化した村も訪れて太陽光発電設備の維持管理状況の確認を行いました。調査結果や他ドナーの動向を分析し,オングリッドや他セクターのサブプロジェクトと併せて優先順位付けを行った結果,今回の事業において電力セクターではオングリッドのサブプロジェクトに注力して実施することとなりました。
漆黒の夜を体験。頼りない照明のもと,懸命に仕事を進める住民たち
電力の必要性を強く感じた日
太陽光発電設備の導入を行う候補地は,そのほとんどが山奥にあり,30キロメートル程度の移動に車で2時間以上かかるような山道の先にある村や,アクセスの手段が徒歩のみの村,船に乗らないとたどり着けない村など,移動がとても困難でした。効率的に調査を行う必要がある一方,到達が困難な地域ほど支援後の維持管理が課題となるため,実際に現地で状況を確認することは必要不可欠です。そのため,地方開発局と事前に綿密な協議を行い,訪問先の選定や調査ルートの確認を慎重に行いました。
ただし,実際に調査を行ったのは移動の安全管理上昼間のみだったため,特に照明が必要な夜間の状況が把握できていませんでした。そこで,あえて未電化地域に宿泊し,夜間に村の様子を見て回ることで現状の確認を行いました。その時,実際に蝋燭の明かりのもとで勉強をしている子どもや,充電式のLEDライトで夜遅くまで仕事をしている住民が多く,電力の必要性を強く認識しました。道中は当然真っ暗闇であるため,蛇やサソリなどの危険な生き物も確認ができず,未電化の生活の危険も実感しました。電力に恵まれている我々は田舎の星空にあこがれますが,実際に未電化地域の漆黒の中で夜を過ごす人々は,満天の星空も見ずに一所懸命仕事に向き合われており,言葉にしがたい感情がわき上がってきました。
夜間照明もたいへん重要ですが,生計を立てていくために工芸品の単価や農作物の市場動向,また政治情報や気象情報を入手するためのテレビ,ラジオ,携帯電話の使用にも電力が必要です。地域の産業発展のためには電力が必要不可欠であることもあり,未電化地域では現状に適した方法での早急な電化が望まれると痛感しています。
その地域,そこに暮らす人々の実情に即した
電力供給設備の設計を目指して
電力設備の導入を検討する際には,電力需要を確認することが必要です。どのような電気製品をどの時間帯に何時間程度使用しているかということを確認し,設備・機材の設計を行います。現地を訪問して実際の様子を伺い,人々の声を聞くことで,当地の生活状況に適した太陽光発電パネルや充電式電池の容量を検討することができました。
調査を通して,現地の方々には温かく迎えていただきました。立地上の問題もあり,他の支援団体が調査のために実際に現地を訪れることは少ないのが実情です。そのため,調査で村を訪問すると,物珍しさもあり次々に人が集まってくださり,協力いただいた方々のご厚意で,現地の生活の様子を見せていただきました。また,ミャンマーの文化に根付くおもてなしの精神で,どこに行っても食べ物や飲み物を出していただき,現地でとれた果物をお土産にいただくこともしばしばで,皆さんに支えられての調査でした。
コンサルタントには視野の広さと共に知識の深さが必要です。これからも電力分野を中心に研鑽を積みつつ,多くのプロジェクトを通して経験を重ね,その地域に生きる人々に沿った計画・設計ができるコンサルタントを目指します。
- 山川 正雄(やまかわ まさお)さん 略歴
- 大学院で電子システム工学を専攻。半導体を作成する研究に従事。
卒業後青年海外協力隊員として,ナミビア共和国の中高一貫校で理数科教師として活動。
帰国後非常勤講師として日本の中学校で数学を教えたのち,職業訓練所の電気設備科で電気設備にかかる座学と実習を受講。
現在は,八千代エンジニヤリング株式会社事業統括本部海外事業部電力・情報通信部電力プラント課に所属し,開発コンサルタントとしての業務に従事している。
社外の活動 ECFA,FIDIC,ASPACなど - 今回紹介したプロジェクト
- 「ミャンマー連邦共和国貧困削減地方開発事業(フェーズ2)」(2017年3月,円借款貸付契約(L/A)調印)
ミャンマー連邦共和国における貧困削減および地方開発を目的とした円借款事業の第2フェーズ。
2015年7月から2017年1月までの間,事業実施の是非を見極める協力準備調査を行った。今後,工事が開始され,事業地域に変電所が設置される予定。
シリア難民の子どもと向き合い寄り添う,
NGOの心理社会的ケアプログラム
原稿執筆:公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)
ヨルダン事務所 小野田 勝洋
テーマを自分たちで決める「演劇発表会」の実施
2019年5月,私はヨルダンのザルカ市にある劇場施設を訪れました。私がプログラムの途中から携わっていたシリア難民の子どもたちの演劇発表会を成功させるため,準備や片付けといった裏方仕事に従事するためです。
日本のNGO,経済界,政府は2000年に共同で,主に途上国での緊急人道支援活動を目的としてジャパン・プラットフォーム(JPF)を設立しました。JPFは,NGO事業を支援する日本政府のODA資金を受け,イラク・シリア人道危機に対応するためのプログラムを実施しています。同プログラムのもと,JPF加盟団体である公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO)(注)は,ヨルダンにおけるシリア難民を支援するためのプロジェクトとして,紛争体験や長期化する避難生活によって心に傷を抱えた子どもたちを対象に心理社会的ケアプログラムを実施してきました。このプログラムに参加する子どもたちは約3か月半の間,描画,粘土細工,演劇などを通じて,段階的に自己表現を学びながら,協調性の向上やストレスの発散といった心理社会的な発達や回復を目指します。
この日の演劇発表会は3か月半の集大成でした。午前10時ごろ,プログラムに参加してきた35人の子どもたちは最後のリハーサルを開始しました。私は,子どもたちの中に,見慣れた男の子がいることに気がつきました。それはH.S.君という男の子でした。
私が彼に初めて会ったのは4月で,プログラムに参加する子どもたち同士の親睦を深めるために動物園とピクニックへ行ったときでした。一緒に動物を見て回り,歌い,ご飯を食べました。その後のセッションで楽器を弾いたり歌ったりするうちに彼と仲良くなりました。私の彼への印象は人懐こい明るい男の子でした。
ケアプログラムで変わる難民の子どもたち
そのH.S君についてファシリテータ(演劇指導や子どもたちの相談相手,親との対応など総合的に活動を促進する役割を担うスタッフ)が,演劇発表会のリハーサルが終わり一息ついているときに,プログラム開始当時のH.S君の様子を教えてくれました。プログラムが半分過ぎた時期にヨルダンに赴任したため,プログラム開始当時の子どもたちの様子を知らない私は,このような人懐こい様子のH.S.君が,実は他人を全く寄せ付けない性格だったと聞いて驚きました。彼はシリアで紛争に巻き込まれてからこれまでの間に,とても悲しい出来事が続くなか,懸命に生きてきたのでした。
H.S.君は2015年にシリアからヨルダンに避難してきました。ヨルダンでは母方の親族と暮らしています。父親はシリアで拘束され,収監中に受けた暴力により亡くなったそうです。母親は,夫が亡くなったことを知って以来,子どもたちを叩くようになりました。プログラムを受け始めたばかりの頃の彼は,一人になりたがり周りとの関わりを持とうとしない様子で,近くにいた他の子どもがH.S.君に怒ったような口調で話した時には,彼は怯えてしまい,とっさに腕を胸の前に構えて身を守る仕草を見せていたそうです。
しかしながら演劇発表会のこの日,H.S君は,他の子どもたちと一緒に堂々と明るく演技をしていました。大盛況の演劇発表会後,H.S君は母親を含んだ家族に囲まれながら笑顔で会場を後にしました。
子どもたちに寄り添い続ける支援への決意
ヨルダンには,彼のようにシリア紛争に起因して心に傷を抱えた子どもたちが33万人もいます。彼らに寄り添うことが,私たちNGOの一番大切な役割だと改めて感じた一日になりました。
NICCOが2013年から6年間に渡り実施してきた子どもたちのための心理社会的ケアプログラムは,2019年6月に現地の複数の団体に移管し,継続されています。NICCOは引き続き,難民の方々に寄り添い,必要な人道的なサポートやヨルダンの発展のために活動していきます。
(注)公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)は,京都に本部を置き,国際協力を行うNGOです。1979年の設立以来,途上国の人々の経済的・精神的な自立を図っています。