ODA(政府開発援助)

平成29年7月24日

原稿執筆 在コスタリカ日本国大使館

感動の再会

 2017年2月、26年ぶりの再会。それは元青年海外協力隊員の佐々木正吾氏へのサルセーロ市民からの大きな敬愛と再会を待ちにまった感激がその場を包み込む瞬間でした。
 今から29年前、25歳の一人の日本の若者がこのサルセーロというコスタリカの山岳農業地帯に青年海外協力隊員として来ました。その頃、町は「農薬漬けのキャベツ」の生産地と新聞で批判されていました。傾斜地の小さな農地で多くの収穫を得るため、農薬、化学肥料を多用。その結果、土地が疲れ、農民や子供たちへの農薬による汚染被害も心配される状態でした。危機感をもった地元農協は日本に土壌改良の隊員を要請。
 その要請に基づきこの地に派遣された隊員が、佐々木正吾氏でした。

一人から始まった地道な取組

 彼が最初に取り組んだのは堆肥作り。当時、この地では堆肥作りのことを誰も知らず,悪臭と泥、牛の糞まみれになりながら悪戦苦闘。町の人たちは彼が何をしているのか分からず「正気を失った日本の若者」と言われていました。
 その中で彼を信じて一緒に有機農業の勉強をしたのは、4人の農民仲間だけでした。しかし、今や彼らはコスタリカにとどまらずラテンアメリカのほかの国にも指導に行くほどの名声を博しています。正吾をなぜ信頼したのか?その答えは「このままの農業をしていては,自分の子供たちに農業をやってくれとは言えない,と思っていた。彼の熱意に共感した」からと。
 正吾氏は、当時、まず展示圃場で有機農業の成果を見せることから始め、そこで農民に有機農業による野菜作りを紹介する。そして一人の農民に徹底的に有機農業を教えて実際の畑に通用する成功事例を作る、という2つの計画を立てました。
 それから2年半が経った1990年9月、「農民の日」として多くの農民を集めて、圃場の展示会を開催。正吾氏の熱心な説明に耳を傾け、野菜を手に触れ、表情がみるみる変わっていく農民。それを目のあたりにした正吾氏は「できる!」と確信。
 翌日、全国新聞は手の平を返したかのように「有機肥料による健康な野菜」と紹介。それからは農業省はじめ全国からも視察にくる有機農業のメッカに変身した瞬間でした。

次世代へのバトンタッチ

(写真1)今のサルセーロ地域の有機農業地帯、まるでお花畑のようにいくつもの種類のレタスが栽培されている 今のサルセーロ地域の有機農業地帯、
まるでお花畑のようにいくつもの種類の
レタスが栽培されている

 あれから四半世紀が過ぎ、2017年2月コスタリカのみならずラテンアメリカの有機農業モデル地域になったサルセーロ。4人の仲間たちは子供の世代にそろそろバトンを渡す時期にきました。25年前に捲いた種が次世代に引き継がれていく。これは、日本から来た一人の若者の行動が地域を変え、世代を超えた持続的な農業地帯へと発展させた国際協力のサクセス・ストーリーです。

(写真2)佐々木正吾氏を囲んで隊員時代の仲間たちとの嬉しい再会 佐々木正吾氏を囲んで
隊員時代の仲間たちとの嬉しい再会
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