ODA(政府開発援助)

2017年11月8日発行
平成29年11月10日

ODAメールマガジン第361号は,東ティモール民主共和国から「東ティモールと日本の支援」を,ブラジルからシリーズ「日本と世界の懸け橋 日系社会とODA」第4弾として「サンパウロの地に感謝を込めて・草の根無償資金協力の一事例」を,また,ジャパン・プラットフォームから「ジャパン・プラットフォームによる緊急人道支援【第1弾 理念とあゆみ】」をお届けします。なお,肩書は全て当時のものです。

  • (画像1)東ティモール民主共和国,ブラジル連邦共和国

東ティモールと日本の支援

原稿執筆:在東ティモール日本国大使館 樋口 洋平 専門調査員

世界地図を広げて,日本から4,000キロメートルほど南に向かってまっすぐ進むと,オーストラリアのすぐ西に,太平洋上に浮かぶ小さな島,ティモール島があります。その島の東側半分,日本の岩手県ほどの広さの国土を有する島国が東ティモール民主共和国です。
東ティモールは21世紀最初の独立国で,人口約116万人のうち7割が農業に従事しています。一方で,近海の天然資源採掘から得られる収入は石油基金に蓄積され,その額は2017年8月には165百万ドルに達し,国の重要な財源となっています。

豊かな自然に囲まれ,天然資源も豊富な東ティモールですが,実は,多くの課題も抱えています。その中でも今回は,社会サービス分野における課題とそれらに対する日本の支援についてご紹介します。
今回取り上げる社会サービスとは,特に教育や医療サービスのことです。教育の分野を見てみると,15歳以下の若者が人口の約40%を占めるこの国では,どの学校も教室が足りないため,一つの教室で60名以上の子どもたちが学んでいるケースが見られます。加えて,地べたに座って勉強をしなければならなかったり,雨が降ると教室で雨漏りする等,児童・生徒たちは勉強をするのも一苦労です。更に地方では,様々な事情により,日本の中学生にあたる生徒の就学率が約50%というデータもあり,教育分野への対策が急がれます。

  • (写真1)地方における学校までの道のり1(バウカウ県)
    地方における学校までの道のり1
    (バウカウ県)
  • (写真2)地方における学校までの道のり2(バウカウ県)
    地方における学校までの道のり2
    (バウカウ県)

他方で,人々の命を守る保健・医療分野においては,山が多い地理的な特徴もあり,自宅から最寄りの病院や地域の保健センターまでの距離が遠く険しいため,医療機関へのアクセスが難しく,日本でいうところの医療へき地と呼ばれるような地域が多く存在しています。そのため,医師が病院にて患者を待つのではなく,へき地まで出向いて診療を行う巡回診療が政府の施策として実施されていますが,多くの対象地を回る必要があるため,医師は1つの村に対して,多くとも1か月に1度しか訪問できていないのが現状です。

  • (写真3)学校校舎(バウカウ県)
    学校校舎(バウカウ県)
  • (写真4)学校校舎内部(マナツト県)
    学校校舎内部(マナツト県)
  • (写真5)学校校舎外観(マナツト県)
    学校校舎外観(マナツト県)

では,日本は東ティモールの教育・医療の分野に対してどのような支援を行っているのでしょうか?先に述べたように,地方における教育及び医療の事情は非常に深刻で,特に施設や設備といったインフラの不足が目立ちます。そこで,日本は「草の根・人間の安全保障無償資金協力」(以下,「草の根無償」)という制度を活用し,学校建設,診療所建設等を通じて支援を行ってきています。
草の根無償は,現地のNGOや地方公共団体等から申請を受け,その後,現地側と二人三脚で案件を練るため,現場の要望にきめ細やかに対応でき,かつ,申請から実施までのスピードが速いのが特徴です。
平成28年度は,合計6件の草の根無償案件が実施されており,教育分野においてはマナツト県とバウカウ県において,それぞれ学校校舎の建設を進め,医療分野では,1つの診療所を山間部に位置するビケケ県に建設しました。加えて,首都ディリの国立病院に地方では対処できない重病者が治療を受けられる,待合エリア及び救急科の建物の整備を行うことができました。

  • (写真6)完成後の診療所1(ビケケ県)
    完成後の診療所1(ビケケ県)
  • (写真7)完成後の診療所2(ビケケ県)
    完成後の診療所2(ビケケ県)

これらの支援は,小規模ではありますが,国内関係者からの評価は高く,この国の教育及び医療における社会サービス向上に貢献することができたと考えています。他方で,問題を抱える地域はまだまだ多く,今後も東ティモールの人々と二人三脚で長期的に取り組んでいくべき分野です。
2002年に独立を回復したこの国にとって,2017年は独立15年の節目にあたります。実は,私は東ティモール滞在7年目となるのですが,最初に訪れた2010年と比較すると道路も整備され,日本の醤油と納豆がスーパーで買えるようになり,映画館ができたりするなど,日々の暮らしが良くなってきているのを実感しています。同時に,継続的な発展に向けた課題も国が明確に捉えており,これから10年がこの国にとっての踏ん張りどころではないかとも思います。

  • (写真8)建設途中の国立病院(ディリ県)
    建設途中の国立病院(ディリ県)
  • (写真9)完成後の国立病院(ディリ県)
    完成後の国立病院(ディリ県)

サンパウロの地に感謝を込めて・草の根無償資金協力の一事例

原稿執筆:在サンパウロ日本国総領事館 藍原 健 副領事

ブラジルは来年2018年,日本人移住110周年を迎えます。
戦前から戦後にかけて約25万人の日本人が移住し,現在では全土に1世から6世まで約190万人の日系人が暮らしているといわれています。当初農業移住者としてこの国に来た日本人は,ブラジルを農業大国にする等の農業面の貢献だけでなく,教育に力を入れ社会的地位を得たことから,「ジャポネガランチード」(信頼できる日本人)という言葉が生まれブラジル社会から一目置かれる存在となっています。
食の面では,110年の間に現地の材料を工夫して醤油,味噌,豆腐など日本食材が作られ今では地場のメーカーによる製品がスーパーの一角に置いてあります。また,サンパウロから離れて生活する駐在の日本人が何よりうらやむのは,市内に食べ比べができるほどラーメン屋があることです。
医療面では,教育熱心な歴史から日系のお医者さんが多く,今でも日本語で診察してくれるお医者さんがいます。

このような歴史のあるブラジルには,日本や日本人移住者,日系人に縁の深い病院がいくつもあります。「草の根・人間の安全保障無償資金協力」(以下,「草の根無償」)では,このうちのサンタ・クルス病院,日伯友好病院の2病院に対し医療機材の供与を行いました。両病院は日系人はもとより現地社会にも広く認知され,地域の中核医療施設となっており,両病院の医療機器が整備されることは,そのまま地域の住民・ブラジル社会の健康福祉面の向上に繋がっています。

  • (写真1)供与式における日伯友好病院で病院関係者と
    供与式における日伯友好病院で病院関係者と

また,供与された医療機材は日本企業のものです。当地でも,日本企業の製品は性能が良いと見なされていますが,価格が高いため,なかなかシェアを伸ばせていません。今回の供与等を通して両病院が日本製品の「ショーウィンドウ」となり,日本企業への支援となることも期待されています。

  • (写真2)供与された日本企業製医療機材とサンタ・クルス病院関係者等【写真提供:Jiro Mochizuki】
    供与された日本企業製医療機材とサンタ・クルス病院関係者等
    【写真提供:Jiro Mochizuki】

また,医療分野だけでなく,高齢者福祉でも日本に縁の深い団体が活躍しています。そのうちの一つ「憩いの園」は,日系・非日系問わず約80名の高齢者を受け入れています。草の根無償では,この「憩いの園」に対しても,施設の老朽化・利用者の介護レベルの変化に応じた住居環境の改善のための施設改築のお手伝いをしました。完成後の式典では,入居者の方からの心のこもった御礼の言葉を始め施設関係者から多くの謝意が寄せられました。

  • (写真3)入所者の皆さん
    入所者の皆さん
  • (写真4)御挨拶くださる入居者
    御挨拶くださる入居者

私は事業の担当としてその場に臨み,日本国民の皆様の善意への感謝を受ける栄に浴しましたが,本来この想いを受けるべきは日本国民一人一人です。皆様に少しでも草の根無償で育まれた日本への想いが届けばと思います。

日系社会の歴史のおかげで,ここサンパウロほど駐在家族がストレス少なく暮らせる場所は他にないと思います。そのような地を築いてくださった日系社会,そして日系社会を受け入れてくれたブラジル社会に少しでも貢献できる機会を与えられたことは,大変ありがたいことだと思っています。一人でも多くの日本の方に,上記で紹介した協力に限らず日本の果たした役割を実感しに,ブラジルやサンパウロを訪問いただきたいと思います。

ジャパン・プラットフォームによる緊急人道支援【第1弾 理念とあゆみ】

原稿執筆:ジャパン・プラットフォーム 広報部 前田 美緒

ジャパン・プラットフォーム(JPF)について聞いたことはありますか?JPFは,NGO,政府(外務省),経済界が2000年に設立した,緊急人道支援を行う日本のNGOです。これまでに,イラクやシリア,アフガニスタン,南スーダン,トルコ,モンゴル,中国,ウガンダ,エチオピア,ハイチなど世界47か国及び東日本や熊本などの国内被災地で約1,300事業,約450億円規模の支援を展開しながら,災害や紛争によって被災した方々を支援してきました。
今回は,JPFを初めて知っていただく方のために,JPFという組織ができた背景や成果をお話します。

  • (画像1)JPFの仕組み
    JPFの仕組み

2000年設立当時のNGOの状況

1990年代後半まで,海外で紛争や大規模災害が発生しても,日本国内にはすぐに資金を調達できる仕組みがなく,比較的資金力が弱い日本のNGOは,すぐに現地に向かい人々に支援を届けることができませんでした。一方で,資金力豊富な海外のNGOは,次々と現地に入って支援を開始し,存在感を見せていました。
そこで生まれたのが「プラットフォーム構想」です。災害時に必要な資金を平時から蓄える仕組みを作れないか?それぞれの分野に強みを持つNGOが連携したり,政府や企業ができることを持ち寄ったりしながら市民社会が協力し合うことができないか?こうした発想で,2000年,JPFは誕生しました。設立年には15団体だったJPF加盟NGOの数は現在では47団体まで増えました。年間の事業数は災害や紛争の発生状況等によって100を超えることもあります。

  • (画像2)現在活動中の支援プログラム

最大の成果は支援の迅速化と規模の拡大

JPFが緊急人道支援を開始するまでの流れを,2015年から2016年にかけて実施した「ネパール中部地震被災者支援2015」を例にお伝えします。2015年4月25日11時56分(現地時間),南アジアに位置するネパールで,マグニチュード7.8の地震が発生しました。JPFは被害の甚大さから緊急支援が必要と判断し,迅速に出動準備を進め,地震発生から2日後に現地入りして捜索・救助事業を開始しました。最終的には16のJPF加盟NGO団体が物資配付,住宅再建支援,教育支援,水衛生支援等といった34の支援事業を実施し,支援金は,約5億4,300万円(政府資金約2億8,800万円,民間資金約2億5,500万円)となりました。死者約8,900人以上,被災者約800万人以上の大惨事となった災害において,わずか2日で出動し支援を開始できたことは,JPF設立の大きな成果だと考えています。

  • (写真1)現地の調査に入るJPFスタッフ/ネパール中部地震被災者支援(2015年)【写真提供:ジャパン・プラットフォーム】
    現地の調査に入るJPFスタッフ/ネパール中部地震被災者支援(2015年)
    【写真提供:ジャパン・プラットフォーム】

次回は,7年目に入ったイラク・シリアにおける難民支援の今をご紹介します。

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