ODA(政府開発援助)
ODAメールマガジン第321号
ODAメールマガジン第321号は,タジキスタン共和国からの「タジキスタンの人々に寄り添って」,「母子の健康と命の支援」とシリーズ「中東の難民問題」第2弾としてトルコ共和国から「シリア人の子供への教育支援」と「トルコのシリア「難民」キャンプ」をお届けします。
タジキスタンの人々に寄り添って
原稿執筆:在タジキスタン日本国大使館 田村 知英 二等書記官
夜空が白んで中央アジアの山々が姿を現す頃,首都のドゥシャンベを車で出発し,灯りのないトンネルをヘッドライトを頼りにいくつも通過しながら山を越えると,目的地のボボジョン・ガフーロフ村に到着するのはお昼過ぎ。
今日は,日本がこの村で新たに実施した,医療機材整備プロジェクトの完成を記念する式典に出席するために,大使館員数名で出張に来たのです。
プロジェクトを実施した病院では,院長や村の政府関係者,医者や看護士の皆さんが列をなして迎えてくれ,日本の支援によって導入された新しい診療台や手術用の機器の使い方を,嬉々として館員に教えてくれます。病院の廊下を歩いていると,入院中や通院中の地元の患者さん達が,次々にお礼の言葉を伝えてきます。
- 日本の支援を歓迎する医療機材供与式典の様子
施設が充実した日本の病院の施設を見慣れた私達にとっては,少し殺風景にも感じられる診療室に,ただ一つ置かれた診療台。日本の支援によって導入されたその設備によって,新たに何十,何百という命が救われ,その噂を聞きつけて隣町からはるばるやってくる患者もいるという話を耳にし,嬉しくなる一方で,最寄りの病院に行けば治療を受けられるという日本での「当たり前」が,この国ではまだまだ一般的ではないという現実にも気づかされます。
日本政府はこれまで,タジキスタンの様々な市や村の病院や学校などの建物の改築や必要機材の提供,或いは灌漑施設や農業機材の整備といった,地元の人々の生活に直結する支援を実施してきました。その数は300以上にのぼります。なぜこのように沢山の支援が必要なのか。その理由は,タジキスタンという国が辿ってきた道のりにも関係しています。
タジキスタンは,ウズベキスタン,キルギス,アフガニスタン,中国と国境を接する中央アジアの内陸国です。日本の40%ほどの広さに約840万人が暮らす,決して大きくない国ですが,国土の90%以上を山に覆われた,自然豊かな国です。タジキスタンは,1991年のソ連崩壊に伴い,他の旧ソ連構成国と同じように独立を果たしましたが,その直後,1992年~1997年にかけて内戦が起こり,5万人以上の国民が死亡し,ソ連時代に整備された主要インフラが破壊されるなど,甚大な被害に見舞われました。
1997年に和平が達成された後,タジキスタンは,国内の安定と発展のため,経済の立直しとインフラ整備に努めてきました。その中で,日本政府もタジキスタンの経済と社会の持続的発展を支えるため,開発協力を通じて様々な支援を行ってきました。その中には,JICAを通じて空港や道路,飲料水供給システムを建設するといった国や州レベルの大規模なプロジェクトもありますが,並行して,冒頭に述べたような,市や村の住民一人一人の生活に直接影響を与える小規模なプロジェクトも,数多く実施しています。
隣国アフガニスタンの情勢が不安定化する中で,地域の安定のためにタジキスタン自身が安定した国として発展する重要性も益々高まっています。
日本政府は,こうしたタジキスタンの発展を助けるため,国レベルのものから国民一人一人の幸福に直結するプロジェクトまで,現地の要望に寄り添ったきめ細やかな支援を行っているのです。
- ゴンチ行政郡における農業機材供与式でのトラクター試走風景
母子の健康と命の支援
原稿執筆:JICAタジキスタン支所 此原 麻希子 企画調査員
中央アジアのタジキスタンという国を皆さんはご存知でしょうか?昨年秋に日本の首相として初めて安倍首相が訪問し,その名前を聞かれた方も多いと思います。周りをウズベキスタン,アフガニスタン,キルギスタン,中国に囲まれた内陸国で,東西文明を結ぶシルクロードの中継地点として栄えました。
タジキスタンも1991年に他の旧ソ連諸国と共にソ連から独立を果たしましたが,その直後に反政府勢力との間で内戦が発生したために開発は遅れています。特にインフラ,社会・経済サービスの整備,および人材育成が同国における重要な開発課題となっており,日本は各課題解決に取り組んでいます。
保健分野では,最貧困州であるハトロン州で,2012年から技術協力「ハトロン州母子保健システムケア改善プロジェクト」を実施し,保健インフラ整備,医療人材育成に取り組んできました。
プロジェクトでは,老朽化したソビエト時代の医療機材を最新のものに更新し,医療従事者に操作・維持管理方法の研修を実施,あわせて妊産婦,新生児ケアの質の向上に係る技術研修を実施することで,サービスの質の向上を図りました。研修終了後には,病院間で自発的に研修や技術交流を行うなど,医療者のモチベーション向上にもつながりました。
対象地の1つであるジョミ県中央病院では,リスクの高い妊娠を含めた妊娠,出産,新生児ケアまでを一括して管理できるようになり,上位病院へ搬送することなく多くの命を救うことが可能になりました。この評判を聞きつけ,県外からも多くの患者が訪れるようになり出産件数も増加しました。
今年1月にジョミ県病院で出産した20歳のショイラさんは,妊娠33週目(出産予定日の基準(WHO規定)は通常妊娠37~40週目)で出産しました。出生時の体重が1.6キログラム(日本での新生児の平均体重は2.5~4.0キログラム)だったメヘロブ君は保育器で治療を受け2.5キログラムまで成長し無事に退院することができました。
- 無事に退院したショイラさんとメヘロブ君
2016年2月に開催されたプロジェクトの成果発表セミナーでは,カウンターパートの新生児科医が「医療機材の設置や研修によって提供できるサービスが広がった」と自信に満ちた顔で発表していたのが印象的でした。
- 供与された機材で赤ちゃんの状態を確認する新生児科医
シリア人の子供への教育支援
原稿執筆:在トルコ日本国大使館 川合 秀幸 二等書記官
270万人ものシリア人を受け入れていることで,トルコにおいては様々な問題が生じていますが,その中でも深刻な問題の1つが,シリア人の子供の教育です。昨年11月の時点では,トルコ国内だけで,就学年齢であるにもかかわらず,教育を受けられていない子供が46万7千人もいました。シリア危機発生直後に逃れてきた6歳の子供は,現在12歳になっています。
また,シリア人のみならずトルコ人の子供も大きな影響を受けています。増え続けるシリア人の子供に教育を提供するため,シリア人が多い地域では,午前にトルコ人,午後にシリア人への授業を行う午前・午後の二部制をとっているためです。「失われた世代」を生み出さないために,日本も国連機関等を通じて,様々な取組を行っています。
例えば,UNICEFへの資金拠出を通じて,トルコ国家教育省が運営している臨時教育施設(Temporary Education Centre:TEC)を南部メルシン県に2つ設置しました。南部メルシン県だけでも13万人を超えるシリア人が滞在していますが,そのうち就学年齢の子供は約3万3千人にのぼります。教育の機会を得ている子供は,さらにその半分程度と見積もられておりますが,日本の支援によってできたプレハブの教育施設において,約1,800人の子供が教育を受けています。
- プレハブの臨時教育施設外観
- 日本の貢献を示す看板
メルシン市は,日・トルコ友好の象徴ともいうべきエルトゥールル号海難事件が起きた地,和歌山県串本町と姉妹都市関係にあり,慰霊碑も建てられています。昨年公開された日・トルコ合作映画「海難1890」で描かれたとおり,エルトゥールル号海難事件を機に一気に両国の絆は強まりました。この日本との縁の深いメルシン市において,シリア人道支援を通じて,日・トルコ両国の友好関係に新たなページが刻むことができました。
- 元気いっぱいの子供達
- 真剣に授業に取り組む生徒
トルコのシリア「難民」キャンプ
原稿執筆:在トルコ日本国大使館 川合 秀幸 二等書記官
シリア危機発生から6年目を迎えましたが,シリア国外での避難生活を強いられているシリア人は約480万人にものぼります。このうち,半数を超える270万人ものシリア人がトルコ国内に滞在しています。さらには30万人のイラク難民,アフガン難民及びイラン難民も抱えるなど,トルコは世界最大の難民受入れ国となっています。
シリア人の約90%は南東部を中心にトルコ各地の都市部に滞在しており,トルコ国内に26か所存在する政府運営の難民キャンプに滞在しているのは約27万人です。今回はトルコ国内の難民キャンプの様子を紹介します。
- ニジップ・キャンプの全景
トルコ国内のキャンプは,コンテナ型とテント型のキャンプの2種類あります。キャンプの規模は様々ですが,小さいところで約2,000人,大きいところだと3万人近いキャパシティーがあります。
- ニジップ2・キャンプ(コンテナ型)
- オスマニエ・キャンプの外観(テント型)
オスマニエ・キャンプやガージアンテプ県内のニジップ2キャンプには,マーケットや学校,理容室,テレビ視聴室等の設備が整っています。特にコンテナ型のキャンプについては,整然としており設備も充実しています。
- キャンプ内のマーケット外観
- キャンプ内のマーケット
- キャンプ内のインターネット閲覧室
- キャンプ内の幼稚園を視察する
横井前駐トルコ大使
トルコ国内のシリア人は難民条約上の難民ではないものの,「暫定的保護」のステータスを得て,医療や教育などの行政サービスの恩恵を受けることができます。
トルコは,歴史的に難民・移民の受入れに非常に寛容な国で,シリア国境から逃れてきたシリア人に対しても国境を開放する「オープン・ドア」政策をとり続けてきました。トルコ人は,シリア人に対して「難民」という表現を使わず,「ゲスト」と呼び続けていますが,ここからも,トルコ人の寛容さがうかがえます。
とはいえ,特にシリア国境の南東部においては,シリア人が急増しており,トルコ人住民よりシリア難民の方が多い都市もあります。両者の間で軋轢が生じるなど,トルコの受入れ能力も限界に達しています。シリア危機が長期化する中にあって,トルコ政府は国際社会に対し一層の支援を呼びかけています。