ODA(政府開発援助)

ODAメールマガジン第299号

2015年4月23日発行

平成27年4月24日

  • ボリビア多民族国

経済協力担当館員による当国紹介

原稿執筆:在ボリビア日本国大使館 大島 正裕 一等書記官

【先人のつくった関係】

近年ボリビアのウユニ塩湖は,日本人観光客にとっておなじみとなりつつあります。幻想的な白色の湖面と青い空が地平線でぶつかるウユニ塩湖,これが今のボリビアのイメージでしょうか。

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    ウユニ塩湖
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    雄大なアンデスの風景

しかし,そのようなイメージとは裏腹にこの国は厳しい歴史を歩んできました。一説には独立から190年で200回近くものクーデターを経験し,先住民への差別が根深く社会を支配し,3度も隣国との戦争に敗北し,国土の半分の面積を隣国に割譲し,凹凸に富んだ複雑な国土を統合するインフラの整備もままならない状況でした。このような中でボリビア史上初めて誕生した先住民出身大統領であるエボ・モラレス大統領率いる現政権は,2006年から長期安定政権を築き,好調な経済成長を背景にようやく国土の本格的な開発に乗り出しました。

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    「ベニ県及びパンド県における村落地域飲料水供給計画」機材引渡式
    におけるモラレス大統領(中央の白いシャツ)と椿駐ボリビア大使(その右)
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    ラパス市のインフラの象徴として定着したロープウェイ

我々の先人達はこの国に大きな足跡を残してきました。

1899年9月,ペルーに入った初めての日本人移民(出稼ぎ労働者)790名のうち91名が2名の移民会社の監督官に率いられて,チチカカ湖を渡り,ボリビアにたどり着きました。彼らは,ラパス県北部のゴム林所有者と契約し,厳しい環境の中就労しましたが,間もなく逃亡せざるを得ない状況に追い込まれました。しかし,ゴム林に入る日本人移民の流れは止まらず,その数年後には,北部のリベラルタという町に多くの日本人移民がいたことが記録に残っています。

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    ペルー日本人移民を主導した
    森岡商会の田中貞吉。
    ボリビアへの91名の移動も主導。
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    20世紀初めのゴム採集労働者
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    旧ゴム採集地域パンド県の地図
    (日本人移民が入植した痕跡を「Tokio」という集落の名に見ることができる)

さらに,戦後,1956年の移住協定の締結後,東部サンタクルス県で日本人移住者達の開拓への苦闘が始まりました。1964年にはオキナワ移住地,翌年にはサンフアン移住地という二つの代表的移住地が建設され,ボリビアの日系人の盛名は確たるものとなりました。

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    サンフアン入植地の碑
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    サンフアン入り口。
    日本語での標記がある。
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    サンフアンの盆踊り

こうした歴史的背景を知るとき,日本とボリビアの浅からぬ関係に驚かされます。

これらの関係を継承しつつ,次の時代の関係を築いていくためにどのような協力が両国間で可能なのかということを我々は絶えず自問するべきなのでしょう。

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    我が国がパンド県コビハ市に供与した井戸掘削機と椿駐ボリビア大使

【日本のボリビアへの経済協力】

日本は対ボリビア国別援助方針の中で「貧困削減を通じた持続的経済成長の実現に向けた支援」を基本方針とし,「人材育成を中心とした社会開発」,「地方開発等を通じた生産力向上」を重点分野として定め,有償資金協力(政府間の交換公文ベースで2013年まで累計約470億円),無償資金協力(同約911億円),技術協力(同約697億円),草の根・人間の安全保障無償資金協力(2014年度までの累計571件)等多岐のスキームを使って援助を実施しており,当国では大変高い評価を得ています。

近年,モラレス政権は,将来的な電力需要増と近隣国への電力供給を目指して再生可能エネルギー分野に力を入れており,その中でも我が国の有償資金協力で実施するポトシ県のラグナ・コロラダ地熱発電所建設計画の実現が大いに期待されています。2014年5月5日には,日本政府とボリビア政府の間で本案件に係る第一段階第一期(生産井4本及び還元井4本の掘削工事:地熱発電所を建設する際には地熱を取り出す井戸の掘削工事が不可欠)の交換公文を締結し,同年7月2日にはJICAとボリビア開発企画省との間で円借款貸与契約が調印され,案件がいよいよ動き始めました。

南米初の地熱発電所建設に向けて22年ぶりの円借款

原稿執筆:JICA ボリビア事務所 丸山 真司 所員

2014年7月2日,JICAはボリビア政府との間で「ラグナ・コロラダ地熱発電所建設計画(第一段階第一期)」を対象とした円借款貸付契約に調印しました。本件は,ボリビアに対する22年ぶりの円借款供与となります。調印式で調印に至るまでの両国の努力を労い,本事業の前任者から引き継いだダルマに双方の担当者で目を書き入れた感動は忘れられません。

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    ダルマに目を書き入れるボリビア電力公社(ENDE)担当者

本事業は,ボリビアに対する22年ぶりの円借款であることに加えて,3つの大きな特徴があります。一つ目の特徴は,本事業で支援する地熱発電所はボリビアのみならず南米における第一号の地熱発電所となることです。コスタリカ,エルサルバドル,メキシコなどの中米の国々においては,地熱発電をベース電源として開発が進められてきています。他方,南米には地熱資源のポテンシャルを豊富に有しているにも関わらず,まだ一つも地熱発電所はありません。パイオニアであるからこその困難もありますが,両国が一丸となって南米初の地熱発電所建設の実現に向けてまい進しています。

二つ目の特徴は,世界でも初めての5,000メートル級の高地での地熱開発となることです。5,000メートルでの作業は非常に過酷であることが容易に想像できます。例えば,低酸素であるため作業効率や燃費が低下します。また,身体への負担も少なくありません。したがって,建設作業にあたっては安全を第一として,慎重に進めていくことが重要です。余談ですが,5,000メートルは気圧が低地に比べて低いということもあり,噴気試験時の蒸気は圧巻です。

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三つ目の特徴は,本事業は日本の技術やノウハウを活かしたオールジャパンでの地熱資源開発となることです。例えば,事業化調査を皮切りに,噴気試験と環境モニタリングに係る実施機関の能力強化を目的とした技術協力,本邦での地熱研修など,本事業の円滑な実施に向けてわが国は様々な支援を行ってきており,今後も日本の支援が期待されています。

初代空手協力隊員のルワンダ再訪

原稿執筆:在ルワンダ大使館 藤田 真由美 専門調査員

東アフリカの中央に位置する人口1,000万人強のルワンダでは,約20年前の1994年にジェノサイドが起き,多くの犠牲者が出ました。

その少し前の1987年,ルワンダへの青年海外協力隊の派遣が開始されました。

初代ルワンダ隊員として派遣された水谷英知氏(当時26歳)は,現在のスポーツ文化省に配属され,ルワンダでの空手道の普及,技術指導に努められました。しかし,水谷先生が2年間の任期を終え帰国された数年後にジェノサイドが勃発し,それにより当時の生徒たちの多くも犠牲になりました。しかし,虐殺から生き残った数名の生徒らが空手の復興に力を注ぎ,ルワンダ空手連盟を発足させ,2008年9月にスポーツ文化省から正式に団体として承認されました。

2014年8月,ルワンダ空手連盟及び在ルワンダ日本国大使館の共催で「第1回空手道日本大使杯」が首都キガリで開催されました。

ルワンダの空手人口は1,000人以上と言われており,同大使杯にも各地から150人以上の競技者が集いました。水谷先生は,ルワンダ空手連盟からの招待を受け,25年振りにルワンダを訪問し,1週間の技術指導及び当日の主審を担当されました。

また,試合終了後には,教え子であるルワンダ空手連盟のテオ会長から,ルワンダでの空手道普及に対して感謝状が渡されました。

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    水谷先生(前列右から3人目),ルワンダスポーツ・文化大臣,
    小川駐ルワンダ日本大使,ルワンダ空手連盟関係者,優勝者等との記念撮影

水谷先生は,25年振りのルワンダは当時とは比べものにならないほど発展していることに驚きつつも,自分が指導した教え子達からの信頼は変わらずで,感謝の気持ちの恩返しとして今回招待していただけたことを大変喜ばしく思うと述べていました。

今年の7月には第2代目の空手隊員がルワンダに赴任する予定です。

日本から飛行機で20時間以上離れたこの国でも日本の武道である空手道が着実に根付いています。

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    審判中の水谷先生

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