ODA(政府開発援助)
ODAメールマガジン第402号
ILO創設100周年
夢のような話から「人間中心の輝かしい仕事の未来」へ

原稿執筆:ILO駐日事務所

事務局長(2019年4月10日)(写真提供:ILO©)
ILOは,仕事の世界に関する幅広い問題に取り組む国際機関です。1日8時間労働,母性保護,強制労働・児童労働の撲滅,さらに職場の安全衛生や健全な労使関係を推進する一連の政策など,画期的な成果を生み出してきました。
2019年,ILOは創設100周年を迎えました。国連総会のILO創設100周年記念特別会合で演説に立ったガイ・ライダー事務局長は,その歴史について,「政府,労働者,使用者が一緒になって労働基準を設定する」ことは当初は夢のような話とされたが,そうではないことが判明し,1世紀にわたる努力と偉業の過程でILOは社会進歩の原動力として活動してきたことにより,平和の先駆者となってきたと評しました。
(ILO事務局長演説)

(現WTO)に設置されている(写真提供:ILO©)
ILOが誕生した1919年,第一次大戦直後の世界において,「世界の永続する平和は,社会正義を基礎としてのみ確立できる」とする理念や,政府・労働者・使用者代表の三者による社会対話に基づいた政策策定,計画立案を行おうとする姿勢は,極めて革新的なものでした。
その後100年にわたり,ILOは社会正義実現の原動力として活動を続けてきました。

ルト米国大統領(左端)同席のもと,フィーラン事務局長代行
がフィラデルフィア宣言に調印(写真提供:ILO©)

1944年には,フィラデルフィア宣言が採択されました。
- 「労働は,商品ではない」
- 「表現および結社の自由は,不断の進歩のために欠くことができない」
- 「一部の貧困は,全体の繁栄にとって危険である」
宣言によって再確認されたこれらの精神は,社会正義の拡大と働きがいのある人間らしい仕事,つまりディーセント・ワーク(decent work)の実現を目指す今日のILOにも生き続けています。ディーセント・ワークは,自由と平等,安全,尊厳が保障された環境で働き,生活したいという願いを結集した言葉で,SDGsの目標8にも取り入れられています。(フィラデルフィア宣言の詳細)

(ILO 2019 Convention concerning the Elimination of Violence
and Harassment in the World of Work)」(写真提供:ILO©)
国際労働基準の策定はILOの根幹となる活動です。現在までに採択された条約は全部で190,勧告は206にのぼります。労働時間の制限や児童労働・強制労働の撲滅など,これらの取り決めは,ディーセント・ワークの実現のために不可欠であり,条約や勧告に基づいた活動こそが,幅広い労働問題に取り組むILOの強みです。
今年6月のILO創設100周年記念総会では,画期的な国際労働基準が採択されました。「2019年の仕事の世界における暴力とハラスメントに関する条約(第190号)」および同名の付属する勧告(第206号)は,仕事の世界における暴力やハラスメントを定義し,それらを禁止する初めての国際基準です。

採択の歓喜の瞬間(写真提供:ILO©)
また,今回の総会では,「2019年の仕事の未来に向けたILO創設100周年記念宣言」も採択されました。目まぐるしく変化する仕事の世界の中で,ILOが果たす任務を再確認するこの宣言は,「人間中心」をその柱に据え,機会および待遇における男女平等の実現や,効果的な生涯学習の機会など,仕事に関わる複数の分野におけるこれからの行動を示す「行程表」としての役割を担います。
日本とILOの協力プロジェクト 若者をはじめ,みんなの雇用を支援

建設現場で働く男女(写真提供:ILO©)

電子部品工場で働く人々(写真提供:ILO©)
日本はILOの創設メンバーであり,特にアジア・太平洋地域での社会正義とディーセント・ワークを推進する上での主要なパートナーとして,通常予算の拠出や開発協力プロジェクトを通しILOを支援してきました。(日本とILOの協力(PDF))
日本政府は任意拠出という形で,労働分野におけるさまざまなILOのプロジェクトに1974年から協力しています。厚生労働省がILOと共に実施する開発協力は「ILO/日本マルチ・バイプログラム」と呼ばれ,アジア・太平洋地域の雇用,労使関係,サプライ・チェーン,労働安全衛生や,労働基準監督官制度を通じた児童労働撲滅の解決などに貢献しています。例えば,建設ラッシュの続くカンボジアでは労働者の安全の確保が重要な課題となっており,日本政府の支援による労働安全衛生促進プロジェクトを通じ,作業現場における事故や病気を未然に防止するためのシステム作りとともに,安全文化の醸成を図っています。その一環として,2018年6月には国家労働安全衛生基本計画が策定されました。またベトナムの電子産業においては,多国籍企業やそのサプライヤーと協力して社会的責任のある労働慣行の促進に取り組んできました。これまでに共同行動計画が策定され,ベトナム全土で216の工場を対象にした労働監督キャンペーンを展開しました。プロジェクトでは,サプライ・チェーンの各段階の主な関係者(日本のような投資国も含む)が一緒になって対話と活動を推進しています。(日本とILOの協力について)

女性や聴覚障害者も参加しています。(写真提供:ILO©)
2017年,ILOと厚生労働省は「協力覚書」に署名し,両組織間の一層の連係を確認しました。今年2月には仕事の未来世界委員会の報告書を題材とするILO創設100周年記念シンポジウムを共催しました。世界委員会の委員を務めた清家篤氏(慶應義塾前塾長)などによる基調講演の後,日本の政労使三者によるパネル討論では,「働き方改革」とも共通する,1)長時間労働の是正,2)柔軟な働き方,3)非正規雇用の処遇改善,4)高齢者の就業促進の四つのテーマが取り上げられました。人間を中心に据えた取り組みや人間が主導して科学技術を使うという考え方,技能開発や社会対話の重要性などの具体的なテーマも検討されました。(ILO創設100周年記念シンポジウム詳細はこちら)
開発支援の範囲は徐々に拡大し,近年ではアフリカにおいても複数の外務省の支援プロジェクトが実施されています。例えば,2018年4月に開始された「ガンビアにおける若者の雇用創出による持続可能な平和構築」プロジェクトでは,インフラ建設により若者の雇用機会を創出することでディーセント・ワークと機会平等を促進し,持続可能な平和に貢献することを目的にしています。このプロジェクトは,ケニアなどで道路技術の指導を行ってきた日本の国際NGO道普請人(CORE)との協力の下で行われ,現在までに250人の若者が雇用機会を得て携わっています。(ガンビアのプロジェクト詳細はこちら)

ILO駐日事務所内の特設コーナー(写真提供:ILO©)
また,マリからの難民流入が増加するモーリタニアでは,難民と受け入れコミュニティの人間の安全保障を向上するために若年雇用を創出しています。(モーリタニアのプロジェクト詳細はこちら)
ILOが100周年を迎える今年,奇しくも日本はG20やTICAD7など,いくつもの重要な国際イベントを主催します。(G20公式ホームページ)
TICAD7では,ILOはブース展示のほかに,ライダーILO事務局長の参加のもと,アフリカ,日本からパネリストを招き,アフリカにとって喫緊の課題である「若者と雇用:Jobs4Youth」と題したハイレベル対話を8月29日に開催します。
仕事の未来はわれわれの手に

1969年にノーベル平和賞を授与されるモースILO事務局長
(写真提供:ILO©)
恒久的な平和を実現するために社会正義に向けて取り組むILOの使命は,技術革新や気候変動,人口動態,グローバル化などを主要因として激動する仕事の世界において,より重要性を増しています。
かつてシェイクスピアは,「星空にわれわれの未来が描かれているわけではない。未来はわれわれの手の中にある」と述べました。社会が複雑化し,未来を見極めることが困難に思われる現代においてこそ,「未来はわれわれの手の中にある」,つまり仕事の未来は私たちが決める。人を中心に据えた熱い想いとともに,ILOは次の100年に踏み出します!
ネルソン・マンデラから受け継いだ精神と
日本による「人づくり」の支援

(写真提供:在南アフリカ日本国大使館)
原稿執筆:在南アフリカ日本国大使館 経済・開発協力班
「マディバ!」
南アフリカの偉大なリーダーであるネルソン・マンデラを,人々は敬愛を込めてこう呼びます。彼は1918年7月18日に南アフリカの現在の東ケープ州の農村に生まれ,アパルトヘイト(人種隔離政策)の反対運動で27年投獄の身となりながらも志を貫きとおした偉人です。同政策は1989年に撤廃となり,彼は1993年にノーベル平和賞を受賞しました。1994年に南アフリカ初となる全人種が参加する民主的な選挙が行われ,ネルソン・マンデラ氏は初の黒人の大統領となりました。1994年から1999年まで,民族的対立の爪痕が残る南アフリカを彼の和解と融和の信条でまとめようと努め,その功績は世界各地で知られることとなりました。
2009年,国際連合は7月18日を「ネルソン・マンデラ国際デー」とし,社会のために行動を起こそうという日に制定しました。
マンデラ政権発足後の1994年から,南アフリカ共和国は今まで差別を受けてきた人々も,国の一員として参画し,全ての人種が平等に暮らせる国造りをはじめました。しかし,教育の機会を奪われてきた多くの国民が,仕事を持ち,社会の一員として活躍できるための課題は多くあり,現在でも27%の失業率を抱えています。
日本は同年,外国政府として初となる総額約13億ドルの支援を行って以来,さまざまな支援をしてきました。これまで主に政府関係者約1900名が行政能力向上・強化のための研修を受けるなど,国作りの要となる「人づくり」のための教育分野をはじめとした支援を行っています。

(写真提供:アジア・アフリカと共に歩む会ホームページ)

(写真提供:JICA南アフリカ事務所)
1999年からは基礎教育も含めた算数教育を支援し,現在は現職教員の算数教科知識と指導法の能力向上に貢献しています。
日本のNGOである「アジア・アフリカと共に歩む会」および「SAPESI-Japan」は,学習の要となる読書を後押しする活動を継続しています。また,2002年から開始したJICAボランティアでは派遣数が合計200名を超え,主に教育の現場で南アフリカの人々と共に教育向上を目指しています。
基礎教育政策を10年牽引してきたモチェハ基礎教育大臣は,「地方の若者の教育の底上げは民主化以来の課題であり,日本の協力は極めて重要である」と,これまでの算数教育および読書普及のための日本の協力を高く評価しています。

(写真提供:JICA南アフリカ事務所)
これまでの産業人材育成のための支援のほか,2019年からは,日本の専門家の皆さんが南アフリカの職業訓練校で現地の先生と若者に向けて熟練技術習得を後押ししています。

モアベロさん一家は,そんな日本の「人づくり」の協力と深く関わりを持っています。お母さんのクリスティーナさんは,マンデラ元大統領の釈放後の1991年に最初の研修生として日本で貿易振興について学び,その後日本と南アフリカのビジネス関係に尽力しています。それから28年後,今度は息子のクウェナさんが「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアチブ」(2013年TICADVの際から開始)の研修生として同志社大学を卒業し,今は南アフリカの企業で日本との関係を強化する仕事をしています。親子2代で日本から学び,南アフリカで大きく羽ばたいています。
モアベロさん一家についてのご紹介記事は,在ケープタウン領事事務所Facebookのページにも掲載されています。
こうした「人つくり」が,南アフリカの人材の育成だけではなく,二つの国を結び,そしてアフリカのゲートウェイである南アフリカをとおして,日本とアフリカのビジネスでの関係強化にも役立っていると言えます。
マンデラ元大統領の言葉です:「教育とは,世界を変えるために用いることができる,最強の武器である。(Education is the most powerful weapon which you can use to change the world)」

2013年に永眠したマンデラ元大統領ですが,その精神は今でも受け継がれており,昨年南アフリカでは同氏の生誕100周年を記念する式典が行われました。日本はこれからも南アフリカの良きパートナーとして「人づくり」の支援を継続していきます。