ODA(政府開発援助)

日本との心を結ぶ橋

平成28年6月8日

原稿執筆 在パプアニューギニア日本国大使館

日本とのつながりと抗争の歴史をもつブーゲンビル

 パプアニューギニアの東部に位置するブーゲンビルは日本人にはそれほどなじみがないようですが,実は,その南端に近いブインには,第二次世界大戦中山本五十六元帥が搭乗した飛行機の墜落した場所があります。また,戦没者の慰霊や遺骨収集のため,多くの日本人関係者が来訪する場所でもあります。
 この地域は,1988年に銅山開発を巡る紛争に端を発したブーゲンビル分離独立運動の中で,独立派と政府軍との武力衝突が繰り返され極度の混乱に陥りましたが,2001年に和平協定が締結され,2005年の自治選挙を経て政情は落ち着きを取り戻しました。州都がアラワから現在のブカに移転したのにもこのような背景があります。平和協定では,ブーゲンビルのパプアニューギニアからの独立について,2020年までに住民投票が行われることになっています。
 州都ブカから旧州都アラワまでは,約190キロメートル。この間をつなぐ国道を走ると,舗装の無いでこぼこ道で車は大きくバウンドします。しかし,川にかかる橋を通る時にだけ車の振動が止まり,「スーッ」と通過します。この不思議な感覚は,そのまま日本の作った橋の素晴らしさとして現地の人々に共有されています。

  • 地図:パプアニューギニア

待ちに待った橋梁の建設

 ブーゲンビルの道路はほとんどが未舗装で,橋梁工事開始前の2009年当時,ブカ・アラワ間の幹線道路には橋のない川が19箇所もありました。住民は徒歩で渡るか,浅い場所を選んで四輪駆動のジープや小舟で渡るかしかなく,アラワからブカまで行くのに5~6時間もかかっていました。この地域は降水量も多く,雨期や突然のスコールで増水することも多く,病院へ行ったり,物資を買いに行くのも大変でした。このため,これらの川すべてに橋をかけることが,住民の悲願でした。しかし,洪水が多発し,河川も頻繁に流れを変えてしまうこの地域に橋をかけるのは至難の業で,高い技術を持った日本の助けが不可欠でした。日本政府は,要請を受けて,無償資金協力で15箇所の新たな橋梁の整備を行うことを決定し,2009年から建設に着手,2012年に完成しました。

  • 島の南部と州都ブカを繋ぐ橋

技術移転と住民の「橋を守る」意識

 橋ができたことで,移動は格段に便利になりました。現在は,アラワからブカまで車で3時間もかからず,南部から州都の病院まで患者を運ぶことができるようになりました。収穫した野菜や魚などを市場まで持って行って売ることができるようになり,収入が増加したという住民の声がよく聞かれます。
 最も注目されたのは,2014年に起こった洪水で,護岸が流され橋が危険な状態になったときでした。橋の工事で下請けとなった地元企業が中心となり,地域住民自らが総出で護岸を修復したのです。「橋を守れ」という地元住民の意識と,日本企業から技術を学んだ地元企業の協力の成果でした。いまも橋の周りでは,地元住民による雑草刈り,水路の清掃等の整備が続けられています。
 日本の高い技術が耐久性に優れた橋を残し,建設過程で実施された現地の人づくりの成果が橋を守っています。このような協力関係は高い評価を得ており,自治州政府要人からも「日本と言えば橋梁建設」「今後も橋の建設に協力してほしい」との発言が繰り返しなされています。

  • 橋に設置された銘板

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