チャレンジ41か国語 ~外務省の外国語専門家インタビュー~

チャレンジ41か国語~外務省の外国語専門家インタビュー~

2010年3月

カンボジア語の専門家 大田さん

(チョムリアップ・スオ)=こんにちは!

写真1 クメールの微笑み、バイヨン寺院の観世音菩薩

クメールの微笑み、バイヨン寺院の観世音菩薩

 大田さんは、大学時代に米国の首都ワシントンに留学した際、世界各国の大使館が建ち並び、各国の政府が様々な活動をしている様子を間近に見て政府の仕事に関心を持ち、外務省を受験しました。専門語の希望に当たっては、カンボジアのPKO活動のニュースを見て、「紛争終結後の国造りを長い目で見ていきたい」と紛争経験のある国の言語を希望、カンボジア語は希望どおりでした。

発声練習ばかり聞こえる教室

 「東京の研修では、東京にいるカンボジア人が先生でしたが、日本に留学した後帰化した方など、様々な経験を持つ方々からカンボジア語教えてもらいました。カンボジア語は発音が難しく、息を出す音出さない音、喉を緊張させて発音する音など様々で、私の教室からは、しばらくの間『カーッ、カーッ』と発音練習する声しか聞こえていませんでした。」 カンボジアは、古くはインド文化の影響を受け、王族用語や宗教用語、書き言葉はサンスクリット語やパーリ語の借用が多く、行政用語の中にはタイ語、話し言葉はフランス語の借用も多いようです。大田さんによれば、最近では、英語の借用語も続々と誕生しているそうです。

フランスでカンボジア語を学ぶ

 カンボジア語の海外研修は、現在は、カンボジアで2年間行われ、学位の取得やホームステイも推奨されていますが、カンボジア紛争(1970年代から80年代)があった頃は、フランスで行われていました。その後、カンボジアの安定とともに研修期間や場所が変更され、大田さんの研修当時(2001年~2002年)は、フランスで1年、カンボジアで1年半の研修でした。「フランスでは、国立東洋言語文化学院(INALCO)で約1年間聴講生として学び、カンボジア語と、地域研究の授業を選択しました。クラスの学生はカンボジア難民の二世やNGO関係者が多く、授業は全てフランス語で行われたので、私にはまずフランス語の勉強が必須でした。」この頃フランスにいたカンボジア人の中には、その後カンボジアに戻った人もいて、カンボジア人と「フランス留学経験」という共通の話題が持てたので、フランスでの研修は非常に有意義だったそうです。

カンボジアでの研修事情

写真2 アンコール遺跡群にあるタ・プローム寺院

アンコール遺跡群にあるタ・プローム寺院

 カンボジアでは、王立プノンペン大学法学部で1年間、国造りには欠かせない法律について学びました。「カンボジア王国憲法などの基礎講義から専門授業まで、幅広く選択できたのは良かったのですが、問題は講師がなかなか授業に来てくれないことです。当時、教師(公務員)は給料が低く、掛け持ちしている私立大学や塾の授業を優先してしまう事があったのです。しかも、大学は休校が多く、9月のお盆、10月の安息日、11月の水祭り、そして何故か12月のクリスマスと、休講ばかり。仕方がないので、大学では学生と会話の実践に徹し、家庭教師を雇って家でみっちり勉強しました。家庭教師は、カンボジア語の先輩から代々引き継がれている先生なので、私が仕事で必要となる語学レベル、つまりは近い将来カンボジアの首相と日本の要人の通訳を務めることをよくを知っていたので、教える意気込みが違います。その後、半年間、幹部公務員を育てる王立行政学院の外交コースに編入しました。カンボジア政府は人材不足のため、新規採用した幹部候補生を採用と同時に課長にすることが多く、当時の友達もどんどん昇進していたので、人脈作りには最適でした。でも『君はもう大使になったか』と聞かれるとちょっと困ります。」

発進ができれば合格?~カンボジアでの自動車免許講習

 大田さんは米国のオートマ免許を持っていたのですが、先輩からマニュアル車を譲り受けたので、カンボジアの免許を取りなおすことにしました。初日からいきなり路上講習で、牛やバイクを避けながら公道を計5時間ほど走ったらもう講習終了。教官から筆記試験予想問題を渡されて、月1回の公共事業運輸省免許試験に臨んだ大田さん。「試験問題は本当にそこから出題されたのですが、問題用紙が白黒印刷だったので、念のため試験官に『この問題の信号は何色ですか?』と聞くと、『(小声で)答えはBだ』(笑)。」ところが、大田さんは全問正解だったのに不合格。その理由は…。当時のカンボジアでは、試験官が生徒から賄賂を受け取って回答を書き直すことが少なくなかったので、そういった慣習を絶つためにも、書き間違いをしっかり消してきれいに書かないと不正解になるのだそうです。翌月の再試験は合格し、実技試験に進みました。ところが、走り始めたらすぐ終了。「また落ちたかと思ったら、『マニュアルは、難しいスタートができれば合格』(笑)。」大田さんの名誉のために付け加えると、帰国後、日本の免許への切り替え試験を受け、しっかり合格しました。

大使館に着任後、いきなり暴動発生

 2003年、在カンボジア日本国大使館(他のサイトヘ)での勤務が始まり、最初の3か月間は領事を担当することになりました。ところが、着任1か月にしてカンボジア人による3000人規模の反タイ暴動が起こり、タイ大使館とその周辺が大混乱に陥りました。「暴動が起きた時、安否確認がとれない日本人がいて心配したのですが、しばらくして無事が確認されました。その人の話では、危険を感じてホテルのバスルームに隠れていたところ、部屋に押し入ってきた暴徒に見つかり、『なに人だ?』と聞かれたそうです。簡単な日本語を話すと『日本人だぞ。別のホテルにご案内して!』と誘導されるままついて行くと、玄関で待機していた数台のバイクタクシーを手配してくれ、丁重に安全なホテルまで送ってくれたそうです。カンボジア人は、非常に親日的で、援助で橋や道路を造る日本にとても感謝しているのです。」 

経済発展へ向けたカンボジアの熱意

写真3 シハヌークビル経済特区の近くにはこんなきれいな海もありますよ

シハヌークビル経済特区の近くにはこんなきれいな海もありますよ

 3か月の領事勤務が終わると、今度は第3回カンボジア総選挙やその後の内政の情報収集、更に経済協力を担当しました。当時、カンボジアは、外国からの投資を増やすために、経済特区を中心に投資環境整備を進めていました。日本側は、『シハヌークビル経済特区』への円借款供与するに当って、カンボジアの経済特区に関する政令整備や首相の積極的関与を要請しました。フン・セン首相は、ODA依存からの脱却と海外からの投資による経済発展の重要性を理解していましたので、首相直属の問題解決委員会を創設するなど積極的に対応したそうです。帰国後、大田さんは南東アジア第一課のカンボジア担当として、久しぶりにカンボジアを訪れ、実際に投資協定がどのように運用されているかを確認します。現在では投資協定に基づく合同委員会や官民合同会議などが行われているそうです。「未だ日本からの投資件数や金額は少ないですが、企業誘致に向け、カンボジアとともに投資環境の改善を少しずつでも進められればと思います。」

ヘリコプターの中での通訳は要注意!

 カンボジアには日本語通訳者が少ないため、大田さんは、日本語からカンボジア語の通訳に加え、本来カンボジア側が行うカンボジア語から日本語への通訳も行うことが多かったそうです。「通訳をしていて困るのは、よく声が聞こえない時ですね。ヘリコプターの中で通訳をした時は、カンボジアの大臣が『ポルルオー(収穫が良い)』と言ったのが、『プロールオー(道が良い)』と聞こえて、そのまま訳したのですが、大使と私が窓から地上を見下ろすと、赤土のボコボコの道が続いていたので聞き間違いに気づきました(笑)。」印象に残っているのは、フン・セン首相の通訳で日本が協力して建設するシハヌークビル経済特区のあり方を議論したときのこと。「日本側がダルマを首相にプレゼントし、特区の完成を願って片目を入れるよう勧めたところ、首相はダルマの片目にまつげまで描き入れました。首相はダルマをいたく気に入り、首相府の執務室に置くと言っていました。」特区完成の時に、まつげ付きの両目が入るのが楽しみですね。

写真3 プノンペンにある中央市場。カンボジアはお米の国なのです。 写真4 プノンペンにある中央市場。お魚もたくさんとれますよ。
プノンペンにある中央市場。カンボジアはお米の国なのです。お魚もたくさんとれますよ。

カンボジアの変遷そのものの人生

写真6 4月に咲く、カンボジアの桜(直訳すると「森のグアバ」)

4月に咲く、カンボジアの桜(直訳すると「森のグアバ」)

 カンボジアは長い歴史のあるカンボジア語を国語としつつも、社会情勢とともに使用される外国語が変化しました。フランス植民地時代とシハヌーク時代はフランス語、ポル・ポト時代になって外国語教育が禁止され、ベトナム指導型社会主義のヘン・サムリン政権ではソビエト留学者達がロシア語を使用、パリ和平以降は、資本主義になりその後ASEANに加盟すると、特に若年層で英語が使われるようになります。つまり、1950年代以降の短い時間に、様々に体制が変化したので、カンボジア人はその年齢層によりその過ごした時期の情勢・体制が異なるため、使用する外国語までも異なっているのです。「私がカンボジア人に家族や親族について尋ねると、必ずと言っていいほど親族の誰かが紛争で亡くなっています。今を生きる彼らの人生がカンボジアの変遷そのものなんです。」 現在、政府関係者を含め、ポルポト時代の大量虐殺の影響で、40才前後の国民が少なく、教育者の数と質の不足から教育レベルもまだまだ改善の余地があります。そんなカンボジアを担当する大田さんは言います。「カンボジアはようやく国家の仕組みやインフラが整いつつあります。その中で、制度を担う人材育成や社会規範、モラルの育成が課題ですが、カンボジアの国造りを一緒に進めていきたいと思っています。」


印象に残っているフレーズ

日本語に似たフレーズや動物を使った表現。

 1. (チョッ・トゥック・クロプー・ラウング・ルー・クラー)
「川に入れば鰐、岸に上がれば虎(≒前門の虎、後門の狼)」

 2. (ドムライ・スラップ・ヨーク・チョンエー・バン)
「死んだ象をザルで隠す(≒頭隠して尻隠さず)」

 3. (チェッ・ドップ・ムン・スマウ・プロソップ・ムオイ)
「十知るは一通ずるに敵わず(≒百聞は一見に如かず)」

 4. (スヴァー・シー・バーイ・ルオイッ・リアップ・モアット・ポーペー)
「猿がご飯を食べて、羊の口に(ご飯粒を)塗る(≒濡れ衣を着せる)」

便利なフレーズ

  (ソーム・オークン) 「ありがとう」←合掌も忘れずに。

  (チュガンニュ) 「おいしい」

  (オッ・パンニャハー・テー) 「問題ない」←こうカンボジア人に言われた場合、大抵問題があるので気をつけましょう。


★カンボジア語を主要言語とする国:カンボジア王国


【関連するページ】

 第20回 ベトナム語の専門家 六反田さん
 第27回 ラオス語の専門家 二元さん
 第3回 ミャンマー語の専門家 田中さん

このページのトップへ戻る
目次へ戻る