チャレンジ41か国語 ~外務省の外国語専門家インタビュー~

チャレンジ41か国語~外務省の外国語専門家インタビュー~

2010年2月

ウルドゥー語の専門家 芦田さん

(アッサラーム・アレイクム)= こんにちは!

写真1 アフガニスタンとパキスタンの国境。芦田さんの足下の有刺鉄線の向こう側がアフガニスタン。
アフガニスタンとパキスタンの国境。芦田さんの足元の有刺鉄線の向こう側がアフガニスタン。

 インド人の多い神戸で育った芦田さんは、中学の頃からヨガや哲学に興味があり、インドにも強い関心を持っていました。大学でもヒンディー語を学び、語学を生かした仕事をしたいと、外務省をヒンディー語で受験。見事合格したのは良いのですが、ウルドゥー語の専門家に指名され、インドのつもりが、お隣のパキスタンの専門家への道を歩み始めます。

ウルドゥー語の日常会話は、耳で聞くだけならヒンディー語とほぼ同じ

 「ウルドゥー語の文字は、アラビア文字28文字に、ペルシャ文字4字とヒンディー語系の発音を表す文字3字を加えた35文字で、 アラビア語同様、右から左に書かれています。単語は、アラビア語ペルシャ語 からの借用も多いのですが、文法や語彙はヒンディー語と同系です。つまり、ウルドゥー語とヒンディー語は文字にすると全く違うにもかかわ らず、会話であれば意思の疎通ができるのです。「たとえば、インド映画のセリフにはウルドゥー語の単語がよく混じっているので、パキスタン人もインド映画をほぼ理解することができます。インド映画の制作会社は、パキスタンの観客も意識しているのだと思います。外務省に入省する時は、思いがけずウルドゥー語の専門家になったので、少しショックを受けたのですが、今思えば、ウルドゥー語とヒンディー語の両方を読み書きできるという強みを持てて本当に良かったと思っています。しかも、双方の言語を知ることで、ネイティブには分からない2つの言語の微妙な違いも再認識できました。」アラビア語やペルシャ語もある程度読めると言うことですから、とても幅が広がりましたね。

パキスタンの国語がウルドゥー語である理由

 「ウルドゥー語は、古くはインドのデリー周辺で標準化された言葉で、言語学的に美しく洗練されています。現在、ウルドゥー語が第一言語であるパキスタン人は、国全体の10%にも満たないのですが、ウルドゥー語はパキスタン全土で通じる国語になっています。でも、実際のところ、ウルドゥー語で会話を始めても、途中でパンジャブ語やパシュトゥー語など別の言語に切り替わることもよくあります。」

真夏のパキスタンは想像を絶する酷暑

 芦田さんは、インド国境に近いパキスタンのラホールを研修地に選びました。「ラホールに到着した時は、8月で連日気温は40度越えでした!煉瓦造りのアパートは室温50度にも昇り、熱を持った煉瓦は夜になっても冷めません。私は、現地に慣れるためエアコン無しの生活を決意したのですが、2年目には耐えられずエアコンを購入しました。気温が常に体温より高いので、人が座っていた所や、さわっていたところが少し冷たく感じるほどで、水銀の体温計が振り切れていたこともありました。その代わり、湿度は非常に低いので、滝のような汗や脱水していないジーンズもあっという間にカラカラ。濡れ雑巾で掃除しているのに、すぐ乾拭きになってしまうという感じです。加えて停電も頻繁で、5~6時間続くこともあり、エアコンも明かりもない『灼熱地獄』で、ただただ我慢するしかない日もありました。」

パンジャブ大学に通いつつ、家庭教師と猛特訓

 「研修時代はパンジャブ大学のウルドゥー語学科で勉強していました。大学ではウルドゥー語の知的な語彙や正規の発音、語源を学問的に勉強することができました。おかげで、正統派ウルドゥー語の知識も身につき、『君はデリーから来たのか?』と言われたときは、誇らしい気分になりました。また、大学に通いながら毎日家庭教師にもついていたので、実際にウルドゥー語の会話が伸びたのは、家庭教師の特訓によるところが大きいですね。」

ラホールでの食生活と音楽活動

写真2 イスラムの犠牲祭で神に捧げるための山羊、羊、牛の競り市。
イスラムの犠牲祭で神に捧げるための山羊、羊、牛の競り市。

 「ラホールでの食生活は、3食カレーで香辛料たっぷりだったので、自分の体臭がパキスタン人と同じになっていく事をひしひしと感じました。当時、日本料理屋は一軒もなく、アジア料理は中華料理だけ。自宅でたまに食べるお茶漬けがさっぱりして最高でしたね!また、パキスタンの国教はイスラム教なのでお酒を飲めません。外国人は、5つ星ホテルの地下でパキスタン製ビールやジンやウォッカを買うことができるのですが、手続きに何故か半日もかかるのでひと仕事です。拝火教徒が醸造する洋酒もあったのですが、ちょっと質に不安がありましたね。」余暇はどのように過ごしていたのですか?「実は、私は作曲などの音楽が趣味なので、週末は電子ピアノを弾いたりしていましたね。パキスタンは電圧が安定していないので、デリケートな電子機器が故障しないように、高価な電圧安定付き変圧器も持参しましたよ(笑)。イスラム教は『歌舞音曲』を認めていないので、楽器のできるパキスタン人はほんの僅かしかいませんが、私がインド映画の音楽を演奏すると喜ばれましたし、本当は彼らは踊りが大好きなので、曲にあわせて楽しそうに踊っていましたね。」

大使館での1日の始まりは朝刊分析

 研修終了後、芦田さんは、首都イスラマバードにある在パキスタン日本国大使館 他のサイトヘ に勤務し、最初の1年は儀典とパキスタンの内政を担当しました。「毎朝大使館で開かれるプレス・ミーティングで、朝刊の記事を分析して報告するのが私の仕事の一つでした。朝刊は、英字新聞3紙とウルドゥー語新聞2紙があったので、毎朝6時30分に新聞が届き次第読み始めないと、9時30分の会議に間に合いません。プレッシャーが大きかったのですが、おかげで英語の速読力がつきました。月曜日には週末の新聞をまとめて読むので悲惨でしたけどね!2年目は政務の専属になりましたが、パキスタン政府との打ち合わせや会議等では、基本的に英語を使用していたので、ウルドゥー語を使う機会は殆どありませんでした。しかし、1対1で仕事の話をする時にウルドゥー語を使うと、相手の態度が変わって『膝を交えて話す』ことができるので、ウルドゥー語の効力は抜群でした。」

テロと人の死が身近にある世界

 パキスタンというと、どうしても『テロ』を思い浮かべる人が多いと思いますが、パキスタン勤務中に身の回りで『テロ』が起こったことはありましたか。「勤務中、近距離で大きな音がして大使館の外に様子を見に行こうとした時のことです。大使館の建物の入り口は、警備のため厳重な2枚扉になっていて、片方の扉を閉めないと、もう片方の扉が開かない仕組みだったのですが、私が1枚目の扉を通過し、2枚目の扉が開くまで待っていた間に、再び大爆音がし、二重扉の外に出ると、なんと隣のエジプト大使館が爆破されていました。再び日本大使館内に戻ると、館内の全ての窓ガラスは爆風を受けて割れ、玄関内には割れたガラスが散乱していました。あの時、2枚扉の間にいなければ、私は大使館内で飛んできたガラスの破片を受けるか、大使館の外で爆風に飛ばされるかしていたでしょうね。幸運にも日本大使館の職員は、数人の軽傷者以外全員無事でしたが、私が経験した中で一番大きな爆発でした。その後、2008年9月には、イスラマバードのマリオットホテルで自爆テロが発生し、ホテル正面の爆心地には深さも直径10メートルくらいのクレーターができるほどでした。ホテル周辺には多くの日本人が住んでおり、住宅に被害はありましたが、幸いその日は離れたところで日本人会の盆踊り大会があったので、日本人は皆無事でした。他にもテロは絶えず発生していて、しばしば遺体を目の前にしていたので、人の死がとても身近に感じられました。」

写真3 北西辺境州の州都・ペシャワルの市場(現在は危険で外国人は立ち入れない)
北西辺境州の州都・ペシャワルの市場(現在は危険で外国人は立ち入れない)

パキスタンの医療事情

 「それにパキスタンでは病気も多いですね。私も、赤痢やデング熱など色々罹りましたし(笑)。『パキスタン腹』と称される多くの消化器感染症があり、しょっちゅうお腹を壊します。でも、そのような状況の中、私の次男はたくましく、パキスタンの病院で生まれました。ただ、生後1か月のある日、次男の体温が急激に下がり始めた時は本当に心配しました。日本のODAで建築したパキスタン国立医科学研究所(PIMS)の小児科病院に行くと、『肺炎』と診断され、緊急入院したのですが、日本で研修をした一流の医師や看護婦のおかげで、10日ほどで無事退院することができました。」息子さんが完治して本当に良かったです!!

写真4 現在は立ち入りが禁じられている連邦直轄部族地域(FATA)のハイバル峠。アフガニスタンとの国境にある。
現在は立ち入りが禁じられている連邦直轄部族地域(FATA)のハイバル峠。アフガニスタンとの国境にある。

今が、ウルドゥー語専門家の活躍の時

 パキスタンおよびウルドゥー語の専門家として、やり甲斐を感じるのはどんな時ですか。「近年、G8やパキスタン支援国会合パキスタン・フレンズ首脳会合をはじめ、様々な会談でもパキスタンが話題にあがっています。ですから、パキスタン専門家として意見を求 められたり、アフガニスタンパキスタントルコ等で開催される会議に出席することも多く、非常にやり甲斐を感じています。パキスタンは、『テロリストが多く存在する核保有国』です。このため核兵器や核開発技術が、テロリストやタリバンの手に渡る可能性があるので、アメリカを始めとする国際社会はパキスタン政府に対する物資や資金の支援に非常に前向きです。」核軍縮・核不拡散に対する国際社会の関心が高まる中、パキスタンの専門家は重要な役割を果たしているのですね。

パキスタンの将来を担う若者に期待

 「パキスタン人は、一人ひとりはフレンドリーでとても『いい奴』なのですが、自国を良くしようという情熱が乏しいように感じられます。例えば、海外留学すると、そこで学んだ技術や能力を自国に持ち帰らず、そのまま留学地に移住してしまうことが多いのです。また、裕福な家庭はとことんお金持ちですが、貧しい人も多く、識字率は55%程度です。パキスタンの人口1億6千万人のうち、20才以下の若者が1億人を占めます。天然資源も豊かなので、パキスタンの将来を担う一億の若者が頑張ってくれればきっと豊かになれる国だと思っています。パキスタンの発展のために、私も一緒に努力していきたいと思います。」

好きな言葉・印象に残っているフレーズ

(マハンガー・ローヤー・エーク・バール、サスター・ローヤー・バールバール)
直訳:高いものを買えば泣くのは一度、安物を買うと何度も泣く) 「安物買いの銭失い」

便利なフレーズ

(シュークリヤー) ありがとう。

(ティーク・ハエ) 大丈夫です。

(アッチャー) (1)素晴らしい。 (2)よく分かった!

(バフット・アッチャー) とても素晴らしい。

(シャーバーシュ) すごい!やったね!(相手をほめる時)

(バス(2度続けてバスバス)) 十分だ。(不必要なものを更に勧めてくる時)

(カンジュース) けち!(買い物でなかなか負けてくれないとき)

(××チャーヒエー) ××をください。(買い物、レストラン等で)

(ジャルディー(2度続けてジャルディー・ジャルディー))早く!(急がせたい時)


★ウルドゥー語を主要言語とする国:パキスタン・イスラム共和国


【関連するページ】

 第21回 ペルシャ語の専門家 中山さん
 第4回 アラビア語の専門家 榎下さん