2010年1月
(ズドラーストヴィーチェ)=こんにちは!
モスクワのクツゾフスキー通り。左はスターリン・ゴシック様式のウクライナホテル、中央奥はロシア連邦政府庁舎(ホワイトハウス)。
大学2年生の時に、初めての海外旅行で韓国を訪れ、外見上は日本との共通点が多いのに、言語から物の考え方まで異なることに衝撃を受けた室谷さん。「日本は韓国とどう付き合ったらよいかを考えたい」と外務省を受験し合格。専門語の第一希望はもちろん韓国語だったのですが、なぜロシア語の専門家になったのでしょうか。
「ロシア語は希望していなかったので、ロシア語を研修語として指定された時には、正直驚きました。大学でロシア語の授業を選択していた事が人事課の目に止まったのかもしれません。あるいは、私が北陸出身で寒さに強いと思われたのかもしれませんね(笑)。ロシア語は大学で少し学んだとは言え、アルファベットが読める程度の知識しかなかったのです。でも、自分の専門語と決まった以上、しっかり習得しなければならないので勉強しました。」
ロシア語には、などの特殊な文字がありますね。「ロシア語は、ギリシャ文字がベースとなって作られたと言われるキリル文字を使います。文字を覚えるところから始めなければならないので、他の言語と比べて最初のハードルが高いかもしれませんね。でも、ロシア語は英語と比べると発音がはっきりしているので、比較的聞きとりやすいと思います。まずは耳から慣らして、聞いたことのある文章を使ってみるというふうに勉強すると習得しやすいですよ。」
「スラブ系言語の一つであるロシア語は、文法も複雑です。名詞を例としてあげると、『私』という単語は、『私は』、『私の』、『私を』、『私によって』などそれぞれの場合で語尾が異なり、6通りに変化します。それに加えて複数形や、男性名詞、女性名詞、中性名詞があるので、覚えなければいけない名詞の形は全部で24通り近く(ただし重複もあります)もあって大変なんです。複雑なだけに、最初はなかなか語学力の『伸び』を感じられないのですが、努力をした分に応えてくれる語学とも言えますね。」
室谷さんは東京での研修を終え、いよいよ語学研修のためモスクワに旅立ちます。出発前に、ロシア語専門家の先輩から、ゴルフボールを持参するようアドバイスを受けました。「ゴルフボールは、バスタブの栓にぴったりだったんです。私のモスクワのアパートにも、バスタブはあるのに栓がありませんでした。ロシア人には日本人のようにお湯をはった風呂に入る習慣がほとんどありません。そのせいか、あるいは当時のロシアが1998年の金融危機の直後で、あまり商品も出回っていない時期だったせいかは分かりませんが、バスタブの栓は入手できませんでしたので、寒いロシアで暖かい風呂に入るために、ゴルフボールは重要なアドバイスでした。ちなみに、今では、金融危機の影響はあるものの、原油高を背景として研修当時に比べるとロシア経済も上向きになり、モスクワもずいぶんと変わったという印象です。」 室谷さんによれば、ロシアには『バーニャ』という公衆サウナがあり、知り合い同士、白樺の枝葉でお互いを叩きながら身体を温めるそうです。
夕暮れの旧アルバート通り。小売りスタンドが建ち並び、ロシアで人気のマクドナルドもあります。
当時、ロシアで働く各国の外交官は、『外交団アパート』という政府が管理する住宅に住む事になっていたため、室谷さんがモスクワに到着した時には、既にアパートの部屋番号も決まっていたそうです。「初めて部屋に入ったところで、まずは水が出るかどうかを試しました。水道の蛇口をひねってみたら水が出たので『良かった』とほっとしたのも束の間、今度は出した水が止まらない・・・。慌ててアパートの管理人に修理を依頼し、すぐに修理工は来てくれたのですが、モスクワで使った最初のロシア語が『レモント(修理)』とは先が思いやられました。その後も、あちこちの電球が切れたり、アパートのトラブルは語り尽くせません。」最近では、外交官も不動産業者を通じて一般の物件を探すこともできるようになっているそうです。
室谷さんはロシア外務省附属外交アカデミーで研修しました。どんな人が外交アカデミーで学ぶのでしょうか。「もともとは、外交官のステップアップのために作られたものですが、今では、外交官に限らず、他の大学で既に学士等の学位を取得した後、新たに別の分野での学位を取りたいという人たちですね。ロシアの大学は5年制ですが、4年間で学士の学位を取得した場合、残りの1年間は、他の大学で専門性の高い学位をもう1つ取得することが可能です。私の場合も、日本で4年制大学の経済学部を卒業しており、ロシアで1年勉強すれば5年制の学位を取得できるので、モスクワ研修では、2年間のうち、最初の1年は語学コースでじっくりロシア語を勉強し、次の1年は外交アカデミーの国際経済関係コースを選択しました。」
アカデミーのクラスメートは、室谷さん以外全てロシア人だったので、ロシア語やロシア人の考え方を勉強するには非常に良い環境でした。「当然すべての会話はロシア語ですし、ロシア的思考・心理の中で、ロシア人を理解するとても良い機会になりました。ロシアの大学は、入学試験は難しいけれど卒業はそれほどでもないという点で日本の大学と似ていたので、ちょっとサボり気味のロシア人もいました。研修中の私は毎日授業に出席していたので、試験前になると、他の学生たちが、ロシア人ほどメモが取れていないであろう私のノートをコピーすることもありました。」
外交アカデミーのクラスメート。友人宅でのホームパーティ。
「ロシア人は、シャイな人が多く、人との距離の取り方が日本人と似ていると思います。しかし、『守りが堅い』という一面もあり、理屈で攻めても納得してもらえず、こちらの倍以上の反論をした上で自分の殻に閉じこもってしまうという傾向があります。例えば、大学に入学申請をした時のことですが、窓口のロシア人は、書類が不備だとか何とか言って受理してくれず、私がいくら『不備はない』と理屈で強硬に説明しても、相手は態度を硬化させるだけで埒があきませんでした。仕方がないので、私はひとまず退散し、翌日同じ人に『書類は間違っていないと思うが、いずれにしても入学できないと、とても困るんだ・・』と情に訴えたところ、意外とあっさり受理してくれました。ロシア人に限りませんが、まずは相手を知り、その人が何故そういう行動に出るのかを理解した上で相手との交渉に臨むことが大切だと思いました。」
室谷さんは、2年間でロシア語を初学のレベルから通訳ができるレベルまで引き上げることに、不安とプレッシャーを感じていました。「この種のプレッシャーは、外務省の語学研修者に共通するものですが、特にモスクワは暗くて寒い冬が長く続き、少ない娯楽の中で気分転換もままならず、体調も崩しがちでした。そこで、このプレッシャーを克服するために、毎日悩む暇を与えないくらいの勉強スケジュールを作りました。大学の授業が終わるとすぐ家庭教師による語学のレッスン、夜はレポート等の宿題をこなして1日が終わるという具合です。その代わり、週末は完全に勉強から離れ、希少な娯楽である映画を見るなどしてゆっくり過ごしました。ソ連時代の映画は芸術性が高いものが多く、この時ばかりは、リラックスしてロシア語に触れることができました。実は、このリラックス法には素敵な『おまけ」もついてきました。大使館勤務になってロシア人との集まりで乾杯の挨拶を頼まれたときのことです。ロシア人なら誰でも知っている映画の有名なセリフを交えて挨拶をしたところ、本当にとても喜んでくれて、研修時代に映画をたくさん見ておいて良かったと思いました。」
室谷さんは研修後、2002年から2005年にかけて、在ロシア日本国大使館 で3年間ロシア内政を担当しました。「私が勤務していた頃のロシアは、政治面でも大きく変化を遂げている時で、その分析はとてもやり甲斐のある仕事でした。これはロシアに限りませんが、私の印象では、新聞や論文資料などの公開情報から内政情報の約8割を得ることができるので、毎日、新聞や資料を読んで、その情報を分析することが仕事の中心になっていました。また、2003年ロシア議会選挙で、全議席の3分の2以上を獲得し圧勝した与党「統一ロシア」が誕生したことは、ロシアの国内政治における大きな変化の一つだったのですが、このようなロシアの政治の大きな動きを目の当たりにし、臨場感のある仕事ができたことは良い経験だったと思います。」
2008年4月福田総理がロシアを訪問した際の日露首脳会談。
福田総理の手前が室谷さん。(提供:内閣広報室)
帰国後、室谷さんは、ロシア課で勤務しつつ総理大臣や外務大臣の通訳を4年間経験しました。「重要な会談に同席し、日本の立場を相手国に伝えるプロセスに携われたことは、通訳ならではの経験でした。それに、日本側の発言者の微妙なニュアンスまできちんと伝えることができれば、通訳冥利に尽きると言えます。そもそも発言者同士が直接話す方が意思疎通は正確にできるわけですが、言語が異なる以上はどうしても通訳が必要になってきます。通訳は、例えて言うなら、歌舞伎の『黒衣』で、舞台に欠かすことのできない存在でありながら、まるでそこに存在しないかのような立ち回りをする必要があります。私自身は『黒衣』の立ち回りができたという自信はありませんが、日本語にしか無いような概念をうまく説明するロシア語に訳せた時などは達成感がありました。苦労したのは、ロシア人が会話の中でよく使う詩や小話、慣用句です。特に詩の中で使われるフレーズは日本の古文のようで非常に難解ですし、小話は際限なくあります。日本人にとっては、何がおかしいのかよく分からないものも多々あるので、通訳をしている時にこれらが出てくると焦りました。」
「ロシア課では、査証簡素化協定の作成に携わり、日露間の人的往来の増加に努めました。また、オホーツク海を始めとする日露の隣接地域における生態系の保全の下地作りをしました。日露間には、北方領土問題が未解決のまま残っており、そのような両国の関係を調整していくことは一筋縄ではいかず、正直に言えば『しんどい』と思う時もあります。しかし、日露関係の歴史はそう長いものではなく、日露間に初めて外交関係が樹立された日魯通好条約の締結からまだ150年、新生ロシアが誕生してから僅か20年ほどしか経っていません。経済関係や人的交流など、これから築いていくべき事はいくらでもありますし、もちろん、真の友好関係を築くためには、戦後未解決のままとなっている領土問題の解決が不可欠です。今後は、見識を広げるために、ロシア以外の様々な仕事を経験した上で、また、対露外交の世界に戻ってきたいと思います。」
(スレザーミ・ゴーリュ・ニ・パモージェシ) 泣いてもどうにもならない。
(直訳:涙は悲しみ(を克服するため)の助けとはならない。)
(ハラショー) 「良い」という意味ですが、「気分が良い」、「すばらしい」、「承知した」という返事としても使われる等、会話の端々に出てくる便利な言葉。
(ダヴァイ) 親しい者の間で使われる「~しよう」と動作を呼びかける言葉ですが、別れ際の挨拶として使われることもあり、友人間では比較的よく使われる言葉。
★ロシア語を主要言語とする国:ロシア、ウクライナ、ウズベキスタン共和国、カザフスタン共和国、キルギス共和国、タジキスタン共和国、トルクメニスタン、ベラルーシ共和国、モルドバ共和国
【関連するページ】