(ドブリー・ジェン・・・読み方)=こんにちは!
友人とビールを飲む早山さん(首都ブラスチラバで。)
語学好きの高校生だった早山さん。ソビエト連邦(当時)で起こったペレストロイカの動きを目の当たりにし、「これからはロシア語の時代だ」と大学でロシア語を勉強すべく受験します。見事合格を果たしますが、たまたまその年、大学に新しく開設されたというチェコ語の専攻に振り分けられます。そして「はからずも」チェコ語を学ぶことになったとか。
卒業後はせっかく勉強したチェコ語を使える仕事がしたいと外務省への入省を希望します。しかし、採用試験に合格してみると、今度はこの年、初めて外務省でスロバキア語研修をはじめることになり、早山さんに「スロバキア語にしない?」という打診が入ります。こうして早山さんは外務省のスロバキア語専門家の記念すべき第1号となります。二度の「はからずも」によってスロバキア語の専門家としての道を歩き始めた早山さんですが、スロバキア語ってどんな言葉なのでしょうか。
「日本人がスロバキア語を勉強するのは、まず環境が整っていないので、難しいです。辞書や教科書が圧倒的に少ないですからね。」
―世界の主要言語でない言語を勉強する方は皆さんそうおっしゃいますね。
「スラブ系言語の特徴として、名詞そのものが変化するということがあります。例えば日本語なら助詞(「が」、「を」、「の」、「に」等)をつける代わりに1つの名詞につき単数6つ、複数6つの変化があり、それに合わせて形容詞も変わりますから・・・」
―ええっ!名詞が12通りに格変化するんですか?!大変そう・・・
「そうなんです。最初はそうした格変化を暗記するところからはじめないといけないので、みんな嫌になってやめてしまうわけです。」
「僕の場合も、そうした言語の性質もあり、東京での予備研修は文法をしっかりと習得することに最大重点がおかれていて、実践会話は二の次でした。だから実際に研修で現地に行って、例えばレストランで料理を注文するという場面で、なかなかスロバキア語が出てこなかったりして。最初のうちはとにかく自分の言いたいことが伝えられずに、泣きました!」
―それは大変ですね。言葉が通じなかったことで苦労したことはありますか?
「言葉で大変だったというよりも、まず、文化そのものに慣れるのが大変でした。一日一日を頑張ってやっと生き抜いていたという感じ。」
例えば水ひとつとっても、スロバキアの人はガス入りのもの(炭酸水)を飲むのが普通なのですが、最初はどうしてもガス入りの水に慣れることができなかった早山さんは、当時なかなか売っていなかったふつうのミネラルウォーターを探して町中をさまよった覚えもあるといいます。今では天皇陛下や首脳会談などの通訳や海外出張もバリバリこなす早山さんも、最初はこうした文化の違いにとまどうことから始まったのですね。
平成9年に研修でスロバキアに行き、スロバキア第2の都市コシツェで1カ月間の夏期講習を受けた早山さん。生活に慣れるのに大変だった頃に、こんな出会いもあったそうです。
「人恋しくて地元のデパートなどをうろうろしていたら、突然、スロバキア人のおじいさんから日本語で話しかけられたのを覚えています。『ハプスブルク帝国時代に生まれた』と言っていたくらいですから、相当のお年だったと思いますが、シベリアに抑留されていたときに、同じく抑留されていた日本兵から日本語を教わったというのです。確かに、彼の家にお邪魔して、彼が毎日日本語を忘れないように見直しているという日本語の単語帳を見せてもらうと、『ほふく前進』なんて言葉があったりして、びっくりでした。」
サマースクールでの授業風景
「このおじいさんの日本語は、特に流ちょうというわけではないのですが、なんと、さらに彼の下で日本語を勉強しているスロバキア人たちがいたんです。」
―そうすると、スロバキアでは、日本に対する興味が高いのでしょうか?
「うーん、どうでしょう。首都のブラチスラバにある大学にも、日本語学科がありましたが、6年に1回生徒を募集しているということでした。在留邦人(現地で暮らしている日本人)も少なくて、その当時20~30人くらいだったと思います。」
「日本語学科の学生たちとは、家庭教師をしてもらったり、よく飲みに行ったりして仲良くなりました。『日本語ジャーナル』という、日本語を勉強している外国人向けの雑誌が大学に置いてあり、そこには日本を外国人にわかりやすく紹介する記事があるので、それを自分でスロバキア語に訳し、その訳文をチェックしてもらうということをやっていました。日本特有のものをスロバキア語に訳した言葉はその当時見あたらないわけですから、僕と彼らとの共同作業で、日本語にスロバキア語の言葉を当てはめていくわけです。」
英語やフランス語などの主要言語だと、日本独特の物も、もう誰かが訳して単語が成立していたり、使いやすい表現があったりしますが、さすがにスロバキア語ではそうはいきません。外務省でも初めてのスロバキア語の専門家ですから、まさしく、早山さんは日本におけるスロバキア語のフロンティア(開拓者)の1人といえそうです。
「日本のものをスロバキア語で紹介できるように訳していくというこの作業は、後に大使館で広報文化を担当し、日本文化を現地に紹介するという仕事をしたときにも非常に役に立ちましたね。」
早山さんが研修をしていた平成9年~10年までは、スロバキアには日本大使館がありませんでした。それで、研修後はチェコの日本大使館に勤務していた早山さんですが、平成14年になってスロバキアに大使館を立ち上げることになりました。いよいよ外務省初のスロバキア語の専門家早山さんの出番です!
「最初は本当に僕1人でしたから、1人でなんでもやりました。受付からビザの発給からなにからなにまで。真冬のことでしたし、大使館の中はまだほとんど何もなく、心細かったですよ。」
スロバキア語研修第1号、大使館の立ち上げ・・・まさにスロバキアと日本との二国間関係を土台から築いてきた早山さん。その後もスロバキアとの外交関係の第一線で活躍しています。
「スロバキア語をやってよかったと思うのは、珍しがられるというのもありますが、陛下や皇室の方、そして首脳会談などの大事な場面の通訳という大役が、有無をいわさず回ってくるということです。」
たしかに、外務省では、英語などの主要言語で通訳担当官になるのは競争率が高く、首脳会談などの通訳を行うのはごく限られた職員ですが、専門家の少ない特殊言語では引く手あまたですね。
研修地コシツェで友人と登山した時。
―最後に、日本では、あまりスロバキアについて知られていないと思いますので、早山さんのお勧めの場所や物があったら教えてください。
「首都のブラチスラバは、実はオーストリアのウィーンから車で1時間ほど。とても近いんです。そして僕のお薦めは、洞窟です!スロバキアには各地に鍾乳洞などの洞窟がたくさんあって、観光資源としても注目されています。氷に覆われた洞窟もあるんですよ。日本からJICAの専門家が訪れて、洞窟環境の調査を行ったりして国際協力もしています。その調査に同行したのですが、あまりに素晴らしくて興奮しました。
そのほかには、クリスタルガラスがあります。チェコ・スロバキア時代は全て『ボヘミアンクリスタル』としていましたが、独立後、スロバキア産のものはネーミングをちゃんと『スロバキアクリスタル』としていますけれどね。チェコのボヘミアングラスより、安く買えると思いますよ。」
と、楽しそうにスロバキアについて紹介してくれた早山さん。はじめは「はからずも」スロバキア語を始めたということでしたが、素朴な語り口調で謙遜しつつも、まさに外務省のスロバキア語の第一人者として活躍している様子が伺えました。
(ズムルズリナ):アイスクリーム
ご覧のとおり子音が5つも続き、日本人にとっては非常に発音しにくい言葉!アイスクリームをお店で堂々と注文出来るようになったとき、「ああ!上達したなあ!」という達成感が生まれます。
(チーム ビアツ ペニャズィー ティーム ビアツ スタロスチー):お金が多ければ多いほど、心配事も多くなる
(プロスィーム):~を下さい、お願いします、(「ありがとう」に対して)どういたしまして、もしもし(電話を受けた時の第一声)等々、いろいろな場面で使えます。
(アホイ):友達の間なら、会った時もお別れの時もこの一言でOK。
★スロバキア語を主要言語とする国:スロバキア共和国