パキスタンの安定は、地域や国際社会の平和と安定の鍵となっています。このため、パキスタンには「パキスタン支援国会合」や「パキスタン・フレンズ会合」などを通じて、様々な支援の手が差し伸べられています。国際社会におけるパキスタンの重要性について、同国が抱えている課題とともにわかりやすく解説します。
■インダス文明発祥の地
パキスタンは、南・中央アジアと中東の交差点に位置するイスラム国家で、インド、中国、アフガニスタン、イランと国境を接しています。国内を流れるインダス川の流域は、かつてインダス文明(紀元前2500年頃~同1500年頃)が栄えた地域であり、モヘンジョダロやハラッパーなどの都市遺跡が往時の繁栄を物語っています。西のギリシャ文化と東の仏教芸術が融合した「ガンダーラ美術」は、紀元2~3世紀を中心に隆盛を極め、中国を経由して日本にも伝わりました。
■多彩な表情を持つパキスタン
パキスタンは日本の約2倍の国土(79.6万平方km)を持ち、パンジャブ人、シンド人、パシュトゥーン人など約1億6,000万人が暮らしています。国民の4割が農業に従事し、綿花生産などが盛んに行われています。アラビア海に面したカラチは昔から綿花の貿易港として栄え、現在では多くの外国企業(日系企業は約44社)が進出しています。北部の山岳地帯は、雄大なヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンズークッシュ山脈が接する地域であり、エベレストに次ぐ世界2位の高峰「K2」を始め、8,000m級の山々がそびえています。美しい山々を求めて世界中から登山家が訪れています。パキスタン北東部の都市シアルコートは、サッカーワールドカップ公式球の生産地として有名です。このように、パキスタンは多彩な表情を持つ国です。

■パキスタンの独立とカシミール帰属問題をめぐるインドとの対立
もともと英国領インドの一部だったパキスタンは、1947年、インドの独立と同時にイスラム教徒の居住地域を中心として独立しました。いくつもの民族からなっている上、民族ごとの独立意識が強く、イスラム教を唯一の紐帯として独立した国家とも言えます。このため、ヒンズー教徒も多く暮らしていたカシミール地方では、インドへの帰属を望むヒンズー教徒と、パキスタンへの帰属を望むイスラム教徒の間で対立が発生。これが引き金となり、第1次印パ戦争(1948年)、第2次印パ戦争(1965年)が勃発し、さらに第3次印パ戦争(1971年)によりバングラデシュ(当時の東パキスタン)が独立し、現在のパキスタン、バングラデシュの2つの独立国となりました。
■印パ対立と地下核実験
このような対立が続くなかで、二国間だけでなく国際社会の懸念を一気に高める出来事が起きました。1998年、中国を意識して核開発を続けてきたとされるインドが地下核実験を実施すると、パキスタンもこれに対抗する形で地下核実験を実施。国際社会は印パ両国の行動を強く非難し、軍事支援や経済援助を停止する措置(日本も新規円借款などの供与を一時停止)をとりました。パキスタンとインドの両国は現在でも核軍縮の国際的な枠組みである核兵器不拡散条約(NPT)を締結しておらず、包括的核実験禁止条約(CTBT)も署名・批准していません。
■9.11後のパキスタンとアフガニスタンとの国境地域
2001年の米国同時多発テロ事件(9.11)以降、パキスタンは「テロとの闘い」において重要な役割を果たしており、国際社会での重要性を増しています。パキスタンは、1990年代後半からアフガニスタンを実効支配していたタリバーン政権を承認していましたが、米国同時多発テロ事件後、親タリバーン政策を転換し、アフガニスタンにおける新国家建設を支持・支援していくと表明し、アフガニスタンとの国境地域において対テロ掃討作戦を実施しています。この国境地域には、国際テロ組織「アル・カーイダ」やタリバーンの幹部が多く潜伏し、この地域を基地としてアフガニスタンに越境攻撃を行っていると指摘されています。
■アフガニスタンとの国境地域に暮らすパシュトゥーン人
パキスタンとアフガニスタンの国境付近は、昔からパシュトゥーン人が暮らしている地域でした。両国の国境は、英国が英領インドを作るときに地図上に引いたもので、パシュトゥーン人は、国境が引かれた後も、そしてパキスタンとして独立した後も、自由に両国を行き来していました。パシュトゥーン人は、アフガニスタンにおいては多数民族であり、パキスタンにおいては少数民族なのですが、パキスタンに住むパシュトゥーン人の方が人口としては多いため、国境を越えた「テロとの闘い」においては、パシュトゥーン人の協力が不可欠です。このため、日本をはじめとする国際社会は、この国境地域の安定が世界全体の平和と安定に極めて重要であると捉えています。
■パキスタン政府によるテロ対策
パキスタン政府は、陸軍約50万人のうち約12万人(国境警備隊も含めると約16万人)をアフガニスタンとの国境地域に派兵し、テロリストの掃討作戦に乗り出しています。しかし、パキスタン政府の努力にもかかわらず、治安状況は依然として不安定で、国境地域だけでなく、国内外でのテロ活動が懸念される状況が続いています。2008年9月には、首都イスラマバード最大級のホテルで大規模自爆テロが発生しました。また、11月にはインド・ムンバイで武装集団による大規模な連続テロ事件が発生しており、インドとパキスタン両政府はそれぞれ捜査を進めています。
■パキスタンの安定は国際社会の共通課題
テロ撲滅に向けた国際社会の取組は正念場にあり、日本をはじめとする国際社会は、テロ対策や経済改革といった困難な課題に取り組んでいるパキスタンの安定を支えるため積極的に支援しています。日本は4月17日に支援国会合やフレンズ会合を東京で開催しました。また、2008年、G8議長国だった日本は「アフガニスタン・パキスタン国境地域支援のためのイニシアティブ」をとりまとめ、G8として国境地域を含む両国への支援を強化していくことを表明しました。パキスタンの平和と安定は、国際社会が抱える共通の課題であり、パキスタン政府の取組を後押ししています。
■経済危機への対応と貧困拡大の懸念
不安定な治安情勢に加えて、パキスタンが今直面している課題が「経済危機」への対応です。2000年以降、比較的安定していた経済は、国際的な食糧・燃料価格の高騰による外貨準備高の激減、財政赤字の拡大、その後の世界的な金融市場の混乱による外国投資の減少などが原因で、2008年には深刻な経済危機に陥りました。政府の経済改革だけでなく、同年11月にはIMF(国際通貨基金)が総額76億ドルの緊急融資に合意したこともあり、状況は改善の兆しを見せています。しかし、一方では、緊縮財政や経済改革を強いたことによる社会開発の遅れや貧困層の拡大も心配されています。
■日本のパキスタン支援
日本は1954年にパキスタンへの経済協力を開始しましたが、1998年に核実験への措置として新規円借款などの供与を一時停止、その後2001年に国際社会と協調して新規資金協力を再開しています。パキスタンを縦断する約1,024kmの幹線道路「インダス・ハイウェイ」と「コハット・トンネル」の建設をはじめ、送電網の拡充や灌漑システム改善などインフラ整備と制度構築、教育や保健などの社会セクターを中心に支援を続けているほか、2005年の大地震などにでは、緊急援助隊の派遣から市街地復興まで一貫した復旧復興支援などを行ってきています。日本は引き続き、経済改革やテロ対策に取り組むパキスタンを支援していきます。