I.アジア及び大洋州
(1)内政
94年のカンボディアの内政は、政府とポル・ポト派との対立の激化、国王の不在によるその影響力の相対的低下及び政府内の亀裂の露呈に特徴づけられた。
93年9月新たに発足したカンボディア王国における内政・外交上最大の課題は、93年5月の国連による制憲議会選挙をボイコットして反政府ゲリラ化したポル・ポト派の破壊活動に如何に対処するかということであった。94年初頭においては、政府側が軍事的対応を試みたが、奏功しなかった。話合いによる和解を目指すシハヌーク国王の提案により、94年5月末に開催された円卓会議についても、国王による即時停戦提案をポル・ポト派が拒否し、合意は成立しなかった。その後、政府は在プノンペン・ポル・ポト派事務所の閉鎖措置をとり、7月、ポル・ポト派非合法化法が国会にて可決された。ポル・ポト派はこのような政府の強硬姿勢に強く反発し、略奪行為や外国人人質の殺害など、各地で脅迫的行動をとった。94年後半には大規模な軍事衝突はなく膠着状態が保たれているが、その間も、非合法化の影響で投降者が続いた。ポル・ポト派の軍事力は長期的には低落傾向にあるとの見方が一般的であるが、政府軍も低い給料、規律の欠如など構造的な問題を抱えており、武力で直ちにポル・ポト派を圧倒するほどの実力がない状況にあると見られている。
シハヌーク国王は、カンボディアの一体性維持にとり極めて重要な役割を果たしているとの認識がされているものの、94年は病気療養のため北京に長期滞在し、95年1月に帰国はしたものの、従来より和平の種々の局面で発揮されてきた国王の影響力が低下しつつあることが指摘されている。
政府部内においてはラナリット、フン・セン両首相の連携が続き、連立政府の存在そのものは維持されたものの、7月にクーデター未遂事件が発生し、10月には蔵相が更迭され外相が辞任するなど、亀裂が露呈した。
経済面では、94年は比較的安定的に推移した。政府は世界銀行、国際通貨基金(IMF)の協力を得つつ歳出の抑制に努めた結果、インフレの克服、通貨価値の安定に成功した。今後、軍事費などの歳出圧力に対し財政の健全性を保ちつつ、いかに国際社会からの財政支援を確保できるかが鍵になるものと思われる。94年のGDPは前年比5.2%の成長が見込まれており、インフレは鎮静化の方向に向かっているものの、インフレ率は前年比27%になる見込みである。これは洪水、干ばつ被害による食料品、特に米価の上昇によるところ大である。政府は、援助受入れの調整機関としてカンボディア開発評議会(CDC)を設置し、94年8月投資法を制定し、外資導入を図った。
(2)対外関係
隣国のタイとの間では国境線画定の問題があるが、国境近くにポル・ポト派支配地域が多く存在するため、現地で国境線の画定作業を行うことが当面困難となっている。カンボディアとしては、ポル・ポト派封じ込めのためタイの前向きな協力を得たいと強く望んでおり、タイとしてはポル・ポト派支配地域も含めタイの投資の安全を欲している模様である。また、もう一方の隣国であるヴィエトナムとの関係では、4月、国境線画定問題及び在住越人問題につきそれぞれ専門部会を設立して解決に努力することが合意されたが、具体的には何ら進展していない。その他の近隣国との関係では、カンボディアはASEANとの関係を特に重視し、95年のASEAN閣僚会議にはオブザーバーとして出席したいとし、外交努力を強化している。
また、各国によるポル・ポト派支援停止及び対カンボディア軍事援助を実現することはカンボディア外交の重要な目標の一つである。前者については、94年後半にタイ政府が対ポル・ポト派支援行為の処罰方針を明確に打ち出した。また後者については、米国、豪州、フランス、マレイシア、インドネシア等が現時点では、殺傷兵器の供与は行わないが、幹部や兵士の訓練などカンボディア政府軍の規律向上を目指した援助を約束している。
さらに、復興支援の確保については、3月に東京で開催された第2回カンボディア復興国際会議(ICORC)において、94年の支援として4.86億ドルの支援が表明された。
(3)日本との関係
日本は、これまでの和平プロセスでの貢献、国連PKOへの貢献に続き、94年は最大かつ主導的な援助国として着実な協力を実施したため、友好協力関係は更に進展した。2月の日本カンボディア友好橋」の開通式はこれを象徴的に示した。従来からの経済インフラ案件に加え、日本は8月の洪水被害による食糧不足に対し3億円の食糧援助を供与したほか、全国で800万個から1,000万個埋まっているといわれる地雷除去のため人道的観点から250万ドルの拠出を行った。
さらに、農村における人造りを目的に、新しい形態の技術協力としてASEAN諸国と協力し、いわゆる「三角協力」を4月に開始した。
文化面では、93年10月に東京で開催された「アンコール遺跡救済国際会議」の成果を受けて、プノンペンに設置された「アンコール遺跡救済国際調整委員会」が機能を開始した。特にカンボディア政府と日仏両政府及びユネスコが協力して94年中3回の技術小委員会及び国際調整委員会をプノンペンで開催し、アンコール遺跡の保存修復及びその地域の総合的な発展のための国際的な協力体制が実現した。