6 国際社会における法の支配
「法の支配」とは、一般に、全ての権力に対する法の優越を認める考え方であり、国内において公正で公平な社会に不可欠な基礎であると同時に、国際社会の平和と安定に資するものであり、友好的で平等な国家間関係から成る国際秩序の基盤となっている。国際社会においては、法の支配の下、力による支配を許さず、全ての国が国際法を誠実に遵守しなければならず、力又は威圧による一方的な現状変更の試みは決して認められてはならない。日本は、法の支配の強化を外交政策の柱の一つとして推進し、様々な分野におけるルール作りとその適切な実施に尽力している。
(1)日本の外交における法の支配の強化
日本は、国際会議を含む様々な機会を通じ、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の重要性を各国と確認しているほか、様々な分野におけるルール形成に積極的に参画することで、新たな国際法秩序の形成・発展に貢献している。また、紛争の平和的解決や法秩序の維持を促進するため、国際司法機関の機能強化に人材面・財政面からも積極的に協力しているほか、法制度整備支援や国際法関連の行事の開催など法の支配に関する国際協力にも積極的に取り組んでいる。
ロシアによるウクライナ侵略により国際秩序の根幹が揺るがされる中、法の支配を強化することは一層重要性を増している。9月に行われた国連総会での一般討論演説の中で、岸田総理大臣は、1970年に国連総会で採択された「国際連合憲章による諸国間の友好関係及び協力についての国際法の諸原則に関する宣言」(友好関係原則宣言)も踏まえ、三つの基本原則、すなわち、(1) 「力による支配」を脱却し国際法の誠実な遵守を通じた「法の支配」を目指すこと、(2) 特に、力や威圧による領域の現状変更の試みは決して認めないこと、(3) 国連憲章の原則の重大な違反に対抗するために協力することの重要性を強調し、国際社会における法の支配を促進する国連の実現に向けた決意を表明した。
ア 紛争の平和的解決
日本は、国際法の誠実な遵守に努めつつ、国際司法機関を通じた紛争の平和的解決を促進するため、国連の主要な司法機関である国際司法裁判所(ICJ)57の強制管轄権を受諾58しているほか、人材面・財政面の協力を含め、国際社会における法の支配の確立に向けた建設的な協力を行っている。例えば、日本は国際刑事裁判所(ICC)59、常設仲裁裁判所(PCA)60への最大の財政貢献国(PCAについては、2022年12月末時点)であり、人材面では、2022年現在、ICJの岩澤雄司裁判官(2018年から現職)、国際海洋法裁判所(ITLOS)61の柳井俊二裁判官(2005年から現職)、ICCの赤根智子裁判官(2018年3月から現職)などを輩出し、国際裁判所の実効性と普遍性の向上に努めている(235ページ コラム参照)。また、将来的に国際裁判で活躍する人材の育成のために、「国際裁判機関等インターンシップ支援事業」を通じて、国際裁判機関などでインターンシップを行う日本人を積極的に支援している。
同時に、国際裁判に臨む体制を一層強化するため、国際裁判手続に関する知見の増進を図り、主要な国際裁判で活躍する国内外の法律家や法律事務所との関係強化などを通じて国際裁判に強い組織作りに取り組んでいる。経済分野においても、近年、世界貿易機関(WTO)62協定、経済連携協定(EPA)63及び投資協定に基づく紛争解決の重要性が高まっている中でWTO協定などに基づく紛争の処理に当たり、関係各省庁や外部専門家(国内外の法律事務所・学者など)とも緊密に連携しながら、書面作成、証拠の取扱い、口頭弁論などの訟務対応を行っているほか、判例・学説の分析や紛争予防業務などの取組も進めており、紛争処理を戦略的かつ効果的に行うための体制を強化している。
イ 国際的なルール形成
国際社会が直面する課題に対応する国際的なルール形成は、法の支配の強化のための重要な取組の一つである。日本は、各国との共通目的の実現に向けた法的基盤を作るための二国間や多数国間条約の締結を積極的に進めているほか、国連などにおける分野横断的な取組に自らの理念や主張を反映する形で国際法の発展を実現するため、ルール形成の構想段階からイニシアティブを発揮している。具体的には、国連国際法委員会(ILC)64や国連総会第6委員会での国際公法分野の法典化作業、また、ハーグ国際私法会議(HCCH)65、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)66、私法統一国際協会(UNIDROIT)67などでの国際私法分野の条約やモデル法の作成作業など、各種の国際的枠組みにおけるルール形成プロセスに積極的に関与してきている。ILCでは、村瀬信也委員(任期は2009年から2022年まで。上智大学名誉教授)が「大気の保護」の議題の特別報告者として、大気環境の保護に関するガイドライン草案の採択に導くなど、ILCにおける審議への参加を通じて長きにわたり国際法の発展に貢献した。2023年からは、浅田正彦同志社大学教授・京都大学名誉教授がILC委員を務める(任期は2023年から2027年まで)。また、HCCH、UNCITRAL及びUNIDROITでは、各種会合に政府代表を派遣し、積極的に議論をリードしている。例えば、UNIDROITにおいては、神田秀樹理事(学習院大学教授)が「デジタル資産と私法」に関する作業部会の議長を務め、デジタル金融をめぐる最先端の議論に貢献している。UNCITRALにおいても、構成国拡大や紛争解決の分野におけるプロジェクトを提案して実現させるなど、委員会設立以来の構成国としてプレゼンスを発揮している。
ウ 国内法整備その他
日本は、国際法遵守のために自らの国内法を適切に整備するだけではなく、法の支配を更に発展させるために、特にアジア諸国の法制度整備支援や法の支配に関する国際協力にも積極的に取り組んでいる。例えば、日本を含むアジア諸国の学生に対し、紛争の平和的解決の重要性などの啓発を行っており、また、次世代の国際法人材の育成と交流を強化するとの観点から、外務省と国際法学会の共催(協力:日本財団)で国際法模擬裁判「アジア・カップ」を開催している(2022年に第23回を開催)。これに加え、国際法に関するアジア・アフリカ地域唯一の政府間機関であるアジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO)68に対して、議論に建設的に参画し、人材面・財政面で協力している。
(2)海洋分野における取組
海洋国家である日本にとって、法の支配に基づく海洋秩序の維持及び強化は極めて重要な課題である。そのため、日本は「海における法の支配の三原則」((1) 国家は法に基づいて主張をなすべきこと、(2) 主張を通すために力や威圧を用いないこと及び(3) 紛争解決には平和的な事態の収拾を徹底すべきこと)を主張してきている。例えば、2021年10月の第16回東アジア首脳会議(EAS)で、岸田総理大臣は、インド太平洋を自由で開かれた海とすることは、我々の共通の利益であると指摘した。
海における法の支配の根幹となるのは、国連海洋法条約(UNCLOS)69である。同条約は、日本を含む167か国(日本が国家承認していない地域を含む。)及びEUが締結しており、公海での航行・上空飛行の自由を始めとする海洋に関する諸原則や、海洋の資源開発やその規制などに関する国際法上の権利義務関係を包括的に規定している。領海や排他的経済水域を含む分野に関する同条約の規定は、慣習国際法として確立していると広く受け入れられており、また、海洋における活動は同条約の規定に従って行われるべきとの認識が国際社会で広く共有されている。今後、一層複雑化し多岐にわたる海洋の問題に対応していく上で、包括的な、かつ、普遍的な法的枠組みである同条約に基づく海洋秩序を維持・強化していくことが重要である。
UNCLOSの目的を達成するため、UNCLOSに基づきいくつかの国際機関などが設置されている。海洋に関する紛争の平和的解決と、海洋分野での法秩序の維持と発展のため、1996年にITLOSが設置された。ITLOSは、特に近年、海洋境界画定を含む幅広い分野の事例を扱っており、その重要性は増している。日本はITLOSの役割を重視し、設立以来、日本人裁判官を2人続けて輩出している(現在は柳井裁判官(任期は2023年9月末まで))。大陸棚限界委員会(CLCS)70は、大陸棚延長制度の運用において重要な役割を果たしている。日本は、CLCSの設置以来、委員を輩出し続けているなど(現在の委員は山崎俊嗣東京大学教授(任期は2028年6月15日まで)、CLCSに対する人材面・財政面での協力を継続している。また、深海底の鉱物資源の管理を主な目的として設置された国際海底機構(ISA)71では、2022年に3回開催された理事会において、深海底の鉱物資源の開発に関する規則について審議が行われたほか、関連の基準及びガイドラインの策定作業が行われた。日本は自国の立場が同規則などに反映されるよう交渉に積極的に参画しており、また、以前から、深海底技術に関する開発途上国の能力構築を支援し、深海底の秩序作りを主導してきている。さらに、2018年以降、国家管轄権外区域の海洋生物多様性(BBNJ)の保全及び持続可能な利用に関し、UNCLOSの下に新たな国際約束を作成するための政府間会議が開催されており、2022年8月の第5回会合を含め、日本は引き続き積極的に議論に参加している。
海をめぐる国家関係は、1982年に採択され、「海の憲法」とも呼ばれる国連海洋法条約により規律されています。この条約は領海の幅を12海里までとし、200海里の排他的経済水域(EEZ)を創設し、沿岸国に広い大陸棚を認めるなど、国家の海洋領域を拡大しました。一方、国家の領域を越える深海底とその鉱物資源は「人類の共同の財産」として国際的に管理することとしました。この海洋法の下では、EEZや大陸棚の境界画定、海洋資源、航海などに関する紛争の多発も予想されたため、既存の国際司法裁判所及び仲裁裁判に加えて海洋法に特化した国際海洋法裁判所(ITLOS)(注)がハンブルク(ドイツ)に設置されました。
私は2005年、故山本草二先生に続く2番目の日本人裁判官としてITLOS裁判官に就任し、3年間の所長職を含め18年近く務めてきました。ITLOSは創設後約四半世紀の間に31件の海洋紛争を扱い、国際紛争の平和的解決と海における法の支配に貢献し、また、その判例を通じて海洋法の漸進的発達にも貢献しています。ITLOSは、深海底や漁業に関する海洋法の規定の解釈を明確化する勧告的意見も出しています。ITLOSの判決が紛争当事国に特に歓迎された一例は、バングラデシュ・ミャンマー間の海洋境界画定紛争です。両国の30年以上にわたる交渉は不調に終わりましたが、ITLOSは約2年3か月で解決しました。
ITLOSの裁判官としての経験で、強く感じたことが二つあります。その一つは、21人の裁判官の間にある連帯感、共通の目的意識です。事件の審理に当たり、当初色々な意見が出て収拾不能に見えますが、議論を進めるうち、多数意見が集約されてきます。これは、色々な意見はあっても、裁判官たちは目前の紛争につき最善の解決をしようとする気持ちで一致しているからだと思います。
今一つ感じたことは、法律的な考え方や論理は共通だということです。21人の裁判官は、すべて別の国の出身者で、それぞれの背景にある文化、言語、法体系などは異なっています。それにもかかわらず、法律的な意見が論理的に明確である限り、お互いの意思疎通に全く支障がありません。
ITLOSなどをもっと活用して紛争を平和的に解決し、海における法の支配を確立することが国際社会にとって大変重要な課題だと思います。


(注)ITLOS:International Tribunal for the Law of the Sea
(3)政治・安全保障分野における取組
日本の外交活動の法的基盤を強化するため、政治・安全保障分野における国際約束の締結に積極的に取り組んでいる。米国との間では、1月に在日米軍駐留経費負担(「同盟強靱(じん)化予算」)に係る特別協定に署名し、同協定は国会の承認を得て4月に発効した。また、一方の国の部隊が他方の国を訪問して活動を行う際の手続及び同部隊の地位等を定める円滑化協定については、1月にオーストラリアとの間で署名し、2023年1月に英国との間で署名した。さらに、移転される防衛装備品や技術の取扱いについて定める交換公文並びに防衛装備品及び技術移転協定、関係国との間の安全保障に係る秘密情報の共有の基盤となる情報保護協定などの更なる整備を進めた。移転される防衛装備品などの取扱いについて、3月8日にウクライナとの間で自衛隊の装備品及び物品の贈与に関する交換公文に署名(同日に発効)し、タイとの間で5月2日に防衛装備品及び技術移転協定に署名(同日に発効)した。原子力分野においては、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構が所有する研究炉などで発生した使用済燃料の再処理をフランスにおいて実施することを可能とするため、6月15日にフランスとの間で使用済燃料の輸送及び再処理、放射性廃棄物の返還等に関する交換公文に署名(同日に発効)した。
(4)経済・社会分野における取組
貿易・投資の自由化や人的交流の促進、日本国民・企業の海外における活動の基盤整備などの観点から、諸外国との間で経済面での協力関係を法的に規律する国際約束の締結・実施が引き続き重要である。2022年も、各国・地域との間で租税条約、投資協定、社会保障協定などの交渉及び署名・締結を行った。また、自由で公正な経済圏を広げ、幅広い経済関係を強化するため、経済連携協定(EPA)などの交渉に積極的に取り組んだ。
環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)72について、英国の加入に向けた交渉を加入作業部会の議長として積極的に進めたほか、日EU・EPAについては、10月に「データの自由な流通に関する規定」を同協定に含めることについて正式交渉を開始した。また、6月には、日本国とアメリカ合衆国との間の貿易協定を改正する議定書(日米貿易協定改正議定書)に署名し、2023年1月に発効した。
さらに、日本国民・企業の生活・活動を守り、促進するため、WTOの紛争処理制度の活用を図り、既存の国際約束の適切な実施に取り組んでいる。
国民生活と大きく関わる人権、環境、漁業、海事、航空、保健、労働、郵便などの社会分野でも、日本の立場が反映されるよう国際約束の交渉に積極的に参画し、また、これを締結している。例えば、労働分野では、7月に強制労働の廃止に関する条約(第百五号)を批准し、郵便分野では、2018年及び2021年に万国郵便連合(UPU)73で作成されたUPU憲章の追加議定書などの関連文書を2022年6月に締結した。
(5)刑事分野における取組
ICCは、国際社会の関心事である最も重大な犯罪を行った個人を国際法に基づいて訴追・処罰する世界初の常設国際刑事法廷である。日本は、2007年10月の加盟以来、ICCの活動を一貫して支持し、様々な協力を行っている。財政面では、日本はICCへの最大の分担金拠出国であり、2022年現在、分担金全体の約15%を負担している。加えて、ICC加盟以来継続して裁判官を輩出しており、2022年現在は赤根前国際司法協力担当大使兼最高検察庁検事が裁判官を務めている。予算財務委員会においても、播本幸子氏が委員を務めるなど、人材面においても、ICCの活動に協力している。ICCが国際刑事司法機関としての活動を本格化させていることに伴い、ICCに対する協力の確保や補完性の原則の確立、裁判手続の効率性と実効性の確保が急務となっており、日本は、締約国会議の作業部会などの場を通じて、これらの課題に積極的に取り組んでいる。3月には、ウクライナの事態に関するICCの捜査への支持を明確にする観点から、日本は、アジアで唯一の国として同事態をICCに付託した(25ページ特集「ロシアによるウクライナ侵略と日本の対応」参照)。さらに、近年の国境を越えた犯罪の増加を受け、他国との間で必要な証拠の提供などの刑事分野の司法協力を一層確実に行えるようにしている。具体的には、刑事司法分野における国際協力を推進する法的枠組みの整備のため、刑事共助条約(協定)74、犯罪人引渡条約75及び受刑者移送条約76の締結を進めている。5月に国際協力に係る多国間の枠組みであるサイバー犯罪に関する条約の第二追加議定書に署名したほか、8月にベトナムとの間で刑事共助条約が発効した。
57 ICJ:International Court of Justice
58 ICJ規程第36条2に基づき、同一の義務を受諾する他の国に対する関係において、ICJの管轄権を当然にかつ特別の合意なしに義務的に受け入れることを宣言すること。現在、日本を含めて73か国が宣言しているにとどまる(2023年2月末時点)。
59 ICC:International Criminal Court
60 PCA:Permanent Court of Arbitration
61 ITLOS:International Tribunal for the Law of the Sea
62 WTO:World Trade Organization
63 EPA:Economic Partnership Agreement
64 ILC:International Law Commission
65 HCCH:Hague Conference on Private International Law / Conférence de La Haye de droit
66 UNCITRAL:United Nations Commission on International Trade Law
67 UNIDROIT:International Institute for the Unification of Private Law
68 AALCO:Asian-African Legal Consultative Organization
69 UNCLOS:United Nations Convention on the Law of the Sea
70 CLCS:Commission on the Limits of the Continental Shelf
71 ISA:International Seabed Authority
72 CPTPP:Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership
73 UPU:Universal Postal Union
74 捜査、訴追その他の刑事手続について他国と行う協力の効率化や迅速化を可能とする法的枠組み
75 犯罪人の引渡しに関して包括的かつ詳細な規定を有し、犯罪の抑圧のための協力を一層実効あるものとする法的枠組み
76 相手国で服役している受刑者に本国において服役する機会を与え、社会復帰の促進に寄与する法的枠組み