世界貿易機関(WTO)

「通報」で各国の貿易措置をガラス張りに

令和2年3月25日

 前回,WTOにはルールがきちんと守られているかを監視する仕組みがあることを紹介した。各国の貿易政策を報告させ,互いに監視し圧力をかけあう貿易政策審査(TPR: Trade Policy Review)のメカニズムはその一例だ。今回も,WTOにおいて各国に協定を守らせる機能を回復する努力の一端を紹介したい。通報(notification)がそれだ。ここで,前回掲載した写真のガラス張りのWTO事務局を思い出してほしい。  ところで,WTOのルールが守られないとはどういうことか。この点,例えば,WTOには,各国はすべての国を平等に扱うべしという「無差別原則」がある。ガットの協定を開けば第1条にある。多国間自由貿易体制のイロハのイのルールと言える。「無差別原則」は,各国の貿易上の措置の透明性が前提である。すなわち,すべての加盟国は,関税などの貿易上の措置を分けへだてなく適用していることを各委員会への通報等を通じ公表しなければならないのだ。考えてもみてほしい。もしも,ある国が日本の製品だけに高い関税をかければ,日本の製品を輸出している企業は,他国の企業に比べて多くの関税を払うことになる。また,WTO(この場合,物品理事会)に通報されなければ,日本企業は,自分たちはきっと差別されているにちがいないという心証を抱えながら,確たる情報がないがゆえに余計な手間と費用をかけて,その国の疑わしい関税手続を調べるはめになる。また,ある国の鉄鋼業界への補助金は,国際市場価格の低下を引き起こし,他国の鉄鋼産業を脅かす。こうした「無差別原則」を損なう状況が生じないよう,また生じても直ちに是正されるよう,補助金協定では自国のとる貿易措置やその根拠となる国内法令を関連する委員会に通報する義務を定めている。
 WTOのルール違反の疑義があれば,紛争解決手続(第2回)に持ち込まれる場合もあるし,委員会で問題解決を図るケース(第7回)もある。いずれにせよ,通報によって各国の貿易措置が「ガラス張り」になっていることは,加盟国が主人公であるWTOが円滑に機能する基本条件である。
 しかし,自分の部屋にカーテンをつけずに大通りに面することは,毎日の整理整頓によほどの自信と度胸が必要だ。自国の措置をおおっぴらに通報した結果,他国から協定違反疑いの目を向けられることもある。通報は,提訴を誘発しかねないリスクをはらむ。こうなるとカーテンで隠したくなるのは人情で,通報せずに済ませたいという誘惑に負けてしまう国は実に多い。特に,自国産業を保護し,育成することに懸命な途上国や新興国は「途上国地位」(第6回)も使いながら,義務を一部回避しつつ,関税や補助金などの自由貿易を歪めかねない措置がWTO協定違反に問われることを防ごうとする。そして通報義務の不順守が横行する大きな理由には,違反には罰則がないという制度上の問題がある。ここに,通報しなくても痛くも痒くもないというモラルハザードが生じる。
 通報義務をいかにして果たさせるか。日本は,米国,欧州連合(EU)などとともに義務違反に不利益を課す提案を出している。例えば,(1)通報する能力があるにもかかわらず,情報を隠蔽したり,通報を怠る国には,「通報義務違反国」とのレッテルを貼る(名指しされることで恥をかく(“name and shame”)との発想),(2)分担金を追加する(脱税した法人への追徴課税に似ている),(3)各種委員会での議長になれない(遅刻の常習生徒が学級委員長になれないようなもの)などといった罰則を段階的に設けることが含まれる。
 これに対し,途上国側から「待った」がかかる。曰く,そもそもこれまでのルールは先進国に有利ではないか,途上国の開発の権利が認められないルールには縛られる義務はないのだ,と。また,個別の問題によっては,適用されるべきルールが存在しない又は解釈の余地が大きいほどあいまいであり協定違反は問えない,との主張も聞かれる。さらに,通報ができないのは行政能力や人員不足が原因なので,そうした問題に罰則で対処することは逆効果であり,むしろ技術支援等で対応するべきだとの反論もある。こうした懸念に,日米欧などは上記の「罰金」を元手に事務処理能力を高めるための技術支援を行う,また,途上国に通報期限の猶予期間を認める,などの工夫で応じている。

(写真)WTOで通報を議論する様子,WTO ホームページより (WTOで通報を議論する様子,WTO ホームページより)

 以上,WTOで各国にルールを守らせるための通報制度の現状(惨状?)と改善策のあらましを説明した。ここで思い出してほしい。「なぜ,今,WTO改革なのか」のシリーズ初回でWTO改革には,(1)時代に即したルール作り,(2)紛争解決制度の見直し,(3)協定の履行監視機能の徹底という3つの柱があり,それぞれ相互に連関していると説明した。今回までの連載で,デジタル経済や新興国の台頭といった新しい時代に即した「ルール作り」の停滞(1)が,ルール順守の緩みと本来委員会が果たすべき監視機能の形骸化(3)につながり,紛争を増加させ,紛争解決制度に過度の負担をかけている(2),という悪循環が生じていることがおわかり頂けただろうか。
 次回(4月6日予定)は,物品や補助金,アンチダンピングなどの専門分野別に加盟国が日々集い,全部で30余りあるとされるWTOの通常委員会の作業方法を改善する試み,いわば「通常委員会の働き方改革」について取り上げる。


世界貿易機関(WTO)へ戻る