世界貿易機関(WTO)
第7回:WTO改革の舵取り役
アゼベド事務局長の横顔と改革への熱意

本連載企画のテーマはWTO改革であるが,皆さんは「改革」と聞いてどのような印象を受けるだろうか。日本史ではペリー提督来航に触発された幕政改革が有名だろう。海の向こうアメリカ大陸からやってきた黒船の汽笛は,泰平の日本の眠りを覚まし,明治維新に至る「改革」の時代を開く号砲となった。
WTO改革はこれとは様相が異なっている。「おーい,黒船が来たぞ」と叫んでも,改革を動かすのは,加盟国自身である。WTOに加盟する大小様々の164か国には,それぞれの国益,さらに言えば既得権益がある。それぞれの加盟国が身を切る覚悟で自ら取り組まなければいけないのが,WTO改革だ。これは,砲艦で迫られる改革,英邁な将軍ややり手の社長が大ナタを振るう改革よりも,はるかに難しい。そんな難しい改革議論の舵取りを行っているのが,この人,ロベルト・アゼベドWTO事務局長(下記写真)である。

元ブラジル外交官のアゼベド事務局長は在ジュネーブ大使を経て,パスカル・ラミー元欧州委員(フランス出身)の後を継ぎ,2013年に第6代WTO事務局長に就任した。現在,4年の事務局長任期の2期目である。WTO事務局長は,候補者を絞り込んだ上で,最終的に一般理事会にて「コンセンサス(全会一致)」で選出される。初の外交官出身の事務局長であるアゼベド氏は,母語であるポルトガル語に加え,英語・フランス語・スペイン語を流ちょうに操るだけでなく,理系出身(電気工学専攻)らしく,数字にも明るい。ユーモア溢れる人柄にも定評がある。初の西半球出身のWTO事務局長であるアゼベド氏に求められる役割はしかし,ペリー提督のような強面の要求ではない。
2019年1月のダボス会議のパネルディスカッションでの一幕。司会の「1年後,この場所に再度集まった時,1つの願いを叶えていられるならば何を挙げるか」との問いかけに対し,パネリストを務めた各国の閣僚が,「WTO改革の進展」「貿易への信頼回復」「電子商取引交渉の妥結」など次々と発言する中,最後に発言したアゼベド事務局長は,「私の1つの願いは,皆の願いがすべて叶う姿を見ることだ!」と締めくくり,大きな笑いを誘った。この言葉は彼一流のユーモアでありつつ,加盟国の望む改革のための調整役に汗をかくWTO事務局長の立場を端的に示している。
また,事務局長就任後の訪日回数はなんと6回。昨年のG20サミットの機会に開催された,「デジタル経済に関する首脳特別イベント」にも出席した。下記の写真は,安倍総理大臣,トランプ米国大統領,習中国国家主席と並ぶアゼベド事務局長(写真右端)である。「大阪トラック」の立ち上げにより,WTOでのデジタル経済に関するルール作りに対し,各国首脳の期待が託された瞬間だ。
そんなアゼベド事務局長も今,WTOの危機と共に窮地に立たされている。昨年11月に上海で開催された非公式閣僚会合では,上級委員会の危機(本連載第2回をご覧ください)について,「上級委員会の停止は,WTOの終わりではない。かかる困難はこれが初めてではない。」と気丈に述べたが,実際に上級委員会の機能が停止した日(昨年12月10日)の記者会見での表情には悲壮感がにじみ出ていた。
年が明けてもWTOの危機的な状況は変わらず,アゼベド事務局長は改革の推進に向け奔走している。今年1月のダボス会議では,難局を一気に打開するため,WTO脱退すらちらつかせているトランプ米国大統領と会談した。その場でトランプ大統領から対話に向けた前向きな発言を引き出した事務局長は,2月に訪米し世界の注目を集めるも,結局,トランプ大統領やライトハイザー通商代表等との会談は実現せず,期待倒れに終わった。
アゼベド事務局長は常々,「2020年は非常に重要な年。21世紀の現実に対応できるのか,WTOの信頼に関わる」と述べている。2年に1度のWTO閣僚会議が6月,カザフスタンに迫っている。希望は失っていない。WTOの未来に,持ち前の明るい性格で光を差し込むことができるか。今,その力量が問われている―と,そう書いたうえで,加盟国の一員として改めて決意する。改革は加盟国が身を切る努力で進めるものだ,と。
さて,これまでの連載で既に,WTO改革の3本の柱のうちの2つ,すなわち,(1)新しい経済に対応したルール作り,(2)紛争解決制度・上級委員会の改革を紹介した。しかし,せっかく作ったルールも守られなければ意味はない。次回は最後の柱である,WTO協定がきちんと履行されているかを監視する機能の改革について紹介する(3月12日掲載予定)。
- (参考)歴代WTO事務局長
-
- (1)ピーター・サザーランド(Peter Sutherland)(出身国:アイルランド)1993年~1995年
- (2)レナート・ルジェロ(Renato Ruggiero)(出身国:イタリア)1995年~1999年
- (3)マイク・ムーア(Mike Moore)(出身国:ニュージーランド)1999年~2002年
- (4)スパチャイ・パニチャパック(Supachai Panitchpakdi)(出身国:タイ)2002年~2005年
- (5)パスカル・ラミー(Pascal Lamy)(出身国:フランス)2005年~2013年
- (6)ロベルト・アゼベド(Roberto Azevedo)(出身国:ブラジル)2013年~現職