世界貿易機関(WTO)
第12回:新型コロナ対応にWTOも必死 組織改革は危機への取組から(その2)

1バレルあたりマイナス37.63ドル―。4月20日の原油先物取引では取引終了時の価格が史上初めてマイナスとなった。世界中を駆け巡ったこのニュースは,世界経済が満身に受けている未曾有の大打撃を伝えるほんの氷山の一角に過ぎない。新型コロナウイルスの世界的感染拡大により,世界経済は2008年の金融危機(リーマン・ショック),いや90年前の世界大恐慌以来の危殆に瀕しているとも言われる。1929年,世界経済はブロック化に進み,その先の第二次世界大戦を招いたのは人類史の痛切な教訓である。
前回の連載では,多角的自由貿易体制を窒息させないよう,WTOも必死に新型コロナと闘っていることをご紹介した。今回は,WTOが人・モノ・サービスともに移動や流通が制限され厳しい状況にある国際貿易について,どのように現状を認識し,将来を予測し,警鐘を鳴らしているのか見てみたい。
WTOには「経済調査統計部」という部署がある。専属のエコノミストが日々WTOに集まってくる貿易データをもとに日々緻密な分析・予測を行う。その業績の中でもとりわけ重要なのが,毎年4月と9月の年2回発表し,WTO事務局長自ら記者会見を行う「貿易統計・見通しに関するWTOプレスリリース」だ(最新版は4月8日発表)。
ところで,国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)などの国際機関も,基本的に年2回,それぞれの専門的視点から経済見通しを世に問うている。違いは何だろう。ひと言で言えば,WTOは同輩の国際機関と切磋琢磨しつつ,詳しいマクロ分析や構造分析は他に任せ,「貿易屋」に徹しているということである。最近の国際貿易の量的・質的な変化をつぶさに観察し,それらの現象が構造的,循環的,あるいは一時的な要因に基づくものなのか,各々の相関関係や因果関係を掘り下げた分析や予想を示せるのは,WTOをおいてほかにない。
WTOは,今回の「貿易統計・見通しに関するWTOプレスリリース」において,新型コロナによる世界の貿易量の落ち込みは,リーマン時を上回ると指摘し,その数値を13~32%と予想している。これは,金融危機時の貿易量落ち込み(約12%)と比べて深刻である。地域別に見ても,世界のほぼ全域において2020年の貿易量は二桁の落ち込みが見込まれており,特に,輸出・輸入ともに北米とアジアにおける落ち込みが顕著である。
気になるのは,貿易の回復の見通しだ。上記予想に対応して,楽観的シナリオ(今年の貿易量の落ち込みが13%の場合)では,来年には21%が回復,悲観的シナリオの場合(今年32%の場合)は24%の回復が見込まれるという。ただし,回復の力強さは,第二次感染を含め今後の警戒期間や各国の政策対応の実効性次第であり,見通しは不透明であるとあくまでも慎重だ。
また,物流・交通の制限,休業要請等により,新型コロナの影響を最も直接的に受ける分野はサービス貿易だとの認識を示す。さらに,物品貿易では,特に,エレクトロニクスや自動車等,複雑な生産工程を持つ業種が大きな影響を受けるとする。なお,今回の報告書がカバーする前回報告書(昨年9月)以来の趨勢として,「コロナ前」から米中間を含む貿易摩擦と世界経済成長の全般的鈍化により,物品貿易は昨年から縮小傾向にあり,同年通期でマイナス成長(0.1%)であったことも明らかにされている。貿易の冷え込みが新型コロナで複合的かつ急激に進んだことを浮き彫りにする結果となった。
以上,WTOがコロナ禍で暗雲垂れ込める世界貿易をどう現状認識し,予想しているかを簡単に紹介した。ここに来て,読者の方々は,これが本連載のテーマである「WTO改革」と一体どんな関係があるのかいぶかしく思われるかもしれない。
しかし,立ち止まって考えて見よう。WTO改革とは,組織改編や新たなルールの作成(連載第4回と第5回)のみを指すものではない。WTOが,医療用品や食糧を含む必需品の自由な物流,グローバルな供給網(サプライチェーン)の維持や強靱化を通じて人々の繁栄と平和の役に立つこと(連載第11回),そのための情報や分析,専門的知見を惜しみなく世の中に提供することは,国際社会における自らの存在意義を高めるために必要な日々の改革そのものではないだろうか。WTOが,加盟国の連帯を押し進めるための一挙手一投足に,多国間協調の重要な柱として人類が直面する火急の時の役に立てるかどうか,国際社会の信頼を勝ち取れるかどうかがかかっている。WTO改革は,ジュネーブで会議が開かれていないこの瞬間も現在進行中なのである。
新型コロナの感染拡大後,各国は医療関連品や食料の供給への懸念から,マスクの輸出禁止など様々な貿易制限措置をとってきている。次回連載は,視点をもう一度「WTO改革」に引き寄せて,第9回で紹介した各国の透明性を確保するための通報制度が,新型コロナの時期にどのように運用されているのか見ながら,その課題は何か一緒に考えたい(5月下旬予定)。