6 国際社会における法の支配
「法の支配」とは、全ての権力に対する法の優越を認める考え方であり、国内において公正で公平な社会に不可欠な基礎であると同時に、友好的で平等な国家間関係から成る国際秩序の基盤となっている。さらに、法の支配は国家間の紛争の平和的解決を図るとともに、各国内における「良い統治(グッド・ガバナンス)」を促進する上で重要な要素でもある。このような考え方の下、日本は、安全保障、経済・社会、刑事など、様々な分野において二国間・多国間でのルール作りとその適切な実施を推進している。さらに、紛争の平和的解決や法秩序の維持を促進するため、日本は国際司法裁判所(ICJ)、国際海洋法裁判所(ITLOS)、国際刑事裁判所(ICC)を始めとする国際司法機関の機能強化に人材面・財政面からも積極的に協力している。また、日本は法制度整備支援のほか、国際会議への参画、各国との意見交換や国際法関連の行事の開催を通じ、アジア諸国を始めとする国際社会における法の支配の強化に努めてきている。
(1)日本の外交における法の支配の強化
日本は、法の支配の強化を外交政策の柱の一つとしており、力による一方的な現状変更の試みに反対し、領土の保全、海洋権益や経済的利益の確保、国民の保護などに取り組んでいる。例えば、日本は、国連総会を始めとする国際会議や関係国との会談など、様々な機会に法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化を確認し、その促進に取り組んでいる。また、国際社会における法の支配の促進の観点から、日本は、国際法に基づく国家間の紛争の平和的解決、新たな国際法秩序の形成・発展、各国国内における法整備及び人材育成に貢献している。
ア 紛争の平和的解決
日本は、国際法の誠実な遵守に努めつつ、国際司法機関を通じた紛争の平和的解決を促進すべく、国連の主要な司法機関であるICJの強制管轄権を受諾43しているほか、多くの国際裁判所に対する人材面・財政面の協力を含め、国際社会における法の支配の確立に向けた建設的な協力を行っている。例えば、日本はICC、常設仲裁裁判所(PCA)への最大の財政貢献国であり、人材面では、ITLOSの柳井俊二裁判官(2005年から現職、2011年10月から2014年9月まで同裁判所所長)、ICCの赤根智子裁判官(2018年3月から現職)などを輩出している。ICJについては、小和田恆裁判官(2003年2月から2018年6月まで。2009年3月から2012年6月まで同裁判所所長)の退任に伴い、2018年6月に行われたICJ裁判官補欠選挙において、日本から立候補した岩沢雄司東京大学教授が当選し、歴代4人目の日本人裁判官として職務に就いている(186ページ コラム参照)。これらの貢献を通じて、日本は国際裁判所の実効性と普遍性の向上に努めている。また、外務省として国際裁判に臨む体制を一層強化するとの観点から、2015年に外務省国際法局に設置した国際裁判対策室を中心に、国際裁判手続に関する知見の増進や、国内外の法律家との関係強化を図ってきている。
2018年6月から国際司法裁判所(ICJ※)の裁判官を務めています。ICJは、オランダ・ハーグにある国家間の紛争を解決する国際裁判所で、国連の「主要な司法機関」です。国際紛争の解決に寄与するだけでなく、国際法の解釈適用を通じて国際法の明確化及び発展に貢献しており、国際社会で最も権威ある国際裁判所といってよいでしょう。国際法の重要な概念や法理の多くは、ICJが提示し諸国に受け入れられたものです。例えば、国が国際共同体全体に対して負う義務である「対世的義務」の概念などです。ICJは、国連総会及び安全保障理事会で行われる選挙によって選ばれる国籍の異なる15名の裁判官によって構成されています。日本人でICJの裁判官を務めるのは、田中耕太郎氏(元最高裁長官)、小田滋氏(元東北大教授)、小和田恆(ひさし)氏(元外務次官、国連大使)に次いで私が4人目です。ICJの前身の常設国際司法裁判所では、織田萬(よろず)氏(元京大教授)、安達峰一郎氏(元フランス大使)、長岡春一氏(元フランス大使)が裁判官を務めたので、通算すると7人目となります。

ICJには現在多くの事件が係属しています(2019年12月時点で17件)。次々と事件が持ち込まれているのは裁判所が信頼されている証左であり、歓迎すべきことです。注目される事件の口頭弁論や判決言渡しには、多くの傍聴人やマスコミが詰めかけます。口頭弁論や判決言渡しは、近年はインターネットで中継されるので、世界中で相当の人が注視しているはずです。
私は裁判官に就任して以来1年半ほどの間に8件の事件に関与しました。ICJは評議を繰り返しながら判決をまとめていきます。重要な案件に関与し判決の作成に携わることができるのは、光栄であると同時に、重責に身が引き締まる思いです。私は裁判官に就任する前は、東京大学法学部で国際法を講義していました。40年以上国際法の研究教育に携わったことが、裁判官としての職責を果たす上で役立っています。また、私には、アメリカ3年、イギリス3年半、フランス1年の留学や在外研究の経験があります。さらに、国連先住問題常設フォーラム委員3年、アジア開発銀行行政裁判所裁判官9年(うち3年は副所長)、国連自由権規約委員会委員11年半(うち3年半は委員長)の国際法実務経験もあります。このような経験も現在の職務に大いに役立っています。
ICJは最近年6件ほどの事件を審理していますが、15人の裁判官を含め職員は100人余りしかいません。ICJがこの規模で重要な判決を出し続けていることに驚かれることが少なくありません。
私は裁判所から徒歩圏内に居を構え、歩いて通勤しています。前に大学に籍を置いていたときには、講義がない日は自宅で研究することが多かったのですが、ICJにおいても同じように、自宅で仕事をすることが少なくありません。ICJの仕事の合間に研究も行っているので、毎日とても忙しく過ごしています。ハーグは緑豊かで静かな良い街です。余裕があるときには散策するなどハーグの生活をもっと楽しみたいと思っています。

※ ICJ:International Court of Justice
イ 国際的なルール形成
国際社会が直面する課題に対応する国際ルールの形成は、法の支配強化のための重要な取組の一つである。日本は、各国との共通目的の実現に向けた法的基盤を作るための二国間や多数国間条約の締結を積極的に進めるとともに、国連などにおける分野横断的な取組に自らの理念や主張を反映する形で国際法の発展を実現するため、ルール形成の構想段階からイニシアティブを発揮している。具体的には、国連国際法委員会(ILC)や国連総会第6委員会での国際公法分野の法典化作業、また、ハーグ国際私法会議(HCCH)、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)、私法統一国際協会(UNIDROIT)などでの国際私法分野の条約やモデル法の作成作業など、各種の国際的枠組みにおけるルール形成プロセスに積極的に関与してきている。ILCでは、村瀬信也委員(上智大学名誉教授)が「大気の保護」の議題の特別報告者を務め、大気環境の保護に関するガイドライン草案などの審議を通じて国際法の発展に貢献している。また、HCCH、UNCITRAL及びUNIDROITでは、各種会合に政府代表を派遣し、積極的に議論をリードしている。さらに、UNIDROITにおいては、神田秀樹理事(学習院大学教授)が作業計画の策定などに貢献している。UNCITRALにおいても、日本は委員会設立以来の構成国としてプレゼンスを発揮している。
ウ 国内法整備その他
日本は、国際法遵守のために自らの国内法を適切に整備するだけではなく、法の支配を更に発展させるために、特にアジア諸国の法制度整備支援や法の支配に関する国際協力にも積極的に取り組んでいる。例えば、日本は、日本を含むアジア諸国の学生に対し、紛争の平和的解決の重要性などの啓発を行うとともに、次世代の国際法人材の育成と交流を強化するとの観点から、外務省と国際法学会の共催(協力:日本財団)で国際法模擬裁判「アジア・カップ」を開催している。21回目となった2019年には、海洋法及び政府職員の外国の刑事管轄権からの免除に関する架空の国家間紛争を題材に、17か国73校から参加登録があり、15か国(日本、バングラデシュ、中国、インド、インドネシア、韓国、マレーシア、ミャンマー、ネパール、パキスタン、フィリピン、ロシア、シンガポール、タイ及びベトナム)の大学生が東京で開催された口頭弁論(本戦)に参加し、英語による書面陳述・弁論能力などを競った。これに加え、国際法に関するアジア・アフリカ地域唯一の政府間機関であるアジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO)に対して人材面・財政面で協力している。

(2)海洋分野における取組
海洋国家である日本にとって、法の支配に基づく海洋秩序の維持及び強化は極めて重要な課題である。安倍総理大臣は、2014年5月の第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)の基調演説で「海における法の支配の三原則」(①国家は法に基づいて主張をなすべきこと、②主張を通すために力や威圧を用いないこと及び③紛争解決には平和的な事態の収拾を徹底すべきこと)を提唱し、以降、日本は、これを一貫して主張してきた。例えば、2019年11月の第14回東アジア首脳会議(EAS)で、安倍総理大臣は、法の支配に基づく自由で開かれた海洋がインド太平洋地域の平和と繁栄の礎であることを主張している。
海における法の支配の根幹となるのは、国連海洋法条約(UNCLOS)である。同条約は、日本を含む167か国(日本が国家承認していない地域を含む。)及びEUが締結しており、公海での航行・上空飛行の自由を始めとする海洋に関する諸原則や、海洋の資源開発やその規制などに関する国際法上の権利義務関係を包括的に規定している。領海や排他的経済水域を含む分野に関する同条約の規定は、慣習国際法として確立していると広く受け入れられており、また、海洋における活動は同条約の規定に従って行われるべきとの認識が国際社会で広く共有されている。今後、一層複雑化し多岐にわたる海洋の問題に対応していく上で、包括的な、かつ、普遍的な法的枠組みである同条約に基づく海洋秩序を維持・強化していくことが重要である。
UNCLOSの下では、海洋に関する紛争の平和的解決と、海洋分野での法秩序の維持と発展のため、1996年にドイツ・ハンブルクにITLOSが設置された。ITLOSは、特に近年海洋境界画定を含む幅広い分野の事例を扱っており、その重要性は増している。日本はITLOSの役割を重視し、設立以来、日本人裁判官を2人続けて輩出している。
UNCLOSに基づき設立された大陸棚限界委員会(CLCS)も、大陸棚延長制度の運用において重要な役割を果たしている。日本は、CLCSの設立以来、委員を輩出し続けているなど(現在の委員は山崎俊嗣東京大学教授)、CLCSに対する人材面・財政面での協力を継続している。また、最近の動きとして、同じくUNCLOSに基づき深海底の鉱物資源の管理を主な目的として設置された国際海底機構(ISA)では、2018年に開始した深海底の鉱物資源の開発に関する公正な規則の策定が継続して行われた。日本は自国の立場が同規則に反映されるよう交渉に積極的に参画しており、また、以前から、深海底技術に関する途上国の能力構築を支援し、深海底の秩序作りを主導する国との評価を得ている。
さらに、2017年12月には、国連総会決議72/249により、国家管轄権外区域の海洋生物多様性(BBNJ)の保全及び持続可能な利用に関し、UNCLOSの下にある新たな国際約束を作成するための政府間会議を開催することが決定され、2019年8月までに3回の会合が開催された。日本政府としては、BBNJの保全と持続可能な利用という二つの側面の間のバランスを重視するという日本の立場が新たな国際約束に反映されるよう、積極的に議論に参加している。
(3)政治・安全保障分野における取組
日本の外交活動の法的基盤を強化するため、政治・安全保障分野における国際約束の締結に積極的に取り組んでいる。安全保障分野では、自衛隊と外国の軍隊との間の物品・役務の相互提供に係る決済手続などについて定める物品役務相互提供協定(ACSA)、移転される防衛装備品や技術の取扱いについて定める防衛装備品及び技術移転協定、関係国との間の安全保障に係る秘密情報の共有の基盤となる情報保護協定などの更なる整備を進めた。フランス及びカナダとの間では6月及び7月にACSAが、イタリアとの間では4月に防衛装備品及び技術移転協定がそれぞれ発効した。ドイツとの間では、2月に情報保護協定について大筋合意に至った。また、EU及びEU構成国との間の政治・安全保障などの分野における将来にわたる協力の法的基礎となる戦略的パートナーシップ協定(SPA)は、2月に暫定的適用を開始した。さらに、重要課題である日露間の平和条約の締結などに向けた交渉に引き続き取り組んでいる。
(4)経済・社会分野における取組
貿易・投資の自由化や人的交流の促進、日本国民・企業の海外における活動の基盤整備などの観点から、諸外国との間で経済面での協力関係を法的に規律する国際約束の締結・実施がますます重要となっている。2019年には、各国・地域との間で租税条約、投資協定、社会保障協定などの署名・締結を行った。また、アジア太平洋地域、欧州などを対象とする経済連携協定(EPA)交渉に取り組み、日中韓自由貿易協定(FTA)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの広域経済連携の交渉を積極的に進めた。さらに、2018年7月に署名された日EU・EPAが2019年2月に発効した。2019年10月には日米貿易協定及び日米デジタル貿易協定が署名され、12月に協定発効のための書面による通告が行われ、2020年1月に発効した。
さらに、日本国民・企業の生活・活動を守り、促進するため、世界貿易機関(WTO)の紛争処理制度の活用を図るとともに、既存の国際約束の適切な実施に取り組んでいる。
国民生活と大きく関わる人権、環境、漁業、海事、航空、労働、社会保障などの社会分野でも、日本の立場が反映されるよう国際約束の交渉に積極的に参画し、また、これを締結している。例えば、漁業分野では7月に中央北極海における規制されていない公海漁業を防止するための協定を締結し、また、海事分野では、3月に船舶再資源化香港条約(シップ・リサイクル条約)を締結した。
(5)刑事分野における取組
ICCは、国際社会の関心事である最も重大な犯罪を行った個人を国際法に基づいて訴追・処罰する世界初の常設国際刑事法廷である。日本は、2007年10月の加盟以来、ICCの活動を一貫して支持し、様々な協力を行っている。財政面では、日本はICCへの最大の分担金拠出国であり、2019年現在、分担金全体の約15.7%を負担している。加えて、人材面においても、ICC加盟以来継続して裁判官を輩出して、2018年3月からは9年間の任期で赤根前国際司法協力担当大使兼最高検察庁検事が裁判官を務めている。また、新検察官選出委員会において野口元郎(もとお)国際司法協力担当大使兼最高検察庁検事が独立専門家を、予算財務委員会において小嵜仁史(こざきひとし)委員が委員長を務めるなど、ICCの活動に様々な面で協力している。ICCが国際刑事司法機関としての活動を本格化させていることに伴い、ICCに対する協力の確保や補完性の原則の確立、裁判手続の効率性と実効性の確保が急務となっており、日本は、締約国会議の場を通じて、ガバナンス問題研究グループの共同議長を引き続き務めるなど、これらの課題に積極的に取り組んでいる。
さらに、近年の国境を越えた犯罪の増加を受け、他国との間で必要な証拠の提供などを一層確実に行えるようにしている。具体的には、刑事司法分野における国際協力を推進する法的枠組みの整備のため、刑事共助条約(協定)44、犯罪人引渡条約45及び受刑者移送条約46の締結を進めている。米国との間では、テロなどの重大な犯罪に関する情報を迅速に交換するための重大犯罪防止対処協定が1月に発効した。7月には、ベトナムとの間で受刑者移送条約に署名した。
43 ICJ規程第36条2に基づき、同一の義務を受諾する他の国に対する関係において、ICJの管轄権を当然にかつ特別の合意なしに義務的に受け入れることを宣言すること。現在、日本を含めて74か国が宣言しているにとどまる。
44 刑事事件の捜査と手続の面で他国と行う協力の効率化や迅速化を可能とする法的枠組み
45 犯罪人の引渡しに関して包括的かつ詳細な規定を有し、犯罪の抑圧のための協力を一層実効あるものとする法的枠組み
46 相手国で服役している受刑者に本国において服役する機会を与え、社会復帰の促進に寄与する法的枠組み