2 中央アジア諸国とコーカサス諸国
(1)中央アジア諸国
2014年、日本が中央アジア諸国の地域協力を促進するための枠組みとして立ち上げた「中央アジア+日本」対話が10周年を迎えた。この10年の間に、関係国は、中央アジアの安定と発展のためには地域協力が不可欠であるとの認識を広く共有するようになった。
このような背景の下、3月に実施した第6回東京対話(知的対話)では、実践的な地域協力のテーマとして「農業」を取り上げ、日本と中央アジアの専門家が協力可能な分野や方策について議論を行った。そのような日本と中央アジアの協力プロジェクトは、政府間の協力に限られるものではなく、日本企業の参加も含めた「オール・ジャパン」での協力が目指されている。7月には、議長国であるキルギスで開催された第5回外相会合に岸田外務大臣が出席し、農業、麻薬対策・国境管理、防災といった分野について議論を行い、共同声明及び農業分野における協力に関するロードマップを採択した。

中央アジア各国との個別の関係も、概ね順調に進展した。牧野外務大臣政務官のトルクメニスタン訪問(4月)、麻生副総理兼財務大臣のウズベキスタン訪問(5月)、薗浦外務大臣政務官のウズベキスタン・タジキスタン訪問(11月)、アスロフ・タジキスタン外相の訪日(6月)、ジェエンベコフ・キルギス共和国議会議長の訪日(11月)と、要人の往来も活発に行われた。
また、資源開発分野のほか、製造業分野においても日本企業が進出しつつあるカザフスタンとの間では、10月に日・カザフスタン投資協定が署名された。
(2)コーカサス諸国
グルジア(1)からは、前年の大統領選挙で当選したマルグヴェラシヴィリ大統領が10月に訪日し、安倍総理大臣と首脳会談を行った。グルジアは6月にEUとの間で深化した包括的自由貿易協定(DCFTA)を含む連合協定に署名し、欧州への接近を一歩進めており、民主主義などの普遍的価値を共有する両国が引き続き協力していくことで一致した。このほか、4月に牧野外務大臣政務官がアゼルバイジャンを訪問した。

アルメニアについては、2015年1月1日に日本大使館が開館した。これで全てのコーカサス諸国に日本大使館が設置されたこととなり、二国間関係の緊密化が今まで以上に期待される。
コーカサス諸国は、グルジアにおける南オセチア・アブハジア紛争(2)や、アゼルバイジャンとアルメニアとの間のナゴルノ・カラバフ問題(3)といった領土をめぐる紛争を抱えており、依然として関係国間に緊張が生じている。解決に向けた取組は引き続き行われたが、進展は見られなかった。
1 「グルジア」から「ジョージア」への名称変更については、在外公館名称位置給与法上の国名呼称を変更する改正法案の国会における審議を経たのちに、同改正法の施行日に合わせ変更することとなるため、本書では「グルジア」を使用することとする。
2 2008年8月、グルジアからの分離独立を目指す南オセチアとグルジアの武力衝突にロシア軍が介入し、グルジア・ロシア両国の武力紛争に発展したが、紛争発生後約1週間でEU議長国であるフランスなどの介入により停戦。その際の合意に基づき、安全保障及び人道問題に関する協議を行う国際会議がジュネーブで行われている。
3 ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニアとアゼルバイジャンとの間の紛争。アゼルバイジャン内に存在する同地域の住民の大半はアルメニア人であり、ソ連末期にアゼルバイジャンからアルメニアへの帰属変更要求が高まったため、1991年のソ連解体に伴って、アルメニアとアゼルバイジャンとの間の紛争へと発展した。アルメニアは、1993年までにナゴルノ・カラバフのほぼ全域及びアルメニアとの回廊地帯を占拠。1994年、ロシア及びOSCEの仲介により停戦合意したが、現在まで死傷者を伴う衝突が繰り返されている。OSCEミンスク・グループによる仲介で、1999年以降、アルメニア・アゼルバイジャン両国の首脳・外相など様々なレベルで直接対話が継続して行われている。