日本の領土をめぐる情勢

 

平成25年3月6日

竹島 takeshima

「李承晩ライン」の設定と韓国による竹島の不法占拠

1.

1952(昭和27)年1月,李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って,いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し,同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに,そのライン内に竹島を取り込みました。

2.

1953(昭和28)年3月,日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。これにより,竹島での漁業が再び行われることとなりましたが,韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事していることが確認されました。同年7月には,不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から退去するよう要求した海上保安庁巡視船が,韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。

3.

翌1954(昭和29)年6月,韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表しました。同年8月には,竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され,これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認されました。

4.

韓国側は,現在も引き続き警備隊員を常駐させるとともに,宿舎や監視所,灯台,接岸施設等を構築しています。

5.

「李承晩ライン」の設定は,公海上における違法な線引きであるとともに,韓国による竹島の占拠は,国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠です。韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。このような行為は,竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく,竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行うたびに厳重な抗議を重ねるとともに,その撤回を求めてきています。

銃撃された日本の海上保安庁の巡視船(1953年7月)(写真提供:読売新聞社)

▲銃撃された日本の海上保安庁の巡視船(1953年7月)(写真提供:読売新聞社)

李承晩ライン

▲李承晩ライン

このページのトップへ戻る
日本の領土をめぐる情勢へ戻る