日本の領土をめぐる情勢

 

平成25年3月6日

竹島 takeshima

竹島の島根県編入

1.

今日の竹島において,あしかの捕獲が本格的に行われるようになったのは,1900年代初期のことでした。しかし,間もなくあしか猟は過当競争の状態となったことから,島根県隠岐島民の中井養三郎は,その事業の安定を図るため,1904(明治37)年9月,内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(注)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ました。

(注)「りやんこ島」は,竹島の洋名「リアンクール島」の俗称。当時,ヨーロッパの探検家の測量誤りなどにより,鬱陵島が「松島」と呼ばれるようになり,現在の竹島は「りやんこ島」と呼ばれるようになっていました。

2.

中井の出願を受けた政府は,島根県の意見を聴取の上,竹島を隠岐島庁の所管として差し支えないこと,「竹島」の名称が適当であることを確認しました。これをもって,1905(明治38)年1月,閣議決定によって同島を「隠岐島司ノ所管」と定めるとともに,「竹島」と命名し,この旨を内務大臣から島根県知事に伝えました。この閣議決定により,我が国は竹島を領有する意思を再確認しました。

3.

島根県知事は,この閣議決定及び内務大臣の訓令に基づき,1905(明治38)年2月,竹島が「竹島」と命名され隠岐島司の所管となった旨を告示するとともに,隠岐島庁に対してもこれを伝えました。なお,このことは当時の新聞にも掲載され広く一般に伝えられました。

1905年1月28日閣議決定(国立公文書館所蔵)

▲1905年1月28日閣議決定(国立公文書館所蔵)

4.

また,島根県知事は,竹島が「島根県所属隠岐島司ノ所管」と定められたことを受け,竹島を官有地台帳に登録するとともに,あしかの捕獲を許可制としました。あしかの捕獲は,その後,1941(昭和16)年まで続けられました。

5.

なお,韓国では,1900年の「大韓帝国勅令41号」により,鬱陵島を鬱島と改称するとともに島監を郡守としたとされています。そして,この勅令の中で,鬱島郡が管轄する地域を「欝陵全島と竹島石島」と規定しており,この「竹島」は鬱陵島の近傍にある「竹嶼」という小島であるものの,「石島」はまさに現在の「独島」を指すと指摘する研究者もいます。その理由は,「いし(トル)」は韓国の方言で「トク」とも発音され,これを発音どおりに漢字に直せば「独島(トクト)」につながるためというものです。

6.

しかし,「石島」が今日の竹島(「独島」)であるならば,なぜ勅令で「独島」が使われなかったのか,なぜ「石島」という島名が使われたのか,また,そもそも,なぜ韓国側が竹島の旧名称であると主張する「于山島」等の名称が使われなかったのかという疑問が生じます。

いずれにせよ,仮にこの疑問が解消された場合であっても,同勅令の公布前後に,韓国が竹島を実効的に支配した事実はなく,韓国による竹島の領有権は確立していなかったと考えられます。

1909年頃の竹島漁猟会社(写真提供:古今書院)
▲1909年頃の竹島漁猟会社(写真提供:古今書院)
竹島でのあしかの様子(写真提供:島根県竹島資料室個人所蔵)
▲竹島でのあしか猟の様子
(写真提供:島根県竹島資料室個人所蔵)

1930年代頃の竹島でのあしか猟の様子(写真提供:島根県竹島資料室個人所蔵)
▲1930年代頃の竹島でのあしか猟の様子
(写真提供:島根県竹島資料室 個人所蔵)

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