チャレンジ41か国語 外務省の外国語専門家インタビュー

チャレンジ41か国語 外務省の外国語専門家インタビュー

2009年11月

クロアチア語の専門家 権田さん

 Dobar dan (ドバルダン)=こんにちは!

 学生時代からヨーロッパに興味があった権田さんは、イギリスやフランス、イタリアなど様々な国へ旅行に行き、大学では興味のあるヨーロッパ言語を少しずつ学んでいました。大のサッカーファンでもあることから、旧ユーゴスラビアへのサッカー観戦旅行を計画したものの、出発直前にNATOによる空爆が始まり、やむなく旅行を取りやめました。その数年後、権田さんは外務省の語学研修のために旧ユーゴスラビアの国、クロアチアに降り立つことになるのです。

写真1 クロアチア首都ザグレブの中心・イェラチッチ公爵広場
首都ザグレブの中心・イェラチッチ公爵広場。
旧ユーゴ時代は共和国広場と呼ばれた。
写真は2004年クリスマスから2005年の新年にかけて。毎年綺麗なデコレーションがほどこされる。

クロアチア語の再挑戦

 権田さんは、大学時代、第2外国語としてフランス語を選択。加えて、セルビア/クロアチア語の授業も受講していました。「ヨーロッパ言語を勉強してみたかったのです。フランス語はある程度話せるようになりましたが、セルビア/クロアチア語は実践の機会がなく、残念ながら挨拶程度しか出来るようになりませんでした。」人と接する事が好きで、語学力も生かしたいと考えていた権田さん。外務省はまさにうってつけの就職先でした。見事クロアチア語の専門として採用された権田さんは、セルビア/クロアチア語に再挑戦していきます。

外務省でのクロアチア研修

 外務省のクロアチア語とセルビア語の採用人数は2言語併せて2~3年に1人で、外務省での研修は講師と1対1だったそうです。「研修は会話中心だったので、耳で聞き、話して覚える事が好きな私にはぴったりでした。私にとって一番難しかったのは格変化で、7格もあって、名詞と形容詞の語尾がそれぞれ変化するので、大学で習い始めた時は辞書を引くのも大変でした。でも、だんだん格変化に対応する『感覚』が出来てくると、逆に、格変化のないイタリア語等を話す時に、つい格変化させたくなってしまいます。格変化の一例として、次の例文をご紹介します。『大阪』がなんと『オーサキ』になるなど、固有名詞も変化するので、習い始めはなかなか厄介ですね。」

私は大阪出身です。  Ja sam iz Osake (ヤー サム イズ オーサケ)
私は大阪に行く。  Idem u Osaku. (イデム ウ オーサク)
私は大阪に住んでいる。  Živim u Osaki. (ジヴィム ウ オーサキ)

クロアチア語とセルビア語

 旧ユーゴスラビア時代、幾つもの言語が話されていましたが、最も話者が多かったのはセルボ・クロアチア語でした。その後、各国が独立し、今ではクロアチア、セルビアスロベニアボスニア・ヘルツェゴビナマケドニアモンテネグロコソボ(注)に分かれ、セルボ・クロアチア語も、クロアチアではクロアチア語、セルビアではセルビア語と呼ばれています。「議論はあるでしょうし、あくまで個人的なものですが、近年クロアチアとセルビアの両国で生活した私としては、会話上クロアチア語とセルビア語は8割位同じという印象です。単語及び文法の一部、アクセント等に違いがありますが、言語の骨格は同じなので、ネイティブ間の会話はほぼ問題なく通じます。しかし、外国人が片方の国で言語を学んだ場合、もう片方の国に行くと一部の単語が分からないということになります。私もクロアチア研修の後、セルビアに赴任した当初は覚えなおさなければいけない単語がかなりありました。両言語間の最大の違いは文字です。クロアチア語はラテン文字(ローマ字)のみを使用しますが、セルビア語はキリル文字とラテン文字を併用し、公式文書はキリル文字のみを使用するのです。」
:セルビアを始め世界の半数以上の国はコソボの独立を承認していない)

アドリア海に面した美しい自然

 「私がクロアチア研修に出発した2003年頃は、クロアチアへの日本人観光客数は年間約1万人強と多くなく、日本人にクロアチアの話をしても、『へえ、どこにあるの?イタリアに近くて海が綺麗なの?』といった反応でした。それが、5~6年ほどで日本人観光客数が10倍に跳ね上がり、『今度行きたい国はクロアチア』という声をよく耳にするようになりました。これほど飛躍的に観光客数が増えた例は少ないのではないでしょうか。」

  • 写真2 クロアチアのダルマチア地方・ブラチュ島の碧い海

    ダルマチア地方・ブラチュ島の碧い碧い海

  • 写真3 クロアチアのプリトヴィツェ国立公園

    プリトヴィツェ国立公園:しっとりとした自然の美しさが日本人観光客にも人気

 権田さんによれば、元々アドリア海沿岸はヨーロッパの夏の観光地で、旧ユーゴスラビアは西欧にも東欧にも国境を開いていたので、多くの観光客が訪れていたそうです。 「クロアチアは九州の1.5倍ほどの小さな国ですが、とても地方色豊かです。首都ザグレブを中心とするクロアチア中央部、パンノニア平原の一部をなす東部 『スラヴォニア地方』、トリュフの森が点在する北西部 『イストラ半島』、アドリア海沿岸の南部 『ダルマチア地方』など、地方ごとに人の性格や容貌、食生活、方言等もずいぶんと違います。」

写真5 夕暮れを迎えるドゥブロブニクの目抜き通り・ストラドゥン
夕暮れを迎えるドゥブロブニクの目抜き通り・ストラドゥン

世界遺産ドゥブロブニクでのサマースクール

 権田さんは、首都ザグレブ到着後すぐにクロアチア最南端のドゥブロブニクに移動し、サマースクールに参加しました。ドゥブロブニクは『アドリア海の真珠』と称えられる美しい街で、クロアチア観光のハイライトです。「なんてうらやましい体験と思われるかもしれませんが、2003年は南欧で多くの人が亡くなるほどの猛暑が続き、クーラーのない部屋にホームステイしながら、物価の高い観光地(旧ユーゴ時代からドゥブロブニクだけダントツに高かったと聞きます)で1か月間勉強するのは苦行のようでした。」 ドゥブロブニクの多くの人は、夏を中心に半年働き、観光客のいない冬の間はゆっくり休むそうです。

ザグレブ大学での語学研修

 サマースクール修了後、権田さんはザグレブ大学の外国人用クロアチア語コースに入学しました。「私は運良く一番上のクラスで勉強できました。クラスメートの約4割は『ディアスポラ』と呼ばれる、クロアチア出身の両親・先祖を持つ人々で、更に4割がクロアチア語と似た言葉を母語とする『他のスラブ系の国』(チェコスロバキアポーランド、スロベニア等)の出身、残りの2割がクロアチア語を学ぶのに元々有利な条件のない『第3のグループ』 (クロアチア人と結婚した外国人等)というメンバーでした。色々な人がいて興味深いのですが、それぞれ語学授業に求めるものが異なっていたので、授業がスムーズに進行しないことがありました。例えば、『ディアスポラ』は、家庭でクロアチア語を使用するので会話はぺらぺらだけど文法はよく知らず、逆に、『第3のグループ』は一からクロアチア語を学習したので文法問題は高得点だけれど、会話はまだまだといった状況なのです。また、研修をしていて困ったことは、中・上級クロアチア語の教授法が確立しておらず、社会・経済言語やビジネスの言い回しが学べるような語学教材がなかった事ですね。」

友人との交流を通じて、クロアチア語をたくさん聞き話す

 そのような中で、クロアチア語の習得のためにどう工夫しましたか?「私は料理する事も人と交流することも好きなので、現地の友人やクラスメートたちを家に呼んで度々ホームパーティーをしました。回数を重ねるごとにネットワークを広げ、生のクロアチア語をできるだけ多く聞き、話す機会を持つように努めました。友人に和食を紹介したり、色々な話をした大切な時間でもありました。また、余暇にはクロアチアのサッカーチーム『ディナモ・ザグレブ』の試合や、クロアチア代表のサッカーの試合を観に行きました。サッカーはクロアチアで一番人気のあるスポーツなので、サッカーの話をすると地元の人との話も盛り上がります。旧ユーゴスラビア人は一般に球技が得意で、サッカーの他にもバレーボール、バスケットボール、ハンドボール、水球、テニスなど、いずれもトップレベルにあります。」

写真6 クロアチア首都ザグレブのサッカークラブ、ディナモ・ザグレブのサポーターたち

ザグレブのクラブ、ディナモ・ザグレブのサポーターたち。三浦知良選手が一時在籍していた。 一時、共産主義的な「ディナモ」を外し、「クロアチア・ザグレブ」と名を変えたが、サポーターたちの反対に逢い、「ディナモ」が復活した。

温かすぎる『もてなしの心』も困る?

 在セルビア日本国大使館別ウィンドウで開くに勤務してからは、権田さんもセルビア語に切り替えましたが、大使館の多くの幹部はセルビア語が話せたので通訳の機会は少なかったそうです。「広報文化を担当していたので、テレビやラジオのインタビューに応じたり、文化行事の司会をしたりした時に、セルビア語が鍛えられました。仕事で困ったのは、彼らの『客人に対する温かいもてなしの心』ですね。本来は困るところではないのですが、文化行事の視察等で、スケジュールが詰まっているため30分で博物館を回らなければならない時でも、館長さんが『まぁ座りなさい。コーヒーでもどうぞ。』という具合に、どんどん予定が遅れてしまうのです。彼らからみれば、お客をもてなすのは礼儀だし、コーヒーの時間がないほど急いでいるとは思っていないのでしょう。クロアチアやセルビアの人々は、カフェに座って友達と話す時間を非常に大切にしていて、国民的趣味ともいえるほどです。最近見たギリシャの映画でも(急いでいる人に向かって)『誰でもコーヒーのための時間はある』なんて台詞が出てきました。これはバルカン半島共通ですね。」

クロアチア、セルビア、ギリシャに暮らして

 権田さんは、セルビアの大使館で3年半勤務後、現在は在ギリシャ日本国大使館別ウィンドウで開くで勤務しています。研修したクロアチアを含め、いずれもバルカン半島に位置する3か国です。「共通点や相違点から、この地域の歴史が見えてくるようで興味深いですね。セルビアとギリシャはいずれも正教徒の国なのでお互いに親近感があるようです。そのためか、セルビアにはギリシャの銀行・企業が進出し、ギリシャの島々にはセルビア人観光客が押し寄せるという感じで、双方頻繁に交流が行われています。一方、クロアチアはカトリックの国であるせいか、ギリシャ企業もあまり見かけず、自国内にたくさんの島があるためか、ギリシャへの観光ツアーも比較的少ないのです。しかし、視点を変えると、ギリシャのクレタ島やコルフ島とクロアチアの島々は、ともに元ヴェネツィア領であるため、街並みがよく似ているということに気づきます。」日本人の人気も高まっているクロアチアとのよりよい関係を目指して頑張ってください。

好きな言葉・印象に残っているフレーズ

Ljubav dolazi kroz stomak.(リューバヴ・ドラズィ・クロズ・ストマック)「愛は胃を通じて育まれる。」の意。 男性はおいしい料理を作ってくれる女性に惚れる、という意味でよく使われますが、私自身としては、その国の料理を通じてその国への愛を感じる、という意味で真実だなあと思う言葉です。

便利なフレーズ

Hvala lijepo. (フヴァーラ・リィェーポ:ありがとうございます。)

Čujemo se! (チュエモ・セ:またね、連絡を取り合いましょう。電話の最後でもお茶をして別れるときでも、仕事でまた連絡を取るときでも使えて、更に、どちらがどちらに連絡するかを特定していないため、非常に便利。)

Nema problema. (ネーマ・プロブレーマ:問題なし!)

★クロアチア語を主要言語とする国:クロアチア共和国


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