わかる!国際情勢 トップページへ

Vol.39 2009年6月23日
イタリア~都市国家の歴史を受け継ぐ社会経済

G8サミットが2009年7月8~10日、イタリア中部のラクイラ(L'Aquila)で開催されます。神殿や王宮を中心に城壁を巡らした都市を基本に、それぞれが小さな国家を形成していた「都市国家」の歴史を持つイタリア。現在の社会経済の成り立ちとどのように関わっているのでしょうか。

アルプスから地中海に伸びるイタリア半島

イタリアは、地中海に面したイタリア半島と、シチリア島やサルデーニャ島など約90の島々から成り、北の国境沿いにはアルプス山脈が東西に弧を描いています。古代ローマ帝国の発祥地で、476年に西ローマ帝国が滅亡後、多くの都市国家の興亡を経て、1861年にイタリア王国が成立。1946年には、国民投票によって王政が廃止され、共和制に移行しました。約30.1万k㎡(日本の5分の4ほど)の国土には約5,890万人(国連2008年)が暮らしています。ローマは函館市と同じ北緯42度ですが、アルプスが北風を遮るため、冬でも比較的温暖な気候です。

イタリア地図
 

都市国家の歴史を受け継ぐ経済産業

イタリアのGDP(国内総生産)は2.3兆米ドル(IMF2008年)で、欧州4位、世界7位の規模です。主要産業は機械、繊維、自動車、鉄鋼などで、製造業が経済成長の原動力になっています。国内は20の州(regione)、100以上の県(provincia)、さらには市町村にあたる約8,000のコムーネ(comune)に区分されます。概して、イタリア北部は工業、南部は地中海農業を中心とした経済が成り立っていますが、コムーネの中にはかつての都市国家の歴史を受け継いだ地域が多く、都市ごとに見ていくと、それぞれが独自に特徴的な伝統産業を発展させてきていることがよくわかります。

イタリアの国内総付加価値・経済活動別構成比(2007年)
 

イタリア経済を支えるトリノの自動車産業

現在、イタリアの最大の輸出品は自動車部品ですが、イタリアの工業化は1800年代末~1900年代初頭にかけて、北イタリアのミラノ、トリノ、ジェノバを結ぶ三角地帯で始まりました。トリノは、1899年創業の自動車メーカー「フィアット」(FIAT)が、国内最大の企業グループへと急成長を遂げたことにより飛躍的に発展。FIAT(フィアット)ミラフィオーリ工場の生産ライン

©Fiat Group Automobiles Japan多くの自動車部品メーカーも集積しています。フィアットが大衆車の生産を始めた1955年前後から、イタリアは高度経済成長期を迎え、農村から都市(南部から北部)への大きな人口移動が、工業化を加速させました。フィアットは、フェラーリ、アルファ・ロメオなど国内自動車メーカーを次々と傘下に収め、1990年代には海外にも市場を拡大。世界経済が低迷する中でも小型車製造の強みを生かし、総売上高の60%以上を国外で上げることに成功しました(FIATホームページより)。

 

地中海貿易の中心地ジェノバ

探検家コロンブスの出身地としても知られるジェノバ(2001年ジェノバ・サミット開催地)は、1100年頃から海洋都市国家として繁栄し、ベネチア、ピサ、アマルフィとともに四大海洋都市として地中海の覇権を争ってきました。長い歴史を持つジェノバの港

©イタリア政府観光局 Fototeca ENIT

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。ジェノバは現在でもイタリア最大の貿易港で、年間5,000万トン以上の総取引量を誇り、ミラノやトリノの工業製品を輸出するなどしています。国全体で見ると、イタリアは自動車部品、石油製品、医薬品などを多く輸出し、原油、自動車、医薬品、コンピューターなどを輸入しています。イタリア経済は、輸出入ともに最大の貿易相手国であるドイツの経済に左右される傾向があります。

 
 

ミラノ"Made in Italy"のブランド力

北部イタリア最大の工業都市であるミラノは、国際的ファッションの中心地です。ヨーロッパの繊維・服飾産業は、歴史的にはオランダ英国ドイツフランスなどが中心で、イタリアが隆盛を極めるようになったのは、高度経済成長を遂げた1900年代後半からでした。ミラノのモンテナポレオーネ通り

©イタリア政府観光局 Fototeca ENIT

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。1978年に服飾ブランドのプレタポルテ発表会「ミラノ・コレクション」が始まると、パリやニューヨークと並んで最新ファッションの発信地として注目されるようになりました。ところが、数年後には急成長を遂げたアジアの新興工業国で作られた安価な服飾品が世界に流通するようになり、中小企業が多いイタリアは価格競争力を喪失。しかし、その一方で、デザインや機能など高い生産技術で国際競争力を堅持することに成功し、"Made in Italy"(イタリア製)は「質の高さ」の代名詞として認知されるようになりました。

 

上質の革製品:フィレンツェの伝統手工芸

繊維・服飾産業と同様、低価格なアジア製品との競争で高付加価値化したものに、靴や鞄などの手工芸製品があげられます。ルネサンス発祥地で手工芸製品の中心地でもあるフィレンツェでは、「グッチ」(GUCCI)や「フェラガモ」(Salvatore Ferragamo)などが創業。フィレンツェの街並み

©イタリア政府観光局 Fototeca ENIT

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。トスカーナ地方の熟練した革職人たちが作り上げる上質の革製品を通じて、イタリアの伝統手工芸を世界に轟かせました。イタリアから日本への輸入品目を見ると、第1位が「バッグ」で全体の11.9%、第3位が「履物(靴)」で同4%を占めており、いかに日本人がイタリア製の靴や鞄を愛用しているかがわかります。また、これらの多くが家族経営など中小企業による製品生産で支えられており、大量生産、大企業化を好まないイタリアの職人気質にも、コムーネや都市国家を土台に発展してきたイタリアの歴史的、文化的側面を感じ取ることができます。

 

東西交易路ベネチアのガラス産業

ベネチアン・グラスで知られるベネチア(1980、87年ベネチア・サミット開催地)は、6世紀から9世紀にかけて干潟の上に人工的に作られた都市で、地中海における東西交易路の要衝として大いに繁栄しました。ベネチアのガラス産業が文献に登場するのは982年が最初ですが、歴史はさらに遡ると言われています。当時は最も洗練された技術として高く評価され、その製法は「門外不出」として厳しく守られてきました。高い技術を持つ職人によって作られるベネチアン・グラス

©De Agostini Picture Library

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。1291年、ベネチア最高議会は、火災防止のために街のガラス工場をすべてムラーノという小さな島に集積することを決定。さらに、新技術の開発を奨励する制度を設けることによって、ガラス職人の技術と芸術性がより極められ、高付加価値なベネチアン・グラスがヨーロッパのガラス市場を席巻するまでに発展しました。

 
 

観光業の中心ローマ

世界遺産の「コンスタンティヌスの凱旋門」(左)とコロッセオ

©イタリア政府観光局 Fototeca ENIT

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。世界遺産が世界一多い国を代表する首都ローマには、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、カラカラ浴場など古代ローマ帝国の歴史を伝える遺跡が数多く存在し、日本人(年間80~100万人と推計)をはじめ世界中から旅行客の足が途絶えることはありません。2005年には3,651万人(人口の6割相当)もの外国人がイタリアを訪れており、観光収入は382.64億ドルにも上っています(出典:総務省統計局刊行、総務省統計研修所編集「世界の統計2009」)。このため、イタリアでは観光産業を振興しながらも、貴重な歴史的文化遺産や住民の生活を保護する対策が積極的にとられています。

 

ナポリ:豊かな農産品に支えられたイタリアの「食」

代表的イタリア料理の一つ「ピッツァ・マルゲリータ」は、1889年、イタリア王国のマルゲリータ王妃がナポリ(1994年ナポリ・サミット開催地)を訪れた際に、地元料理店が国旗の色になぞらえて、トマト(赤)、モッツァレラチーズ(白)、バジリコ(緑)を素材に使ったピザを作ったことが起源とされています。日本でも人気のイタリア料理を世界に広めたのは、1800年代末から1960年代にかけて、移民や出稼ぎのためにアメリカやカナダ、オーストラリアなどに渡ったイタリア人でした。移住先で「リトル・イタリー」と呼ばれる共同体を作って郷土の味を守り、特にアメリカでは社会への統合が進むにつれて、料理も徐々にアメリカ化していきました。農業が盛んな南イタリアでは、ピッツァやパスタの原料となる小麦に加えて、ブドウ(生産量世界一)、オリーブ(同2位)、トマト(同6位)なども多く生産されています(FAO2006年)。国連食糧農業機関(FAO)国連世界食料計画(WFP)国際農業開発基金(IFAD)の各本部もイタリア(ローマ)にあり、食料価格高騰で食料安全保障が声高に叫ばれた2008年6月には、イタリアで世界食糧サミットが開催されました。「食」は、2015年に予定されているミラノ万博のテーマのひとつにもなっています。

イタリア国旗の色を表現したピッツァ・マルゲリータ

©De Agostini Picture Library

※写真の無断使用、複写、転載を固く禁じます。
 

震災の地ラクイラでG8サミット開催へ

ローマから北東約95kmに位置するイタリア中部アブルッツォ州ラクイラ県で2009年4月6日、マグニチュード5.8の地震が発生しました。死傷者は約1900人。1980年に起きたイタリア南部地震以来、最悪の震災となりました。これを受け、ベルルスコーニ首相は、2009年7月のサミット開催地をラ・マッダレーナ島からラクイラに変更。復興支援を申し出た各国に対して、文化財の修復を要請することなどを検討しています。上層階が崩壊したラクイラ県庁同じ地震国である日本は、阪神大震災時にイタリアから政府義援金を送られたことなどがあり、今回は逆に現地の日本人会が義援金を呼び掛けるなどしています。震災と復興に配慮してラクイラで開催される2009年のG8サミットですが、日本が議長国を務めた2008年の北海道洞爺湖サミットに引き続き、世界的な金融・経済危機の克服に向けた取組や気候変動開発問題、至急の対処を要する地域情勢などについて議論が交わされる予定です。

 

"現代の都市国家"として

観光や食文化、ファッションなどを通じて日本人にも馴染みが深いイタリアの経済産業は、都市国家の歴史と文化の上に成り立っています。技術を持った職人や中小企業は、それぞれ得意とする分野を極め、互いに連携していくことで、より強固な社会を形成し、それを各都市が持つ個性や強みとして発揮しています。いわば"現代の都市国家"とも言えるイタリアの各都市には、製造業を中心に日本企業約200社が進出しており、経済的な結びつきを深めています。2009年には、イタリア政府による「日本におけるイタリア2009・秋」も開催されることになっており、日本人にとってより馴染みのある国となることが期待されています。イタリアでも近年、日本への関心が高まっており、ミラノでは「日本文化年2009」が開催されています。

ラクイラ地震・義援金受付のお知らせ

在日イタリア大使館、北イタリア日本人会(在ミラノ日本国総領事館のホームページに掲載)では、被災地の一日も早い復興に向け、義援金を受け付けています。詳しくは各ホームページをご覧下さい。

 
 
メルマガ登録希望の方はこちらからお申込みください。
ご意見ご感想もお待ちしています。 (外務省国内広報課)
このページのトップへ戻る
目次へ戻る