日本の領土をめぐる情勢
北方領土問題の概要
1 北方四島の概況
【主要産業】
- 北方領土周辺の水域は親潮(千島海流)と黒潮(日本海流)が交錯しているため、水産物が極めて豊富で、古くから世界三大漁場の一つに数えられている。そのため、戦前、同水域では我が国の水産業が盛んであった。また、林業、魚類のふ化事業、鉱業、畜産業なども行われていた。現在は、漁業、水産加工・缶詰製造業等が行われている模様。
【北方領土におけるロシア軍】
- 旧ソ連時代の1978年以来、ロシアは、わが国固有の領土である北方領土のうち国後島、択捉島と色丹島に地上軍部隊を再配備してきた。その規模は、ピーク時に比べ大幅に縮小した状態にあると考えられるものの、現在も南樺太に所在する1個軍団に属する1個師団が国後島と択捉島に所在しており、戦車、装甲車、各種火砲、対空ミサイル、偵察用無人機などが配備されている。さらに近年ロシアは、北方領土所在部隊の施設整備を進めているほか、海軍所属の沿岸(地対艦)ミサイルや航空宇宙軍所属の戦闘機などの新たな装備も配備し、大規模な演習も実施するなど、わが国固有の領土である北方領土において、不法占拠のもと、軍の活動をより活発化させている。(令和4年版「防衛白書」より)
2 北方領土問題の経緯
北方四島は、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土。
1855年、日魯通好条約で、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境を平和的・友好的に確認(前頁図参照)
1945年8月9日、ソ連は当時有効であった中立条約(1941年4月25日発効、1946年4月24日まで5年間有効)を無視して対日参戦。
⇒ ソ連軍は8月18日より千島列島への攻撃を開始し、9月5日までに北方領土を占領。
1951年サンフランシスコ平和条約において、日本は千島列島を放棄。
⇒ 「千島列島」に北方四島は含まれない。 ソ連は同条約に署名せず。
日ソ交渉で領土問題が最終決着しなかったため、1956年の日ソ共同宣言に「(1)平和条約締結交渉の継続、(2)平和条約締結後に歯舞・色丹が引き渡されること」を規定。
3 日本側の立場と露側の主張
<基本方針>
北方四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結する。
<露側の主張とそれに対する反論>
露:56年日ソ共同宣言には、
(1)平和条約締結後に歯舞・色丹を引き渡すと記されており、それ以上の領土問題はない。
(2)歯舞・色丹がどのような条件で引き渡され、どの国の主権の下に置かれるかは未定。
⇒ 日:二島のみの引渡しで決着できたのであれば、56年当時平和条約が締結されていたはず。四島の帰属の問題の存在は、東京宣言(93年)、日露行動計画(03年)等の諸文書で確認。
露:第二次世界大戦の結果、四島はロシアの領土の一部となり、これは国際法によって確認。(ヤルタ協定はソ連への引渡しを規定。)
⇒ 日:平和条約締結交渉は継続しており、日露間で第二次世界大戦の結果は確定していない。ヤルタ協定は当事国でない日本を拘束せず。