日本の領土をめぐる情勢
日ソ・日露間の平和条約締結交渉
北方領土問題が発生してから今日に至るまで、政府がソ連/ロシア政府との間で行ってきた交渉の概要は以下のとおりです。
引き続き、政府としては、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針の下、ロシア側との間で粘り強く交渉を進めていきます。
~ソ連時代~
- 日ソ共同宣言(1956年)
歯舞群島及び色丹島を除いては、領土問題につき日ソ間で意見が一致する見通しが立たず。そこで、平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた日ソ共同宣言に署名した。
→平和条約締結交渉の継続に同意した。
→歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意した。 - 日ソ共同宣言後の日ソ交渉
(1)ソ連は、1960年、対日覚書を発出し、日ソ共同宣言で合意された歯舞群島及び色丹島の引渡しについて、日本領土からの全外国軍隊の撤退という全く新たな条件を課すことを一方的に声明した。これに対し、我が国は、対ソ覚書により、国際約束である日ソ共同宣言の内容を一方的に変更することはできない旨反論した。
(2)田中総理訪ソ(1973年)
日ソ共同声明において、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結することが、両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。」と明記された。
→ブレジネフ書記長は、北方四島の問題が戦後未解決の諸問題の中に含まれることを口頭で確認。
(3)それにもかかわらず、その後ソ連は長い間「領土問題は存在しない」との態度。 - ゴルバチョフ大統領の訪日(1991年4月)
日ソ共同声明において、ソ連側は、四島の名前を具体的に書き、領土画定の問題の存在を初めて文書で認めた。
~エリツィン大統領時代~
- エリツィン大統領の訪日まで
1991年8月、保守派によるクーデタ未遂事件が発生。12月ソ連邦は崩壊した。 - エリツィン大統領の訪日(1993年10月)
(1)東京宣言(第2項)において、
(イ)領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、
(ロ)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、
(ハ)領土問題を、1)歴史的・法的事実に立脚し、2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、3)法と正義の原則を基礎として解決する、との明確な交渉指針を示した。
(2)また、東京宣言は、日本とソ連との間の全ての条約その他の国際約束がロシアとの間で引き続き適用されることを確認した。
(エリツィン大統領は記者会見で、日露間で有効な国際約束に1956年の日ソ共同宣言も含まれると発言。) - クラスノヤルスク首脳会談(1997年11月)
「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす。」 - 川奈首脳会談(1998年4月)
川奈合意
「平和条約が、東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日露の友好協力に関する原則等を盛り込むものとなるべきこと。」 - 小渕総理の訪露(1998年11月)
モスクワ宣言において、
-東京宣言、クラスノヤルスク合意及び川奈合意を再確認。
-国境画定委員会及び共同経済活動委員会の設置を指示。
~プーチン大統領時代~
- プーチン大統領の訪日(2000年9月)
(1)「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」において、
-クラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続することを確認。
-これまでの全ての諸合意に立脚して、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を策定するため交渉を継続することを確認。
(2)プーチン大統領が「56年宣言は有効であると考える」と発言した。
(3)プーチン大統領は、川奈提案は、日本側の「勇気と熟慮の成果」であったとしながらも、「妥協についての我々の考え方と完全には一致していない」として拒否した。 - イルクーツク首脳会談(2001年3月)
イルクーツク声明において、
(1)56年日ソ共同宣言を交渉プロセスの出発点と位置付け、その法的有効性を文書で確認した。
(2)その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの日露共通の認識を再確認した。 - 小泉総理の訪露(2003年1月)
(1)共同声明において、両首脳の間で、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国関係を完全に正常化すべきとの「決意」を確認した。
(2)「日露行動計画」において、56年日ソ共同宣言、93年東京宣言、2001年イルクーツク声明の3文書が具体的に列挙され、その他の諸合意と併せ、今後の平和条約交渉の基礎とされた。 - 安倍総理の訪露(2013年4月)
(1) 共同声明において、戦後67年を経て日露間で平和条約が存在しないことは異常であるとの認識を共有し、双方の立場の隔たりを克服して、2003年の共同声明及び行動計画において解決すべきことが確認されたその問題(四島の帰属の問題)を最終的に解決することにより平和条約を締結するとの決意を表明した。
(2)平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を両国外務省に与えることで一致した。 - 安倍総理のソチ非公式訪問(2016年5月)
これまでの交渉の停滞を打破し、突破口を開くため、双方に受入れ可能な解決策の作成に向け、今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」で、交渉を精力的に進めていくとの認識を共有した。 - プーチン大統領の訪日(2016年12月)
プーチン大統領が訪日した際の山口における首脳会談では、両首脳二人だけで、長時間にわたり、 平和条約問題について率直かつ非常に突っ込んだ議論が行われた結果、この問題を解決するとの両首脳自身の真摯な決意が示された。
その上で、北方四島において特別な制度の下で共同経済活動を行うための協議の開始に合意するとともに、 元島民の方々による墓参等のための手続きを改善することで一致した。 - シンガポールでの首脳会談(2018年11月)
安倍総理とプーチン大統領は、2016年12月の首脳会談以降、新しいアプローチの下での協力の積み重ねにより培われた信頼の上に、 「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」ことで合意した。 - プーチン大統領の訪日(2019年6月)
安倍総理とプーチン大統領は、G20大阪サミットの機会に実施した首脳会談において、 2018年11月のシンガポールでの首脳会談以降に、交渉責任者と交渉担当者の間で頻繁に行われた交渉の経過や今後の展望を含め、率直に議論した。 - 日露首脳電話会談(2020年9月)
菅総理とプーチン大統領は、2018年11月のシンガポールでの首脳会談で安倍総理とプーチン大統領が「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」ことで合意したことを改めて確認した。 - 日露首脳電話会談(2021年10月)
岸田総理とプーチン大統領は、2018年のシンガポールでの合意を含め、これまでの両国間の諸合意を踏まえて、しっかりと平和条約交渉に取り組んでいくことを確認した。
「最近の日露関係」