世界貿易機関(WTO)
第10回:紛争解決手続を使わない問題解決!? WTO通常委員会改革
時に,芸能界などでの泥沼離婚裁判が話題になる。裁判に行く前に,夫婦間で普段からよく話し合っていれば,問題は裁判や調停などを必要とせず解決し,離婚に至らないかもしれない。実際に,テネシー大学の研究では,問題の解決を前提とした話し合いを普段から行っていることが,夫婦関係が長く続いている夫婦と離婚に至る夫婦の違いであるとの結果が出ている。WTOにおいては,夫婦の日常的な話し合いに近い場として通常委員会がある。連載の第8回で紹介した分野毎に加盟国が定期的に集まって,話し合いを行う委員会である。問題はこの話合いの場がうまく機能せず,裁判沙汰が頻発していることだ。
WTO通常委員会は,WTOのルールが守られているのか日々監視している(前回連載)。そして,加盟国の貿易上の懸念を,紛争解決手続(第2回)を使わずに解決するための議論の場でもある。具体的には,ある国が他の国の措置に対して懸念がある場合,その措置を通常委員会で取り上げ,是正を申し入れることが可能だ。例えば,2010年1月に米国運輸省は,リチウムイオン電池の航空機での輸送を制限する案を公表した。リチウムイオン電池の異常発火事故への対策であった。これは輸送コストを大幅に高める規制案であったため,日本を含む各国は強く反対し,通常委員会で米国に懸念を表明した。二国間会合や民間ルートでも米国政府への働きかけを行った結果,2013年に,米国は国際規格に整合した新ルールを導入する方針を決定した。これにより各国の懸念の大半は回避された。
しかし,近年は,加盟国の増加,そしてこれに伴い扱う案件が大幅に増えたことにより,通常委員会の活動が停滞している。例えば,ワインボトルの表示をめぐり,EUが米国産ワインに対し,「シャトー」や「ビンテージ」といった表示を認めていないことを米国が問題視しており,WTOの「貿易の技術的障害に関する委員会」で取り上げている。しかし,案件の数が大きく増えたことによりこの問題を議論する十分な時間がなく,20年以上もの間,解決の見通しが立っていない。

こうした状況を打開しようと,通常委員会の作業方法の効率化を目指して,複数の加盟国から様々なアイデアが出されていれる。その一例は,EUが提案する貿易上の懸念を解決するための手続きを定めるガイドライン作りだ。具体的には,委員会で取り上げる貿易上の懸念の早期登録,文書での質問や回答の徹底,事務局のデータベースの作成などである。また,通常委員会の会合で何度も議論されているのに解決されない場合は,議長や事務局が乗り出して解決を促すことも提案されている。なんだ当たり前のことばかりではないか,ということなかれ。当たり前のことが守られていないのだから。これらによって問題解決に向けた実務的な手続が迅速化・効率化されることが期待される。
一方,米国は,各国の政治的意思を重視しており,通常委員会の改革には,ガイドラインの整備といった小手先ではダメで,通常委員会での日々の議論を内実あるものとしなければ意味がない,仏作って魂入れずでは困るという考えである。
確かに良好な夫婦関係の維持においても,夫婦間のルールを決めておくことが重要であるという考え方と,話し合おうとする姿勢こそが重要であるという考え方がある。ただし,夫婦と異なり,多くのステークホルダーが存在するWTOにおいては,どちらのアプローチを優先するのかの方針決定は容易ではない。課題山積の自由貿易体制の中にあって,紛争を未然に防ぐ仕組みを担保していくのも静かだが重要なWTO改革の一面である。
今回はWTOの通常委員会の日々の運営の改善という内なる課題について触れたが,今世界が注力しているのは,新型コロナウイルス感染症という外的衝撃への対応である。次回は,国際貿易を窒息させないためのWTOの目下の取組を紹介する。(4月中旬掲載予定)。