1-2 基礎的生活を支える人間中心の開発を推進するための支援
日本は、人間の生存・生活・尊厳に対する広範かつ深刻な脅威から人々を守り、人々の豊かな可能性を実現するという「人間の安全保障」の考え方を、国際社会の中でこれまで積極的に提唱してきました。このような「人間の安全保障」なくして、質の高い成長は実現され得ません。こうした人間中心の視点から、基礎的生活を支える保健・水・教育・文化などを紹介しています。
(1)保健医療、人口
開発途上国に住む人々の多くは、先進国であれば日常的に受けられる基礎的な保健医療サービスを受けることができません。現在、衛生環境などが整備されていないため、感染症や栄養不足、下痢などにより、年間660万人以上の5歳未満の子どもが命を落としています。(注24)また、産婦人科医や助産師など専門技能を持つ者による緊急産科医療が受けられないなどの理由により、年間28万人以上の妊産婦が命を落としています。(注25)さらに、貧しい国では、高い人口増加率により一層の貧困や失業、飢餓、教育の遅れ、環境悪化などに苦しめられています。
このような問題を解決する観点から2000年以降、国際社会は、ミレニアム開発目標(MDGs)の保健関連の目標(目標4:乳幼児死亡率の削減、目標5:妊産婦の健康改善、目標6:HIV/エイズ、マラリア、その他疾病の蔓延(まんえん)の防止)の達成に一丸となって取り組んできましたが、MDGsの達成期限(2015年)を迎え、低所得国を中心に進捗(しんちょく)が遅れ、目標は未達成に終わりました。また、指標が改善している国であっても、貧しい世帯は依然として医療費を支払えないため医療サービスを受けることができない状況にあり、国内の健康格差も課題として浮かび上がってきています。
MDGsの後継として新たに17の目標と169のターゲットから成る持続可能な開発目標(SDGs)(注26)では、目標3で「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」と設定されました。加えて近年では、栄養過多を含む栄養不良、糖尿病やがんなどの非感染性疾患、人口の高齢化などへの対処が新たな保健課題となっています。
このように、世界の国や地域によって多様化する健康課題に応じて、すべての人が基礎的な保健医療サービスを、必要なときに経済的な不安なく受けられる「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)(注27)」*の達成が重要となっています。
< 日本の取組 >
●保健医療
日本は従来、人間の安全保障に結びつく保健医療分野での取組を重視し、保健システム*の強化などに関する国際社会の議論をリードしてきました。2000年のG8九州・沖縄サミットにてサミット史上初めて、感染症を主要議題の一つとして取り上げ、これがきっかけとなって2002年には「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)」が設立されました。
2008年7月のG8北海道洞爺湖サミットでは、保健システムを強化することの重要性を訴え、G8としての合意をまとめた「国際保健に関する洞爺湖行動指針」を発表しました。また、2010年6月のG8ムスコカ・サミット(カナダ)では、母子保健に対する支援を強化するムスコカ・イニシアティブが立ち上げられ、日本は2011年から5年間で最大500億円規模、約5億ドル相当の支援を追加的に行うことを発表しました。
2010年9月のMDGs国連首脳会合では、日本は「国際保健政策2011-2015」を発表し、保健関連のMDGs達成に貢献するために、2011年から5年間で50億ドル(グローバルファンドへの当面最大8億ドルの拠出を含む)の支援を行うことを表明しました。「国際保健政策 2011-2015」では、①母子保健、②三大感染症*(HIV/エイズ・結核・マラリア)、③新型インフルエンザやポリオを含む公衆衛生上の緊急事態への対応を3本柱としました。また、日本は2013年5月に「国際保健外交戦略」を策定し、世界が直面する保健課題の解決を日本の外交の重要課題に位置付け、世界の健康改善に向けて官民が一体となって取り組む方針を策定しました。同年6月に開催された第5回アフリカ開発会議(TICAD(ティカッド) V)では、安倍総理大臣が開会式のオープニング・スピーチにおいて、この戦略を発表し、人間の安全保障を実現する上ですべての人々の健康の増進が不可欠であるとして、すべての人が基礎的保健医療サービスを受けられること、「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」の推進に貢献する決意を述べました。また、5年間で保健分野において500億円の支援、および12万人の人材育成を実施することを表明しました(「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの推進・感染症対策」について、詳細はこちらを参照)。
2015年2月の「開発協力大綱」の策定を受け、9月には、日本政府は、保健分野の課題別政策として「平和と健康のための基本方針」を定めました。この方針は、今後、我が国として日本の知見、技術、医療機器、サービス等を活用しつつ、①エボラ出血熱など公衆衛生危機への対応体制の構築、②すべての人への生涯を通じた基礎的保健サービスの提供を目指していくことを示したものです。これらの取組は、国連の新しい目標である「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に特定された保健分野の課題を追求していく上でも重要なものです。さらに、日本政府は、2015年9月「国際的に脅威となる感染症対策の強化に関する基本方針」を定め、国際的に脅威となる感染症対策の強化について、今後5年程度を目途として、基本的な方向性、重点的に強化すべき事項等を示しました。
安倍総理大臣は、同年9月の第70回国連総会の機会をとらえ、日本政府がグローバルファンド等と共催したサイドイベント「UHCへの道筋」において、前述の基本方針に基づき、エボラ出血熱蔓延(まんえん)のような公衆衛生危機に対する国際社会の対応能力の強化、および多様な保健課題に対応するために各国でUHCを実現することが重要であることを述べました。また、安倍総理大臣は、同年12月外務省等が共催して開催した国際会議「新たな開発目標の時代とユニバーサル・ヘルス・カバレッジ:強靱(きょうじん)で持続可能な保健システムの構築を目指して」(注28)の冒頭セッションでG7伊勢志摩サミットおよびTICAD VIを通じて、公衆衛生危機への対応およびUHCを推進し、保健システムの強化に積極的に貢献していくことを表明しました。

2015年9月29日、第70回国連総会のサイドイベントとして開催された「UHCへの道筋」で発言する安倍晋三総理大臣(写真:内閣広報室)
日本は、50年以上にわたり国民皆保険制度等を通じて、世界一の健康長寿社会を実現した実績を有しています。新しい方針の下、二国間援助のより効果的な実施、国際機関等が行う取組との戦略的な連携の強化、国内の体制強化と人材育成などに、今後も取り組んでいきます。
ほかにも、2014年10月、厚生労働省は、ASEAN10か国の社会福祉、保健衛生政策を担当する行政官等を招き、第12回ASEAN・日本社会保障ハイレベル会合を開催しました。同会合では、「高齢化する社会に対応するしなやかなコミュニティを育む」をテーマとし、高齢化とコミュニティの関係に着目し、地域の中の医療保健福祉システムの充実や高齢者の住みやすい街づくりについて議論し、今後のASEAN地域の高齢化施策の強化および国際協力について議論を行いました。
- *ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)
- すべての人が基礎的な保健医療サービスを必要なときに負担可能な費用で受けられること(詳細は、こちらを参照)。
- *保健システム
- 行政・制度の整備、医療施設の改善、医薬品供給の適正化、正確な保健情報の把握と有効活用、財政管理と財源の確保とともに、これらの過程を動かす人材やサービスを提供する人材の育成・管理を含めた仕組みのこと。
- *三大感染症
- HIV/エイズ、結核、マラリアを指す。これらによる世界での死者数は現在も年間約360万人に及ぶ。これらの感染症の蔓延は、社会や経済に与える影響が大きく、国家の開発を阻害する要因ともなるため、人間の安全保障における深刻な脅威であり、国際社会が一致して取り組むべき地球規模課題と位置付けられる(感染症について詳細は、こちらを参照)。
- 注24 : (出典)UN“The Millennium Development Goals Report 2014”
- 注25 : (出典)WHO, UNICEF, UNFPA, and the World Bank“Trends in Maternal Mortality:1990 to 2010”
- 注26 : 持続可能な開発目標 SDGs:Sustainable Development Goals
- 注27 : ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ UHC:Universal Health Coverage
- 注28 : 「新たな開発目標の時代とユニバーサル・ヘルス・カバレッジ:強靱で持続可能な保健システムの構築を目指して」は、外務省、(公益財団法人)日本国際交流センター、財務省、厚生労働省、JICAが共催し、2015年12月16日、東京都内で開催された。各国の政府関係者、国際機関の代表、民間の専門家等、約300名の参加を得て議論がなされた。
●グアテマラ
ケツァルテナンゴ県、トトニカパン県、ソロラ県母とこどもの健康プロジェクト
技術協力(2011年3月~2015年3月)

機材使用に関する研修(ケツァルテナンゴ県コアテペケ病院)(写真:JICA)
グアテマラは中米諸国の中で保健指標の改善が遅れており、妊産婦・乳幼児の死亡率が周辺国よりも高く、特に先住民族が多く居住する西部地域ではその傾向が顕著です。2010年には、出生数10万に対し妊産婦の死亡が120、出生数1,000に対して乳幼児の死亡が15~32(新生児~5歳未満児)に上りました。これらの原因として、出産の多くが正規の医療訓練を受けていない伝統的助産師による分娩(ぶんべん)介助に頼るものであること、都市部以外で住民が診療を受けられる医療施設が保健省管轄の地域保健センターに限られ、その質が劣悪であることなどが挙げられています。
日本はグアテマラ政府の要請に基づき、2005年からケツァルテナンゴ県内6市を対象に「こどもの健康プロジェクト」を行い母子保健サービスの質の改善を支援してきました。そして、2011年からはケツァルテナンゴ県に加え、トトニカパン県、ソロラ県の西部地域3県を対象に「ケツァルテナンゴ県、トトニカパン県、ソロラ県母とこどもの健康プロジェクト」を実施し、医療施設で妊産婦・乳幼児ケアを実施する医療従事者の能力向上、保健省および地域保健事務所の管理能力強化、地域住民への妊産婦と乳幼児の健康改善のための知識の普及に取り組みました。医療従事者を対象とした妊婦健診や栄養管理、低出生体重児など6つのテーマを含む研修後は、保健センター待合室にビデオ教材(分娩の取扱い、妊婦栄養、新生児の取扱い、乳幼児の栄養)が配布されるなどフォローアップも徹底され、質の高いサービスを提供するための能力強化が図られました。地域住民に対しては、女性たちを集めて母親教室を開き、乳幼児や妊産婦の危険な兆候とその対処法をゲーム形式で学ぶ機会を設けるなど、保守的な風土の中で抵抗の少ないやり方で知識の普及を行うことに成功しました。
これらの努力により、女性たちの妊娠・出産に対する知識が深まり、家族計画の立て方や妊娠中の注意、乳幼児の栄養などに対する関心も高まりました。あわせて必要医療機材の提供と、医療施設での母親とその子どものデータを管理するデータの収集・分析能力の強化への試みなどが功を奏し、母親・医療関係者・助産師の間に社会的な連携が進み、2010年と比較して2013年には各県で妊産婦死亡率が24~34%減少しました。
日本の専門家たちとグアテマラの医療従事者たち、そして母親たちの取組と連携が、母と子のいのちを守るための効果を発揮しています。
●マラウイ
子どもに優しい地域保健プロジェクト
草の根技術協力(草の根パートナー型)(2013年5月~実施中)

保育器の発送準備をするISAPH山崎氏(写真:ISAPH)
マラウイ北部のムジンバ県を中心とする地域では、子どもたちが様々なタイプの栄養障害を起こしており、その背景には食習慣に起因する食物摂取量の不足や栄養バランス不良といった問題があることが分かってきました。この地域の市場には多様な種類の食物が豊富に流通している一方で、適切な離乳食や子どもの栄養バランスについての知識を母親たちが十分に持ち合わせていなかったのです。また、そのような栄養障害が寄生虫症や下痢などを助長する要因の一つにもなっていました。
そこで、福岡県久留米市にある聖マリア病院を母体とするNPO法人ISAPH(International Support and Partnership for Health)が、JICAの草の根パートナー型支援※に参加し、幼児の栄養摂取の向上、栄養摂取の障害となる疾病の予防、その疾病に対するプライマリメディカルケア(初期的治療)の3つを主軸とするムジンバ県住民への健康教育とムジンバ県保健当局の保健要員の能力強化に乗り出しました。ISAPHはこの地域において村人の健康増進を支援する活動をしてきましたが、地域住民等への教育を通じた乳幼児の栄養状態改善をより積極的に進めることとなったのです。
ISAPHは、ムジンバ県の村々を回り、母親たちによる乳児への授乳頻度が低いことや、消化器官が発達していない生後6か月未満の乳児に対して栄養価のバランスがとれた適切な離乳食が与えられていないことなどの問題点を把握しました。その上で地域の母親グループを立ち上げて、バランスのとれた離乳食の作り方を教えるとともにその普及を図り、また、子どもの疾病予防、疾病にかかったときの通院治療の必要性といった知識普及を住民に根付かせてきています。
マラウイの子どもの健康改善のために、家庭はもちろん地域住民、行政が栄養や疾病に対する認識を高め、統合的に問題に対応するアプローチが日本のNGOの支援で始まっているのです。(2015年8月時点)
※ JICAの草の根パートナー型支援についてはこちらを参照

パナマ中部べラグアス県の保健省県事務所に配属され、県内の山間部の保健センターを定期的に訪問し、周辺住民、特に幼児の栄養状況を調査し、栄養改善に向けて必要な指導を行う前寺未緒青年海外協力隊員(栄養士)(写真:マクシモ・ノバス)