外務省外交史料館 企画展示
外交史料館には,外交史料に関するご質問が国内外から数多く寄せられます。その対象時期は幕末期から現在におよび,内容も政治・外交,経済,文化交流と多岐にわたります。
当館では平成15年以降,これらのご質問のなかから,多くの方々が関心を有しているのではないかと思われるものを選び,回答とともに「外交史料Q&A」として,ホームページに掲載してきました。
今回の企画展示では,過去10年間の「外交史料Q&A」から12問を選び,関連史料を展示して,日本外交における様々な興味深い出来事をご紹介します。この展示を通じて,日本外交への関心を深め,新たな発見をして,外交史料の面白さに触れてみて下さい。また,外交史料館の活動の一端をあわせご紹介し,今後一層外交史料館を利用いただくための参考となれば幸いです。
Q1. 日本国内に米国の領事館が最初に開設された年月日と場所を教えてください。
1863年(文久3年9月) 麻布・善福寺間取り図
1859年以降,麻布山の善福寺が米国公使館として使用されました。1863年5月(文久3年4月),公使館として使用されていた建物が火災で焼失したため,以後,本堂を間仕切りし,公使の仮住居としました。本史料は,法会を執行するために,寺側が公使部屋等の使用許可を求め,提出した文書の付属絵図です。青色の部分は公使等が使用していた部屋です。
Q3. 日本の「大使館」が最初に設置されたのは,いつ,どこの国ですか。
1905(明治38)年12月2日 林董(はやし・ただす)を特命全権大使に任じた辞令書
在英国日本公使館の大使館昇格に伴い,在英国林董公使に交付された辞令書です。
Q4. 明治末期,当時の東京市からワシントンに桜が寄贈されたそうですが,その経緯を示す記録はありますか。
1912(明治45)年6月12日 桜寄贈事業の無事終了を伝える書簡【複製を展示】
尾崎行雄(おざき・ゆきお)東京市長から内田康哉(うちだ・やすや)外務大臣宛の書簡です。1912年2月に東京市から3000本の桜の苗木を再度寄贈し,東京市による桜寄贈事業は「満足ナル終結ヲ見」たと記されています。
Q10. 赴任国の米国で死去した,斎藤博大使について教えてください。
1939(昭和14)年 「故斎藤大使葬儀ニ関スル写真帖」より
Q11. 太平洋戦争勃発直前に行われた日米交渉の際,「マリ子」という合言葉が使われたのは本当ですか。
1941(昭和16)年10月13日 日米交渉時の電話連絡に使用された合言葉
豊田貞次郎(とよだ・ていじろう)外務大臣から在米国野村吉三郎(のむら・きちさぶろう)大使宛の電報です。寺崎太郎(てらさき・たろう)アメリカ局長と若杉要(わかすぎ・かなめ)公使との電話で使用する合言葉を事前に伝えました。例えば「マリ子が遊びに来ない」と言えば,それは「日本軍の駐兵問題に関する米国の態度はリーズナブルではない」ことを意味するとされました。