2008年7月
Добър ден.(ドバル デン)=こんにちは!
学生時代に数多くの国を旅し、国際関係の仕事についてヨーロッパに駐在したいと思っていた荻野さん。たまたま外務省のパンフレットを手にし、そこに書かれていた充実した在外研修制度に魅力を感じて試験を受けることに。
「ヨーロッパ言語の中で、日本人の専門家が少ない言語を勉強したかったので、ポーランド語、チェコ語、ギリシャ語、ブルガリア語の順に希望したのですが、実際研修言語がブルガリア語に決まった時は、ブルガリアについてヨーグルト以外のことは知りませんでした。」
ブルガリア語はキリル文字を使用する点と、他のスラブ言語に比べて格変化がほとんどない点が気に入ったそうですが、キリル文字は日本人には馴染みがないし、読み方が難しいですよね?
「東南アジアや中東で使用する文字に比べたら、むしろ抵抗がなかったんです。英語との切り替えもしやすい。ただ、pを「ル」と読むのと、定冠詞が単語の後ろに付くのには、なかなか慣れませんでした。日本語で書かれた教材が少ないことでも苦労しました。」
荻野さんはソフィア大学で、1年目は外国人留学生向けブルガリア語講座を受講、2年目は国際関係学部の聴講生として1年生とともに学びました。学部では、他の学生との間に年齢のギャップを感じることもしばしばだったとか。
「何しろ彼らは十代ですから、泊まりがけの行事で枕投げをしたりするわけです(苦笑)。」
枕投げ・・・ブルガリアの人たちもやるんですね。
ブルガリアの魅力は豊かな自然と大らかな人々、と語る荻野さん。
「第一次ブルガリア帝国の首都だったプリスカという町を旅行したときです。民家の庭の木に、ちょうど食べ頃のサクランボがたくさん実っていて、美味しそうだなと思って眺めていたら、家の人が梯子を持って出てきて、『この梯子を使って好きなだけ採っていきなさい』と言うんです。また、お手洗いを借りるために民家を訪ねた時にはスープやサラダまで出して頂いたり。見ず知らずの人に対して本当に親切なんですよ。」
黒海を臨むカリアクラ岬で。
「黒海沿岸はビーチリゾートもいいですが、こういう静かな場所もお勧めです。」
ブルガリアはローズオイルの産地としても有名です。「バラの谷」と呼ばれる地域では、収穫の時期に各都市でバラ祭りが開催されます(写真左はカザンラク、写真右はカルロヴォのバラ祭り)。
2年間の語学研修が終わり、在ブルガリア日本大使館勤務が始まって間もなく、大使の新閣僚表敬などで次々に通訳の機会が巡ってきました。そして、荻野さんは、日本の国会議員団がブルガリアの新首相を表敬する際の通訳を務めることに。
「いきなりの首相通訳だったのでとても緊張しました。表敬終了後、幼少時にブルガリア最後の国王でもあった首相に呼び止められ、『ブルガリア語はどこで勉強したの?』と聞かれたときは嬉しかったです。」
その新首相とは、サクスコブルク首相(2005年まで在任)。1943年、父親ボリスIII世の急死により6歳でブルガリア国王(シメオンII世)になりましたが、共産主義政権が成立すると王政廃止が決まり、1946年、トルコを経由してエジプトに逃れました。当時、シメオンII世は9歳の少年でした。最後の国王が選挙を経て首相に就任する。そんな例は他に聞いたことがありません。
「幼いときに祖国を追われ、外国語を使うことを余儀なくされたサクスコブルク首相は、人一倍母国語に対する思いが強く、また外国語を習得する大変さも身に染みていたのではないでしょうか。」
ブルガリア中南部のスタラ・ザゴラで。草の根文化無償による供与機材の引渡式に、大使とともに出席。
2008年大相撲夏場所、ブルガリア出身の大関・琴欧洲が初優勝を飾りました。
「ブルガリアでは日本文化への関心が高く、柔道、合気道、空手などを子どもの頃から習う人もたくさんいます。相撲は最近まであまり知られていませんでしたが、1995年にブルガリア相撲連盟が設立され、相撲の紹介、普及活動を行うようになってから、関心が高まってきました。(執筆:琴欧洲関「ブルガリアと日本をつなぐ土俵の輪」外交青書2006より抜粋)」
荻野さんが在ブルガリア日本大使館で文化担当官として勤務していた2002年、首都ソフィアで第8回ブルガリア相撲選手権大会が開催されました。男子115キロ超級で優勝した青年に荻野さんはプレゼンテーターとして金メダルを授与します。彼の名はカロヤン・マフリャノフ。現在の琴欧洲関です。
第8回ブルガリア相撲選手権大会の表彰式。後列の一番左がカロヤン・マフリャノフ(現在の琴欧洲関)。
「恐らく私は琴欧洲関を最も古くから知る日本人の一人ですよ。」とニッコリする荻野さん。
琴欧洲関の初優勝を、まるで自分のことのように喜んでいます。
大使館の仕事はずいぶん充実していたようですね。
「主に広報・文化を担当しましたが、自分がプロデュースした日本文化紹介行事にたくさんの観客が来場し、喜んでもらえたときは、大変やりがいを感じました。ブルガリアを訪問した日本画家、バイオリニスト、落語家、和菓子職人など、普段はお近づきになれない職業の方々と、親しく接することができたことも貴重な経験になりました。」
ブルガリアは2007年1月にEUに加盟したばかりですね。
「2007年1月、麻生外務大臣(当時)のブルガリア訪問に同行したんです。EUに加盟して間もないブルガリアの雰囲気を肌で感じるとともに、新たな局面を迎える日・ブルガリア関係についてハイレベルで話し合う現場に居合わせることができ、ブルガリア語専門家冥利に尽きました。EU加盟に伴い、ブルガリアへの青年海外協力隊の派遣は終わってしまうんですが、中・東欧4か国(ブルガリア・ハンガリー・ポーランド・ルーマニア)に日本文化発信のためのボランティアを派遣して、日本語教育や伝統文化、ポップカルチャーを広く発信していく事業が始まります。また、2009年は日本・ブルガリア外交関係再開50周年にあたり、「日本・ドナウ交流年2009」としても、各種記念行事を行う予定です。」
初めはヨーグルト以外のことは知らなかった荻野さんですが、今ではブルガリアについて語らせたら止まりません。これからも専門家として日・ブルガリア関係の更なる発展に貢献して下さい。
(左)ブルガリア=ヨーグルト=山のイメージですが、黒海沿岸の世界遺産都市ネセバルの市場では、魚のフライが並んでいます。
(右)黒海沿岸の町ソゾポル。「落ち着いたビーチリゾートで、何度も行きました。」
Наздраве!(ナズドラヴェ!)
文字通り訳せば「健康のために」という意味ですが、「乾杯」という意味で使われます。ワインやラキヤ(ぶどうなどから作る蒸留酒)が美味しいブルガリアでは、「こんにちは」と同じくらい重要な単語です。この単語は、くしゃみをした人に対し、「お大事に」という意味でも使える便利なものです。ブルガリアでは、誰かがくしゃみをしたら、そばにいる人が必ず「ナズドラヴェ」と言ってくれます。日本に帰国した時、くしゃみをしても、周りの誰も「ナズドラヴェ」と言ってくれないのが淋しく感じたものです。
ちなみに、「здраве」(ズドラヴェ)は「健康」という意味で、「こんにちは」を、「Добър ден.」の代わりに、「Здравей.」(ズドラヴェイ)(親しい人に対して)Здравейте.(ズドラヴェイテ)(目上の人に対して)と言うこともできます。
★ブルガリア語を主要言語とする国: ブルガリア共和国