2008年9月
Hej!(ヘイ)=こんにちは!
高度な福祉制度や科学技術、男女共同参画などで知られるスウェーデン王国。北ヨーロッパに位置し、豊かな大自然の美しさを感じさせる国として有名です。
中村さんが学んだスウェーデン語は、明るい響きと歌うようなメロディーが特徴です。「文法は英語やドイツ語ができればそれほど苦労はしない。」とは中村さんの見解ですが、果たして…?
そもそも中村さんとスウェーデン語との出会いは、大学時代から。「大学でスウェーデン語を専攻したのは、珍しい言葉を学ぶのもいいなと思ったのと、当時日本で高齢化が叫ばれる中、『実験国家』とも言われるスウェーデンの先進性に興味があったからです。」
大学入学後から少人数クラスで語学漬けの毎日。今でこそ、インターネットが普及し外国語にも触れやすい時代ですが、当時日本ではテキストや辞書もなかなか手に入りにくかったといいます。それでも大学修学中に1年間休学、デンマークとスウェーデンへの留学も経験、語学力に磨きをかけていきました。
大学を卒業後、一般企業に就職した中村さん。しかし入社してしばらく経つと、次第に当初抱いていた希望とのズレを感じ始めます。
「その会社に入ったのは、将来的に自分の学んだ語学を生かした仕事ができるという前提があってのことでした。しかし、時はいわゆるバブル期のあと。海外事業がどんどん縮小されはじめ、このままここにいて後悔することにならないか、と思い始めました。」
そんな時、たまたま入った書店で目にした本から、外務省の専門職員の仕事があり、スウェーデン語の専門家が必要とされていることを知ります。ここなら、自分の学んだことが存分に生きるのではないかと、外務省採用試験を受ける決心をしました。
そして、就職した会社は1年で退職、半年後の外務省専門職採用試験を受験、見事合格しました。外務省入省後の専門言語は、もちろん大学から学んだスウェーデン語を希望。スウェーデン語のポストは3年に1度しか空きがありませんが、中村さんが入省した年は、運良く採用の年にあたり、第一志望がかないました。
外務省に入省して1年間本省研修を受け、いざスウェーデンへ。ここで初めて大きなプレッシャーがのしかかります。それは研修の一環として現地の大学に入るために、スウェーデン語の試験をパスしなければならないということ。試験は半年に一度しか行われず、これに合格しないと大学での勉強が許可されません。
「文法はともかくスピーキングなどの実践面が不安でした…。もともとこの試験はスウェーデンに長年在住している外国人を対象としたもので、難易度も年々上がっており、一度での合格は困難と言われていました。でも、ここで受からないと何のために来たのかわからなくなると思って、とにかく必死で勉強しました。」
努力のかいあって無事に合格、大学での学生生活が始まります。スウェーデンでは単位制で学期毎に大学を変えられるので、中村さんも最初の1年は、中世からの歴史ある学園都市にあるウプサラ大学で紛争予防学などを学び、さらにその後、首都に移りストックホルム大学で政治学を学びました。
研修が終わり、スウェーデン大使館に着任。
日常は政務、領事、儀典と様々な業務を担当する傍ら、合間に要人通訳としての仕事もこなし、これまで学んだスウェーデン語をフルに活用します。
「スウェーデン人の多くは英語を流暢に話しますが、現地のテレビニュースはもちろん、新聞すら英語版はありません。また、英語が苦手なスウェーデン人も結構いて、そんな時に彼らの母国語での会話は喜ばれましたし、気安く感じるのか、英語では言わなかった本音(?)をこっそり漏らしてくれることもありました。」
スウェーデンには、高度な福祉・年金制度や地方分権等の行政を学ぶ目的で来る方が多いため、専門用語だらけの通訳は毎回大変だったとか。「当時の厚生大臣がいらっしゃったときも、スウェーデンの年金制度だけでなく、日本の制度の勉強と、それらの専門用語を覚えて双方向に通訳をするのが大変でしたね。記憶に残る中で一番難しかったのは、日本の最高裁判事とスウェーデン最高裁判所長官との間の通訳でした。司法制度に関する意見交換でしたが、法律用語や条文などが絶え間なく出てくる上に、緻密で正確な通訳が要求されるため、数時間に及ぶ会談が終わった後は、精魂尽き果てるという感じでした。」
この時の勉強方法といえば、前々日くらいから徹底的に頭にたたき込む方式、いわゆる丸暗記です。
「しかし、そういう時はふつうでは考えられないくらい集中力があり、不思議とスルスルと頭に入っていくんですよね。今、同じことをやれと言われてもできるかどうか…(笑)。」
児童文学が大好きという中村さん。
なかでもスウェーデンの児童文学は、大人が読んでも内容深いものが多く、読み応えがあるそうです。
「ムーミンの作者であるトーヴェ・ヤンソンはフィンランド人なのですが、スウェーデン語を母語とする地方の出身なので、ムーミンのオリジナルは実はスウェーデン語で書かれているんです。ムーミンが子供の頃から大好きだった私にとって、そのオリジナルを翻訳なしで読めるのは、いちばんうれしいことだったかも。(笑)」
福祉国家とよばれるスウェーデン。スウェーデンを訪問する誰もが「街中に車いすの人が多い!」と驚くそうです。これは、障害者でも自由に街を散策できる環境が整っていることの現れ。障害者であろうとなかろうと、自分のことは自分でする、個人として自立することが大事という考えからです。中村さんもこの考えに共鳴、今でも人生の指針ともなっているそうです。男女や障害の差別の垣根が低いスウェーデンは、まさに「福祉国家」の象徴なのかもしれませんね。
もう一つ驚いたことが「王族が、街中をふつうに歩いている」こと(!)。平等精神の強いスウェーデンでは、どんなに地位の高い人でも特別扱いを良しとしない風土があるそうです。王族や閣僚も街中を自由に買い物し、行きかう人々と気軽に言葉を交わします。
ヴィクトリア皇太子殿下が日本をご訪問された時も、随行していた中村さんがお付の人とスウェーデン語を話しているのを耳にし、「どうしてスウェーデン語が話せるの?」と目を丸くして尋ねてこられたそうです。「研修のことや大使館時代のことなど、ひとしきりお話しすることができて、とても光栄でした。これまでの苦労が一気に報われました(笑)一生涯の思い出です。」
好きなスウェーデン語:Det ordnar sig!(デ オードナシェイ):何とかなるよ!