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特集 東日本大震災から10年を迎えて

東日本大震災から10年を迎えて

10年前の2011年3月11日、日本は未曽有の災害に見舞われた。東日本大震災では、地震や津波により2万人以上の犠牲者が発生し、東京電力福島第一原子力発電所(以下「東京電力福島第一原発」という。)の事故処理は現在も続いている。

震災の発生直後から、日本は世界各地から数えきれないほどの支援と励ましをいただいた。多くの国や地域から支援物資や義援金が寄せられただけではなく、行方不明者の捜索や被災者の支援のために世界中の人々が被災地に駆けつけ、多くの日本人が世界各国・地域との強い「絆(きずな)」を感じた。

震災から10年が過ぎ、まだ避難生活を送る住民の方々がおり、復興に向けた課題は残っている。しかし、復興に向けた支援を通じ、被災地は着実に前に進んでおり、世界との結び付きがこれまで以上に強くなっている。

例えば、東京電力福島第一原発事故後に55か国・地域が導入した日本産食品に対する輸入規制は、2021年末までに41か国・地域において撤廃され、福島県の農林水産物の輸出量は、2017年に震災前の水準を回復して以来、3年連続で過去最多を更新している(日本産食品に対する各国の輸入規制状況詳細は244ページ 第3章3節4(3)参照)。震災後10年を経てもなお日本産食品の輸入を規制する国や地域があることは大変残念であり、外務省は、こうした国や地域に対して、科学的根拠に基づく早期の規制撤廃を働きかけるとともに、農林水産物の輸出拡大に向けて取り組んでいる。

また、水素エネルギーや再生可能エネルギーの研究開発拠点である福島水素エネルギー研究フィールドを始めとして、福島県における国際的な知的交流やビジネスの拠点、そしてイノベーションの源泉となるべき拠点の整備も進んでいる。

さらに、日本は、東日本大震災を通じて得た教訓をいかし、震災前から重視してきた防災に関する国際協力をこの10年の間に一層強化してきた。2015年には仙台で第3回国連防災世界会議1を開催し、「より良い復興(Build back better)」という、国際社会が共通して取り組むべき考え方を提唱し、持続可能な開発目標(SDGs)に防災の視点を盛り込むことに貢献した。また、同年に「世界津波の日」を国連総会で決定することを主導し、国際的な防災教育の普及に向けて努力を続けている。近年、気候変動に伴う異常気象が頻発するなど、自然災害はより激しさを増しており、日本は、防災を通じた国際協力のより一層の強化に取り組んでいる。

以下では、震災から10年の節目を迎えた2021年に、外務省が行った様々な取組について紹介する。

1 外務大臣談話の発出と世界各国・地域における記念行事の開催

震災から10年の節目を迎えた3月11日、被災地の着実な復興の様子を伝えつつ、世界各国・地域に謝意を表明するため、外務大臣談話を発出した2。また、2021年は、震災直後から今日に至るまで温かい支援と励ましを寄せていただいた国や地域において、震災後10年の節目を捉えた記念行事を開催した(270271272ページ コラム参照)。

世界各地へ感謝と友情のメッセージを伝える記念行事
~まさかの時の友こそ真の友~

(1)在米国公館からの活動紹介

3月、全在米公館は一丸となって、東日本大震災からの復興・復旧に大きな支援をしてくれた米国に感謝を表明する一連の事業を行いました。

共通のキャッチフレーズは「Unshakable Friendship(揺るぎない友情)」。このキャッチフレーズは多くの共感を呼び、米国政府機関や著名団体、一般市民に広く使用されました。被災地の方々や大使館員が寄せた感謝のビデオメッセージは合計約200万回再生され、広く拡散されました(注1)。また10年の節目となる3月11日には、米紙ニューヨーク・タイムズの全面広告に米国の「トモダチ作戦」を始めとする支援への感謝メッセージを掲載しました。

さらに在米国日本大使館は、震災から10年の節目に改めて米国への感謝を示すため、地元アーティストと協力して桜のオブジェを制作し、同オブジェは、3月、毎年春に開催される全米桜祭りに合わせてワシントンDC市内に設置されました。同オブジェは展示終了後に日本と関わりの深い大学などに寄贈され、日本の感謝と日米友好のシンボルとして多くの市民に親しまれています。

一連の事業は、新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン中心となりましたが、困難な時期だからこそ、「まさかの時の友こそ真の友」を体現する日米の友情が多くの人の心に響きました。

共通キャッチフレーズのロゴ
共通キャッチフレーズのロゴ
米国への感謝の気持ちを表した大使館員によるSNS投稿(在米国日本国大使館インスタグラムより)
米国への感謝の気持ちを表した大使館員によるSNS投稿(在米国日本国大使館インスタグラムより)
津波の犠牲になったテイラー・アンダーソンさんの母校であるバージニア州ランドルフ・メイコン大学への「桜のオブジェ」寄贈式典に冨田駐米大使(写真左から2番目)らが出席している様子。テイラーさんは、宮城県石巻市の学校で指導助手をしていました。
津波の犠牲になったテイラー・アンダーソンさんの母校であるバージニア州ランドルフ・メイコン大学への「桜のオブジェ」寄贈式典に冨田駐米大使(写真左から2番目)らが出席している様子。テイラーさんは、宮城県石巻市の学校で指導助手をしていました。

(注1) 「Unshakable Friendship」の事業については以下参照
https://www.us.emb-japan.go.jp/jicc/events/unshakable-friendship.html

「Unshakable Friendship」QRコード


世界各地へ感謝と友情のメッセージを伝える記念行事
~まさかの時の友こそ真の友~

(2)在オーストラリア日本国大使館からの活動紹介

日本人であれば誰しもが鮮明に覚えているあの日から10年が経(た)ちました。震災後の日本は、世界の多くの国からの支援に恵まれました。中でもオーストラリアは、当時のギラード首相による震災直後の東北訪問に始まり、国防軍による食料や高圧放水ポンプの輸送、警察・消防・救急隊による捜索救助などに極めて迅速に従事してくれました。緊急支援だけではありません。震災で親御さんを亡くした中学生及び高校生をオーストラリアに招待して一般家庭にホームステイさせてくれる取組は2012年から始まり、毎年続きました(2022年3月現在、新型コロナの影響により、一時中断)。

4月、日本として感謝の念を伝えるため、在オーストラリア日本国大使館は、約200名の緊急支援に従事した救援隊やホストファミリーなどの復興支援関係者を大使公邸にお招きしました。ギラード元首相からいただいたビデオメッセージには、ご自身の目で見た被災地の方々の自制と強靱(じん)さが強調されていました。オーストラリアでホームステイした方々(参加当時は高校生)からは、震災後の数年間の記憶がないと淡々と述懐しながらホストファミリーへの感謝が丁重に述べられました。招待した方々には被災地の食材や東北の銘酒を召し上がっていただきました。オーストラリアでは現在、日本産食品の輸入規制措置は一切とられていません。震災直後、そしてその後の継続した支援は、両国の相互理解と信頼の成熟を物語っています。「私たちはオーストラリアが日本のためにしてくれたことを決して忘れません。」レセプションの冒頭挨拶で山上大使から繰り返しお伝えしました。

ギラード首相の南三陸町訪問(2011年4月)(写真提供:南三陸町)
ギラード首相の南三陸町訪問(2011年4月)
(写真提供:南三陸町)
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