チャレンジ41か国語 ~外務省の外国語専門家インタビュー~

チャレンジ41か国語~外務省の外国語専門家インタビュー~

2009年7月

タガログ語の専門家 松尾さん

Magandang hapon(マガンダン・ハーポン)=こんにちは!

 松尾さんは大学時代、ゼミの友人と一緒に、フィリピンのピナツボ火山噴火災害復興を行うNGO活動に参加しました。外務省入省試験の時に、面接官から海外経験を問われ、フィリピンの話をしたところ、なんとタガログ語の専門家に。第一希望だったわけではありませんが、「どうせ専門にするならマイナーな言語をきわめるのも悪くない。」と考えていたので、早速タガログ語に取り組みました。

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    フィリピン・ボラカイ島の子供達と一緒に

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    明るく人なつっこいフィリピンの子ども達

2年に1名のタガログ語専門家

 「外務省のタガログ語専門家は、当時、採用枠が2年間に1名だったので、省内で受講した語学研修はフィリピン人の先生とのマンツーマンで、会話中心にみっちり勉強することができました。タガログ語は文法が複雑なので、まずは文章をそのまま暗記するほうが早く上達します。文法としては、動詞の変化が特徴的です。文の中で、話題の中心が行為者(~が)、対象(~を)、場所(~で)等のどこに置かれているのかによって、動詞に加わる接辞や加わる場所が変わるのです。だから、文脈に応じて適切な動詞の接辞を使えるようになるまでに時間がかかります。」

【例】語根が”luto” 「料理する」の場合

  • magluto” 「~が料理する」 (mag-+luto)
  • lutuin”  「~を料理する」 (luto+-in)
  • paglutuan” 「~で料理する」 (pag-…an+luto)

運が左右!?フィリピンでのホームステイ探し

 入省1年後、首都マニラにあるフィリピン大学に留学した松尾さん。「当初、大学のホステルで生活しながらホームステイ先を探したのですが、フィリピンは貧富の差が大きく、なかなかちょうど良い家庭が見つかりません。裕福な家庭はホームステイの受け入れなどしないですし、また、貧しい家庭は収入を得るために学生を受け入れたがるので、学習環境が整っていないことが多いのです。でも、運良く大学に近い5人家族の家庭にホームステイすることができました。『シャワーは無いので井戸水で行水だけど、クーラーがある!』そんな中流家庭でした。」 ホームステイで印象的だったことはなんですか。「フィリピン人の生活の中心は『家族』であり、個人より家族の幸せを重視するという考え方を知ることができたことですね。また、語学面では、ホームステイ先のお母さんが外国人にタガログ語を教えていたので、私も教わることができ、助かりました。」

フィリピン大学の講義で使用される言語とは

 「大学の講義では、一般的に理系は英語、文系はタガログ語を使いますが、大学や教授自身のスタイルにもよります。実はタガログ語は専門用語の語彙が少なく、理系の内容をタガログ語だけで説明するには無理があるので、自然と英語になってしまいます。タガログ語は、元々マニラ近郊で話されていた言葉なのですが、スペインの植民地になるまで統一政府が無かったフィリピンでは、主要言語だけでもタガログ語を含めて8つあり、方言を入れると180近くあると言われています。」

在マニラ大使館での勤務がスタート

 「語学研修後は、在マニラ大使館で政務(内政)2年、儀典2年の計4年間、館務に就きました。ASEANやAPEC等たくさんの国が参加する国際会議も経験しましたが、残念ながら会議での使用言語は英語で、タガログ語通訳の出番はありませんでした。日本の防衛大臣政務官がマニラを訪問し、海軍と陸軍の幹部を表敬した時には通訳をしました。最初は英語で会話をしていたのですが、軍幹部がだんだんタガログ語になり、それにつれ、軍幹部が政務官ではなく、私の方を見て話をするのです。」 そ・・・それは、ちょっと困りましたね。

 

マルコスJr. 知事の自宅に招待される!

 「大使館勤務後しばらくして、車でルソン島北部に1週間かけて出張に行きましたが、これは本当に貴重な経験でした。出張した各地では、『大使館員が来る』と待ちかまえていたらしく、私のような若者が1人で来たので、ちょっと肩すかしだったようです(笑)。でも行く先々で手厚い歓迎を受けました。

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マルコスJr.知事に招待されました

 ルソン島北西に位置するイロコス・ノルテ州では、マルコス元大統領の息子さんが知事をしていたのですが、私の話すタガログ語に非常に興味を持ってくれて、色々質問攻めにあい、知事との懇談は自己紹介だけで終わってしまいました。その夜は、自宅にまで招待していただき、ご家族との夕食に同席させてもらいました。知事の自宅は、まるで要塞を警備するような厳重さで、大きな銃を持つガードマンが要所に配置されていました。その反面、家族との食事は小さなテーブルを囲んでのとても温かい雰囲気でした。『家族を大切にする』ということでは知事一家も、他のフィリピン人と同じで、子供のために雑音も多く環境も悪い都市部から離れ、マルコス一族の地元のイロコス・ノルテ州に居を構えたそうです。」

コンビニも「防衛」のために銃携帯

 「マニラのコンビニや各種店舗にも、銃を携帯した警備員がいます。銃犯罪が多いので防衛が必要なんです。以前、大使館員とレストランで食事をしていた時、近くで『パン!』という音がしたのです。一緒にいた武官が『銃の音だ!柱に隠れろ』と言うので、あわてて隠れたのですが、発砲した人は、実は近くの両替店に入った強盗で、警察と銃撃戦になり、よりによって警察がレストランを背に応戦するんです。流れ弾が飛んで来るんじゃないかと気が気じゃなかったですね。まぁ、6年間住んでいてこの1回ですから、毎日が危険というわけではありません。」 いえ、1回でもかなり臨場感があります。

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個性豊かなジープニー。かなり目立ちますね。

最も大衆的な交通手段『ジープニー』

 マニラ市内と郊外では、違いや特徴はありましたか。「フィリピンの人口はマニラ首都圏に集中しているのですが、鉄道網が発達しておらず、市内の交通渋滞も激しいです。郊外に出ると、舗装されていない道路もあり、水牛が畑を耕し、ココナツ農園が広がる典型的なフィリピンの田舎の風景になります。」 交通渋滞の原因は何でしょうか。「市内には『ジープニー』というジープを改造した乗り合いバスが多く、これが渋滞の一因となっているのです。運行ルートは決まっているのですが、停留所というものがなく、お客が手を挙げた時や、人がたくさん集まっているところにジープニーが群がります。売り上げから車両の所有者への使用料等を差し引いた額が運転手の取り分なので、他のジープニー運転手とお客の取り合いになり、たくさんのジープニーが道路を封鎖して渋滞を引き起こすのです。」

出稼ぎによって家族を養う人々

 フィリピンの主たる産業はなんですか。「あえて言うなら『人』ですね。なぜなら、国内産業が人口の増加を吸収できておらず、多くの人が海外に出稼ぎに行っているのです。女性はお手伝いさん、男性は肉体労働や船員が多いのですが、英語が話せて、明るく、人なつこく、サービス精神が旺盛なフィリピン人は、海外でも人気が高いのです。そのため、出稼ぎによるフィリピンへの外貨送金が、GDPの1割に匹敵するそうです。出稼ぎは、良い条件とはいえず、社会的地位も低いけれど、かけがえのない家族のために一生懸命働いているのです。」 出稼ぎで大切な家族と離ればなれになるのは寂しいですね。

フィリピンに今も生きる戦争の記憶

 「フィリピンの南端に位置するタウイタウイ州に行った時、印象的な事がありました。マレーシア国境に近い小さな島で、島の人々との会合を終えて帰ろうとすると、かなり年配のおじいさんが日本の軍歌らしき歌を歌いながら私に歩み寄って来ました。そのおじいさんは数十年振りに見た日本人がよほど懐かしかったようで、本当にうれしそうに色々話しかけてきたのです。フィリピンは第二次大戦の激戦地で、数多くのフィリピン人と日本人が命を落としており、その記憶は今日でもフィリピンの隅々で生きていることを実感しました。」 おじいさんには『日本人と共有できる記憶』が軍歌だったのですね。

長い目でフィリピンを見守りたい

 「タガログ語の専門家として勉強するうちに、フィリピン人の琴線に触れる表現や、不快な表現についても敏感になってきます。ある会議で、急に話題が『不法就労者』になった時、日本側が『illegal worker』と表現したのですが、フィリピン側が『undocumented worker』とすぐに言い直しました。家族を養うために出稼ぎをしているフィリピン人が『イリーガル』と表現されるのは、フィリピン側からすればとても抵抗があるのです。」 同じ意味でも、大きな隔たりがあるのですね。フィリピンという国は、良い方向に進んでいるのでしょうか。「まだ経済的にも浮き沈みが激しいですが、最近は、英語のできるフィリピン人看護師が、フィリピンに移住した年金暮らしの日本人の居住地『退職者村』で介護をしたり、経済連携協定に基づいて多くのフィリピン人看護師が来日したり、日・フィリピン間に新しい人の流れができつつあります。私もフィリピンを定点観測し、長い目でつき合って行きたいと思います。」 地理的に日本に近いフィリピンですから、これからもますます良い関係になるといいですね。

好きな言葉・印象に残っているフレーズ

Nasa Diyos ang awa, nasa tao ang gawa. (ナサ・ジョス・アン・アーワ、ナサ・タオ・アン・ガワ)=直訳:「慈悲は神にあり、行動は人にある」(人事を尽くして天命を待つ)
Bahala na. (バハラナ) 「まあ、なるようになるさ」(細かいところにこだわらないフィリピン人の楽天的な性格を表した言葉)

便利なフレーズ

Kumusta?(クムスタ?)=元気?(挨拶代わり。非常によく使う。スペイン語のコモエスタが語源。)
Mabuti. (マブーティ)=元気です。
Salamat. (サラーマッ)=ありがとう。


★ タガログ語を主要言語とする国:フィリピン共和国

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