世界が報じた日本

平成29年5月17日

 最近の海外主要メディアにおける日本関連報道の中からいくつか紹介いたします。メディア側から予め承認が得られたものの中から選んで掲載しています。転載・複製を禁じます。詳細はリンクから原文をご参照願います。

掲載日:

4月29日付:

媒体名(国名):

中立トルクメニスタン紙(トルクメニスタン)

執筆者(発信地):

岸田大臣寄稿

 本年,日本と中央アジア各国は外交関係樹立25周年という記念すべき年を迎えた。その間,日本は常にその国ごとの新しい国づくりの歩みを後押ししてきた。
 独立後,新しい国家としてのスタートを切った各国の置かれた状況や必要な支援は様々だったが,日本が各国の発展を後押しする際にずっと大切にしてきた一つの理念がある。国づくりの要は「人づくり」だということ。これは戦後の荒れ果てた荒野から特別な資源もない日本が大きな成長を遂げられたのは,教育に心血を注ぎ込んで「人づくり」を行ってきた賜物であるという自負と経験に裏付けられている。
 トルクメニスタンは2014年から「中央アジア+日本」対話の議長国であり,同国の尽力により,今回外相会合が開催できる運びになったことを高く評価するとともに感謝している。天然資源大国トルクメニスタンとの関係では,重要な経済プロジェクトも数多く,また,日本型工学教育をベースとした人材育成支援等も試みられている。これら重要案件の完全な実現まで,日本としても引き続き協力していきたい。

掲載日:

4月30日付:

媒体名(国名):

アジア・プラス通信(タジキスタン)

執筆者(発信地):

岸田大臣寄稿

 岸田文雄日本国外務大臣は,日本と中央アジア諸国との外交関係樹立25周年に祝意を表した。岸田大臣及び日本政府は,この機会を通じタジキスタンを含む中央アジア諸国との協力関係を深化させたいと考えており,在タジキスタン日本国大使館は,日本にとって中央アジア諸国との協力がどれ程重要かに関する,岸田大臣の寄稿文をアジア・プラス通信に提供した。
 特にタジキスタンとの間では,2週間前に,2015年の安倍総理による訪問時に設立が合意された「日・タジキスタン経済・技術・科学協力政府間委員会」の第一回会合が実施され,両国関係が新たな段階に入ることができた。この委員会での議論などを通じ,タジキスタンとの経済関係を発展させたい。

掲載日:

4月30日付:

媒体名(国名):

アキプレス通信(キルギス)

執筆者(発信地):

岸田大臣寄稿

 5月1日,岸田文雄日本国外務大臣はアシガバットにて行われる「中央アジア+日本」の会合に参加する。会合に先立ち,岸田文雄大臣は日本と中央アジア諸国との関係につき,アキプレスに語った。
 キルギスとの関係では,民主主義の発展を国の大きな目標の一つとしている同国の努力を日本として支援し続けてきた。日本はキルギスの公正な選挙実施のために,投票者本人確認手続自動化や国家統一住民登録支援などを行ってきており,それによりキルギスの民主化が一層促進されていることは大変喜ばしい。3月にアブディルダエフ外相が訪日した際には,日本が大きな知見を有する災害対策で貢献すべく,キルギスにおける幹線道路「ビシュケク-オシュ」の雪崩対策を実施することを決定した。こうした日本の協力が,キルギスの運輸・物流分野における連結性の強化や,民主化を支える経済基盤の強化にも資するものと信じている。

掲載日:

4月30日付:

媒体名(国名):

国営通信社「カズインフォルム」(カザフスタン)

執筆者(発信地):

岸田大臣寄稿

 本年,日本と中央アジア各国は外交関係樹立25周年という記念すべき年を迎えた。その25年の間,日本はその国ごとの国づくりの歩みに寄り添いながら,その発展を後押ししてきた。
 独立後の混乱の渦の中,新しい国家としてのスタートを切った各国の必要な支援は様々だったが,日本は各国の発展を後押しする際に一つの理念を有していた。新しい国づくりの要は「人づくり」だということ。これは戦後の荒れ果てた荒野から特別な資源もない日本が大きな成長を遂げられたのは,教育に心血を注ぎ込んで「人づくり」を行ってきた賜物であるという自負と経験に裏付けられている。私の出身地である広島も原爆投下により市内は壊滅状態となったが,残された人々の力と弛まぬ努力により,今では緑豊かな国際平和文化都市に大きく生まれ変わり,ナザルバエフ・カザフスタン大統領やその他の国の首脳をはじめとする世界の要人が訪れ,平和の重要性を再認識するための重要な場所になっている。

掲載日:

4月30日付:

媒体名(国名):

ジャホン通信(ウズベキスタン)

執筆者(発信地):

岸田大臣寄稿

 本年5月1日,アシガバッドにおいて「中央アジア+日本」対話・第6回外相会合が開催される。これに関して,「ジャホン」は本件会合にあわせる形で,岸田文雄日本国外務大臣の寄稿記事を提供する。
 ウズベキスタンは日本人にとって,一生に一度は訪れてみたい場所である。ウズベキスタンはシルクロードの豊かな文化遺産を有し,サマルカンドは世界遺産の町である。今年,ウズベキスタンと日本各地を結ぶチャーター便が10便運行されるが,これは日本人の間でウズベキスタンが高い人気を誇っていることの現れである。政治,経済,文化など様々な分野で関係は深化しており,我々はミルジヨーエフ大統領指導下のウズベキスタンとの更なる協力発展に期待している。

掲載日:

4月23日付:

媒体名(国名):

ユータルニ・リスト紙(クロアチア)
タイトル:
震源地の生活

執筆者(発信地):

マルティナ・フルピッチ同紙外政部副編集長

 日本の南西に位置する九州の小都市益城町は,美しい快晴のこの日,一見普通の町に見えた。家族が散歩し,自転車が行き交い,店は通常営業し,信号では日本の小型自動車が青信号を待っている。しかし,こうした日常生活の中に,(震災の)傷跡が見られる。
 ショックを受けたにも関わらず,地元自治体関係者には無駄にしている時間はなかった。この混沌とした状況下で,できるだけ短期間で人々に通常の生活を取り戻すことが最優先だ。その方法の一つは,人々が会い,話をし,触れ合い,食事をするような,共同生活のシンボルとなる臨時市場を作ることだった。「この市場は人々に希望の光を与えた。この場所でこの町の復興が始まった。」と,復興市場・屋台村の熊宮敏宏代表は 市場の店に囲まれた机に座っている私たち(記者)に語った。その机の反対側の白い「壁」には町の復興を援助する人たちからのメッセージが書かれており,このインタビュー直後,町を公式訪問した岸田外務大臣もメッセージを書いた。岸田大臣は記者会見で「甚大な被害を受けながらも,復興に向けて力強く取り組む姿に感銘を受けた。」と述べた。
 益城町を含む熊本県では,熊本城の被害が最も目立つ災害のシンボルとなった。熊本城は城壁や建造物の一部に被害があった。現在はまだ各部分の安全性が確認できておらず一般公開を中止しており,修復には20年,634億円かかると見込まれている。「その額の大部分は政府が負担するが,残りは地方自治体や寄付金で賄う。寄付のシステムは既にできており,今まで約7万人からの寄付があった。」と,網田熊本県経済観光局熊本城調査研究センター副所長は述べた。
 これまでの被害にも関わらず,地元住民は決して諦めてはいない。地震は彼らの団結力を高め,彼らをより強くした。「人々は地震の後,長い間落ち込んでいた。多くの人が全てを失った。皆,将来の希望がないと言っていたが,世界中の人々からの支援を受けて勇気付けられた。今,彼らは被害がどんなに大きくても復興できると信じており,将来を楽しみにし始めている。

掲載日:

4月26日付:

媒体名(国名):

ユータルニ・リスト紙(クロアチア)
タイトル:
福島の6年後の状況

執筆者(発信地):

マルティナ・フルピッチ同紙外政部副編集長

 6年前の2011年3月11日,日本はその歴史上最も大きな自然災害を経験した。それは普段から地震の多いこの地でも,これまでにない強さの揺れだった。マグニチュード9.0の地震が約5分間続き,その30分後,日本の海岸に,ある場所では38mという信じられない巨大な波が容赦なく押し寄せた。荒々しい波が6県を含む東北地方を文字通り飲み込み,後に何百万トンもの廃墟や瓦礫を残した。
 放射線の状況に関して,日本政府に明るいニュースが入った。原発から半径80km以内の地点の地面からの高さ1mの放射線量は,2011年11月時点に比べて2016年10月時点では65%も減少している。福島県に関して言えば,除染作業や放射線の自然低下の結果,放射性物質は71%も減少していると藤田復興庁参事官は述べた。原発に近いいわき市や南相馬市を含む福島県全体の放射線量は低く,北京やベルリンといった諸外国の都市と同じレベルである。
 原発以外でも大きな進展があった。地震や津波,原発事故により自宅を離れて避難しなければならなかった人は47万人に及んだが,その数はこの6年で12万人にまで減少した。そのうち30~40人はまだ仮設住宅や親族のところで暮らしている。

掲載日:

4月22日付:

媒体名(国名):

タイラット紙(タイ)
タイトル:
九州で温泉に入浴,旅館に宿泊

執筆者(発信地):

クリアンサック・ジュンノンヤン外信部記者

 3月,日本政府の招待で日本の九州を訪問した。福岡から新幹線に乗り40分間で熊本に到着した。熊本が有名になった理由のひとつは,マスコット「くまモン」である。熊本県のランドマークは400年以上の歴史がある熊本城である。一年前の地震で,多くの石垣と城の建物に壊れたところもあり本当に残念だ。熊本県伝統工芸館は,伝統工芸を再生するために作られた。
 二日目は阿蘇山に行った。「黒川温泉観光旅館協同組合」に属する「旅館にしむら」に宿泊,旅館の浴衣に着替えて写真を取った。翌日は,高森町に出かけ,「新酒祭り」において,日本酒と焼酎を試飲することができた。最後に山鹿市を訪問し,100年以上の歴史を持つ劇場や「さくら湯」という古い温泉などを視察した。
 今回の旅では,急がず焦らず行動することができ,心が癒やされた。しかし,タイに帰国してからは,暑さや多忙と戦う毎日が続いている。

掲載日:

5月6日付:

媒体名(国名):

ジュルナル・ド・モンレアル紙(加)
タイトル:
石垣,日本のカリブ別ウィンドウで開く

執筆者(発信地):

ダニー・ヴィアー氏

 日本の南端に位置する石垣島。タナカ・ヒロユキ氏は港に係留されている漁船を東シナ海での次の漁のため準備している。
 同僚と共に,彼は過去の漁について振り返る。一番良かった漁?それはグシケン・ヨージ氏によるものだ。この60歳の漁師は400キログラムの巨大マグロを釣り上げた。「それはとても大きかった。市場で一財産となった」とタナカ氏は述べる。
 商業漁業の中心である石垣島は,まるで日本に移されたカリブの島の様だ。

掲載日:

3月27日付:

媒体名(国名):

KING5(シアトル)

執筆者(発信地):

ローリー・マツカワ・KINGテレビ・ニュースアンカ

 阪神大震災から20年以上が経過したが,人と防災未来センターでの映像や被害状況を再現した建物等は今も衝撃的である。震災の体験者で,同センターのボランティアであるナナミ・ヨシモト氏は,被害当時を振り返り,地震の直後には消防車も警察も現れず,地域住民が救助に当たったと証言し,民間ボランティアの重要性を強調する。また,神戸市のルイーズ・デンディ広報専門官によると,日本におけるボランティア精神は阪神大震災から始まったと言われている。同センターでは150人以上がボランティアとして防災意識を高めための活動に寄与しており,ヨシモト氏は来るべき大地震への備えを訴えた。

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