エキスパートたちの世界
外務省の専門官インタビュー
国際連合専門官 山田 潤さん
外務省には、語学や特定の国・地域のエキスパートのみならず、経済や軍縮(軍備縮小)等の事項で知見・経験を深めて「専門官」に認定されたエキスパート人材を多数擁しています。
今回は、2011年度に国際連合(国連)専門官に認定され、現在は在インド日本国大使館に参事官として駐在、さらにインドに事務局を構えるアジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO)という政府間機関の次長職を兼務する山田潤参事官に、国連に関わる業務等の舞台裏について大いに語っていただきました。
山田参事官は、1996年に入省後、外務本省では国連行政課(当時)、多国間協力課(当時)、国連政策課、国連企画調整課等の国連関連の部署に、海外では国連日本政府代表部での勤務経験を有し、国連関連のキャリアを中心に積み上げてきた、国連のエキスパートの一人です。
1 どのようなことがきっかけで、国連分野に関心を持たれたのですか。

(2011年12月)
国連分野に関心を持った最初のきっかけは、入省前に在学していた大学院に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の長を務められた明石康元国連事務総長特別代表が特別講師として来られたことです。それまで国際社会における国連の役割については漠然としたイメージしか持てなかったのですが、明石さんの講義を通じて国連が紛争後の平和維持や平和構築の働きに実践的な役割を担っていることを学ぶとともに、日本もその重要な役割を担っていることに魅力を感じ、外務省に入って国連を手掛けてみたいと思うようになりました。
入省後、国連に関わる様々な仕事を経験することができたのですが、その際に日本の国連外交の最前線で活躍する多くの先輩方との出会いがあり、長年国連分野で活躍を続けていくための原動力となりました。特に、ニューヨーク所在の国連日本政府代表部での勤務を始めた2007年当時に大使を務めていた高須幸雄大使と神余隆博大使からの種々の教えは現在の私の実務における大きな財産となっています。
2 国連専門官として、特に専門とする分野があれば教えてください。また、これまで実際にどのような業務に携わってこられましたか。(国連の概要はこちらから。)

(2011年12月)
国連は多様な分野や専門を含む国際機関ですが、その中で私の専門は行財政分野です。初めて国連行財政を手掛けたのは、2007年から2012年まで約4年半の国連日本政府代表部での勤務時でした。国連は加盟国が支払う分担金によって政策やヒト・モノ・カネを動かすのですが、その分担金の使い道を決めるのが国連総会第5委員会です。ちなみに、国連総会の委員会は第1~第6まで次のとおりです。
- 第1委員会:軍縮・国際安全保障問題
- 第2委員会:経済成長と開発(マクロ経済政策を含む)
- 第3委員会:社会開発や人権問題
- 第4委員会:特別政治問題および非植民地化
- 第5委員会:国連の行財政
- 第6委員会:国際法規の整備や国際法の法典化
私は第5委員会で日本代表部の一員として主に国連事務局予算や国連平和維持活動予算の決議案交渉を担当していました。専門官認定を受けたのも同代表部勤務時でした。

(2023年7月)
国連代表部勤務を終えた2012年に本省に戻り、条約課で刑事分野や領事分野の条約を約3年半手掛け、その後約1年半国連政策課で国連安保理等を手掛けたのち、国連企画調整課に配属され国連行財政を再び手掛けました。本省の業務では、第5委員会に関連する業務のほか、財務省や国会に関連した予算要求事務が大きなウエイトを占め、国際機関に支払う分担金が我が国の政府予算から賄われる事務の実際を学ぶ貴重な機会となりました。また、その頃国際機関人事センターの業務も手掛けることになり、国際機関に日本人職員を送り込む支援の重要さや難しさも経験しました。
本省で合計約10年間勤務した後、2021年12月から国連に属していない国際機関であるアジア・アフリカ法律諮問委員会(AALCO)というインドにある政府間機関に次長として出向し、現在も同機関で予算や分担金等の行財政問題を手掛けています。
この他、行財政分野の専門家の委員会である国連職員の年金制度を審議する国連合同職員年金理事会(UNJSPB)の委員を2度務めたり、国際刑事裁判所(ICC)の予算の審査を行う予算財政委員会(CBF)の委員を2024年から現在まで務める等、国連行財政分野で培った経験が他の国際機関での業務にも生かされています。
3 その中で、ご苦労された経験、面白さや遣り甲斐を感じた瞬間等、印象に残る経験を教えてください。

(2017年12月)
苦労した経験としては、国連を含む国際機関ではいつも予算交渉が長丁場となるという点です。例えば、国連予算は、政府予算案が国会で審議・決議されるのと同じように、事務局が総会に予算案を提出し加盟国間の審議を経て新年度までに決議されるのですが、予算を審議する第5委員会では193の全加盟国が合意する「コンセンサス」によって予算案を決議することが慣例となっています。つまり、賛否が分かれたまま多数決の投票によって予算を採決しないため、全加盟国が決議案に合意できるまで延々と交渉を続ける必要があります。但し、交渉期限があるので、交渉期限直前には各国の交渉官が会議場に泊まり込み徹夜で交渉に当たるのが普通でした。私も担当する決議案交渉への対応のため国連の会議室で寝泊まりしたことが何度もありました。

(2019年6月)
日本は国際機関の財政規律を重視する立場から予算交渉においては「合理的な理由がない限り予算増は認めない」という方針を取ることが多いのですが、私も交渉の準備では予算案の「きりしろ」を探すために予算書をしらみ潰しに読み込み、交渉の本番では自分と反対の立場をとる各国交渉官と厳しい議論を交わし、日本政府の方針に少しでも近い交渉結果を常に目指してきました。
国連行財政の面白さや遣り甲斐としては、(1)国際機関の本質がよく見えること、(2)日本を代表して交渉に臨むスリルと責任感、及び(3)外交官としての総合力が試される、という3点を挙げたいと思います。
- 国際機関の本質がよく見える点ですが、国際機関の予算案は情報の宝庫です。各機関が次年度に実現を目指す政策目標だけでなく、政策を実現するために費やす人員やコストが詳しく説明されています。予算書を丁寧に読むと、使い切れないくらいの予算額を要求しているんじゃないかとか、逆に加盟国の分担金支払いが滞っているために活動を続けるための必要最低限の資金も足りないんじゃないか等の課題や問題に気付かされます。ちょうど医者がレントゲンやMRIを使って病気の原因を探すのと似ているのかもしれません。また、予算書だけでなく決算書や監査報告書も同じように情報の宝庫です。このため、国際機関の本質を深く知りたければ行財政分野を手掛けるのが一番です。

(2018年12月)
- 日本を代表して交渉することについては、予算交渉には各国の交渉官が議場に勢揃いし自国の立場を代表して交渉に臨むのですが、交渉現場において頼れるのは基本的に自分しかいません。日本の立場を主張し、交渉結果(決議)に反映させることができるのは自分だけ。日本と立場の近い同志国もいますが、日本の立場を側面から支持しても日本に代わって交渉はしてくれません。交渉現場に最初に足を踏み入れた時から交渉が終了するまで、自分が日本の立場を責任を持って代表する必要があります。もちろん大事な交渉局面では日本政府代表部や本省の上司や同僚への相談は欠かせず、交渉現場が交渉官の「個人プレー」の場では無いことは言うまでもありません。しかし、交渉官が現場で機転を効かせることで交渉の流れが優位な方向に変わることも珍しくないので、ちょうど乗り物の操縦桿を握るような責任感とスリルが経験できます。
- 外交官としての総合力が試される点ですが、先述の交渉に臨むスリルと責任感とも関連するのですが、交渉の現場では交渉官が持つあらゆるリソースを投入することが必要となります。例えば、立場の異なる相手国を説得するために日頃から語学力(私の場合は英語)を磨くことが極めて重要です。それは紙に書いた対処方針をただ英語で読み上げるということではなく、相手の目をしっかり見て、自分と考えの異なる相手にも「なるほど」と言わせる説得力のあるメッセージを伝えることです。また、相手の発言を注意深く聞き、その要求を正確に把握することも重要です。更に、相手もこちらの発言や仕草をよく観察しているので、こちらの主張や発言がぶれないように注意することも大事です。最後に、交渉は人間同士のやり取りなので、各国の交渉官との信頼関係(例:約束はきちんと守る等)も非常に大事です。このように外交官としてのあらゆるリソースを交渉でぶつけ合うため、決議案が合意に達した時は互いの健闘を称えて握手で交渉を終えることも大きな醍醐味でした。

(2019年6月)
印象に残る経験としては、国連第5委員会の決議案交渉でコーディネーター(議長役)を務めた時のことです。第5委員会では通常は日本の立場を代弁して行動することが殆どでしたが、一度だけ国連内部監査(OIOS)という議題の決議案交渉で議長役を務める機会がありました。第5委員会は、委員会室が先進国(日米EU等)、途上国(G77+中国)及びその他(ロシア等)の国でグループ毎の席に分かれており、コーディネーターはそれらの国々のちょうど真ん中に座って議事進行を行います。それまで経験してきた日本だけを代表する交渉官としての立場と違い、委員会の全体のバランスをとりながら決議案の採択に導くという議長役は簡単ではありませんでしたが、立場の異なる各国との意思疎通を深めることを学ぶ貴重な機会となりました。また、国際会議や決議案交渉での議長役を務めると各国から一目置かれる存在となるため、そうした経験は貴重な外交上のアセット(資産)となると思います。私もこの経験の後、他の会議で議長、副議長及びラポラトゥール(=報告書の取りまとめ役)を何度か務めましたが、いずれも貴重な経験となりました。
国連行財政以外の仕事で印象に残っているのは、2015年から約1年半勤務した国連政策課で日本の国連安全保障理事会の非常任理事国の任期(2016年1月から2017年12月まで)と重なった時のことです。日本の非常任理事国としての任期が開始した直後の2016年1月6日に北朝鮮による核実験が行われ、直ちに安保理における対応に向け国連代表部と日夜連絡をとりつつ、首相官邸をはじめとする国内要路への説明準備等に不眠不休で対応しました。北朝鮮はその後も弾道ミサイルの発射等挑発行動を続けたため、国連政策課での勤務を終えた2017年1月までは緊張の連続でした。この他、2016年7月に日本が安保理議長国となった初日の7月1日にバングラディシュのダッカにおいてテロ事件が発生し、議長国としてテロ行為を非難するプレス・ステートメントを発出する経験もありました。国連安保理関連業務は瞬発的な対応が多く、行財政分野と異なる角度から国連を見る貴重な体験となりました。
4 最近の国連を取り巻く情勢、国連における日本の取り組みについて教えてください。

(2011年12月)
ちょうど本インタビューの準備を進めている本年(2025年)5月12日にグテーレス国連事務総長が「UN80イニシアティブ」という国連機関の合理化を検討していくための取り組みを発表しました。国連は戦後80年の間、国際社会の平和と安全、開発及び人権等様々な分野で役目を拡げ、それに伴い予算及び組織が増加・拡大の一途を辿ってきたのですが、昨今の国際機関を取り巻く状況を受けて、事務総長自らブレーキを踏まざるを得なくなったことは国際社会における国連の役割に一石を投じる動きと言えます。同時に、様々な組織上の問題を抱えながらも、国連は193の加盟国が意見や立場を発信したり、共通の課題を共に議論し、解決策を模索する場として他の機関や組織には代え難い役割を担い続けていくことは間違いないので、今後行財政の面で国連をどう支えていくかは日本を含む加盟国にとって重要な課題となるでしょう。
日本はかつて高い経済力を背景に国連では米国に次ぐ分担率を担っていました(注:最も高かったのは2000年の20.573パーセント)。2025年現在、日本の分担率は6.930パーセントに下がった一方、中国が20.004パーセントに上がり、私が国連行財政を初めて手掛けた2007年の頃とは全く異なる光景となっています。
経済力の相対的な縮小に伴い、国連に支払う分担金も減り、今後の日本の国連における役割や取り組みを問い直す声も上がってきておかしくないと思います。こうした中で留意したいことは、国連に支払う分担金は国連を動かすための重要なツールであってもツールの一つに過ぎないということです。分担金が減っても日本には、国連が手掛ける平和と安全、開発及び人権等の各分野でこれまで蓄積してきた豊かな経験があり、そうした経験を基に今後国連を動かしていくことはできるはずです。そのために知恵を絞り、各国の先頭に立って様々な分野で議論をリードしていく役目と責任があると思います。
5 国連専門官としての今後の更なる目標を教えてください。最後に、日本の次世代を担う若い方々へのメッセージを御願いします。

(2011年12月)
外務省の国連専門官としては、先に述べたような国連行財政の重要性や面白さを省内の若い世代の同僚達や今後外務省を目指す学生の方々にシェアし、この分野で活躍する次世代の人材を発掘・育成していくことが今後の目標です。また、これまで私が積み上げてきた経験や知見を色々な方々に役立てて頂ければと願っています。
次世代を担う若い方々には、何かと「内向き」になりやすい現在の日本社会にあって、日本という国が国連に象徴されるような国際社会とのつながりの中で成り立っていることを忘れてほしくないと思います。言い方を変えれば、国連で議論される一つひとつの課題は日本とは無関係な問題ではないとも言えます。また、様々な機会に日本と外国との繋がりに目を向け、外国で起きていることを自分事として考え、様々な経験を深めてほしいと思います。外国訪問であれ、日本国内での外国人との交流であれ、どのような方法でも良いと思うので、若い方々にはぜひチャレンジして欲しいと願います。