開発協力トピックス 04
大規模災害と緊急人道支援〜ネパール地震被害に対する国際緊急援助隊・医療チームと日本のNGOの活動〜
2015年4月25日正午ごろ(現地時間)、ネパール中西部をマグニチュード7.8の大地震が襲い、ネパールと周辺国に大きな被害を与えました。日本政府は、ネパール政府からの支援要請に応え、テント、毛布といった緊急援助物資を供与したほか、現地で支援活動を行う国際機関や日本のNGOを支援しました。また、日本から国際緊急援助隊(救助チーム、医療チーム、自衛隊部隊)を派遣し、被災者に対する緊急人道支援を実施しました。ここでは、今回複数派遣された国際緊急援助隊のうち、医療チームの現地での活動と日本のNGOの被災者支援の一端を紹介します。

医療チームの手術室内の様子(写真:JICA)

英語通訳ボランティアの少年を介して患者に丁寧に薬の説明を行う医療チーム隊員(写真:JICA)

JPFを通じた日本のNGOによる支援(被災地にシェルター用防水布を提供する様子)(写真:ADRA Japan)
国際緊急援助隊・医療チームは、医師、看護師、薬剤師等の医療関係者を中心に構成され、今回、第一次隊・第二次隊計80名が派遣されました。ネパール国内で最も被害の大きかった地域の一つ、首都カトマンズから東へ約60キロメートルのバラビセの中学校の敷地に病院テントを設置し、医療活動を実施しました。このチームは、約30年に及ぶ国際緊急援助隊の歴史の中で初めて手術機能を備えており、周辺地域で活動する他の医療チームの手に負えない重傷患者も受け入れました。約4週間に及ぶ活動の総診療数は、延べ約980人、手術件数は12件に上りました。日本チームが手術を行う際には、患者とその家族に対し、治療方針や術後フォローを現地の医師を含めて説明します。これは、日本チームの活動終了後も現地の医師が治療を続けられるようにするためです。左肘を脱臼骨折した8歳の男児の手術に際しては、事前に医師が通訳を通じ、家族に治療方針等を丁寧に説明し、手術を行いました。手術は無事に成功。手術が遅れていたら、男児の左腕は不自由になったかもしれません。手術後には、心配してずっと付き添っていた父親と男児共に笑顔が戻りました。
医療チームの活動に対しては、患者の家族、ネパール政府のみならず、活動拠点となったバラビセの中学校の校長先生からも感謝状をいただきました。
このような日本チームの現地での活動を支えたのは、多くのネパールの人々でした。たとえば、ネパール政府保健人口省(現在の保健省)とチームは毎日のように連絡を取り合って、活動内容について緊密に相談しました。また、活動場所近くの保健所に勤務する医師は、近隣医療機関と日本チームが連携して被災者支援に当たれるよう協力してくれました。加えて、現地の学生たちが通訳やボランティアとして活躍し、チームの病院テントを訪れた患者とチームとの橋渡し役を担いました。
日本のNGOの活躍もありました。NGO、経済界、政府が協力・連携して緊急人道支援を行う組織「ジャパン・プラットフォーム(JPF)」は、ODA資金を活用して、被害が大きかった山間部を中心に現地のニーズに沿った支援活動を行いました。具体的には、ネパールの人々の生活用水を確保し、衛生状況の改善が図れるよう公共水道の応急修復をしたり、震災後に到来する雨季まで被災者が安心して生活できるよう仮設家屋や仮設校舎の建設を支援する、などです。トタン板などの配布資材は、大切な食料の仮設保管庫をつくる際にも役立ちました。また、地震発生直後に現地入りした「アジアパシフィックアライアンス(A-PAD)」は、ODA資金により、バングラデシュの民間医療チームと協力し、支援の届いていなかった地域の集落で医療活動を行ったり、災害救助犬と共にがれきに埋もれた人の捜索活動を行うなど、連携団体のネットワークと専門性を活かした様々な支援を行いました。
長年にわたって大規模災害に対応する中で、日本政府は様々な成功や困難を経験してきました。その中で得た教訓は、「ひとりよがり、押しつけの支援はかえって被災現場を混乱させることがあり、支援国は常に被災国が支援活動の中心にあるべきことを強く意識しなければならない」ということです。災害で混乱した被災国でのさらなる混乱を避け、支援が一刻も早く被災者に届くようにするには、日本の支援が持つ強みを活かしながらも、必要に応じ、様々な組織とも連携し、被災国政府を中心とした国際調整に基づく支援を行うことが重要であると考えます。
日本政府は、今後も大規模災害に対して、復旧・復興の段階に至るまで、切れ目のない迅速かつ効果的な支援を行っていきます。