※NGO:非政府組織(Non-Governmental Organizations)
第5回・東京・八王子:総合的な農業へのアプローチ
第3世界で問題となっている環境破壊の実例を取り上げ、その解決に向けたモデルとして実践されている総合農業の実例を提示します。総合農業とは、第三世界で多く実践されているモノカルチャー(単一作物の栽培)の弊害からの脱却をめざした農村モデルで、一つの地域内で複数の作物を育て、複数の活動を有機的に組み合わせた、ある意味では明治以前の日本の農業モデルへの回帰(ポリカルチャー)です。そういった農業の考え方に地球環境や人倫を組み合わせて、一歩進んだ持続可能な未来の世界のあり方としてのパーマカルチャーを紹介し、その可能性をワークショップで議論します。 |
(1)事例発表 |
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1) |
現代農業の行き詰まりと複合農業の試み |
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財団法人 オイスカ事務局次長 亀山近幸 |
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2) |
フィリピンの少数民族村落における総合農業の試み |
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21世紀協会理事 ミンドロ事務所長 川嶌寛之 |
(2)講演 パーマカルチャーの現場から |
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パーマカルチャーセンタージャパン代表 糸長 浩司 |
(3)ワークショップ |
(4)総括 |
とき |
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2002年12月7日(土曜日)13時05分~17時30分 |
ところ |
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東急スクエアビル内 ゆうぱーく八王子10階会議室 |
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現代農業の行き詰まりと複合農業の試み
財団法人 オイスカ事務局次長 亀山近幸氏
これまで、私は世界数カ国で近代農業を実践してきましたが、反省すべき点もたくさんあるというのが正直なところです。今日は、そのあたりについてお話をしたいと思います。
●インドの穀倉地帯に赴任
1972年にインドのパンジャブ州に隣接するハリヤナ州のモデル農場に私は赴任しました。パンジャブ州周辺は皆さんのご承知のとおり、インドの穀倉地帯で小麦、サトウキビ、ジャガイモなどが古くから栽培されていました。土質も豊かで病虫害も殆どなく、農薬を散布する必要もありませんでした。何を作っても楽に収穫できるようなすばらしい土地でした。
ところが1965年を境にインドは未曾有の大干ばつに襲われ、数十万人が餓死する大規模な飢餓が発生しました。オイスカとしても何か、協力できないかということになり、多くの先輩たちがパンジャブ州に出かけたわけです。土壌調査を綿密に行った結果、充分、コメづくりが可能との確信が得られました。ただ同州はもともと小麦が中心ですので、人々はあまり米作には関心がありませんでした。しかし、同州の政府は飢餓救済のために役立つなら、やってみてほしいということでした。最初はパンジャブ州立大学の農学部の教授たちもうまく行くはずがないと冷淡でしたが、みごとな収穫をあげることができました。大学のお墨付きを得られました。それ以降、パンジャブ州では稲作が急速に広がっていきました。
●緑の革命の功罪
そのとき栽培したのは緑の革命によって生まれたIR8という品種でした。これは在来種のものより、肥料も水も大量に必要とするものでした。当時の私たちは有機農業以上に化学肥料と農薬を万能視する近代農業を優先しました)。化成肥料を田に入れつづけることのデメリットについては想像もしていませんでした。ただ、パンジャブ州ではIR8の普及とともに病虫害やイネの病気が多数、発生するようになったことは否定できません。飢餓に対しては大きな貢献を果たしたのですが、長い目で見れば、私たちがパンジャブ州でしたことはインドの人々にとってはマイナスではなかったかと反省しています。
●フィリピンでの教訓―地力低下
私はその後、1973年にフィリピンのブラカン州アンガット市というところに州政府の要請で農業指導に入りました。そこにモデル農場を設け、IR24という品種の二期作をめざしました。めざましい収量をあげることには成功しましたが、7年後には同じ収量をあげるためには当時の2倍の化成肥料を投入しなければならないほど土地そのものが劣化してしまいました。それに対してパンジャブ州が数千年にわたって肥沃さを保ってきたと聞きます。その理由の一つは同州では緑肥を盛んに鋤きこむ習慣があったことだと思います。それと牛の食べる牧草も残ったものは鋤きこんでいます。フィリピンのアンガット市でも、そうした経験から有機農業の考えを取り入れ、土の回復に努めていると聞きます。
その後、赴任したタイでは全く様子が違っていました。土そのものが疲弊し切っていました。その理由の第一は周辺の森林が伐採されてしまったことが大きく作用していました。田植えから収穫まで一度も除草する必要がありませんでした。草の種さえも尽きてしまっていたのです。収穫間際の大事なときに化成肥料を入れても、イネの根が真っ黒になっていて、吸収できない状態になっていました。土が痩せてしまうと化成肥料を幾ら投入しても効果はあがらないのです。この状態から脱するには土壌改良しかありませんでした。近くの溜池から水をひき、精米所の腐ったモミガラをトラックで何杯も貰い受け、少しでも多くの有機物を土に入れることに専念しました。その努力の結果、オイスカのパイロット農場だけが同地域で唯一、二期作ができるようになりました。
こうした経験を踏まえて、私は徒に化成肥料、農薬や大型機械に支えられたアメリカ的な近代農業を良しとするのではなく、土づくりこそが全ての農業の基本だと思います。循環型農業こそ21世紀を支える途だと信じています。すでに次の世代の技術員たちは有機農業・循環型農業技術を確立し取り組んで成果をあげています。
フィリピンの少数民族村落社会における総合農業の試み
~ホリスティックファーミングの実践から~
21世紀協会 理事 ミンドロ島事務所長 川嶌寛之
●はじめに
私たち21世紀協会は、1990年から、「すべての子に教育を」をスローガンに、フィリピンのミンドロ島に住むマンニャンと呼ばれる先住民族のコミュニティで教育支援及び循環型農業を基本にしたコミュニティ開発を行っています。ミンドロ島は、マニラの南に位置するフィリピンで7番目に大きい島です。その中央を走る2500メートル級の山脈により東ミンドロ州と西ミンドロ州に分かれています。私たちが活動しているのは、よりインフラなどの開発が遅れている西ミンドロ州です。経済は漁業と米作、ココナツ・プランテーションが基盤で、他に牛、カラバオ(水牛)の放牧が行なわれています。
●フィリピンの少数民族 マンニャン
ここには、今なお素朴な生活をおくる先住民族のマンニャンが住んでいます。ミンドロ島全体の人口、約100万人のうち、およそ10~15%はマンニャンではないかといわれています。彼らが抱えている問題として次の5点があげられます。1.社会的な差別 2.絶対的貧困 3.環境破壊 4.病虫害 5.人口の増大です。
●社会的な差別
まず社会的な差別に関していえば、一種のアウトカーストといえます。ヒンズー教のように宗教に基づくものではありませんが、社会的に非常に差別された状況は似通っています。ルソン島に住むマニラ周辺のタガログ人など「低地人」のなかには「マンニャンは人間ではない。彼らには猿のような尻尾がある」などと信じている人も少なからずいるほどです。逆にマンニャンの人々に「あなたはフィリピン人ですか」と尋ねると、決まって「いいえ、私はマンニャンだ」という答えがかえってきます。彼らの側にもフィリピンという国への帰属意識はないといえます。ここには一種の断絶があると言えます。例えば、ミンドロ島の病院には「低地人」用病棟とは別に、「マンニャン」専用の病棟があります。フィリピンの病院がどこも清潔というわけではありませんが、マンニャン病棟の不潔さは想像を越えていました。
こうした状況に対して、政府はほとんどマンニャン支援プログラムを実施しておらず、またフィリピン人の8割以上がキリスト教徒ですが、教会の支援も有効なものではありません。最近、ある教会がマンニャンの学校を建てましたが、その学校は文字通り、マンニャン専用の学校で低地人の子どもたちから隔離する形になっています。また、循環型農業が重視される最近の傾向とは逆に、農業指導と銘打ってマンニャンの伝統的な農法である焼畑農業を改めて教えるプログラムも登場したほどです。これはマンニャンの人々を滅びかけているパンダと同視した一種の「天然記念物政策」ではないかと思います。
●蔓延する飢え
第二の絶対的貧困に関していえば、もともと、マンニャンの人々は山で狩猟採取生活を行っていました。ある地域で食べ物が尽きるとまた、別の場所に移動するという生活を繰り返していました。ところが、30年ほど前から海岸部にはマニラ周辺からタガログ人が、山岳地帯にはルソン島北部のイロカノ人が入植してきました。彼らは木材を求めて伐採する傍ら、山を切り開いて開墾していきました。
そのため、森林の減少とともに、マンニャン族の生活圏は次第に山奥深くに押しやられ狭くなっていきました。その結果、慢性的な飢えに悩まされるようになりました。狩猟採取ではなく、トウモロコシやコメの栽培に転換しようにも現金のない彼らは種や肥料などを買うにも低地人の高利貸しに頼らざるを得ません。収穫前に借りた金を返すために、その2倍の額のコメを差し出すという話しをよく聞きます。
●不法伐採と焼畑
環境破壊という意味は二つあります。一つは不法伐採を含む森林伐採、もう一つはマンニャン自らによる焼畑農業の弊害です。 彼らが数世代前に営んでいた焼畑農業は広い地域で行われていたために、一度、火を入れたところを充分、休ませるゆとりがありましたが、生活圏の縮小のために地力が回復しない前に、再び耕作するようになり収穫量は減り、土地もますます痩せるようになりました。山奥に住むマンニャンの人々は「山から自然が失われ、陸稲をねずみにやられるケースがますますひどくなった(鼠害)」と話します。これも環境破壊が進み、森林が荒廃している証左の一つと言えます。
●奨学金プログラム
こうしたなか、21世紀協会では過去10年以上にわたって、西ミンドロ州サンタクルス郡に住むマンニャンの子供たちを対象に奨学金事業を行っています。マンニャンの生活する山間部にはほとんど学校が無いため、共同生活をしながら町の公立学校に就学させる事業の他、山間部でも手作りの学校を経営し、マンニャンの子供たちの識字率向上に努めてきました。
●農業プログラム
また持続的な農業を普及させることで「飢え」からの解放のみならず、健全な自立の道を模索してきました。例えば、99年からパクパク村というところで、16世帯(85人)のマンニャン族人の人たちとともに5ヘクタールの土地で循環型農業を行っています。ここの土地は地味も痩せていますが、村のすぐ下流には肥沃な土地があり、タガログ人の牧場や畑が広がっているのは皮肉な光景です。この豊かな土地もかつてはマンニャンの人々のものだったからです。
「土地が痩せている」「川(アムナイ川)と山に挟まれ、耕地が少ない」「耕作の動力であるカラバオ、農機具の不足」「十分な農業技術を持たない」などの問題を抱えながら、村人の意欲は高く、シャベルなどの工具が不足するなか、400メートルに及ぶ灌漑水路を短期間で完成させました。今後は灌漑を利用したコメの二期作、野菜栽培、用水を利用した魚の養殖など土地の多角利用をめざしています。
私たちはマンニャンの人々が民族の誇りを持ち、自立した生活ができるよう今後も息長く支援を続けていきたいと考えています。
パーマカルチャーの現場から
パーマカルチャーセンタージャパン代表 糸長浩司
●パーマカルチャーとは
パーマカルチャーとはパーマネント(永続性)とアグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)の合成語です。この言葉はオーストラリア人のビル・モリソンという生物学者が生み出したもので、オーストラリア人の先住民族であるアボリジニの自給自足的な暮らしに関する研究から出てきました。彼は次のように言っています。「パーマカルチャーとは、自然のシステムを生かし、農の魅力を暮らしのなかに取り入れることで、環境と共生した暮らしの永続的な場をつくるデザインを意味する」言い換えれば、近代的な暮らしが他律的で消費的なのに対して、より自律性の高い生産も含んだ暮らしをつくっていこうとする運動を示します。
例えば、アカシアの木を植え、ニワトリを飼ったとします。アカシアは窒素を固定しますから土が豊かになります。その土に野菜の種を蒔けば化学肥料を施さなくても育っていきます。アカシアの木や葉は随時、剪定し、マルチにして雑草を抑えたり、ニワトリのエサにしたりもできます。収穫の終わった野菜や木の葉のマルチはやがて土に戻り次に育つ植物の栄養となります。ニワトリは卵を産むばかりでなく、除草や耕起もしてくれます。残飯や野菜を食べ、土をより豊かにする鶏糞にしてくれます。さらにそこに果樹を植えれば、それほど手をかけなくても数年後には食卓を様々な食べ物が彩ってくれるようになるでしょう。小鳥、昆虫や様々な小動物が現われるのも楽しみです。私たちはこの過程を観察し、経験することにより自然のなかでの自らの位置を知り豊かで安定した心身を回復します。
●パーマカルチャーの倫理と原則
近代農業と違ってパーマカルチャーには定式化したマニュアルはありません。先述のアカシアやニワトリの例にしても、アカシアがなければ他の窒素固定植物を利用できますし、ニワトリよりもアヒルやガチョウが適している場合もあります。要は以下にあげる倫理や原則に基づき、自分自身のイマジネーションを使って体系をつくっていくことが大切です。
●3つの倫理
1. 地球への配慮 土壌、各種の生物、大気、森林、微生物、水など全ての生物、無生物に対して配慮すること
2. 人間に対する配慮 人間の基本的欲求を満たすこと
3. 余剰物の分配 余った時間と金とエネルギーを地球と人々に対する配慮を果たすように貢献すること
●10の原則
1. つながりのある配置
様々な異なる機能を持つ構成要素を余分な労働や汚染をなくすよう互いに関連するよう配置することを意味します。例えば、住居の場所を同心円の中心と考えれば、そこからあまり遠くないところに労働頻度の高い菜園や家畜小屋を配置し、それほど手のかからない果樹園や水田は遠くに配置するというように、関わりの頻度に応じて建物や畑などを配置します。
2. 多機能性
近代農業では一つの構成要素に一つの機能を持たせることで効率をあげようとしてきました。例えば、かつて日本の農村で見られた水路は川から畑や水田を潤したあと、民家のまわりを巡回し、また川に戻る構造になっていました。つまり、最初は「灌漑」次には「食器洗い」や「洗濯」といった生活用水の役割も果たしていたのです。ところが近代化とともに、「灌漑」には「灌漑水路」「生活用水」には「上水道」という機能別の対応が行われるようになり、かえって無駄なエネルギーが使われるようになりました。多機能性の別の例をあげれば防風林があります。風を弱めることはもちろん、果実、蜂のための花粉や蜜の供給、薪や家畜の飼料になるなどの様々な機能があります。
3. 多くの要素による重要機能の維持
良いデザインは全ての重要な機能が複数の方法により確保されています。これは一種のセイフティ・ネットづくりとも言えます。水や食糧といった必要不可欠のものに関しては特に重要な点です。例えば、その地域に合った主要作物を育てる一方で、異常気象に耐える品種の作物も育てておかなければなりません。
4. 区域、区分そして高度(土地の高さ)のプランニング
このプランニングはある地域内のそれぞれの要素に最も適した位置を決定するのに役立ちます。
<区域>
ある地域はその地域内で利用できるエネルギーの量によって様々な区域に分けられます。菜園や家畜のように頻繁に通わなければならない要素は家の近く、もしくは他の活動の中心に配置し、ココナッツの木など手のかからない要素は最も遠いところに置きます。
<区分>
土地を活動の中心から放射状に広がる楔形の領域に分けます。区分は太陽や風のエネルギーのように外部からのエネルギーによって決定されます。それぞれの領域はプラスのエネルギーを導き入れるか、マイナスエネルギーを阻止あるいは散乱させるようデザインします。例えば、風通しをよくし家を涼しくするための領域では風をよく通すために樹高があまり高くならない木を植えます。一方、冷たい風を防ぐ領域では風を止め、向きを変更するために高い木を植え、防風林とします。
<高度>
斜面を下るエネルギーの利用を考えます。例えば、家畜は糞尿による堆肥が重力によって斜面の下の方に降りていくように斜面の上部に配置します。その堆肥が斜面の下部に配置した池に流れ込むように配置すれば、養殖魚のエサとしても活用できます。また水源は灌漑に重力が使えるように同様に斜面の上方に設置します。
5. 生物資源
エネルギーの流れに目を向けることは持続可能な環境をデザインするために非常に重要です。生命のないものはエントロピーの法則に従がって時とともに壊れていきますが、命あるものは再生し共生関係にある他の要素と交流することによって時とともに適応性を増し、相乗作用によってより多くの自然の本来的な特性を利用して、食物や燃料、飼料や肥料、開墾や防虫、除草や防火、栄養の循環、そしてエネルギーの節約を行えます。例えば、アメリカによる経済制裁を受けているキューバは徹底した都市を含む有機農業を行っていることで有名です。(注)化学肥料や殺虫剤を買うだけのゆとりがないためです。最近、私も同国を訪れましたが日本の有機農業のレベルに比べるとまだまだ遅れていると感じました。例えば「ぼかし」といった発酵技術は伝わっていませんでした。「ぼかし」を含む土作りの英語版の解説書を海外に積極的に広めるべきだと思います。生物資源の具体的な例をあげれば、ニワトリと温室を隣接させる方法があります。ニワトリが放熱する体熱で温室が温められ、鶏糞を温室の土の堆肥にすることもできます。
(注)以下を参考文献としてあげておく。
・ 200万都市が有機野菜で自給できるわけ
ー都市農業大国キューバ・リポート
吉田太郎・築地書館・2002
・ 有機農業が国を変えた
─小さなキューバの大きな実験
吉田太郎・コモンズ・2002
6. エネルギーの再循環
ある地域において消費される生物資源を含むエネルギーは基本的に地域内において生産されなければ、エネルギーのバランスが崩れ環境破壊をもたらします。たとえ有機作物であっても、オーストラリアなど海外から輸入される野菜は、エネルギーが循環せず線形に終わっています。地産地消こそ理想の形と言えます。
7. 適正技術
地域で取れる素材と技術を用いて地域の条件に合わせて使われる技術のことです。例えば、太陽のエネルギーによって水を温める考えはどの場所でも適用できますが、西洋社会ではガラスや金属製を使い、ネパールの村では太陽に向けた土のブロックでできた斜面にプラスチックのパイプを通して水を温める方法まで様々です。
そのほか、
8. 自然遷移 9. エッジ 10. 多様性といった原則がありますが、今日は時間の関係上、割愛させていただきます。こうしたパーマカルチャーの実践は欧米では都市のなかの「エコシティ」「エコビレッジ」あるいは「コミュニティ・ガーデン」といった形で既に実践されていますが、第三世界でもスリランカなど幾つかの国では取り組みが始まっています。これからますますその役割が大きくなっていくと思います。
「先進国」「途上国の都市スラム」「途上国の農村」「途上国の先住民」の4つの異なる立場からみたパーマカルチャーの「メリット」「デメリット」「提案」についてそれぞれのグループに分かれ、話し合いを行いました。その後、グループ別に発表を行い、最後に講師からのコメントがありました。
<先進国>グループ
パーマカルチャーは「従来の近代農業とは違った知識が要求される」ので、「面倒臭く」、「化学肥料の投入中止などによる短期的な収穫減」などの覚悟がいる。小さなスケールで行うことはできるが、大きな地域で実施しなければ、個人的な自己満足で単発に終わってしまうのではないか。
<途上国都市スラム>
スラムは機能が細分化しているため、コミュニティとして機能を再構築するのはかなり難しい。いろいろな土地からの移住者も多くコミュニティを形成するのが難しいのではないか。
こうした問題を抱えながらも、メリットとしては都市にある資源の一つ、例えばゴミを活用して、バイオガスを起こすなどの方法が考えられる。その際、発生する液肥を農村に持っていくなど、都市スラムと農村の連携も考えてはどうか。具体的な生活改善のモデルを示せば、人々の納得が得られやすいのではないか。例えば、屋根をトタン屋根にして雨水を集めて利用するなどの方法が考えられる。
<途上国の農村>
パーマカルチャーは「効果が出るのに時間がかかる」、「システムづくりに労力がかかる」、「動機づけが難しい」、「効果が見えにくい」などの問題が考えられるが、パーマカルチャーには「生物多様性の確保」、「生態系のバランス」、「自然環境の安定とともに収入が安定する」などの多くのメリットがあるだけに、人々をいかに動機づけていくかが最大の課題となるだろう。
<途上国の少数民族>
マンニャンという半遊牧生活を営む少数民族を例にとって考察してみると、パーマカルチャー以前にマンニャンの人たちのことを知るのが最も重要。さらに、森づくりが鍵となるだろう。カシューナッツなど換金性の高いものと一年草を組み合わせて収益をあげるといい。ただ、パーマカルチャーではデザインが大事なので非識字人口が大多数を占める人々が独自に実行するのは難しいかもしれない。21世紀協会のミンドロ事務所の川嶌氏によれば「パーマカルチャー・マンニャン版」を提示して、彼らに受け入れられ、設計できる形のものを提供しているとのことである。
以上の各グループの議論を踏まえて、糸長氏から次のようなまとめのコメントがありました。なお、糸長氏は日本大学生物資源科学部助教授として学生の指導にもあたっている。主な著書は「2100年の未来の街への旅」(学研)、「地球環境建築のすすめ」(彰国社)などがある。
(1)スタートは小さく
先進国グループから「実践に参加するグループが大きくなければ意味がないのでは」という懐疑的な意見が出ましたが、パーマカルチャーはもともとスタートは小さく、徐々に広げていくことを基本姿勢としています。一人、一人の生活者レベルでできるところから始めていく、まず「自分は何をしたいか」をよく考え、実践を積み重ね、それを周りの人々に広げていくのが重要です。その意味ではローカルコミュニティをすべきです。
(2)都市のパーマカルチャーの先行事例に学ぶ
その具体的な事例としては、ニューヨークで行われているコミュニティ・ガーデンの実践があります。ホームレスの人々に都市の遊休地を提供し、食糧生産に従事してもらう取り組みです。またイギリスでも1970年代以降、失業対策の一つとして都市のなかに野菜づくりの場をつくる「シティファーム」や野菜を販売するための「エコセンター」をつくり、そこがまた環境教育の拠点になるなどの広がりが生まれています。また東京都の多摩ニュータウンでも団地住民たちによるガーデンづくりが進んでいます。
(3)まず相手を知ることから
こうした取り組みは第三世界でも有効ではないかと思います。そのとき、銘記しなければならないことは、外部からある特定の方法を押しつけるのではなく、彼らがまず何を持っているのかを充分、観察、調査し知ることが重要です。そして彼らが何を望んでいるのかをお互いに明らかにしたうえで、パーマカルチャーの考え方を提示するという過程を踏まなければなりません。最初から一挙に大勢の人に理解してもらおうとせず、数人でいいから納得して貰うことーこれが出発点となり、次第にコミュニティに広がっていくことをめざすべきだと思います。 |
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