※NGO:非政府組織(Non-Governmental Organizations)
第2回・ネパール:現場で活きる参加型手法とは何か
今回の研修では、(1)持続可能な開発や生産性向上をめざす農業・農村開発プロジェクトの成功例、失敗例などを学び、(2)PRAの実践的なスキル習得と(3)研修期間中にNGOスタッフが意見交換することを目標とした。 |
第1部 |
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JAITI農場訪問 (カカニ渓谷) |
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EM研究農場訪問 |
第2部 |
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JICAプロジェクトサイト見学(カトマンズ郊外キルティプール) |
第3部 |
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PRAトレーニング |
第4部 |
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ネパールNGO連絡会 カトマンズ会議参加 |
参加者コメント |
とき |
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2002年8月19日(月曜日)~24日(土曜日) |
ところ |
: |
ネパール |
主な内容 |
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第1部(8月19日~20日) |
JAITI農場訪問(カトマンズ市郊外・北部カカニ渓谷) |
第2部(8月21日) |
JICAプロジェクト見学(キルティプール) |
第3部(8月22日~23日) |
PRAトレーニング(カトマンズ市) |
第4部(8月24日) |
ネパールNGO連絡会 カトマンズ会議参加(同上) |
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PART 1
とき |
: |
2002年8月19日(火曜日)午後1時~5時 |
ところ |
: |
JAITI(日本農業研修場協力団)オフィス(注・参照) |
テーマ |
: |
商品作物の栽培・マーケティングに関する取り組みについて |
講師 |
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Man Bahadur Shresta(同農場支配人) |
参加者 |
: |
日本からの参加者12名、ネパール在住ワーカー1名、フィリピン在住ワーカー1名 |
(注)JAITIとは
Japanese Agricultural Inserivce Training Institute Foundationの頭文字の略。1989年、長野県出身でヒマラヤ登山に魅せられた菊池健介氏が登山を通じて交流の深まったシェルパ族の人々の生活向上をめざして農業指導を行うために設立された。目標としては、1)日本の農業技術導入による農家の生活水準の向上、2)学校づくりを通じての教育の充実をあげている。
●オリエンテーション
イチゴ栽培に挑戦する
カトマンズの北西25キロメートルに位置するカカニ渓谷に研修農場をつくり、水量豊かで都市に比較的近い地の利を活かした商品作物の栽培を行っている。まず着手したのがイチゴの露地栽培である。イチゴを選んだ理由としては、1)カカニ農場の気候や地味などがイチゴ栽培に適していたこと 2)イチゴはランナー(つる)で増えるため種がいらず、コストも安く苗を増やしやすい。3)大消費地であるカトマンズに近い。なお品種としては女峰(栃木県産)を選んだ。現在、7,500・の畑から1~1.5トンを収穫している。
近隣農家への伝播
5年間の実験栽培の後、商業化にメドがつき、研修を希望する近隣農家に徐々に技術提供を広げていった。1994年から1995年にかけて30名の研修生を受け容れ技術指導を行ったところ、1995年に農家45軒がイチゴ栽培を開始した。翌96年には200軒に増え、2002年現在では700軒に拡大している。JAITIでは現在、イチゴに引き続き、キウイとサツマイモ栽培にも取り組んでいる。
●農家見学
午後から二つのグループに分かれ、JAITIから徒歩15~20分ほどのイチゴ栽培農家を訪ね、苗の植付けを見学するとともにインタビューも行った。
欲しいものは買った
Sumita Shresthaさん(22歳)は5年前にJAITIの研修を受けたのをきっかけにイチゴ栽培を始めた。6人兄弟の長女。赤い野球帽を被ってきびきびとよく働くしっかり者。栽培面積は約600・。年間1~1.5万ルピーの売上に対して肥料や市場までの運搬費用などのコストは2,500ルピーで済むので残りは全て儲けとなる。最初の収穫で白黒テレビ(6,000ルピー)を買ったのを手始めにミシン、自分と妹二人に金のイヤリングを購入。あとは弟や妹の学資にしている。「欲しいものは殆ど買った。あとは1万5,000ルピーを貯めてカラーテレビに買い換えるのが目標」と笑う。実家はとうもろこし畑も持ち、家は3階建てで大きく、生活全般に余裕が感じられた。
生活が忙しくなった
上記のようにイチゴ栽培の導入によって確実に現金収入が伸びているのに対して、逆に問題も生じている。
イチゴ栽培の前には大工仕事をしていた別の農民は現在、所有地の全てでイチゴ栽培を行っている。年間6万ルピーの売上があるが、化学肥料、殺虫剤、苗づくりのためのプラスチックや苗などのコストがかかり、現在、1.5~2万ルピーの借金がある。その理由としは以下をあげる。また印象的なコメントとして「イチゴ栽培を始めて生活が忙しくなった」との言葉があった。
1)連作障害
毎年、畑を休ませることなくイチゴを植えているので、だんだん実が小さくなりC等級のものが増えている。(注)また病虫害も発生しやすくなっている。
(注)イチゴは次の3等級に分かれる。
A等級 |
一粒の重さ 30グラム以上 |
200ルピー/キログラム |
全収量の20% |
B等級 |
15~25グラム |
100ルピー/キログラム |
20% |
C等級 |
15グラム以下 |
50ルピー/キログラム |
60% |
これより小粒のものは10ルピー/キログラムでジャムやフレッシュジュースの材料として売られている。JAITI農場でも年々この割合が増え4割がこれに該当する。
2)価格低迷
質の低下と連動し、仲買人の買値が低下、収益が減少している。
周辺の農家でイチゴ栽培を始めたときは仲買人を通して行っていたが、中間搾取が過大との苦情が出て、その後、3年間はカトマンズに各自が直接、運搬し、外国人の多い高級ホテルや大使館向けに販売を行っていたが、販路の開発が難しく4年目に栽培農家を5グループに分け仲買人を間に入れた共同出荷に転換した。マーケティングの難しさを感じさせる。
3)別の作物への転換
イチゴ以外の作物、例えば、キウイへの転換を検討している。ただし、すぐ収穫できるイチゴと違って実が成るまで5~6年間かかるのが負担に感じる。JICAのある農業関係者は「キウイは受粉期に霧が出ると受粉しにくい性質を持つため、霧が出やすいカカニ渓谷では栽培が難しいが、JAITI農場だけは地形的になぜか霧がかからない。こうした事情を知らない農家が安易にJAITIを真似ると失敗する恐れが高い」と警告する。
●農家との話し合い
とき |
: |
2002年8月20日(火曜日)午前9時30分~12時00分 |
ところ |
: |
JAITI(日本農業研修場協力団)カカニ農場 |
テーマ |
: |
昨日に引き続き、イチゴ栽培農家3名にインタビューを行った。 |
いずれも6年前からイチゴ栽培を始めている。とうもろこしや大根に比べて見入りがよいのが魅力。年収も以前に比べると2倍以上増え、生活に困らなくなった。家を建てたり、テレビも購入した。その一方、最近、イチゴの質が低下しているので他の作物がないかと思い始めている。
上記のフィールド調査やインタビューに基づき、研修参加者のあいだで次のような議論を行った。
1. 質の低下
1-1 技術水準が停滞
JAITIから一度、トレーニングを行うだけで、同農場から農家の要請に応じて技術指導を行うシステムは採用しておらず技術水準が停滞している。
1-2 水不足
2日に1回、水遣りが必要なため、水の確保に苦労する農家も多い。
1-3 地力低下
有機肥料と化学肥料のバランスが悪い。化学肥料を入れ続けると土が硬くなる弊害も出ている。但しJAITI農場ではぼかしを使った堆肥づくり・土づくりが始まっている。
1-4 供給過剰
価格低下に直結。但し、今のところ、それでもなお、とうもろこしや大根などに比べると単位面積あたりの収益率が高いため栽培が続いている。
2.連作障害
毎年、同じ場所に同じ作物を栽培することによる弊害はナス、トマト類にもっとも顕著だが、「嫌地」とも呼ばれる連作障害はイチゴも例外ではない。
こうした問題についてJAITI側は農民の創意工夫に任せることに徹しているため、指導を受けたい農民はあくまで2年間の研修を受けるのが前提となっている。Shrestha氏(同農場支配人)は「これまでNGOは余りにも手取り、足取りの指導に走り勝ちだった。私たちはあくまで意欲を持つ農家に対象を絞った指導を行っている」と話し、「700戸の栽培農家は自己責任において現在の問題に対処すべきだ」と今後の推移を見守る姿勢を取っている。「開発を真に望む者にこそ資本を投下すべき」とする、ある意味で厳しいJAITIの手法について参加者からは「普段、意欲に乏しい村人をどうプロジェクトに参加させるのかに苦労しているため、こうした突き放したやり方もあるのかと参考になった」との声も多かったが、JAITIが商品作物栽培=現金収入向上プロジェクトを地域全体の総合開発の文脈のなかでどう位置づけているのか疑問が残ったのも事実だ。
☆参加者の声から
●イチゴをつくる女性たち
カルナリ協力会事務局長 清沢 洋
長年ネパールでNGO活動をやっていても、自分のプロジェクトの行き帰りが精一杯で、よそのプロジェクトを見学する機会はなかなかなかった。今回、ジャイチのイチゴ研修農場を訪れることができて、ほんとうに楽しかった。換金作物が村人にとって、どんなに魅力的なものであるかということが良く分かった。同時に問題点も、ある程度知ることが出来た。
食べるだけで精一杯の従来の農業に対し、換金作物により今まで買えなかった金のブレスレット、ミシンなどを女性の収入で買えるようになった。ネパールで問題になっている女性の立場が、知らない間に解決している部分もある。まさに換金作物による副産物である。
一方、化学肥料を使って4~5年経つと土壌疲弊し始めるという現状があった。途上国の農業のあり方を、改めて考えさせられるきっかけになった。必要にせまられて大量生産で土地を酷使した20世紀を反省する時期に来ていると思った。
市場経済に参加できる地理的条件のもとにあるカカニ村では、換金作物に挑戦することができたが、陸路もない村では非常に困難である。自力で収入を得て喜んでいるカカニの女性の自信に満ちた元気な顔を見ていると、私たちカルナリ協力会が支援している西の僻地ディリチョール村でも何か検討することの大切さを痛感した。ジャイチの先人が貴重なエネルギーと時間を費やして試行錯誤しているから、良いところもまずい所も見えてくる。ありがたいことである。感謝しています。 |
●現場に活きる開発協力とは
NPO法人ヒマラヤ保全協会 田中 博
近年JAITIのイチゴ栽培の話を耳にし、その成功の秘訣などを学びたいと思っていました。新しい品種を導入する試みは多くのNGO団体で行われていますが、せっかく作物ができてもマーケティングなどが不十分で普及できない例をたくさん見ているからです。
JAITI農場はカトマンズからバスで一時間半程度の山の中にあり、標高もやや高く夏とはいえ肌寒い感じです。農場はきれいに管理され、支配人のマンバハドゥールさんが笑顔で案内してくれました。農場にはイチゴをはじめ、キウイなどが育てられています。日本人専門家も含めいろいろな作物を試した結果、1994年頃からイチゴ導入に絞りました。当初から販売することを念頭におき、仲買人を利用してカトマンズのホテルなどで外国人向けに売るなど現実的な対応をしていたそうです。
印象に残ったのは、厳しいJAITIの援助方式です。イチゴが有望だとわかってもJAITIから農民に積極的に宣伝はせず、「JAITIで販売して良い結果を見せ、教えを請いに来た人に教える」そうです。イチゴを導入した農家では現金収入も増え、女性が自由にできるお金ができたなど大変喜んでいました。「ネパールでは教育も不十分で、口で教えるだけでは、なかなかわからない。自ら失敗しそれを乗りこえることが大切」とのこと。別の農家ではイチゴで一時的に成功したものの、連作障害で収量減に悩んでいました。そのような場合もJAITIからは手を差しのべず、あくまで農民が協力を依頼するまでジッと待っているそうです。
一見冷たくも見えますが、参加者の中には「一方的に助けるだけでは、いつまでも自立できない」と愛のムチ?を評価する声もあがりました。ネパール人に聞いてもカカニのイチゴは有名で、その功績はとても大きいと感じました。実践的なマーケティングは学ぶところ大だと思います。 |
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PART 2
とき |
: |
2002年8月20日(月曜日)午後13時30分~14時30分 |
ところ |
: |
コミュニティ福祉・開発協会
同カカニフィールドオフィス
EM農場(JAITI農場近く) |
テーマ |
: |
ネパールにおけるEM菌の有効性や普及状況について
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同協会はネパール国内でのEM菌の普及を目的に設立されたもので、研修生の受け入れや専門家派遣などの活動を行っている。
EM菌(
Effective Microbio)菌とは1982年に琉球大学比嘉照夫博士が開発したもので、自然界に存在する微生物約80種類の「複合微生物(光合成菌、酵母菌、放線菌、乳酸菌)」を意味する。その特徴は好気性菌と嫌気性菌が液中で共存していることだ。米糠にEM菌を混ぜ、米糠を酸化腐敗させることなく、醗酵させるので優れた有機質肥料ができる。
例えば、その効用として同研究所は次の点をあげる。
◎土壌改良
農地の土壌は大別すると「腐敗型土壌」と「醗酵型土壌」に区別されるが、現在農地の大半は腐敗型土壌。したがって農作物に害を及ぼす微生物(セン虫等)の占有率が高く、病虫害の発生も高くなる。それに対して醗酵型土壌では病虫害の発生も少なく優良な農作物を作り出すとされている。
EM菌を使った場合には、米糠で培養し有効微生物が土壌中で一層拡大し「醗酵合成土壌」とするため、土壌を浄化し作物の根張りと特に燐の肥効を増大させ作物の成長を助け、色ツヤ、食味、コクのある農産物を生み出し、他の有機質肥料とは比較にならない効果を発揮する。
カカニ地域では約10軒のイチゴ栽培農家がEM菌を使用しているが、「味が良くなる」「実が堅く傷みにくい」「葉がきれいになる」などの効果が出ている。また、カトマンズの中流階級以上の家庭で有機野菜の需要が出始めているので、近隣の農家1軒が直接、カトマンズに出荷している。
またブロイラーの肥育も通常は1ヶ月に1・というところが、EM菌を使用すると1ヶ月で2キログラムの体重増となる。また、水牛やヤギの飼料などにEM菌を混ぜると「味が良くなる」「肉が増える」などのメリットが見られる。
こうした数々の利点に比べて、EM菌を使用する農家が増えない理由として「コストの割には期待したほど効果が上がらない」「土壌改良の効果が上がるには6~7年かかるため大方のネパール人には負担が大きい」などがあげられる。
PART 1
とき |
: |
2002年8月21日(水曜日)午前9時30分~10時30分 |
ところ |
: |
キルティプールJICA農場 |
講師 |
: |
兀下敏幸氏(シニア協力隊員) |
カトマンズから東に車で約30分の距離にあるキルティプール国立実験農場を訪問した。JICAは1985年から技術支援、特に果樹栽培に力を入れている。ブドウ、ナシ(幸水など)、カキ(フユガキ、禅寺丸)、キンカン、リンゴ、イチジクなどの日本の果樹が植えられている。
ここでは主に、1)ネパール各地からやってきた農業普及員への技術指導、2)苗木の育成、3)遺伝子資源の保存、4)品種改良、5)技術指導の本を出版を行っている。JICAは協力隊員派遣を通じて2002年から2007年の5年間で行う「園芸普及計画」を進めている。シニア協力隊員1名と野菜・果樹を専門とする6名の隊員で構成される。
PART 2
とき |
: |
2002年8月21日(水曜日)午前11時00分~12時00分 |
ところ |
: |
キルティプール近くの農家 |
講師 |
: |
兀下敏幸氏(シニア協力隊員) |
交通量の激しい道路から30分ほどなだらかな丘を登ったところにある農家を訪問。1反あたりカキ40本を植え付け完了している。今年3月に植えたばかりで収穫できるようになるのは2年後に収穫を予定している。
こうした果樹や野菜の栽培方法が普及することにより、都市に近いところでは現金収入の途が広がるとともに、自家消費することによる栄養状態の改善も期待できる。ネパールの新生児の3割は2,500グラム以下の未熟児で産婦の多くは貧血といわれている。豆の汁(ダール)と米と少量の野菜の食事の影響が大きい。より多くの野菜と果物を摂取しない食生活は貧しいからだけでなく、果樹や野菜の栽培方法が普及していないこともあげられる。同プロジェクトが近い将来、ネパールの食生活の改善に力を発揮することを期待したい。
PART 3
とき |
: |
2002年8月21日(水曜日)午後3時00分~5時00分 |
ところ |
: |
JICAネパール事務所(カトマンズ市内) |
講師 |
: |
亀井温子(事務所長アシスタント) |
内容 |
: |
JICAの村落振興保全プロジェクトに関するオリエンテーション
JICAでは1991年から「村落振興森林保全プロジェクト」に取り組んでいる。1991~1994年にかけてプロジェクト立ち上げ期、1994~1999年の第1フェーズ、1999~2004年の第2フェーズとなっている。プロジェクトの特徴としては参加型開発を強調している点である。 |
1)地域コミュニティへの直接投資
ネパールの行政組織は国のもとに
District(郡・日本の都道府県に相当)が75あり、その
Districtごとに10の
Village(市)があり、その市ごとに10の
Ward(村)がある。それぞれの行政単位ごとに
District Development Committee (DDC)、
Village Development Committee (VDC)がある。
JICAがカウンターパートとして選んだのはこのコミュニティに最も近いWardである。例えば、実施地域の一つポカラ(ネパール西部・カトマンズから車で6時間)では、計画づくりの段階からプロジェクトが直接的に便益を受ける人々の参加を促し、ニーズアセスメント(飲料水の確保、トイレ、道路補修、架橋など)を行うとともに、ポカラに専門家を置くとともに住民参加を促進するため10名の協力隊員を村ごとに1名、滞在させた。なお、現在は毛沢東派共産ゲリラの襲撃の恐れがあるため、協力隊員も村へは立ち入り禁止となっている。
2)WCC(
Ward Conservation Committee)の結成
JICAでは村のなかに住民主体のグループをつくることに力を入れ、村の代表5名、従来の村長や有力地主などのパワーグル―プから2名、その他のグループから数名、計10名で組織するWCCの結成をめざしている。特に発言権の弱い女性の立場を強化するため、女性が3割以上含めるよう働きかけを行っている。
3)WCCもプロジェクトコストを負担
現在、ポカラで進めているのは山から水を村まで運ぶ簡易水道建設だが、そのコストの4~6割をコミュニティで負担するよう求めている。
PART 1
とき |
: |
2002年8月22日(木曜日)午前10時00分~17時00分 |
ところ |
: |
Center for Self-help Development (自立開発センター) |
講師 |
: |
Mr. Ram Kumar Shresta |
内容 |
: |
PRA理論編
まず3人ずつのグループに分かれ、1)このセミナーに期待すること 2)特にPRAのどの部分を知りたいかをそれぞれ出し合った。
1)に関しては、どのようにPRAを実施するのか、PRAの有効性、PRAの限界、PRA以外の調査手法、PRAの種類などがあがった。
2)に関しては、PRAの長所・短所、PRAを行うファシリテーターの資質などがあがった。それらを受けて、講師からPRAとは何かの説明があった。 |
Rapid Rural Appraisal(短期農村調査)
1970年代までは地域開発の事前調査をするためにとられた手法は主に戸別訪問だった。そのためには5~6ヶ月の時間がかかるのが難点だった。1970年代になって代わって流布し始めたのが「
Rapid Rural Appraisal」(短期農村調査)と呼ばれるもので村のなかの幾人か、あるいは集会所に集まった人々にインタビューすることによって必要なデータをすばやく集め、オフィスで加工する方法である。
PRA(Participatory Rural Appraisal)
次に1990年代になって広がり始めたのがPRA(
Participatory Rural Appraisal)だ。この手法は人々が積極的に参加することによって人々の思いや生活状況などが把握できるため、ニーズアセスメント、プロジェクトの有効性調査や人々にとっての優先分野を確定する上で効果を発揮する。
実際にPRAを行う場合、次の6つの手順で行う。
1)場所の選定と当該政府諸機関への通知
2)PRAチームを編成
3)予備調査(現場を下見)
4)PRA実施 対象以外に集めることのできるデータも含め全て記録し、調査に要した時間も記述しておく。
5)データを収集
6)分析
PLA(Participatory Learning Action)
また1990年代後半から用いられるようになったのがPLA(
Participatory Learning Action)である。これはPRAがともすれば人々にとってはNGOやGOの側にデータを提供しただけだった反省から、PRAで得たデータをもとに人々とNGO/GOがともに開発計画をつくろうというものである。ちなみに下の表は人々の参加の度合いを示したものである。
レベル1 |
消極的な参加 |
質問にただ答える |
レベル2 |
関係性の樹立 |
NGO・GOと人々の間に信頼感が生まれてくる |
レベル3 |
資源の動員 |
灌漑、水源の活用 |
レベル4 |
行動 |
NGO・GOが作成した計画に参加 |
レベル5 |
評価 |
計画への質問が人々から出る。 |
レベル6 |
自立自助 |
自ら計画作成 |
<社会地図づくり>(
Social Mapping)
実際に参加者を4つのチームに分け、自分たちが宿泊いているカトマンズ市内のホテル周辺のTamel地区の社会地図を描いた。
また、その地図をもとに観光客の目から見た地域の特性を列挙した。主に9つのポイントがあがった。1)道路が狭い 2)道路が濡れて滑りやすい 3)屋根から雨が降ってくる 4)渋滞 5)ドラッグ 6)物乞い 7)騒音 8)人口過密 9)閉店時間が早い
また、このほかに<優先順位付け>(
Preference Ranking)や<幸せランキング>(
Well Being Ranking)がある。何をもって幸せとするかどうかは調査に参加する人々の価値観に基づき、彼ら自身がデザインするのがよい。例えば、「1年のうち何ヶ月間、米を食べられるか」「貯金あるいは借金の有無」などが基準としてあがってくることが多い。
PART 2
とき |
: |
2002年8月23日(金曜日)午前10時00分~17時00分 |
ところ |
: |
Center for Self-help Development (自立開発センター) |
講師 |
: |
Mr. Kamal Phuyal |
内容 |
: |
実践編
講師は12年以上の経験を持つPRA研究及び実践のネパールにおける第一人者である。最近もJICAに招かれ、神戸や福岡でセミナーを行っている。 |
はじめに
PRAを実施するとき、気をつけなければならないことは村人と一口にいっても単純ではなく多様性を擁していることである。例えば、ファシリテーターがある村でただ1回のPRAしか実施しなかったとすれば、VDC(
Village Development Center・日本の村にあたる)議長、教師とビジネスマンといった支配階級の声しか聴けないだろう。村人が彼らの前で発言することは不可能に近いからである。
また属性に従がって、例えば、村人を男性グループ、女性グループと子どもグループに分けてPRAを実施するとそれぞれのグループの優先順位の違いが浮かび上がってくる。日本でPRAを実施したとき、自分の理想とする児童公園像をテーマにすると大人たちは必ず何らかの遊具を置きたがるのと対照的に、子どもたちだけのグループは遊具を一つも置かないことを選択した。
このあと、3つのグループに分かれ、実際に様々なPRAの手法を使う演習を行った。
<
Direct Matrix Ranking>
富農、ポーターや貧農がそれぞれ抱える問題の優先順位を探る。
<CSDキャンパスの
Social Mappingの実習>
会場周辺を3つのグループに分かれて、観察したことを絵や小石などを使って表現する。(写真、参照)
ファシリテーターとしての要件
「ファシリテーターとしてふさわしい人はどういう人か」の設問が講師から出され次のような意見が次々と出された。例えば、正直な人、無私の人、愛のある人、公平な人、心・空気に敏感な人、話しをよく聞く人、経験豊富な人、相手の立場に立てる人、政治的志向のない人、忍耐強い、人の関心を惹きつけられるなどが挙げられた。
これを講師が次の3カテゴリーに分けた。
1.態度 --------------------------ハート |
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*笑顔 *他人を励ます *魅力的
*よく話を聞く *正直 *敏感
*友好的 *純粋 *公平
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2.知識・技術--------------------頭脳と手 |
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* 論理的 *開発現場での経験
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3.コミュニケーション--------------ハート |
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*情報豊か*観察力が鋭い
*よく人の話をきく *分析的 *交渉能力が高い |
この結果からみると理想的なファシリテーターとは例えば、自分の娘にふさわしいパートナーを探すときの基準と似ている。すなわち、彼が第一に絶対持っていなければならない資質、次に彼が備わっていなければならない資質、第三に彼が持っていた方が好ましい資質と重要度を分析的に捉えることが重要である。
項目の数からいっても知識・技術よりも態度の面がもっとも重視されていることがわかる。あるいはこの三つの要素を人体に即してみると知識=頭脳であり、技術=手を示し、最も重要な態度はハートを意味する。PRAとはどう生きるかの概念そのものであり、人々を解放する手法の一つともいえる。
優れたファシリテーターとして以下の3つの条件をあげておく。
1)最も疎外された人々とともに働くこと
2)開発そのものが人々に利益をもたらすものでなければならない。決してファシリテーター個人を利するものであってはならない。
3)ファシリテーションそのものの技術は問題ではない。熟練によって身につく。
☆参加者の声から
●ネパールの農民と一緒にPRAをやりたかった
やしの実の会 伊東 剛
国による状況や地域差の違いを自分の目で確かめ農村の人達との接し方やコミュニケーション方法を現場で感じとり、それを私たちの会の活動に生かしたいと思ったのが参加の第一の理由です。実際の現地視察では良い面もあるものの問題点も多く抱え支援の難しさをひしひしと感じました。地道な努力には頭が下がりましたが、問題の解決など時間がかかり長い目での支援や協力の大切さをより感じました。例えば、JAITIでは作ったあとのイチゴをどう売るかマーケティングの問題が浮き彫りになりました。NGOにとって苦手な分野ではないかと思い、その重要性を感じました。
またPRAの講義に関しては、実際に村の人達と一緒にやってみて反応や空気を感じとりながら実習するのもより効果的ではないかと思いました。国際協力は答えがないとよくいわれますが敢えて言うならば、答えを探し続けることが答えではないでしょうか。今回の研修では農村開発の深さや難しさをより感じるものとなり、これからも多くの人たちとともに考えていかなければならないと思います。 |
●新鮮だったPRA研修
日本・バングラデシュ文化交流会 出澤兼弥
JAITIのカカニ農場での体験と指導する周辺農家の見学、EM方法実施農場での視察と普及方法実態などは、今は日本から直接指導に来ていないものの、現地のスタッフだけで自立しながら素晴らしい成果をあげ、手法を周辺村々へ広げるまでになっていました。指導する方、受ける方の信頼関係が作り上げた結果を見させてもらいました。
PRA研修では、要求要望の把握について考えて見なかった方法について、勉強できました。その基本である、みんなの意見を出させるか、いかにお互いの信頼関係が築けるか、そのためにはどういう接し方をすればよいのか、自分の考えを無理やり押しつけていないか、他の人の話は聞けているか、常に行動を振り返りながら、活動していくことを基本にしていくのが事業の成功につながる道だと思いました。 |
●PRAを実際に現場に導入――結果は上々
特定非営利活動法人 21世紀協会 川嶌 寛之
今回のPRA研修は昨年度のインド研修で身につけた基礎知識をもとに、実際に自分が受益者の立場で体験してみるといったもので、具体的にどのように応用すればよいかを実感することができた。特にフィリピンのミンドロ島で7年以上滞在し、地元の少数民族マンニャン族に対する教育、農村開発にのみ従事してきた私にとって、自己評価する格好の機会となった。
過去10年、開発手法は随分と変わってきた。「はこもの」から「草の根」へ、「デリバリー」から「住民エンパワーメント」、「住民参加型」へと毎年のように新しい造語が生まれている。
しかし、「いかに」開発するかが議論される一方、「なぜ」あるいは、「何を」という本質論はあまり聞かれない。そもそも方法論は目的の下位にあるものであり、目的、ヴィジョン無しでは無意味である。「なぜ」「何を」を問わない開発は、グロバリゼーションに対するプロかアンチかを議論するばかりで、新しいヴィジョンに欠け、ますます困窮する世界経済の現状と似ている。
フィリピンに帰国後、PRA実践の機会をうかがっていると、パイロット事業地で住民の土地争いが起き、さっそくPRAを導入してみることにした。教育を受けず、字も全く読めない住民であり、かなり不安もあったが、結果は上々であった。土地争いが原因で村を離れていた住民がPRAのミーティングを重ねるたびに村に戻り、住民に笑顔が戻ってきた。PRAのすぐれているところは、さまざまなツールを使うことにより、情報を村人全員が共有でき、客観的に眺めることができるところだ。それによって回答は自ずとあぶりだされる。ソクラテスの産婆法に似ているかもしれない。ファシリテイターは住民が自ら問題を解決するための産婆に徹するのだ。ネパールのPRA研修では、PRAは「なぜ」でも「いかに」でもなく、開発に対する「基本姿勢」ということで少し煙に巻かれた感じがしたが、これから住民と共にPRA活動を通して「なぜ」「何を」を探っていきたい。 |
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第4部 NNNN(ネパールNGO連絡会)カトマンズ会議 |
とき |
: |
2002年8月24日(土曜日)午前10時00分~12時00分 |
ところ |
: |
社会福祉協議会(SWC)会議室(カトマンズ会議) |
2000年に初めて行われたNNNN(通称4N)(注)カトマンズ会議に引き続いて第2回の会議が200人近い参加を得て行われた。午前の部では4Nカトマンズ連絡員の大同敏博氏と同運営委員長である清沢洋氏の挨拶に引き続いて在ネパール日本大使館から佐藤三郎一等書記官、世界銀行ネパール事務所代表の大橋健一氏がそれぞれ次のようなスピーチを行った。
NGOへの支援を拡大
在ネパール日本大使館 一等書記官 佐藤三郎氏
最近、外務省ではNGOとの協力体制の強化に力を入れています。ネパールは南西アジアのなかでもLDC(
Least Developed Countries)の一つとされ開発のニーズが高い国です。日本は二国間援助としてはネパールに対する最大の援助国であり、人材育成、農業、医療やインフラ整備などの分野を中心に900億円の無償技術協力、170億円の無償資金協力や200億円の有償資金協力を行っています。
外務省では1989年以降、内外のNGOを対象に草の根無償資金協力を行っています。日本のNGOに対しては、従来の草の根無償資金協力等の内容を整理・統合した日本NGO支援無償が今年6月に創設されましたが、一部本部関連経費も支援対象となるなど、支援内容が充実しています。支援が拡大すると同時に、NGOに対してもさらに外部監査などの導入による資金管理の透明性や説明責任が厳しく問われることになります。この制度に対する問い合わせや応募は本省とともに在ネパール大使館でも行っていますので気軽に相談してください。NGOの皆さんの経験と知識を生かして優良プロジェクトの応募を期待しています。
地方分権とNGO活動
世界銀行ネパール事務所代表 大橋 健一
ネパールの開発をマクロの視点で見た場合、無視できないのは分権化の進展です。NGOの皆さんには是非、この点に配慮して活動を進めていただきたいと思います。中央政府からDDC、VDCさらにコミュニティレベルへと権限を委譲していく流れがあります。
第一は教育の分野です。1971年にそれまでのコミュニティレベルで組織されていた公立小学校の全てを中央政府が管理することになり、改革の質がかえって悪化したといわれてきましたが、2002年4月、コミュニティが設置する学校運営委員会に学校の教員やカリキュラムを任せる方針が打ち出されました。約2万ある公立小学校のうち、100校が制度への移管を希望する申請が出ています。
第2は保健の分野です。ヘルスポストの管理をVDCに任せる方針になっていることを活用しVDCと関わりの深いNGOこそ手腕を発揮できる環境になっているのではないかと思います。第3に世界銀行では小規模のインフラに関してはコミュニティレベルに直接、支援を行う方向を探っています。この場合、世界銀行としてもNGOの支援、協力に大いに期待しています。
(注)ネパールNGO連絡会=
Nippon NGO Network for Nepalはネパールで国際協力活動を行っている日本のNGOのネットワーク。1993年6月に発足し、2002年11月現在、46団体が加盟している。情報交換や協力を推進し、NGO活動全体の質の向上をめざしている。
連絡先:NPO法人 ヒマラヤ保全協会内
電話:03-5350-8458
ファックス:03-5350-8459
eメール:ihcjapan@par.odn.ne.jp
☆参加者コメント
●頻発する日本人のNGO活動の失敗を防ぐために
日本ネパール教育協力会・京都NGO協議会会長 石田 進
私はネパールで奨学金活動を中心にしたNGO活動を始めて25年になります。かつて私はあるNGO機関誌に日本のNGOのことを「ヒマラヤから見れば、日本からネギを背負ったおいしいNGO鴨の飛来である」と書いたことがあります。在ネパール日本大使館のある書記官は「多くの日本のNGOは日本大使館に助言を求めてくるが、助言してもほとんど耳を貸さず、あまりにも簡単にだまされるケースが多い」と心を痛めていました。
私も日本のNGOが「鴨ネギ」にならないよう、団体がお互いに協力し合ってそれぞれの一隅をも照らすよう心を配ってきましたが、やはり、ネパール人、ネパールに滞在する日本人などから騙される人は後が絶ちません。
私はここで、誰が正しいとか悪いとかを問題にしているわけではありません。何が正しいか、何が悪いかを問題にしたいのです。当然、相手の資質が問題ですが、こちらもチャンスを相手に与えてはいけないのです。
それにはどんな注意が必要か、どんな手法があるかのか、失敗したときの修復方法などは次の機会に譲りましょう。いずれにしても万能薬はなく、各人、各団体が失敗を体験し、直接、学ぶのがもっとも早道かもしれないと思うようになりました。そして不幸にして失敗した場合にはどうすればよいかを学ぶとともに失敗の再発を防ぐためにも多くの失敗の事例を研究することもお勧めします。 |
●足元を見直せた一週間
財団法人 オイスカ 鈴木千愛
JAITI~本当の「自立」とは?~
「失敗しても聞きにくるまで教えない」「研修者募集は行わず、自主的にやりたい人が来ればいい」これだけ厳しい支援を行っているNGOに出会ったのは初めてだった。目が覚めるような思いがした。今まで私は「支援」というと「抜け出たくてもどうにも抜けられない環境下にある人たちにそのキッカケを与えること」と考えていた。でも、JAITIの活動方針を聞き、本当の「自立」の形をあらためて考えることができた。やる気、意欲を「引き出す」ような活動こそが「自立支援」と言えるのではないかと。実行する人の意欲が伴わなければ継続は不可能に近いのだから。
PRAワークショップ~どう取り入れていくか~
PRAのようなどこまでも徹底的に、理論的に整理されたプロセスを示されたことで、自分の所属するオイスカの開発プロセスの特徴、課題や良い点も客観的に整理して見つめ直すことができた。
PRAのやり方全てではなく、自分たちの活動のやり方に合わせられるものだけを、少しずつ取り入れることから始めてみたい。無理のないやり方で少しずつめざす理想の形に近づけていけたらいいと思う。ただ、PRAを全くそのままの形で取り入れるとしたら、今までのオイスカの良さまで薄れてしまいかねないし、あまり細かいところまで、そのシステムにとらわれすぎると、開発というものに温かみがなくなってしまいかねないと思う。 |
●有効だったPRA研修
シギリヤ レディー ネットワーク 鈴木睦子
土砂降りの雨の中を、水浸しの田んぼの細いあぜ道や、粘土質の山道を上り下りし、蛭に襲われた経験はまさにJANARDならではの研修でした。ゴム長靴を這い登って来る蛭は払っても払っても、次から次と襲ってきました。イギリスのサセックス大学教授のR・チャンバースは、「表面に現れない貧困(unperceived poverty)」を指摘しています。現地政府など援助機関の人びとは、雨の降らない乾季の天気の良い日に、車で行ける幹線道路脇の、比較的恵まれた村人の生活しか見ないため、本当の貧困は知られることはないと。研修参加者は、ネパールの農村の現実を五感で体得できました。
PRAの講義と実習は非常に勉強になりました。今まで誰からも注目されなかった村人が、プロジェクトづくりに参加することは、思考力や認識力を刺激するのに有益と考えます。村人自身が、生活を見直し、向上したいという意識を持ち、行動することが一番重要です。結局、私たちは外部者であり、彼らを側面から応援することしかできないことを、私も実感しています。PRAを私たちの現場でどのように活用できるかは試行錯誤が必要です。状況にあった良い形のPRAを考案していけたらと考えます。また、日本やスリランカでの会の運営自体にもPRAを取り入れてみたいと思います。TQCの方法とどこか通じるところがあります。皆が参加し意見を述べることは、関係者の意識づけ、責任感を育てるのに大変役に立つと思います。 |
●子どもたちに教育を与える豊かさを
やしの実の会 星野亜季
JAITI滞在中、私にとって最も新鮮だったことは、ネパールの子供達と遊んだことだ。折り紙やお絵かきをしていると、子供達が皆、自分の名前を私のノートに書いてくれた。一番上のお兄ちゃんがネパール語と英語で名前を書いたので、「英語を知っているの。」と聞いたら、「学校で習っている。」と言い、私が少し英語を理解できることがわかると、他の子供たちも片言の英語を話し始めた。皆、学校で習ったことを言い始めて、私はなんだかとても明るい気持ちになった。子供達は好奇心に溢れていて、とても輝いていた。この子達から知的好奇心を奪う権利が誰にあるのだろう。
イチゴ農家は他の農家に比べ収入が多く比較的豊かであると聞いた。近郊農家の人々は物質的豊かさを求めがちであるようだが、この子供達が教育を受けられる豊かさを生んだJAITIを私は素晴らしいと思った。開発援助とはこのように素晴らしい変化を与えるものなのだ。開発援助に関わる多くの方がそれをめざして努力されているのであるが、成功することはなかなか難しいらしい。
では、どのように開発援助を行えば良いのか。これについてはJICAのことが参考になった。JICAでは開発プログラムの期間が決まっており、その中で参加型農村開発の手法を取り入れ、もっとも大切なことはプログラムが終了してもその開発が円滑に進むシステムを作ることだという。つまり長期的な支援はあえて行わない。一方で、NGO団体はその長所の一つとして長期プログラムができる。しかし、資金面ではJICAにくらべ圧倒的に苦しい。これからはお互いの短所を補うJICAとNGOの協力が必要不可欠である。 |
●ネパールの村歩き7年間 方向は間違っていなかった
垣見一雅
JAITIを訪問し、村人たちに直接話しかけるチャンスがあり、今の問題点を聞き出すことができました。いろいろ問題があるにせよ、あれだけのプロジェクトを行うことは大変な努力が日本側、そして村人側にもあったと思いました。村人曰く、「俺達昔、とうもろこしと小麦だけの頃は、金には不自由してたけど時間はたっぷりあったよ。のーんびり毎日を過ごしていた。いちご、作ってから忙しい。手入れに追われる。だけど金は入ってくる」「どっちがいいの」と私が尋ねると、「やっぱり金がある方がいい」と村人。日本人と同じ思いなのでしょうか。
またJICAやPRAの講習も非常に参考になりました。私は「Learn by Experiences」と日頃、言ってきましたが、JICAの方は「Learning by doing」と言い、現場主義を大切にということでした。泳ぎ方を学びたい人が理論を学んで水に飛び込むのではなく、水に飛び込んで無我夢中で泳げるようになったのに似ています。またPRAのなかで特に役割が重視されているファシリエーターの資質も知識・経験よりも「人々の声によく耳を傾ける」人格が大切ということでした。自分の心のありようを改めて見直せなければと気を引き締めた。
(注)垣見さんは1939年、東京生まれ。英語教師を勤められたあと、1993年より単身、ネパールの中西部、パルパ県ジャルパ郡ドリマラ村に住み、支援活動を開始。現在、日本の様々な団体や個人からの支援で、「村の小学校建設や修理」「子どもたちや教師への奨学金」などの様々なプロジェクトを行っている。その一つ、チース村での「灌漑用水路建設」プロジェクトに関してはJOFICが支援している。(第4回ワークショップ参照)
【参考文献】OKバジ 垣見一雅 サンパティックカフェ発行 本体 1,800円+税
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