※NGO:非政府組織(Non-Governmental Organizations)
第3部 グローバル・エイズ問題 その諸相と最新動向を追う
第3章 予防と医療の両立に向けて
第二章では、ブラジル・タイという、途上国の中でエイズ対策にある程度成功してきた国の政策とその形成過程を見ることによって、途上国におけるエイズ対策の内発的な戦略のあり方を知ることにつとめた。
第三章では、エイズ対策の個別の要素である予防啓発、自発的カウンセリングおよび検査(VCT)、ケア、治療、社会的インパクトの低減・差別・偏見の解消などについて、それぞれの現状における最新動向と、各要素の効果的な連携のあり方について考察していく。
本年度に関しては、エイズ対策の個別の要素の最新動向を見極める以前に、エイズ対策が全体としてどのような方向性をもって進んでいるかに注目した。エイズ対策の個別の要素に関する最新動向の検討や、具体的な能力向上に向けた追求は来年度以降の課題となる。
1.バルセロナ国際エイズ会議レポート:
エイズ対策の新たな地平は切り開かれたか
<はじめに>
去る7月7日から12日までの6日間にわたって、スペインのバルセロナで第14回国際エイズ会議が開かれた。アフリカをはじめとする途上国のエイズ問題が大きな焦点となった2000年のダーバン会議から2年がたち、エイズを取り巻く情勢は大きく変わってきている。
抗エイズ薬の価格はこの2年で大きく下がり、途上国においても、HIV/AIDS治療の導入が現実的な課題となってきた。アナン国連事務総長の提唱で生まれた「エイズ・結核・マラリアと闘う世界基金」(GFATM)も、予算は十分でないながらも本格的な運用が開始された。
一方、患者・感染者の数は増え続け、ついに4,000万人を突破した。UNAIDSは、エイズによる孤児の数が2010年までに現在の約2倍の2,500万人に達すると予測。UNAIDSによると、エイズ対策に必要な資金は年間100億ドルであるが、現状では、その3分の1程度しか確保されていない。
「途上国でも治療は可能だ」「国家レベルでの政治的コミットメントが必要だ」バルセロナではこれらの点が強調され、治療と予防を、競合ではなく相互補完するものとしてともに推進していく方向性が示された。しかし、途上国における治療の導入やバランスのとれたエイズ対策の実現に向けては、乗り越えられなければならない障壁が経済的・技術的・社会的・文化的にまだまだ数多く存在している。一方、日本ではバルセロナで大きな焦点となったグローバル・エイズ課題は注目されておらず、国際的な議論についていくことができていない状態である。
2002年度保健分野NGO研究会では、グローバル・エイズ問題における国際的な制度的枠組み、様々な要素によって構成されるエイズ対策プログラムのバランスのあり方、日本の国際協力の方向性などについてセクター間対話の場を作っていくために「予防と医療の両立に向けて」というシリーズを設け、その第一回目として、2002年8月19日、バルセロナ国際エイズ会議に参加した樽井正義氏(エイズ&ソサエティ研究会議)、堀成美氏(HIV看護研究会)をお呼びし、バルセロナ会議で得られた最新の知見、およびそこから見えてきた日本の姿をレポートする。
<企画概要>
(テーマ)バルセロナ国際エイズ会議レポート:エイズ対策の新たな地平は切り開かれたか
(日時)2002年8月19日午後7時~9時
(場所)文京シビックセンター4階シルバーセンターB会議室
(参加人数)27名
(企画構成)
○まず、樽井正義氏より発題をいただいた。
○次に、堀成美氏より発題をいただいた。
○その上で、事務局がファシリテーター、樽井氏・堀氏をコメンテーターとする小グループを二班編成し、それぞれの発題に関する議論を深めた。
○ その上で、全体会を行い、討議された内容を全体にシェアした。
バルセロナ会議における人権の課題:「治療へのアクセス」と「ワクチン開発」
樽井正義氏
○途上国が求めている「治療へのアクセス」と「ワクチン開発」
私の話は、バルセロナ国際エイズ会議について、人権という私の専門分野からみたことが中心になります。中でも、治療へのアクセス(
Access to the treatment)、ワクチン開発(
Vaccine Development)の二つが大きな問題です。
2000年に行われた第13回国際エイズ会議、これは南アフリカのダーバンで行われたのですが、治療へのアクセス・ワクチン開発という二つの課題については、このダーバン会議が与えた意味は非常に大きかったのです。ダーバン会議で、治療へのアクセスとワクチン開発の二つが大きく取り上げられました。つまり、途上国が求めているのはこの二つだということです。
治療へのアクセスについて簡単に言いますと、現在ある薬は、南へも回せ、ということです。存在する薬は配布し、まだできていない薬、ワクチンもそうですが、それは早く作れ、ということです。
なぜこの動きが出てくるのかというと、健康に生きるというのは国連の人権憲章においても、人間の基本的な権利と考えられているからです。従来、人権というのは、国家が国民に保障するものでした。国家の枠を超えて人権ということはかつては言われなかった。しかし、いまや、社会自体が国際化している。「人権を守る」というのは、国際社会に課された課題である。したがって、健康権という人権を擁護することが、具体的にHIVエイズ対策として求められる、ということです。
この問題は、前回のダーバン会議で、かなり声高に叫ばれました。その後、今回のバルセロナ会議までの間に、ニューヨークで2001年に開催された国連エイズ特別総会(UNGASS)で、179カ国の参加のもとに、「HIV/AIDSに関するコミットメント宣言」(
UNGASS Declaration of Commitment on HIV/AIDS)が出されました。各国政府は、今後5年を目処にエイズについてどうする、という数値目標を出す必要が出てきました。その中の一つとして、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)が設立されるなどの動きが出てきました。これらの動きの中で、「治療へのアクセス」と「ワクチン開発」の二つが、実際に可能な課題として提出されてきたのです。ダーバンでは、これらの問題はいわば「スローガン」でした。しかし、バルセロナでは、これらは具体的な課題として示されてきたのです。
○ジェネリック薬導入の「意味」
バルセロナ会議の全体の枠組みは、次のようになっています。
A. 基礎科学(
Basic Sciences)
B. 臨床科学とケア(
Clinical Sciences and Care)
C. 疫学(
Epidemiology)
D. 予防科学(
Prevention Science)
E. 社会科学(
Social Sciences)
F. 介入とプログラムの実行(
Interventions and Program Implementation)
G. アドボカシーと政策(
Advocacy and Policy)
1994年の横浜会議の時は、この会議の部門、トラックといいますが、これは四つしかなく、上記CとDが一緒で、その他の社会科学系が加わるという感じでした。つまり、医学的な二部門に加えて、社会的な部門が一括してあったのです。ところが、バンクーバー、ジュネーブ、ダーバン、バルセロナと回を重ねて行くにつれて、この社会の部分が細分化されてきて、七部門になりました。
私はGの「アドボカシーと政策」に重点を置いて参加しました。これにプラスして、トラック間の連携のためのセッションもあり、Gの全部には参加できなくなってしまいました。ですから私が紹介するのはGで話された一部のことが中心です。
まず、
Access to treatmentです。ここで考えられているのは、高価格のために途上国で使えない抗レトロウイルス薬を使えるようにするということです。なぜ使えないか、どうすれば使えるようになるか。まず、最大の障害が特許であるという主張は前から出てきております。ここで目立っているのがアメリカとブラジルです。
ブラジルがジェネリック薬を使っているのをアメリカが世界貿易機構(WTO)に訴えたという事件がありました。また、南アフリカ共和国の政府の法律が特許を侵害しているとして、製薬会社が南ア政府を南アの裁判所に訴えたという事件もあります。一方、逆に2001年のニューヨークの同時多発テロ以降、炭疽菌事件というのがおこりました。このとき、アメリカ政府はその薬の特許をもつバイエル社に圧力をかけました。普段特許は大事といっているアメリカが特許破りをしようとしたという象徴的な事件です。これらについて、バルセロナ会議では、双方の主張を洗いなおして、どこにそれぞれの言い分があるのかを検討した発表というのがありました。
もう一つ、特許薬の輸入とジュネリック薬の自国生産について、いくつかの途上国を選んで、それらの国が治療薬についてどんなポリシーを持っているかについて分析した発表がありました。
この発表では、途上国を三つのグループに分けました。一つ目は、特許薬のみを輸入している国です。二つ目は特許薬とジェネリック薬を輸入している国、三つめは、特許薬とジュネリック薬を輸入しているだけでなく、自国で治療薬を生産している国です。これらを比較すると、明らかに、三番目の国における治療薬の値段が一番安いのです。特許薬だけを買っている国よりも、3割から9割は安い、それがブラジルである、という現実です。
ここから、特許がいかに薬価を上げているかという現実がわかります。この発表での主張は、ジェネリック薬との競合によってこそ、薬の値段ばかりでなく、質もよくしていけるのだ、ということです。
特許を持っている会社もそれなりの企業努力をして何%かディスカウントしているわけです。しかし、そんなものではぜんぜん追いつかないというのが実情です。やはりジェネリック薬を使わなければダメだ、というのが、少なくともあの会議の場では強く言われていました。国際政治の場面では、そうも行かないのですが。
○途上国における抗エイズ薬の使用の費用対効果
もう一つ、費用対効果という点で、途上国に抗レトロウィルス薬を持ち込むと採算がとれない、という主張があります。世界銀行を含め、そういうレポートがいくつか出ています。これに関する批判が出されました。
つまり、薬の使い方が難しい、というのは先進国の経験でわかっているのですが、それでも、ある程度簡便な使い方が考えられるだろう、ということです。たとえば、結核で行われているDOTS(直接監視下短期化学療法、
Directly Observed Treatment Short Course)に近いことを抗レトロウィルス薬で行おう、ということです。これにより医療費もかなり下げられるし、患者が健康を回復すれば、その利益が医療費を上回るのではないかという試算もなされています。
一つ具体的な例としては、途上国では多国籍企業が多くの従業員を雇用しています。力の強い多国籍企業は、従業員に対して抗レトロウィルス治療を導入すべきだという主張がありました。例えば、この会議のスポンサーの一つがコカ・コーラ社でした。コカ・コーラがそれをやっていないということで、抗議のデモがありました。また、研究としても、多国籍企業が従業員の抗レトロウィルス治療を導入するコストと、それによって熟練労働者を確保できることによるメリットを比較すると、メリットの方が大きい、という研究もありました。では何が障害になっているのか。多国籍企業の経営者の多くはそれを知っていますが、薬の供給がコンスタントに行われない、流通面の問題が一番大きい、ということでした。
途上国におけるサクセスストーリーとして、いつも語られていたのはブラジルです。しかし、バルセロナでは、ホンジュラスの成功が大きく語られました。
ホンジュラスも1999年に法律を作り、同じように治療薬へのアクセスを保障した。ホンジュラスは中米全体の半数の感染者が存在する国ですが、そこでブラジルと同じような政策をとりました。これが可能になったのは、政府のリーダーシップです。つまり、ジェネリック薬を導入するという決断をするかどうか、ということです。
○NGOの役割
もう一つ、NGOに何が出来るか、ということですが、この分野で最近活躍しているのが「国境なき医師団」です。「国境なき医師団」の報告で一番強調されたのは、「多様なNGO間の連携」ということです。つまり、エイズに取り組むNGO以外の協力も必要だということです。治療薬の問題には、並行輸入(世界の最も安い市場から買い付けること)やジェネリック薬の導入の問題、また、WTOの「知的所有権の側面に関する協定」(TRIPS協定)が絡んでくるので、それらをどう切り抜けていくのかということが問題になってきます。このために、関税問題に取り組んでいるNGOや、いわゆる必須医薬品の普及をはかるNGOなど、様々なNGOが連携してこれらに取り組んでいく必要がある、という指摘がされました。
ブラジルで政府を動かしていった力の一つに、訴訟の積み上げがあります。1989年から、大学教授や法律家などが作っているNGOが無料で法律相談をして訴訟をたくさん提起していきました。これまで630件以上が扱われ、現在裁判中のものが300件あるそうです。勝訴を積み重ねていくことが、大きな力となっています。
また、タイに関する発表が多かったです。これは、2004年の国際エイズ会議がバンコクで開催されることが決まっているという事情がひとつあります。しかし同時に、薬の問題もあります。タイ国内では、全部あわせて300種類くらいの薬を自国で作っています。それは政府機関(政府製薬機構:
Governmental Phermaceutical Organization)が製造しているわけですが、そのうち抗レトロウィルス薬は六種類含まれています。このうちの五つが核酸系逆転写酵素阻害剤で、非核酸系逆転写酵素阻害剤は一剤、プロテアーゼ阻害剤は作られていません。ですから、二つのタイプの薬で三剤併用療法を行うことになります。
現在、感染者の5%くらいの人がこのタイプの治療を受けています。これを拡大するという方向性があります。
もう一つが、北部六県で実験的に行われているもので、行政・医療機関・NGOが無料でHAART療法を行うというものです。700人以上がその恩恵を受けています。NGOの関与の仕方なのですが、プロジェクトを実施する過程で、患者を選抜する基準作りなどを行っています。実際の患者の選抜は、病院単位で行われており、病院で医療者四名と、コミュニティの代表者四名の委員会を作って、そこで行っている。その基準は、医学的な基準と社会的な基準である、ということで、なかなか厳しいものがあるだろうと思います。今後は服薬をどう保障していくか、その他の医学的なモニタリングと社会的・倫理的な差別問題などについて、NGOがどう関わっていくかということがあります。
○日和見感染症に対する治療
もうひとつが、抗レトロウィルス薬ではなく、日和見感染に対する治療の話です。現在、南アフリカ共和国で、フルコナゾールという抗真菌薬を、ファイザー製薬が6万人に提供しているという報告がありました。前のダーバン会議の際は、フルコナゾールの値段が国によって大きく違う、ということで、ファイザーはかなり叩かれたのですが、ファイザーは今、フルコナゾールを六万人分南アフリカ共和国に提供しています。南ア政府保健省は、270の病院を指定して、提供された薬がきちんと使われるように指導を行っています。実際のモニタリングなどは、医療者で作るNGOであるIAPAC(
International Association of Physicians in AIDS Care)が、南アの医療者6,000人に教育を行っている。これがうまくいっているので、ファイザーは、最初2年のつもりでやっていたプロジェクトを無期に行う、しかも同じプロジェクトを50ヵ国への拡大を決定したようです。このフルコナゾールは、長く使われていて定評のある薬のひとつです。NGOがどういう形で関与できるかということを示す良い例だと思います。
もう一つ、治療へのアクセスというときに考えなければならないのは、途上国には情報がないということです。いい薬があるという情報が入らない、その結果、患者の側に、治療を受けようというインセンティブが高くない、という問題があります。こうした問題について、NGOが果たす役割というのは大きい、という発表がいくつかありました。ウガンダのある病院の報告ですが、病院の医師ではなく、コミュニティのヘルスワーカーを教育すべきだという話がありました。また治療を受けている患者が他の患者に積極的に治療の内容を伝えていく、患者間のネットワークも必要です。コンプライアンスを高めるサポートをするためにグループを作っていく努力が必要との報告もありました。感染者ネットワークの形成、相談体制の整備、スティグマ・差別の解消、アドボカシーの重要性が強調されました。治療へのアクセスについてはそのくらいでしょうか。
○ワクチン開発の現状と課題
ワクチン開発に関しては、ざっとお話しします。
前回のダーバン会議でワクチン開発が話題となったのは、初めて「第三相」の段階まで進むワクチンができたからです。この第三相トライアルについては、始められてから二年しか時間がたっていないので、実際に結果が出るのは来年末以降になります。アメリカとタイとで実験が行われています。これについては、2001年に行われたメルボルンのアジア太平洋エイズ会議でも報告が出ました。しかし、今回の報告は、それよりも少し詳しいものでした。
アメリカで実験に参加しているのは5,418人、MSM(男性と性行為を行う男性)がほとんどで、女性は309人です。この参加者の平均年齢は36歳、白人が83%、短大以上の学歴者が61%ということで、どちらかというと上層階級の人々であると思われます。二年後の残留率は89%になっています。今のところ、このワクチンについて副作用としてあげられる症状は出ていません。
同じワクチンはタイでも実験されていますが、全員がドラッグユーザーで、特定地域の医療機関でボランティアが募られました。タイの方の平均年齢は、アメリカよりも10歳ほど低くて、学歴も低い層が中心になっている。一年半後の残留率は、すごく高くて97%になっている。これがタイの報告です。
ここで簡単に言うと、欧米流のインフォームド・コンセントはタイでも行われているわけですが、本当に実験の意義を理解した参加が得られているのかというと、途上国の場合はどうしても、ボランティアで参加することに伴うメリットが先行している。ワクチンの治験には、様々なメリットがある。感染リスクを下げなければなりませんから、コンドームや注射器を配布したり、性感染症の治療をただで受けられたりする。それがインセンティブになっています。ペルーの事例などでも、無料の検査を受けられるなどの医療サービスが、研究参加のインセンティブになっています。本来、ワクチンの治験への参加は自発性に基づいていなければならないでしょうし、そのためには、研究への理解を広げていかなければならないと思います。
もう一つ、ワクチンの需要と供給の可能性の問題があります。ワクチンの効果が接種者の30%くらいの低効果のもの、60%くらいの中効果のもの、90%くらいの高効果のもの、と3つに分けて考えるのですが、30%位の低効果のものでも、感染率の高い地域ではそれなりに有効になります。このようなワクチンが開発された場合、向こう5年間でどのくらいの人が接種するか、その需要についてみると、低効果のものでも260万人、高効果のものならもっと広がって690万人、というふうに推計されます。ところが、既存の供給体制の方についてみると、260万人の場合はその19%にしか供給されない。薬ができても供給される体制がない、ということが言われています。インフラの整備が急がれるわけです。ワクチンは以上です。ちなみに、国際エイズ・サービス団体協議会(ICASO:
International Council of AIDS Service Organizations)という組織は、治療薬とワクチンの問題の調査・研究に以前から取り組んでおり、日本からも(特活)ぷれいす東京などがこれに参加しています。ICASOは、「治療へのアクセス」だけでなく、それを可能にするインフラ整備についての研究を開始しています。
○日本の課題
これを踏まえて私たち日本のことについて触れたいと思います。外務省は保健システムの整備強化に力を入れていますが、薬を提供するという点には消極的です。しかし、もう始まっているので現実に放置しておく訳にはいきません。インフラを整備するという日本政府の方針は継続すべきだと思いますが、同時にどうしたら薬を提供していけるのかということを考えなければならない。そこでNGOが果たす役割についてですが、やはり、感染者グループを現地で形成する、また、投薬の継続やモニタリングをしていく方策を立てていくということが、日本から海外に関わるNGOの役割だろうと思います。
もう一つ、ワクチン開発については、外務省の柱の中に「ワクチン開発への支援」があるのですが、これは基礎研究レベルにとどまっています。日本のワクチン開発についても、今後は臨床研究が重要です。ところが、それに何の手当もない。日本とタイとで良いプロジェクトが進んでいるのですが、その第一相を日本でやる、一相から三相をタイでやる、そういうときにどうしていくのか、というのが火急の課題になると思います。
遅れる国内対策と見えない援助の理念:国際動向から孤立する日本
堀成美氏
私は看護師で、バックグラウンドは臨床になります。このタイトルの話は、私の専門というわけではないのですが、いろんな経緯からエイズの問題に関わっておりますので、今後について考えるためにも、「日本はどこに立っているのか」ということについて説明したいと思います。
○国際エイズ会議の性格
エイズの問題についての私の関心というのは、人権や人道といった「熱い」観点というよりは、もう少し醒めた、現実路線をとるとしたらどうなんだろう、というところにあります。
国際エイズ会議は、「政策を作っていく」ことと、コミュニティーの人たちの会議、という方向でだいぶ固まってきていて、二年前のダーバン会議でも、「沈黙を破る」(
Breaking the Silence)がテーマだったのですが、研究者などによっては、これは「科学を壊す」(
Breaking the Science)の会議だ、という人もいて、例えば基礎科学などでは、他に学会なども始まっていて、だいぶ会議の色は固まってきているな、というのが印象でした。この会議は、各国がどう変化してきているのかということを見るには一番いい会議かな、と思います。
各国は、人権や人道的かというよりも、損得計算で動いていると思います。エイズ問題について、最初から積極的という国は殆どありません。問題に気付くところから、具体的な行動に移るところに行くまでには、いろんな因子が影響しています。国内の因子と、外側から来る圧力によって動きが変わってきます。うまくいった途上国というのは、国際世論や国際機関や社会世論を味方に付け、コミュニティが声を出し、国際NGOがプロジェクトを先に立てて、やればできる、というフィールドを提供できた国です。他の途上国も可能性はあるんでしょうが、どこに可能性を見つけ、誰がイニシアティブを取っていくかが問題です。ダーバン会議で思ったのは、世界銀行などの方針が変わって、大きく前に踏み出す形になったのは、やはり各国のGDPなどの数字が、将来予測として、悪化することがわかったから、経済数値の予測というドライな理由によるんですね。
○各国のエイズ対策を決めていく因子は何か
なぜ国によってエイズへの態度やエイズの状況がここまで違うか。ポイントは二つあります。一つは、国が、国家としてエイズに取り組むということを開始した時期です。大統領や首相の直下に専門家委員会を設けるわけですね。日本にも似たような名前の会議はあるのですが、それは各省庁の担当者の会議で、「専門家」はそこにいないんです。
もう一つは、感染症のフェイズの問題です。早く動くに越したことはないのですが、HIV感染の広がりに影響を及ぼす、他の性感染症や結核などの病気がどれだけ先に広まっているかということも挙げられます。流行の初期なのか、中期なのか、そういったフェーズによって、早く取り組んでもこのくらいしか成果が出せないということが出てくるわけです。
各国のやる気をみる指標として、サーベイランスにどれだけ力を入れているかというのがあります。日本にはサーベイランスを行う機関はありますが、他国からは、それはサーベイランスに値しないレベルと言われています。そしてその結果、専門委員会で政策としてどうするかきちんと検討しているか。もうひとつ、どの国でもコミュニティとの連携がスローガンのように言われていますが、コミュニティとの連携は、まず国が先にイニシアティブを取っていかなければなりません。あと、公教育に性感染症予防の教育が位置づけられたのはいつか、というのが大きな違いになってきます。
途上国だけを考えると、なぜうまく行った国と行かなかった国があるかというと、国内政策としての対策が立つときに、国内だけの話ではなく、たとえば世界銀行が何らかのファンドを提供するとか、だから何かやってみようとか、そういう、国の政策を変える因子があちこちにあるんですね。世銀や援助機関はドナー国などの影響を受けますから、人道主義的なことだけでやっているわけではないわけです。何かをするときには、もちろん人権とかそういうアプローチは入れるわけですが。それがうまくかみ合っていればいいのですが、それが口だけだったり、別の思惑に振り回されたりすると問題が起こってきます。
私たち保健医療の専門家が感染症を考えると、「感染症コントロール」というという発想になります。しかし、結局のところ、国際会議の成果として、個人の健康や価値観、社会の価値に基づいた支援をする、という方が、聞こえも良いし、うまく行くのではないかというように、エイズ問題に関わっている人は考えるようになってきているのではないかと思います。しかし、感染症業界で伝統的に力がある人の中では、まだそのような発想が定着していません。しかし、そういう力がある人たちの力も借りないと対策はうまくいかないという部分もあるわけです。
○途上国と日本を比較する
なぜ途上国のエイズ対策は大きく変わっていくのか。例えば、サーベイランス・システムがない国だったら、まずサーベイランスを作るというところから始まるのが援助の最初です。例えばモンゴルでは、1990年代後半にやっと、外国のサーベイランスの専門家が数多く介入して、国のサーベイランスデータを作ったわけです。逆に、日本は先進国で、お金もあるし、「助けて」とも言わないので、どの国も積極的にサポートしようとはしない。
また、たとえば、保健医療予算の7割を他国の援助でやっているような国の場合、限られた保健医療予算の中で、エイズ以外の問題もたくさんある。その中でエイズをどう入れていくか、優先順位の付け方について、専門家が他国の経験に基づいて介入してくる。お金と一緒に、知恵が入ってくるわけです。さらに、実際に対策に効果があったかどうか評価をしなければならない。評価をするとき、サーベイランスさえなかったら評価できないから、お金が切られてしまう。途上国でも、こういったシビアなところで仕事をしているので、日本と比べるとサーベイランスに関するモチベーションのレベルは非常に高いな、と私は思います。
ここから日本の話をします。エイズ政策を決めるベースになるのがサーベイランスですが、そもそもサーベイランス・データを正確に把握しているのかどうか疑問があります。また、エイズ対策の優先順位についても、そもそも、それを検討する会議がない。だから、日本にはエイズ対策の優先順位はないんじゃないかと思います。また、影響を与える因子という点で言うと、外国の話が入ってこない。国内の変化を作る因子がどこにあり、どこをどうすればどういう効果があるか、ということについて明確になっていない。日本が途上国ならば、そういうアイデアは入ってくるんですが、残念ながら入ってこない。どこかの国と国境を接していれば、その国との間の人口移動が一つの因子になるのですが、それもない。
一つ情報を挙げましょう。先進国でHIV感染者の報告数とAIDS患者の報告数が両方とも上がり続けている国というのは、日本だけです。どこかで気付いて検査に行く、という状況があれば発症してから見つかる人の数は減るはずだし、予防がうまくいけば新規のHIV感染者数は下がるはずなんですが。
また、日本が海外援助をするときに、自発的カウンセリングと検査(VCT)というのは、基本的なことだと思います。ところが、日本国内ではうまくいっていません。保健所でHIV検査を受ける人の数はだんだん減っています。検査する人が減っているのに、病気になって発症する人が増えているのが日本です。実際、厚生省の専門家チームの予測の変化を見ると、年々、新規感染の数の増え方が急になっています。
○日本のエイズ対策の問題
では、日本では、どの辺で介入していたらうまくいったのでしょうか。感染の初期段階では、ハイリスクな行動をする人たちに感染が広がります。その時点で、そういった集団に対して介入が適切にできていれば、かなり違ったんでしょう。
疫学的に言うと、性産業から一般の人口集団にうつり、母子感染によって次世代に継続して影響が与えられていく、という構造があります。疫学専門家の言によると、日本は、特定の人口集団から一般の人口集団への流行の展開がとても早かった、ということです。すでに、日本のエイズのエピセンターといわれる東京では、すでに一般人口への感染の広がりがおき、母子感染を通じた世代を越えた感染の広がりが生まれています。
日本はなぜうまくいかないかということですが、日本は毎年110億円くらいエイズ関連予算を使っています。その半分が研究費になっています。一方、予防啓発などは少なく、国際協力は多少あるのですが、具体的にエイズ対策をしていく地方自治体に回るお金がちょっとしかない。
HIV感染症は「最後に行き着くところ」であって、その流行が起きる条件を放置したまま、それだけにアプローチしてもうまくいかないというのが私の持論ですが、例えば、1955年を百としたときの人工妊娠中絶率を見ますと、10代だけがどんどん大きくなっていて、性交経験のある高校生だと、40人に一人が年に一回中絶をしている、というのが現状です。たとえば南アフリカ共和国は、クラミジアの流行も世界一なんですが、日本でも、クラミジアの流行がどんどん増えていて、都内の若い妊婦さんの約4人に一人が陽性という数字があります。
結局、日本の国内対策、どこが一番問題か、というと、まず、イニシアティブを取る専門機関がないこと、事業主体がない、そして、お金が110億円あっても、対象の状況やケアのあり方を変えるための事業予算がない。プログラムを運営する人もいないし、お金もない。これが一番の問題です。NGOがやればいい、というアイデアもありますし、実際エイズNGOの数はたくさんあるんですが、では事業予算がまわってきたら何かできるのか、というと、キャパシティの問題がある。
また、年間110億円を使った結果、何がうまくいき、何がうまくいかないのか、ということに関する評価がない。そのため、効果がわからないまま同じことが行われている。さらに、数年間を見越した国のプランがないんです。米国ならCDC(疾病管理・予防センター)があり、2006年までの五年間プロジェクトという見通しを立てている。きちんと数値目標を立て、強いイニシアティブを持っている。ところが、日本は、「深刻な問題である」「対策が急務である」と書いてあるだけで、誰が何をする、とは書いていないんです。途上国の場合、目標をはっきりと定めていないとお金が来ないので、途上国には数値目標はしっかりある。日本には薬害エイズの経験がある、という人がいますが、「薬害」の経験はあっても、性感染症としての「エイズ」への対策の経験はないんですね。本来、かかわる専門家も違うわけです。感染症のフェーズについて考えるならば、日本では、予防にお金がつくべきだと思います。
○途上国における「治療」の難しさと優先順位
多くの人は、治療を途上国でやるべきだと主張します。しかし、それに対して反対意見を述べる人の中には、実際に抗HIV療法に関わって、治療の難しさを肌で知っている人や、耐性ウィルスが広がっていくことの危険性を目の前で見ている人がいます。また、途上国の当事者で、抗レトロウィルス薬で10人治療するよりも、そのお金を使って、より多くの人に対応できる日和見感染症の薬が欲しい、私の意見をどこに言えばいいのか、という人もいます。
今回の国際エイズ会議では、新薬開発に関するめざましい話はあまりありませんでした。むしろ、一日一回飲めば済む、という薬の開発をどうするか、ということが話題の中心になっていました。この辺、なぜもっと早くこういった話が出なかったのか、というところもありますが、途上国ではこの辺のニーズは非常に高いんです。時間に関してややこしいことを言われても困る、一日一回、朝飲む、と済ませられればそれに越したことはない、というわけです。
あと、医療資源の乏しい地域での治療については、WHOの専門家がガイドラインを検討しています。同じ治療を、免疫が高くてウィルス量が低いときに始める場合と、たくさんの人を治療できないので、具合の悪くなった人から優先して治療しようという場合と、二つありますが、後者の方が明らかに治療効果としては不利なんですね。その辺の線引きをどうするか、難しいところです。
○国際会議の落とし穴、そして日本の貢献のあり方
国際会議の問題点は、うまくいったこと、成功したこと中心に語られるところです。失敗例はめったに報告されません。例えば、アメリカの名だたる大学がある途上国に建てたクリニックで抗HIV治療を行ったのですが、半分以上の人が、治療を継続しませんでした。なぜかというと、服薬の際に、副作用として発疹が出るということを説明したのですが、直訳だったので現地の人にはよくわからず、二週間ぐらい経って発疹が出てしまったときに、「アメリカ人が僕たちを薬で殺しに来た」という噂が広まってしまった。それで、もう誰も来なくなってしまった、という事例がありました。こんな風にして、撤退したクリニックはたくさんあります。
またJICAのように、5年間でプロジェクトが終わってしまうとわかっていて、ずっとやらなければならない抗HIV療法を持ち込めるのか、という問題もあります。また、途上国の場合、本当に治療を必要としている人のところに治療が行くのかという問題もあります。
日本の貢献の可能性についてですが、ハード中心援助は批判も聞かれますが、実際に日本は建物を建てることが得意なわけですから、建物を建てればいいのではないでしょうか。対外援助については、上手なことしかできないわけで、国内でうまくいっていないことを国外でうまくやれるとは思えない。むしろ、ラボの設置やメンテナンスという、他のドナーが手を出しにくいの支援をきちんとすることに力を入れてもよいと思います。
もう一つ、カウンセリングなどの点で、日本の経験を生かせる部分もあるのではないかと思います。アジアの人たちには、西欧のカウンセリング概念が西欧の人が使っているとおりには伝わらないことがあります。むしろ、日本人は家族や地縁といった概念を何らかの形で位置づけることができるのではないか、と期待されたりもします。あと、日本は、エイズに関する症状の出方や薬の副作用のあり方について、他のアジアの人々と共通していますが、そういったデータをある程度持っていますので、それをアジアの人々にフィードバックすることもできるのではないかと思います。
2.日本のHIV/AIDS分野の国際協力の方向性とNGO
<はじめに>
途上国に於けるHIV/AIDSの深刻さに対応して、国際社会でも地球規模のエイズ問題に対する取り組みのフレームが整備されつつある。その中で現在、日本の国際協力はどのような役割を果たそうとしているのだろうか。
外務省が2001年度に実施した「沖縄感染症対策イニシアティブの具体的プログラム化に向けた基礎調査」(受託:国際開発センター)には、途上国のHIV/AIDS対策において日本が果たすべき役割に関して、専門家からの提言がなされている。
保健分野NGO研究会では、2003年2月3日、「日本のHIV/AIDS分野の国際協力の方向性とNGO」と題して、この「基礎調査」で提言を執筆した著者の一人である国立社会保障・人口問題研究所の小松隆一氏に、世界のHIV/AIDSの状況と日本の国際協力の方向性について発題してもらった。氏の報告は、「基礎調査」での提言をもとに、ここ1年の国際的なHIV/AIDS対策の流れの変化も踏まえたものとなった。
<企画概要>
(テーマ)日本のHIV/AIDS分野の国際協力の方向性とNGO
(日時)2003年2月3日 午後6時30分~9時
(場所)慶応義塾大学三田キャンパス 研究室棟A会議室
(企画構成)
○まず最初に、小松隆一さんから「日本のHIV/AIDS分野の国際協力の方向性とNGO」というタイトルで発題をいただいた。
○その上で、参加各NGOおよび参加者のバックグラウンドをもとに、各小グループにわかれ、小松氏の発題を踏まえて、(1)各NGOおよび参加者のバックグラウンドに照らしての、発題との共通点と相違点、(2)小松氏への質問、(3)小松氏の発題を踏まえての、エイズ対策への提言、の3点について討議した。
○最後に全体会を実施し、各班から討議内容を発表し、討議内容の共有化をはかった。
日本のHIV/AIDS分野の国際協力の方向性とNGO
小松隆一氏
○はじめに
今日は、いろいろな情報を提供したいと思います。皆さんの背景分野とのかねあいのなかで、HIV/AIDS分野の国際協力において何ができるのか一緒に考えていきたいと思います。
今日の発表は、外務省委託調査『沖縄感染症対策イニシアティブ(IDI)の具体的プログラム化に向けた基礎調査』の中で発表している論文「我が国の将来のHIV/AIDS協力のあり方」に基づいています。ただ、一年前に書かれて以来、様々な動きもありましたので、最近の動向も踏まえてお話しします。最後に中国の例を補足して説明します。また、この論文は、二国間援助のあり方を念頭に置いて書いたものです。最初に、まずHIVの流行の状況、流行のメカニズム、どんな対策があるのかを簡単に説明した上で、援助戦略について、どのような哲学に基づき、どのような原則を踏まえて行えばよいのかということを説明したいと思います。最後に、今年はICAAP(アジア・太平洋国際エイズ会議)、TICAD(東京アフリカ開発会議)が開催されるので、それに向けてどのようなことが可能か、思いついたアイデアを提示します。
世界的エイズの流行は地球的危機との認識が、ここ数年間高まっています。そして、わが国も、沖縄サミットなどで貢献を約束しています。ふつう、援助といえば「比較優位性」に基づいて実施するものですが、この現状において、私たちは「比較優位性」にこだわらず、真の国益を見据えて、新たな発想と哲学に基づく援助戦略を作っていかなければならないと思っています。
その理由としては、わが国自身が近未来に流行を控えていること、また、エイズの流行が我が国でも進行中ということが挙げられます。つまり、日本では、これまでエイズの流行があまり大きくなっていなかったので、エイズ予防、およびケアは「成功経験」が限られています。ですから、比較優位ではない分野で援助を行うということが必要になってきます。それが私たちの基本的なスタンスです。
○エイズの流行とエイズ対策
2002年末で、4,200万人がエイズとともに生きています。新規感染者は昨年で500万人、エイズでなくなった方は310万人と推定されています。2002年から2010年までに新しく感染する人が、今のままならばさらに4,500万人ほどにのぼるだろう、対策を強化しても、1,690万人ほどの人が感染するだろうと予測されています。
一番厳しい状況に置かれているのがサハラ以南アフリカで、感染者の7割くらいがここに集中しています。国によっては、性感染を中心に成人の数%から数十%が感染している国があります。平均寿命が縮んでいるなど、いろいろな厳しい状況がきかれます。
しかし、一方でウガンダで対策が成功したり、南アフリカでエイズ予防の効果により、10代の女性の感染率が減ってきているようだという報告もあります。10代の感染というのは、指標としての感度が高いと考えられています。つまり30~40代の人は、いつ感染したかわからないのですが、10代であれば、つい最近、ここ5・6年以内に感染していると思われるので、最近の状況を反映していると考えられています。
カリブ海地域は、アフリカに次ぐ高い流行レベルにあります。ハイチ(6%)を筆頭に、バハマ、ドミニカ共和国、ジャマイカなど、1~3%の感染率を有する国々が存在します。
一方中南米では、全体的な流行レベルは低く、MSM(男性と性行為を行う男性)、注射薬物使用者、セックスワーカーなどの特定の集団に流行が集中しており、次第に一般の人口集団へ浸透しつつある段階です。なお、ブラジルでは、独自の対策が成功しています。
東欧・中央アジアでは、つい最近、流行が急速に増えつつあります。とくに注射薬物使用や輸血により、感染が爆発的に増加してきました。この背景には、ソ連の崩壊に伴う社会的・経済的混乱や社会不安のために、薬物使用や売買春が増加しているということがあります。モスクワでは、中学生の4%が薬物の使用を経験しているという調査もあるなど、深刻な状況のようです。
アジアも、感染者の割合はすごく少ないのですが、人口の規模が大きいので、数としては非常に大きくなります。2002年段階で、インドでは400万人、中国では100万人の規模といわれています。州・省により流行状況の違いが大きいのがひとつの特徴です。感染拡大の要因は、売買春、注射薬物の使用などのハイリスク行為です。
タイ・カンボジアでは対策が成功しており、「コンドーム100%政策」といって、売買春での感染を止めるために、コンドームの普及を行ってコントロールすることに成功しています。一方、2000年前後から若者を中心に、カジュアルセックスという、不特定の人とセックスをする状況が生まれつつあって、それによって大規模な流行に発展する可能性があります。2010年までに1,850万人の新規感染が南・東南アジア・東アジアで生じると言われています。アジアでは、一方で、男性同性間感染も進行しつつあります。
開発援助ということでは、日本の状況はあまり取りざたされませんが、日本のことに言及したいと思います。まだ低流行期にありますが、若者を中心に無防備な性行動が蔓延しており、実際、それは1990年代半ば以降の性感染症の増加や、10代の人工妊娠中絶率の増加によって裏付けられています。さらに、HIV感染者・AIDS発症者の報告数も急増傾向にあります。
また、アジアと日本は人的交流が多く、お互いに増幅しあって感染を増やす可能性があります。例えば、2010年の中国の感染者は1,000万人とも言われ、それが日本に影響するという可能性が十分あります。
○流行のメカニズム
流行のメカニズムですが、直接の原因としては、HIVの感染を許す無防備なネットワーク、つまり性的なネットワークや、注射の回し打ちといったリスク行動のネットワークの存在があります。流行の広がりや流行の速度はネットワークの量と質によって決定されます。ここで「量」というのは、パートナーの数や人口の数、「質」というのは、感染確率の高さ・低さということで、コンドームの使用度と性交の頻度、および性感染症がどの程度広がっているかということにあります。
いつ流行が開始したかというのも重要です。アフリカでは70年代から流行が開始され、確たる介入なしの状況に放置されてきたので大きく広まっていますが、アジアでは80年代末から流行が開始されたので、広まり方がまだ少ないということが言えます。流行が広まれば、母子感染・輸血による感染への波及も増えていきます。
例えば、サハラ以南アフリカにおいては、一般男性と一般女性の間に性的なネットワークが広がっていて、無防備で、かつ性感染症に汚染されていたため、大規模な流行に発展し、さらに母子感染により、世代間の感染へと広がっていったわけです。アジアでも、初期は注射針、または売買春でしたが、現在は、カジュアルセックスによる流行へと変わりつつあります。
ですから、流行抑制の直接的な対策としては、性感染については、性行動の抑制、コンドームの普及、性感染症の抑制をすることです。また、薬物静注感染については、注射薬物使用を減らす、それからハームリダクションといって、注射薬物に依存している人の薬物使用を止めることは難しいけれども、それによる被害(
Harm)を軽減しようという考え方があり、清潔な注射器具を提供したり、メサドンを使うことによってコントロールしようという考え方があります。
このような感染リスクを生み出す行動には、実は社会的な背景があります。リスク行動を回避できない状態を脆弱性と呼びますが、脆弱性を生む要因こそがエイズ問題の根本にある原因であると言うことができます。例えば、貧困、識字率が低いこと、ジェンダー差別の存在などがあります。具体的に言うと、情報が不足している、コンドームや性感染症の検査・治療へのアクセスから疎外されている、生きていくために売春しなければならない、また、家族や共同体から切り離され、情報・サービスから疎外されて売買春やカジュアルセックスに走ってしまう、また、紛争など軍事的緊張によって強姦事件などが続発する、といった状況があります。これらの要因は多かれ少なかれ先進国にも存在しています。
○エイズ対策の構造
エイズ対策の目的は、脆弱性、リスク、インパクトを減ずることです。
エイズ対策プログラムというのは、エイズ問題に固有のプログラムであり、独立して実行されるか、他の開発プログラムにリンクして行われます。4つの要素があります。
まずは、(1)流行やリスクの状況の把握(サーベイランス)。つぎに、(2)感染者の発生の抑制(感染予防)。そして、(3)検査体制の整備を通じて、早期に感染者を治療・ケアに、陰性者は予防対策につなぐこと(自発的カウンセリング・検査=VCT)。さらに、(4)発見された感染者及び家族には治療・ケア・サポートを保障し、インパクトの低減と感染予防を図ること(治療・ケア・サポート)、というプロセスで、これらは相互に関連しあっています。
先ほどの脆弱性に関しては、一般的な開発プログラムによって、貧困や低識字といった問題を解決しようとします。あるいは、直接貧困や教育を扱わない開発プロジェクトであっても、リンクさせる形でその中でも感染の予防対策はできるはずです。
○エイズ対策の要素
まずサーベイランスですが、これは感染の実態を把握することで、適切な対策の立案や対策の評価に資するというものです。いくつかの種類があり、例えば低感染国では「行動サーベイランス」がとりわけ有用です。
これで感染の状況をつかんだら、教育・情報提供として、感染予防に直接必要な知識・技術を伝達したり、差別偏見を防ぐことなどを行います。教育・情報については、提供ばかりしていても実際の効果がなければなりません。つまり、実際に行動変容を促すことが必要であり、そのためには、評価をすることが大事です。
個々人がリスク行動を回避していくための行動変容のプログラムの実現が不可欠ですが、行動変容プログラムについては、単に個人に行動に関する情報を提供してもダメで、まわりの状況に影響を受けるという点を考慮しなければなりません。例えば、売春宿で働く女性にいくらコンドーム使用を訴えかけても、売春宿のオーナーやマネージャー、そして顧客がコンドーム使用の重要性を認識しなければ、実際のコンドーム使用にはつながらないのです。つまり、社会的な状況変化をもたらすことが必要であり、状況の違いに沿った、適切なプログラムを開発することが必要です。
HIVの感染を回避するための医学的な対応としては、HIV感染の可能性を増大させる性感染症の検査・治療、母子感染の予防があり、また、薬物使用者などに対しては、感染リスクの相対的な軽減を目指すために、リスクの根絶が困難な現実を前提として、ハームリダクションが行われます。ハームリダクションについては、二国間での直接的な援助は難しいけれども、NGOなどに対する支援という形が取れるのではないかと思います。
HIV感染をしているかどうかを知るために、自発的カウンセリング・検査(VCT)が行われます。陽性の場合は、心理的・社会的サポートと、ケア・医療につなげていくことが必要です。また、陰性者の場合には、行動変容の促進が必要になります。カウンセラーの役割にも文化的な違いがあり、文化に即した役割の違いを考える必要があります。
感染している人のケア・治療・サポートは、クオリティ・オブ・ライフの増大を目指しますが、同時に予防的な役割も果たしています。脆弱性の低減という側面もあります。NGOへの支援が重要だと思われます。
また、日和見感染の治療、とりわけ結核の治療、抗HIV療法の実現、そして社会におけるエイズのインパクトを低減させるためのケア・サポートがあります。
母子感染については、例えば妊婦にどれだけVCTを提供できるか、また、感染がわかった妊婦自身の治療についてはどうしていくのかを考える必要があります。
抗HIV療法については、状況がかなり改善しており、タイやブラジルでは自国内生産が進んでいますし、特許についてもうるさく言わない傾向も出てきています。しかし、副作用の問題や、耐性ウィルスの問題もあります。結核と違って、HIVは完治しないという問題があります。ある程度の医療インフラや医療従事者の研修も必須です。JICAによる援助は4年・5年で終わりになりますので、一生続く抗HIV薬の服薬を、この援助で差し上げていくというのは持続性のある援助になりうるか、ということが、一番難しいところだろうと思います。
ワクチン開発については、進んでいますが、全てのHIVサブタイプを防ぐワクチンの開発は難しく、上のような対策を進めていく必要があります。
これらの対策については、流行のステージの違いによって、優先順位をかえていく必要があります。例えば、低流行期には、HIV感染リスクの可視化(サーベイランス)、脆弱性の高い集団に対する集中的予防対策、VCTの整備、差別・偏見の払拭などに重点が置かれます。つぎに、特定のグループにおける流行が増大している局在流行期については、低流行期の対策に加えて、流行層の対策強化、差別・偏見撤廃の強化、治療・ケア・サポートニーズへの対応をする必要があります。さらに、妊婦の1%以上が感染しているというように、一般人口に流行が広まっている広範流行期には、強力な予防対策と、治療・ケア・サポートの増進による社会的インパクトの減少が必要です。
また、開発段階によっても、優先順位は違ってきます。低開発の場合には、長期的な開発援助によって、貧困対策、保健医療システムの向上などが必要になります。
○援助戦略の目標
そこで、エイズに関してどのような援助戦略をとっていくかについて述べていきたいと思います。
私たちは、エイズに関する援助は、感染予防とケア・サポートを主目標とし、流行の根源を絶ちつつ、感染者を支援することを中心におくべきだと考えます。行動変容を促すために、社会構造の改善をすること、DOTS(直接監視下短期化学療法)などによる結核の治療、また、母子感染予防なども射程に入ってくるでしょう。
HIV治療に関して一言触れておきますが、先ほども言ったように、援助の持続性の観点から考えると、2国間援助に限って言えば、抗HIV治療薬の提供自体は直接的課題とはしにくいのではないかと思います。抗HIV治療を行うためのインフラ整備などの部分的な援助、治療法や投薬アドヒアランスの管理に関する技術移転、保健医療システム・施設の整備の援助、抗エイズ治療を実現するための回転資金の運営の支援、VCTの促進、エイズ治療薬の低価格化の促進などを進めていくことが可能だと思います。
一方、母子感染予防に於ける抗HIV薬の投与は、期間が限られているなどの点で可能性を持っていると言えます。また、先日ブッシュ大統領が表明した「エイズ軽減緊急計画」や、世界エイズ・結核・マラリア対策基金など、他ドナーとの連携などにより実施していく方向性があり得ると思います。ちなみに、この世界基金については、国際機関・政府・民間のパートナーシップによるエイズ対策の資金調達機関であり、国別に設けられている「国家調整機構」(CCM)殻の申請によって各国に資金が配分されます。現在のところ、総額21億ドル強の拠出が表明されており、日本は総額2億ドルの拠出を約束しています。基金自体としては、2002年に2億4,500万ドルの計画が承認されています。
○援助の哲学
では、我が国はどのような哲学に基づいて援助を行っていくべきでしょうか。
一つ考えなければならないのは、この分野はわが国が「比較優位性」に劣る分野であるということです。我が国は、予防・ケアの分野での経験の蓄積が十分にはなされていません。エイズに関する援助は、社会規範の変革や行動変容という、人間・社会の変革を伴う援助であり、人材・組織・コミュニティが対策の中心となります。しかし、日本には、そうした能力のある人材・組織に乏しいわけです。
しかし、だからといって、エイズに関する援助をしないわけには行きません。いまや、エイズは避けることのできない問題です。ですから、援助哲学を根本的に転換していくことが必要となっています。
実際、わが国は自らの流行を目前に控えている状況であり、日本人が途上国で経験を積み重ねることは、後に我が国の流行に対する対応ができる人材を育成するということでもあり、国益にもかなうわけです。ですから、上から下に「援助する」という視点でなく、互いの経験から学びあいつつ世界規模の問題解決に向かうという視点が必要だと思います。
ここで私たちは、エイズに関する援助について、以下の6つの原則を掲げました。
(1)総合性指向(C:
comprehensiveness)
(2)人間中心指向(H:
human-centeredness)
(3)評価指向(E:
evaluation)
(4)持続性指向(S:
sustainability)
(5)文脈指向(C:
context-oriented)
(6)国益指向(B:
national benefit)
の6つです。
まず、総合性指向。脆弱性、リスク、インパクトを低減するためには、エイズ対策は体系的、総合的である必要があります。また、エイズの克服のためには、種々の社会問題に総合的に取り組む必要があり、多くのセクターの参加が必要です。そのためには、あらゆる協力プロジェクトにエイズ予防教育や脆弱性の低減に役立つ内容を盛り込んでいくことが効果的です。これならば、すでに行われている開発プロジェクトに比較的小額の予算を追加するだけで実現可能になります。日本の援助は、多分野で多国家・多地域に渡る協力の実績を有しているので、それを比較優位性として活かすことができます。また、そうしていくことで、世界のエイズ問題に対するわが国のコミットメントを示すこともできます。
つぎに、人間中心指向。これは、予防やケアをする人、当事者などコミュニティの人々などの「人」を中心とすることです。道路建設のように、一定の技術的解決策があるわけでもなく、人々の要望や、流行状況から対策を立てるということが必要です。ただし、「予防」については、率先して希望を表明する人が多くいるわけではないので、ここが手薄になる可能性があります。とりわけ、参加型のプロジェクト立案をしようとすると、予防は優先されにくくなりがちだろうと思います。「参加型のわな」とでも呼ぶべき事態といえるでしょう。
この人間中心指向で考えるべき点は、人材・組織の育成を重視するということです。
物品の購入に頼る援助では、予算がなくなると何も残りません。しかし、人材・組織が育成されれば、被援助国に於ける持続性のある対策の中核を作ることができますし、日本との間で、さらに国際協力を進めていくこともできます。
また、日本国内について考えれば、開発援助によってエイズ対策を担える人材を育成し、国内対策の充実をはかる、そのことによって、らせん的にわが国の国際援助の質・量を高めていくということが可能になります。
第3に、評価指向。エイズ対策については、2001年に開催された国連エイズ特別総会で、各国が国別目標を策定することになっています。こうした目標の達成を支援していくことが一つ考えられます。
資源を大量に投入し、たくさん活動をしても、実際に成果・効果が出なければ仕方がありません。予防・ケア・人材育成などに関しても、アウトカムを測定し、評価していくことが重要です。明確な目標と指標があれば、途上国、日本双方の国民の支持を得やすくなるでしょう。
第4に、持続性指向。相手国の自助努力が向上するような協力を実施すること、援助の相手国が、実際の感染状況やリスク行動の実態を把握することによって、当事者意識を高めていくことが必要です。
さらにその上で、対象国自身で管理可能な技術(適正技術)を用いた予防やケアを実践していく必要があります。
これには、南南協力の推進も含まれます。タイは、エイズ対策で成功した国といわれていますが、その経験をカンボジアや、他のアセアン諸国に応用していくことを推進していくことが良い例です。また、この南南協力においても、資金だけでなく、日本の人材や組織がパートナーとして実質的に関与していくことにより、日本の組織、人材の育成を行い、継続的なパートナーシップ構築の基礎としていく必要があります。
持続性の向上には、民間セクターを巻き込んでいくことが重要です。民間の資源や資金には大きなものがありますし、多くの人が企業や商店、農場などで1日の大半を過ごしているわけです。もちろん、労働者と消費者をHIV感染から防ぐことは企業としての利益にもかなうわけです。
第5に、文脈指向。これは、その国の開発状況、流行状況、エイズ対策の現状に即した援助を行うという意味です。実際、開発段階、流行ステージ、実際に行われているエイズ対策による違いなどの如何によって、対策の在り方は異なるのであって、その文脈を把握し、それに適した対策を行うことが重要です。また、他のドナー国・機関との重複を避けつつ、必要な領域をカバーするような連携も必要です。
最後に、国益指向があります。
実際、わが国自身が近未来にエイズ疫禍を被る可能性が高いわけです。それならば、国際「協力」を、日本の人材や組織の経験を高める場として意識的に活用し、日本と相手国のノウハウを学びあい、継続した国際協力、国内対策に役立つ人材を育成することが重要です。
また、南々協力を援助する場合についても、その企画・実施に日本の人材・組織を配置し、そこで経験を積むことができれば、我が国の為になります。国内外で活動する能力を有する人材や組織の育成が促進され、経験がさらに蓄積されて、人材や組織開発が進むという、好循環を作り出していく必要があります。
○2003年「アジア太平洋国際エイズ会議」と「東京アフリカ開発会議」に向けて
このような援助の哲学をもって、日本は、単に途上国問題ではなく地球規模問題の当事国としてエイズに関わっていく必要があります。
アメリカと異なり、日本は政治的なイデオロギーによるぶれが少ないという利点があります。つまり、政治的に一貫した貢献が可能なのです。アジア太平洋国際エイズ会議をてこに、アジアにおいて誰をパートナーとし、どう連携するかを考え、具体的なプロジェクトを形成していく、また、国内のNGO・途上国のNGOなどとのネットワーク・連携をはかっていく必要があります。
アジア太平洋国際エイズ会議では、学術報告・経験報告および、スキルズビルディングのワークショップ、文化プログラム、コミュニティ・フォーラムなどがあります。これらを軸として、プロジェクトの運営・評価、情報・経験の共有などをはかっていく必要があります。
私たちは、今回の講演の土台となっている論文において、エイズ予防・ケアセンターの設置を構想しています。わが国には治療と基礎研究のセンターはあるが、予防・ケアに関するセンターはありません。エイズに関する情報の蓄積や発信・普及、予防・ケアの研究・理論化のためのセンターを設置し、人材・組織育成・研修を強化していく必要があります。
こうしたセンターを作れば、国内外の援助機関・組織や専門家、研究所と連携していくこともできます。例えば、NGO職員が客員研究員として、知識の深化、経験の理論化と普及のために活用するとか、NGOプロジェクトの企画・評価などにおいて、技術的側面について、こうしたセンターを活用することもできるでしょう。
○最後に:中国に関する事例検討
最後に、地球規模のエイズ問題がアフリカからアジアへとシフトしていく中で、アジアの例として、中国を事例として検討してみたいと思います。
中国で最初に報告されたエイズ発症事例は、西安で発症し、北京で発見された外国人旅行者でした。その後、1989年までは、エイズ事例は非常にわずかしかありませんでした。しかし、1989年雲南でIDUの事例が発見されて以降、国内での感染があちこちで広がりました。1992年から95年の間には、河南省で売血を行った人々の間で感染が大規模に広まっています。
中国全体で、2001年9月までに28,133件の感染事例が報告されていますが、その多くは、薬物使用によるものです。しかし、現在、性感染も急増しつつあります。2002年の推定が100万人、2010年には1,000万人が感染しているのではないかと予測されています。
国際協力の現状を見てみましょう。
まず、世界銀行は、河西、福建、シンチャン・ウィグル自治区で支援を行っています。ジェネラルな内容の支援です。
WHOは、エイズ対策の技術のバックアップ、コンドームの促進、エイズ発症の抑制などについての支援を行っています。一方、UNDPは、エイズ政策やエイズ関連法規の策定に関して支援を行っています。
各国でみると、EU:6年間をかけて医師の訓練を実施しようとしていますし、イギリス国際開発省(DfID)は四川省・雲南省で支援を行っています。米国国立保健研究所(NIH)や疾病管理・予防センター(CDC)は、全般的な技術バックアップを行っています。その他、世界エイズ・結核・マラリア対策基金には、2002年の段階で支援の申請中ということになっています。
では、私たちには何が出来るのでしょうか。
一つは、サーベイランスの支援による、エイズの状況把握に関する能力の向上が挙げられるでしょう。また、中国へのODAは減らされる傾向にありますが、その中で、西部大開発のプロジェクトがあり、そこにエイズ予防を入れていくこと、農村開発・保健医療、リプロダクティブ・ヘルスの普及などが挙げられます。
また、経済発展をしている中国沿岸地域で、民間企業を巻き込んでエイズに関するプログラムを行っていくことが挙げられます。
また、中国大陸部に積極的に支援を行っている香港のNGOへの支援を実施する、という方法もあります。たとえば、珠江三角州地帯での活動を行っている香港愛慈基金会、越境旅行者やセックスワーカーなどへの支援を行っている
AIDS Concern、河南省のエイズ孤児のサポートや、MSMへの予防啓発活動を行っている智行基金会などの支援を行うということもあります。また、忘れてはいけないのが、日本国内に在住している中国人へのエイズ予防活動、ケア・サポートなどが挙げられるでしょう。
3.エイズ危機克服に何が必要か:
世界経済からみたグローバル・エイズ対策
<はじめに>
HIV/AIDSの地球的な広がりは、途上国における感染症、さらに保健衛生の対策において、地球規模での緊急の取り組みが必要であることを、国際社会に再認識させることになった。
一方、途上国におけるHIV/AIDS対策のとりくみは、ここ1~2年で急速に拡大している。昨年1月には、地球規模でお金を集め、途上国のHIV/AIDSに関するプロジェクトに効率的に配分するしくみである「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(GFATM)が発足し、また、資源の乏しい地域でのHIV治療に関する研究や実践も、急速に進んでいる。
HIV/AIDSや感染症に対して、国際社会がどのように取り組んでいくのか。WHO(世界保健機関)が2001年12月に発表した「経済開発のための保健への投資」報告書は、マクロ経済の視点から、その戦略的なバックボーンを示している。この報告書は、途上国の保健分野への投資は、単に人道的側面だけでなく、世界経済の持続的・安定的な成長にとって不可欠であると結論付けている。GFATMや、途上国でのHIV治療のとりくみも、この報告書作成においてなされた議論を背景として行われている。
この報告書の作成は、経済学者と保健分野の専門家の双方が参加する「マクロ経済と保健委員会」(委員長:ジェフリー・サックス・ハーバード大教授)によって行われた。保健分野NGO研究会は、2003年3月7日、この委員会の委員として日本から参加した加藤隆俊氏(元大蔵省財務官、早稲田大学アジア太平洋研究センター客員教授)に、この委員会でなされた議論と報告書の枠組みを解説していただき、保健分野NGOに期待される役割などについてお話しをいただいた。
<企画概要>
(テーマ)エイズ危機克服に何が必要か:世界経済からみたグローバル・エイズ対策
(日時)2003年3月7日 午後6時30分~9時
(場所)慶應義塾大学三田キャンパス北館4階会議室
(企画構成)
○まず、加藤隆俊氏より、「エイズ危機克服に何が必要か」というテーマで発題をいただいた。
○次に、参加者の所属NGOおよびバックグラウンドによって小グループに分かれ、自分のバックグラウンドを踏まえて、加藤隆俊氏への質問を二つ考える、という小グループ討議を行った。
○その上で、全体会として、各グループから質問を出してもらい、加藤氏が応える、という形で全体討議を行った。
エイズ危機克服に何が必要か
加藤隆俊氏
○「マクロ経済と保健委員会」とは
加藤です。私自身はずっと大蔵省に勤めており、法学部出身です。医療・保健については門外漢です。その私が、なぜ経済開発と保健投資という分野に関わったのかということですが、私は、大蔵省を出てから、アメリカのクレアモント・マッケンナ・カレッジという学校で教鞭を執っておりました。この学校には、ピーター・ドラッカーという有名な先生がいらっしゃいます。そこで教えていたときに、電話がかかってきて、WHOのブルントラント事務局長によって作られた有識者会合として、「マクロ経済と保健委員会」というのがあるが、この委員会に日本からも参加しないか、ということになり、1年間、つきあいました。
この委員会は、18人の有識者が、2年かけてアウトプットをまとめたわけですが、それに参加したのです。
なぜブルントラントさんがこういう仕組みを作ったか。ブルントラントさんのバックグラウンドに関係があると思います。ブルントラントさんは医師で、かつ、ノルウェーの首相もされた女性です。したがって、保健分野・医療分野に多大な関心を持っていると同時に、首相をやったということで、経済的な側面も含めて検討することにも関心がありました。その結果、この委員会には、保健分野の有識者と、経済開発分野の有識者の混成軍で検討したら面白いだろうということでできた委員会です。ちなみに、ブルントラントさんは、最近では「たばこ規制枠組条約」をまとめるという立派な成果を残しています。
さて、私の参加した委員会ですが、本報告は200ページ、6つの作業部会の報告が6冊及び作業部会の発注した論文が87本あります。2年かけて、相当な金をかけて作った、知の一大アウトプット、であると言えると思います。
18人の委員会の中には、ノーベル賞を受賞した先生が二人いました。一人は、ヴァルムスさん(注:ハロルド=ヴァルムス氏)という方ですが、本当に気さくな方で、ノーベル賞を取った方だとはつゆ知らずにつきあっておりました。また、この委員の中には、最近できました世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)の事務局長になられたフィーチャムさん(注:リチャード=フィーチャム氏)がおられます。さらに、その後WTOの事務局長になられたスパチャイさん(注:スパチャイ=パニックパク氏)など、保健分野や知的所有権で要職を占める方が出てこられました。余裕があれば、ぜひ報告書を読んで欲しいと思います。ホームページからダウンロードできます。
○なぜ、途上国への保健投資が重要か: 人・もの・資本・情報の流通の活発化
今日は報告書のさわりをお話ししたいと思います。
保健投資の支援が、教育と並んで、開発援助の中心テーマとなってきています。なぜそうなったか、三つのキーワードで説明したいと思います。
最初がグローバル化。これに伴って、人・もの・資本が自由に国境を越えて移動するようになりました。人の移動ということで言えば、HIV感染者の人々が自由に移動するということですし、ものと言えば、例えばアメリカで西ナイル熱という病気が蔓延していますが、これはどうも、アフリカから持ってこられた鳥がウイルスを媒介してアメリカに広がったのではないかと思われます。ものの移動を介して、ウィルスが広まってくるわけです。それから、資本の移動ということですが、先進国の多国籍企業は、一番有利なところに資本投下をして、そこでものを作るということをしています。この仕組みについて少し考えますと、例えば南アフリカ共和国に直接投資をするかというと、あれだけのエイズの感染拡大があるところでは、なかなか投資しにくい。資本の移動という観点からも、感染症に関心を払わざるを得ないというところがあります。そういう点で、資本の移動ということから考えても、感染症に関心を払わなければならないというところにきていると思います。
二番目のキーワードは、情報化時代ということです。エイズの子どもたち、働き手がエイズを発症して、働けなくなって家で寝ている、というのが、とくにCNN(米国のニュース・テレビ局)を通じて、全世界に喧伝され、放置できない問題だということになりました。メディアを通して、エイズが以下に悲惨な状況をもたらすかということが世界に伝えられ、それで非常に多くの人々の共感を呼んだわけです。
○援助哲学の変化:「貧困の削減」が焦点に
三つ目ののキーワードが、援助哲学の変化ということです。
今、私たちが「世銀」と呼んでいる組織の正式の名前は「国際復興開発銀行」といいます。第2次大戦の後に作られた国際機関で、ヨーロッパや日本の戦後復興を支援するために作られました。冷戦時代になりますと、西側諸国の援助を行う。ソ連はソ連で、援助を通じて自分の陣営に各国を取り込む、ということが、援助戦略の中心になってきました。その後、援助の枠組みの中から、成功例が出てきました。1993年、世銀は「東アジアの奇跡」というレポートをまとめました。そこでは、アジアの国が、援助を受ける段階から、自分で資金調達ができる段階、海外から直接投資ということでどんどん資本が入ってくる、かつての途上国支援の枠組みの中で援助のお世話にならず、自立できる国が増えてきたのではないか、ということが言われるようになりました。
1989年には、ベルリンの壁が崩壊しました。そこで、旧社会主義圏の国、アジアではベトナムや中国、モンゴルなど旧計画経済国を市場経済化していくことを支援しよう、というのが90年代の援助ということになりました。その辺に一応の目処がついた中で、今度は、援助の重点は低所得国の貧困問題、そこに重点を絞って援助をしていく、ということになってきました。取り残された地域に重点を絞って対応しよう、というのが90年代後半から現在までの援助の中心になっています。こうした低所得国の「貧困削減」、それについてどういうテーマを取り上げていくか、ということの中で、保健衛生問題と、初等教育の問題が全面に取り上げられるようになってきたわけです。援助哲学が時代に伴って変わってきている、ということも、今、保健分野への投資が注目されている、援助哲学から見た流れになっていると思います。
○なぜ、保健分野に投資するのか
では、その背景の上で、WHOの報告書がどういうことを言っているか、ということを、簡単にフレーズで説明していきたいと思います。
まず、なぜ保健分野に投資するのか、次に、どういうチャンネルを通じて投資するのか、そして、それにどのくらいのコストがかかるのか。投資をした場合に、どういう効果があるのか、ということをまとめています。
最初に「なぜ保健分野に投資するのか」。
表1は、各国の開発カテゴリー(最低開発途上国、その他の低所得国、低位中所得国、高位中所得国、高所得国)、人口、平均年間所得、出生時に於ける平均余命、幼児死亡率、五歳未満の死亡率を挙げたものです。
ここから読みとれるのは、一人当たりの所得水準と保健衛生状態というのは、逆相関の関係にあるということです。所得が高い国ほど、平均寿命も長いですし、幼児死亡率も低い。所得の低い国ほど、幼児死亡率も、5歳未満の死亡率も高い。貧しいが故に保健衛生状態が悪いのか、保健衛生状態が悪いから貧しいのか、これは判断が難しいのですが、所得が低ければ、保健衛生状態も劣悪である、ということは少なくとも言えるようです。
表1 開発国カテゴリーによる平均寿命と死亡率 (1995-2000)
開発カテゴリー |
人口
(1999年現在、100万人) |
平均国民所得
(米ドル) |
出生時平均余命
(年) |
幼児死亡率
(人口1,000人あたり
1歳未満の死亡率) |
5歳未満の死亡率
(人口1,000人あたり) |
最低開発途上国 |
643 |
296 |
51 |
100 |
159 |
他の低所得国 |
1,777 |
538 |
59 |
80 |
120 |
低位・中所得国 |
2,094 |
1,200 |
70 |
35 |
39 |
高位・中所得国 |
573 |
4,900 |
71 |
26 |
35 |
高所得国 |
891 |
25,730 |
78 |
6 |
6 |
※備考: サハラ砂漠以南アフリカ諸国 |
642 |
500 |
51 |
92 |
151 |
表2は面白いと思います。これは、1965年の一人当たりの所得によって、国を5つのグループに分けました。また、横軸には1965年の幼児死亡率をとって、各グループの保健衛生状態の指標としてみました。それで、各国のその後30年間の経済成長率を取ってみたのですが、同じ所得グループであれば、保健衛生状態がよい(乳児死亡率の低い)国ほど、30年間の一人当たり経済成長率が高い、ということがわかるわけです。従って、ここで言えることは、保健衛生状態が良好な国ほど、その後の経済成長率が高い。経済成長率を高めるためには、保健衛生状態を改善することがその後の成長率に寄与するのではないか、と思われるわけです。
表2 一人当り所得及び幼児死亡率グループによる一人当りGDP成長率(1965-1994)格差
1965年の幼児死亡率(出生1,000人当り) |
|
50人以下 |
50人超 100人以下 |
100人超 150人以下 |
150人超 |
1965年の一人当り当初所得
(購買力平価調整による1990年のドル価値) |
GDP≦750ドル |
- |
3.7 |
1 |
0.1 |
750<GDP≦1,500ドル |
- |
3.4 |
1.1 |
-0.7 |
1,500<GDP≦3,000ドル |
5.9 |
1.8 |
1.1 |
2.5 |
3,000<GDP≦6,000ドル |
2.8 |
1.7 |
0.3 |
- |
GDP>6,000ドル |
1.9 |
-0.5 |
- |
- |
注)各欄の成長率は、それに属する国々の成長率の単純平均
出所)「マクロ経済と保健委員会」 報告
なぜそうなるのか。幼児死亡率が低くなるということは、例えば、家計のうちで医療費に取られる分が少なくなりますから、それだけお金を教育に回せるようになるわけです。また、幼児死亡率が低くなれば、子どもの数をたくさん生まなくても済むようになる。その結果、その後の一人当たり成長率が高くなる、ということも言えます。さらに、全体的に保健衛生状態が改善すると、職場で欠勤する人が少なくなる、また、職業訓練なども受けられる。やはり、良好な保健衛生状態がその後の生産性に寄与する、ということが、この表から読みとれるわけです。
○所得の低い途上国で保健分野の投資を効率的に進めるためには
ここまでで、保健衛生面での投資をすることは、それなりに意味があるかも知れない、という話にはなります。しかし、では、それを所得の低い途上国において進めるためには、どんな努力が必要か、ということです。それについて、報告書では3つのポイントを上げています。
まず、オーナーシップ。各途上国が、保健問題を自分の問題として、自分が行う必要のあることは何か、ということを考えて、各国のいろんな政府機関、市民社会、民間セクターの動員をして取り組んでいく。それによって国全体として保健投資をしていくということが大切だということです。ちなみに、GFATMについても、「国家調整機構」という機構が設けられており、各国の幅広いステークホルダーを動員して、国の幅広い分野に、GFATMのお金を投資していくということになっています。
次に、「貧困削減戦略」(PRSP)について、その国が、オーナーシップをもって総合的に考え方をまとめて取り組んでいくということ。このレポートは、保健分野の投資を扱っていますが、教育、とくに初等教育わけても女子の初等教育や食糧の増産、上下水道の整備といった、広い意味での保健と関係した分野を改善することは、保健分野への投資との相乗効果を持つ、ということで、貧困削減計画を全体的・総合的に、その国自身の主体性に基づいてうち立てて、その中で保健分野を位置づけて戦略を考えていくということです。
三番目に、「受益者密着」(
close to client)。日本の保健所のような、簡単な仕組みを全国に設けるということです。例えば、国に一つか二つの総合病院を設ける、箱ものを作って最新機器を入れてみる、ところが、故障しても部品が来ず、フォローアップができない、ということでは困ります。保健所のようなものを全国に作り、簡単な診察設備や必要な医薬品を置いて、看護師クラスの人がケアしていく。所得の低い途上国においてもできそうな仕組みを考え、それによって、必要不可欠な保健サービスを、全国あまねく、その国の国民が利用できるような形に持っていく。そういうことからスタートすべきではないか、というのが、この報告書の考え方です。
○低開発国の保健分野への投資のコスト
では、こういう考え方で、低所得途上国の保健分野に投資した場合、どのくらいのコストがかかるかというのが、表3です。ここは委員会の中で議論していて、委員長のジェフリー・サックス氏やブルントラントさんと、私たち、いわば守旧派の意見の分かれるところで、委員会では、かなり議論しました。ここでの基本的な考え方は、一人当たり国民所得が1,200ドル以下の国において、必要最低限の保健サービスを国民すべてに提供する場合、どのくらいのコストがかかるか、というのが中心的な課題です。その必要最低限の保健サービスというのは、たとえば、感染症、エイズの予防とか、あと一部治療、その他、結核・マラリアの予防、出産時のケア、幼児の衛生とか、そういった保健サービスが一人当たりどのくらいかかるか、ということです。これらを低所得途上国で提供するためには、一人当たり、30ドル~40ドルくらいかかるのではないか、という計算が出てきました。それを積み上げていくらかかるか、ということを計算すると、ドナー国が提供すべき資金は、2007年で270億ドル、2015年で380億ドル、という積み上げ計算になるわけです。
それから、国際公共財、といっておりますが、今、GFATMの事務局長になられているフィーチャム氏が非常に熱心でした。どういうことかというと、今、所得の高い国における疾病、心臓病とかガンとか、については、どんどん新薬が開発されているが、マラリアとか、熱帯でしかかからない病気には、新薬開発のインセンティブが出てこない。これらの疾病について、国際機関を通じて、低所得国特有の病気に対して、これの研究開発を中心的に行う、またはWHOがこれを積極的に援助して行っていく、というのが国際公共財の意味です。これらをあわせると、上記の金額になるわけです。
表3 保健への投資の所要資金
推計
|
2001年
(推定) |
2007年 |
2015年 |
ドナー資金 |
70 |
270 |
380 |
うち 国別の保健投資 |
50 |
220 |
310 |
備考 うち世界AIDS・結核・マラリア基金 |
- |
80 |
120 |
国際公共財 |
15 |
50 |
70 |
低所得途上国の国内資金調達 |
500 |
730 |
900 |
備考 低所得途上国の国別保健投資のためのドナー資金及び国内資金合計数 |
535 |
930 |
1190 |
2001年比の増加額 |
- |
400 |
660 |
出所)「マクロ経済と保健委員会」」報告
これらのお金について、ドナー低所得国が自前で国内資金を調達する分を含めると、資金はあわせて2007年で400億ドル、2015年で660億ドル、ということになります。私たち「守旧派」から見ると、2001年の保健分野へのドナー資金が70億ドル、それに毎年、270億ドルとか380億ドルを追加していくというのは、少し現実離れしているのではないか、と思うところです。しかし、ジェフリー・サックス議長達に言わせると、追加的資金を先進国のGDPに照らし合わせると、だいたい先進国GDPのわずかに0.1%程度である。日本をアメリカもコミットしている、国際的な援助目標として、GDPの0.7%という目標が存在している。したがって、GDPの0.1%の追加的な投資を保健分野でやろうと思えばできるわけではないか、自分たちの約束した範囲内のことではないか、政治的な意志さえあれば、できる範囲のことなのだ、というのが、ジェフリー・サックスの意見でした。
従って、常識的には、これだけの大量の資金を追加的に毎年動員するのは簡単ではないと思えます。しかし、ジェフリー・サックス議長に言わせれば、それだけのことをやるに値する課題である、ということであり、彼はロンドン・エコノミストなどいろんなところでにそういうことを書いています。
○投資の効果としての莫大なメリット
では、こういう資金調達ができた場合、どういう効果があるか。ここでの作業は次のようなものです。つまり、必要最低限の保健サービスが国民全てに提供された場合の病気ごとの死亡率および死亡者数と、現状でそのまま推移した場合の死亡率および死亡者数を比べて、疾病ごとに積み上げると、2010年には、毎年800万人の人々が死亡を免れることができる。毎年800万人の人が、健康な体で労働に従事することができる。この人たちが、どれだけ所得を稼ぐことができるか。これについては、障害調整生存年率(DALYS:
Disability Adjusted Life Years)に一人当たり国民所得をかけて計算してみることができます。さらに、健康な労働力が毎年800万人ずつ累増することによる、経済成長率のかさ上げについて考える必要があります。現在、南アフリカでは、一つのポストに二人ぐらいの人間を雇わないと、いつ、エイズで働けなくなるかわからない、というような状況になっています。国民全てに必要最低限の保健サービスを提供することによって、そういった無駄はなくなる。また、職場で職業訓練をしても、訓練した人が死んでしまうと無駄になってしまう、そういうことがなくなることによる間接的な経済効果を計算することができる。これらを重ね合わせると、経済効果としては、2015年には、年間3600億ドルを見込むことができるということになります。これは、先ほどのコストの6倍です。かけたコストの6倍の利益が、少なくとも出てくる、というのが、この報告書の一番のポイントです。たしかに、かけるお金も莫大かも知れない、しかし、それをはるかに上回るような経済効果が計算できる、だからやるべきだ、ということなのです。
○HIV/AIDS:予防か、それとも治療か
つぎに、皆さんのご関心があるところだと思いますが、この報告書では、エイズに関してはどのような観点から議論したか、ということです。
まず、予防中心か、それとも治療も対象に含めるか、という問題です。非常に難しい問題で、委員会の中でも議論しましたし、知的な論争としてはまだ続いている、結論が出ていない問題だ、と言ってもいいと思います。
マイケル・クレマー(Michael Kremer)というハーバード大学の経済学の教授が、去年の「ジャーナル・オブ・エコノミック・パースペクティブ」という専門誌に書いた論文を見ていると、まず、コストの問題として、抗レトロウィルス治療を低所得途上国で実施すると、患者一人当たり年間1100ドルかかる、ということになります。確かに、薬そのものの値段は下がってきていますが、治療状況を厳格にモニタリングする必要がある。例えばどのくらいのウイルス量で推移しているか、副作用が出ていないか、耐性ウィルスが発生していないか、それらのモニタリングの費用をあわせると、年間1,100ドルくらいになる。ところが、同じ1,100ドルをワクチンやHIVの予防に重点にして費やせば、だいたい、25~100倍くらいの人命を救助するという効果が期待できる。コスト計算の観点から計算すると、予防中心の方が、はるかに多くの人命を救える、というのが、クレマー氏の意見です。日本の政府もだいたい、こういう考え方を取っていると思います。
低所得国で抗レトロウィルス治療を広めるべきである、という考え方の根拠として、そういう治療の道がないということがはっきりすると、HIV感染者は検査を受けるインセンティブがなくなる。いざというときには抗レトロウィルス治療を受けられる、という選択があれば、HIVの拡散を防ぐことができる、というものがあります。しかし、クレマー氏は、「検査によって陽性だ、ということになると、失うものはないということになり、かえってその人の性行動に歯止めがなくなるかもしれない。また、抗レトロウィルス治療が普及すると、感染者の生存年数が長くなるので、アクティブに性行動を行う期間も長くなる」ということで、所期の目的を達成できるかどうかに疑問を投げかけています。
私の友人が最近、都内の中学校で、社会人としての心構えを話す機会があるそうで、そこで、「今の中学生が何に関心を持っているか教えてください」と学校に聞くと、「エイズのことを知りたい」という答えが、相当な数をもって上がってくる、ということらしいです。日本の場合、エイズに対する若い世代の関心が高まっている。では、日本でも、検査を受けることがHIVウイルスの拡がりを効果的に抑制するか、色々な見方があろうかと思われます。私は、検査を受けることは圧倒的にプラスになると思いますが、クレマー氏のように考える人もいないわけではない。私自身、エコノミストとしていえば、予防中心の考え方に論理的に反論するには相当苦労する、という気がします。
ただ、サブサハラ・アフリカでは、平均寿命がエイズのために15歳も下がっている国があるし、成人感染率が30%を越える国が、ボツワナ、レソト、ジンバブウェなど数カ国ある。そうすると、国として経済を運営していくためには、HIV感染者にも働いてもらわないと、経済が成り立たないのではないか、国の経済安全保障上、手を打たざるを得ない。それはその通りだと思います。「国」という形を保つために必要だ、というのは説得力のある考え方です。さらに、一番説得力を持ったのは、「人道上、放置できない」という主張です。中国で多くの人が売血でHIV感染した村の手記には、「両親とも倒れて、祖父母が子どもの面倒を見なければならない」、また、アフリカでも、エイズの孤児たちがどんどん増えてきている。こういうことを「放置できるのか」といわれれば、コストがかかる、外部不経済になる、という議論は迫力を欠き、「できる範囲でやってみようではないか」ということになるわけです。
もう一つ、ブラジルの例があります。ブラジルは、自前でジェネリックの抗レトロウィルス薬を作り、無料で患者・感染者に配布し、それによってHIVの拡散を相当減らすことができた。この例から考えれば、所得の低い国でも、治療によって、HIVの拡散をコントロールできる、ということもある。これらの議論から、委員会としては、長時間の議論の末、予防がメインであるにしても、治療もメニューに加えるべきではないか、ということになりました。GFATMにおいても、治療にもお金を出すことになっています。ただ、それが経済効率上どうか、ということについては、まだ議論が続いています。
○抗レトロウィルス薬のジェネリック薬製造はWTO違反か
二番目に議論したのは、抗レトロウィルス薬のジェネリック薬の製造はWTO違反か、という点です。委員会では、いろいろと成功例も出てきている中で、低所得途上国と製薬業界とWHOが入って議論をし、自主的なガイドラインをまとめて、可能な最低の商業価格で、必要不可欠な薬が低所得国で利用できるような仕組みを、自主的に相談して決めるべきだ、という考え方が中心となりました。ただ、すべてのケースで製薬業界と国とが交渉して取り決めができるかどうか、保障の限りではない。
そのような場合の対応として委員会が注目したのは、特許の強制実施権発動による治療薬の製造です。米国の通商代表部は、ブラジルをWTO違反ということで提訴しましたが、最終的には、国際世論に負けて提訴を取り下げています。ブラジルやインド、メキシコ、タイなど、自前で薬を作れる国では、この強制実施権によって、需要に対応できるのではないかということが、ブラジルの例でわかってきました。しかし、委員会の中で議論した中心テーマは、自前で薬を作る能力のない、サブサハラ・アフリカの多くの国についてはどうするのか、ということです。もしガイドラインがまとまらないのであれば、強制実施権を発動して作った薬の輸入を認めればいいのではないか、というのが委員会での考え方になりました。WTOの方では、2001年のドーハ閣僚会議で、後発開発途上国(LLDC)については、TRIPSの枠組みの実施を2016年まで伸ばすことになっています。また、強制実施権については柔軟に考えていこうではないか、というのは、すでに政治的な合意にはなっていると思います。しかし、それと既存のTRIPSの文言をいかに調和させるか、ということを、2002年までにまとめる、ということが宿題として出されたわけですが、対象となる薬の範囲等をめぐる意見の対立からまだまとまっていない状況です。
○HIV/AIDS問題はアフリカの問題か
三番目ですが、HIV/AIDSの問題は、主としてアフリカの問題なんだろうか、ということがあります。ヨーロッパは、アフリカを植民地にしていました。アメリカには、アフリカ系アメリカ人がたくさんいます。米欧の関心は、どうしてもアフリカに引っ張られます。
逆に私たちは、アジアでもHIV/AIDS問題は深刻だよ、ということをかなり声を上げて意見表明しました。最近は中国の売血問題の広範な報道がありましたし、昨年のUNAIDSの報告でも、2002年から2010年までの間に、新しくHIVに感染する人が4,500万人、そのうちの40%がアジア、と予測されています。ビル・ゲイツ氏がインドに行って、ビル&メリンダ・ゲイツ財団がインドのエイズ対策に相当お金を出した、ということもあります。エイズ問題に対する国際的な世論を盛り上げるために、クリントン前大統領をインドに引っ張ってきて、エイズ問題へのキャンペーンに活用しよう、というグループもあります。
アフリカの問題は非常に深刻だが、アジアのHIV/AIDSの問題も将来的には非常に重要な問題ではないか、というところまで、最近では認識が広まっています。
○日本は途上国の保健分野になぜ取り組むのか
最後に、なぜ日本が、という課題です。この報告書は、2001年12月にまとめられ、世界同時に記者会見をする、ということになりましたが、日本では一つを除いて取り上げられませんでした。日本の内と外に、大きなギャップがあります。外から見れば、「沖縄感染症対策イニシアティブ」などもあり、日本はこの問題で相当貢献してくれるんじゃないか、という風に認識されています。GFATMにしても、アメリカは5億ドルですが日本は2億ドル。日本はよくやった、というよりは、当然じゃないか、といわれています。日本は世界第2位の経済大国である、エイズ問題は、世界全体の問題である。日本は、当然、これに取り組むべきだ、というのが、外から見た日本への考え方です。日本でもエイズ問題に関して、もっとすそ野を広げていくことが大切だと思います。これは、政府レベル、NGOレベルの話だけでなく、日本の企業も、あれだけ中国やインドに行って活動することになりますと、もう少し関心を持たなければならないと思っています。
もう一つ、感染症リスクに対する積極防衛ということがあります。日本は島国で、「水際防衛」が中心といわれますが、これだけ人、ものが移動するようになって、あれだけ麻薬や拳銃が持ち込まれることになっています。元になっている蛇口を閉めることにお金を使う必要があります。
最後に、活躍の機会ということですが、やはり、母子健康手帳や、寄生虫対策とか、日本が国内で手がけたことが、他の国の模範になるようなこともあると思います。日本が90年代、世界のODA大国となり、イエメンの結核対策、トリニダード・トバコやザンビア、南アなどでエイズの支援もしている。これだけやっていることによって、相当の人材の蓄積がある。それらをもっと積極的に広げていくことが、日本が世界から尊敬される国になるための一つのファクターではないかと思います。
どうもありがとうございました。
4.まとめ
シリーズ「予防と治療の両立に向けて」で目指したのは、途上国を中心に、エイズ問題が地球規模で拡大していく中で、日本の途上国に向けたエイズ支援のあり方について、より具体的かつ実践的な検討をする場を設けることであった。とくに、予防啓発、行動変容プログラムから抗エイズ治療、差別・偏見の解消やエイズの社会的インパクトの低減などに至るまで、数多くの要素によって構成されるエイズ対策について、その最新動向と各要素の関連のあり方などをつかむこと、これらに関して、研究者・NGO・当事者等のセクター間対話の場を作ることが目標とされた。
しかし、本年度については、エイズ対策の各要素の最新動向に関する本格的な検討をするには至らず、2002年にバルセロナで開催された国際エイズ会議の内容や、日本のエイズ分野の援助に関する外務省の基礎調査のレポート内容を切り口に、エイズ対策の全体的なあり方を検討し、日本のエイズ対策のあり方について学ぶという内容となった。また、国際的なエイズ対策の総合的な動向を知るために、WHO「マクロ経済と保健委員会」における議論の内容についても学んだ。
保健分野NGO、とくにプロジェクト型のNGOのキャパシティ・ビルディングとしては、この内容では不十分であり、具体的なプロジェクトに応用できるようなエイズ対策の各コンポーネントの最新動向の把握や、お互いの経験の共有などについては、来年度に持ち越されたということができよう。一方、アドボカシー型のNGOにとっては、エイズ対策の全体的動向を把握することが重要であり、この点では、本シリーズはある程度有効な内容であったということができると思われる。