ODAとは? ODAちょっといい話

「東ティモール便り~国造りの現場から」

(在東ティモール日本大使館 福島秀夫)

第五話 もう一つの日韓W杯

サッカー
 一瞬の動きでした。屈強な韓国兵士をスルーパスで突破した東ティモール軍フォワードが速攻でゴールほぼ中央にシュート。後半も半分以上過ぎ、膠着しかかっていた均衡が破れました。その後も約10分後に、スタミナ切れした日韓PKF連合軍の隙を突いて、エースの31番がドリブル突破。GKとの一対一をかわしてだめ押しの2点目をあげました。これで勝負あり。やはり東ティモールはサッカー強国の素質があるかも知れません。港町オクシで唯一のサッカー競技場に集結した溢れんばかりの市民が最高潮にわき上がります。

 この6月30日は、日韓共催W杯決勝日であり、世界中がブラジル対ドイツの決勝戦の行方に注目していたはずです。しかし実は東ティモールの、しかも飛び地オクシでも、日韓共催で「ミニW杯」が行われていたのです。日韓といってもサッカー連盟ではなく、オクシで互いに協力しながら任務についている両国のPKF部隊が立て役者です。同地には、この春先から韓国軍歩兵大隊と日本の自衛隊施設中隊が駐屯し、国連PKF任務に取り組んでいます。本来の治安維持任務に加えて、日韓が協力して東ティモールの復興に役に立てることはないか。両国部隊が知恵を絞った結果生まれた名企画が、このミニW杯、つまり地域のサッカー大会だった訳です。

 東ティモールは、サッカーが非常に盛んです。校庭でも、空き地でも、浜辺でも、どこでも子供達が裸足でボールに戯れているのを見ることができます。オクシでも大会参加者を募ったところ、参加チームは男子26チーム、女子14チームの計40チームに上りました。これらチームが一ヶ月にわたりトーナメントで毎日熱戦を続け、29日の決勝戦で、男女の優勝チームが決まりました。30日は、その男子優勝チーム「エコ」と、日韓PKF部隊の混合部隊が親善試合で対戦したという訳です。前半は日韓連合軍が、体格の差もあって終始押し気味の展開。しかしMVPとなったGKアントニオ君の好セーブにも阻まれ、ゴールを割れませんでした。結局後半のエコの2点でPKF軍は涙をのみました。東ティモール選手の一瞬の隙をついた速攻や、集中力にはなかなか光るものがありました。一緒に観戦した東ティモール・ナショナル・チーム監督のイワンさん(クロアチア人です)も、「瞬発力もあり意外と器用。いずれASEAN大会出場を目指したい」と満足顔。何でもかつての支配国インドネシアのナショナルチームには、ミロ君というチモール出身エースストライカーがいて活躍中とか。シャナナグスマン大統領も大ファンだそうです。能力のある若い人たちが、どれだけ新しい国の未来に希望を与え、子供達に夢を与えるか、はかり知れません。

サッカー
 スポーツには不思議な力があります。表彰式に集まった40チーム、600人のサッカー選手とその家族、友人達。こんなに心から嬉しそうなチモール人は普段なかなか見られません。私からもまず女子部門で優勝したスマックというカトリック女子高校チームに賞品のユニフォームとボールを授与。さらに男子優勝チームに対し、当地韓国大使とともに優勝カップと優勝旗を授与すると、場内大喝采です。韓国部隊長から「今回の大会で、国民がともに和解し、互いにうち解け合い、国の発展に向かうことができると確信した」と挨拶がありました。一つのルールの下で力を出し合い、勝負が終わったらノーサイド。腹を割った仲間になれるのがスポーツです。難民の帰還がまだ続いているチモールでもっとも必要とされている、地域そして国民としての一体感。目に見えない絆がこのサッカー大会で生まれたような気がします。温和な口振りのザビエル県知事も、「この大会は、町の住民にとってとても明るい話題。とくに若い連中に目標ができて、生き生きとしている」と目を細めます。日本政府も、先の独立式典の機会に、一連のスポーツ支援を東ティモールに実施しました。これには、5月の独立記念スポーツ大会運営支援のほか、約250万円の草の根文化無償援助が含まれています。これで東ティモール・スポーツ連盟は、サッカーゴールやネットなど、チモール人の人気種目の機材を揃えることができました。にわかに目に見える結果は出ませんが、じわじわと効いて元気が出る「こころ」の援助です。

 オクシという土地は、東西に細長いチモール島のうち、インドネシア領にあたる西チモール側に、ぽつんと残された東ティモールの飛び地です。といっても元々は東ティモールのルーツとも言える、政治的にも大事な県です。1515年に植民地を求めて来訪したポルトガル人が最初に上陸したのがこのオクシでした。その後、天然資源開発を巡ってオランダとの覇権争いが続きましたが、インドネシアがオランダから独立した後も、最後までポルトガルはオクシを手放しませんでした。99年の騒乱により未だ荒れ果てている町並みの中で、中央教会だけがひときわ立派に立て直されているのが目を引きます。首都ディリからのベロ司教の来訪のため、最近改修されたものです。

サッカー
 町は難民の帰還とともに、教会を精神的支柱として、破壊と絶望から立ち直ろうとしていますが、これを静かに支えているのが、日本と韓国のPKF部隊です。日本部隊が市内で挨拶すると、住民は気さくな笑顔で応えます。難民キャンプ設営を請け負ったり、市内の孤児院巡りをしてポケットマネーで慰問をしたりという隊員の地道な努力が、住民のこころを解きほぐしているのでしょう。韓国部隊も、もうすっかりオクシ住民のようです。親善試合の後には、地元の少年少女から成るテコンドーのクラブが、演武を披露しましたが、韓国部隊のプロフェッショナルな指導の成果あってか、すっかり様になっています。とくに8~9才ほどの小さな女の子達が元気よく突きや蹴りを披露するのを見ると、サッカーの女子チームの連中もそうですが、「女性が元気な国の未来は明るい」という援助の世界の定説?にうなずきたくなりました。

 独立後の東ティモールは、難しい段階に来ています。国際社会の支援をバックに、晴れて独立はしたものの、それで得られたものは何だったのか。誇りは満たされたが、生活は変わらない。暮らしも前より悪くなるかもしれない。国民は不安を感じています。6月半ばにシャナナ・グスマン大統領は、国民は不平不満を言わず、辛抱して「新たなナショナリズム」を持とう、と演説しました。独立と自由を求めての戦いがこれまでのナショナリズム。これからの東ティモールの新たなナショナリズムとは、もっと内なる斗いです。己を律して、国を興すために互いに和解し、国民同士が一つになる。オクシでの日韓の試みは、そんな一つ上の段階にチモール国民を促す良い機会となりました。

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