(在東ティモール日本大使館 福島秀夫)
第四話 赤い空に揺れる星
5月20日の独立の日から一週間が経ちました。晴れて正式に首都となったディリの街はまた元の静けさを取り戻しています。ここ数週間ほどのお祭り騒ぎが嘘のようです。街では外国人の姿が目に見えて少なくなりました。独立をもって任期を終えた国連UNTAETスタッフの多くは街を去り始めました。彼らはこの1年から2年、長い人になると99年の住民投票の前から、東ティモールの独立に向けて汗を流してきた人たちです。大きな達成感。幾ばくかの心配。深い安堵。心残り。いろいろな想いを胸にディリを後にしたのでしょう。国連側の「建国の父」であるデメロ特別代表も、「国連は決して自分の子供を見捨てたりはしない」と言い残して3年間務めた任地を後にしました。その言葉どおり、すでに後継ミッションのUNMISET(国連東ティモール支援団)が当地の任務についています。確実に新たなページはめくられつつあります。
一つの国が生まれるという瞬間。歴史を目の当たりにできたのは得難い感動でした。19日のコモロ国際空港は、民族衣装の儀仗兵が立ち並ぶ中、朝から世界中の賓客が到着し、シャナナグスマン大統領他の歓迎を受けました。これら90数カ国の首脳や閣僚が、同夜の独立式典に臨んだのです。日本からは杉浦外務副大臣が代表として来て下さいました。夜9時半頃、会場に到着した我々の前には、すでに10万人とも言われる大観衆が集結していました。国連に急遽依頼された日本の自衛隊施設部隊が突貫作業で仕上げを行ったステージ上では、民族衣装に身を包んだチモール人が数人並び、戦いの鬨(とき)の声をあげています。腰箕に羽根飾りをまとい部落の長老といった出で立ちです。これに合わせて、会場アリーナ内にも、民族舞踊団が数百人ほど入ってきて、伝統的な踊りを舞い始めました。勇壮にして華麗。普段の貧しいチモール人の生活からは想像もできない豊かで美しい衣装と動きです。もちろん国際スタッフによる演出がかなり入ってはいますが、メラネシア系伝統文化の薫りが強く伝わってきます。国を建てるとは、アイデンティティの確認です。チモール人は自分達の文化的ルーツを体中で表現し、喜びに沸いています。やはりこの人達は精神的に深いところで一つになれる絆を互いに持っているようです。
舞踊がおわり、アリーナが暗く静かになると、会場の巨大スクリーンには、チモールの 苦難の歴史がドキュメンタリー風に映し出されます。独立を勝ち取るための戦いの歴史。自由と解放を求めての苦闘。抑圧への抵抗。「英雄」とされるゲリラ戦士達のありし日の写真が次から次へと映し出されます。自由の獲得にはよろず犠牲が伴うものです。しかし多くの旧植民地が前世紀中に何とか活路を見いだしてきた中で、チモールが払った犠牲は格段に大きなものでした。国際政治の大きなうねりの中で翻弄されたちっぽけな島。同じ途上国同士、同じ国民同士による相克が残した癒えない深い傷跡です。会場にはまた数百人と見られるキャンドルサービスが入場。アリーナ一杯が揺れるろうそくの灯で埋まり、鎮魂の時がしばし流れます。スクリーン上で笑顔を見せる若い戦士達が命を投げ出してまで得たものは何だったのでしょうか。
独立闘争によりかつてノーベル平和賞を獲得したラモスホルタ外相が、ハワード豪首相、クリントン前米大統領など主要支援国の来賓に謝辞を述べた後で、インドネシアのメガワティ大統領が今、会場に到着したと紹介したとたん、会場が大歓声に包まれました。すぐ横の貴賓席を見ると、シャナナがメガワティ大統領をエスコートし、2人で手を挙げて歓声に応えています。当日午後から夕方にかけてシャナナは公式行事から姿を消しましたが、西チモール側から陸路で来訪したメガワティ大統領を迎えに行ったようです。2週間ほど前には、シャナナ自らジャカルタに赴き、三顧の礼を尽くして大統領に式典出席を促してきました。至誠が通じたかメガワティ大統領は、国内保守派の猛反対を押し切ってディリにかけつけました。かつての支配者と被支配者の和解と握手。物事がそう単純ではないことは我が国の歴史と経験を見ても明らかですが、2人の指導者が共に手を取り合いチモールの独立を祝福する姿は、この国の門出にとって象徴的なイメージでした。
良く通るソプラノ歌手の美しいソロが会場に響きわたるなかで、ステージ上の青い国連旗がゆっくりと降ろされていきます。PKFの儀仗兵がこれを丁重に畳みます。2年間余りの国際社会による暫定統治という「実験」が終わりを告げます。今後の国連ミッションはあくまで「支援団」です。チモール人が運転席に座らなければなりません。PKF兵士に代わり、まだ初々しいチモール国防軍の儀仗兵達がステージに上がります。CNN生中継の中で、チモール国旗をポールにくくりつけるのにやたら手間取っているのがご愛敬です。ようやく結びつけられた赤地に黒の国旗は、するするとステージ上空に上げられました。国会議長から国旗を首にかけてもらった新しい指導者、シャナナグスマン大統領が建国の辞を静かに国民に語り始めます。無骨だが腹に響くような、彼らしい語り口です。英語、現地語のテトゥン語、ポルトガル語と次々に言葉を変えてスピーチを進めたのち、新大統領は、彼が一番苦手な言葉であるインドネシア語で隣人に向けて訥々とメッセージを語り始めました。隣国によるかつての支配を「歴史の過ち」と呼び、非難の言葉は一言もありません。未来を見据えて共通の利益に向かって進もうと。未来志向という言葉だけで整理するには重すぎる過去を背負う人たちですが、歴史の歯車を一つ回転させるための勇気と決意のメッセージでした。
明けて20日朝には、猛暑の中で新政府の就任式と祝賀パレードがとり行われました。新閣僚達が着慣れないスーツを着込んでいるのが新入社員のようで微笑ましい感じです。UNTAETと暫定政府とが同居してきたかつてのポルトガル植民地政庁。その正面には、これまでUNTAETと大書されていましたが、これが消され、大きな東ティモール国旗が正面に掲げられています。軍事訓練を施した豪州式なのか、拳を握りしめ胸を反り返らせる日本人には見慣れない独特のスタイルで行進する新しい国防軍の若い兵士達は、最高指揮官である大統領の前で誇らしげです。独立とは、誇りの実現に他なりません。それは自らの運命を自ら決することができるという誇りです。人間としての幸せと希望を自ら追求する権利を得たのです。補助金漬けのインドネシア支配時代よりも悪化しつつある生活水準の中で、この誇り高い希求の価値はやがて歴史が証明すべきものでしょう。折りからの風に吹かれ、赤い国旗の上で人々の希望を象徴する「星」の模様が、またたくように揺れるのでした。