2 中央アジア諸国とコーカサス諸国
(1)中央アジア諸国
中央アジア諸国では、おおむね安定した政権運営が行われている。
外交関係樹立20周年を迎えた2012年に引き続き、2013年も日本と中央アジア諸国との間では活発な要人往来が行われた。中央アジアからは、2月にアタムバエフ・キルギス大統領、9月にベルディムハメドフ・トルクメニスタン大統領がそれぞれ訪日し、安倍総理大臣と首脳会談を行った。また、日本からは3月に城内外務大臣政務官がタジキスタンを訪問し、ラフモン大統領及びザリフィ外相との間で二国間関係及び国際場裏での協力、地域情勢などについて意見交換を行った。
こうした一連の要人往来を通じ、日本と中央アジア各国は政治及び経済面での更なる関係強化に向けて対話を深めた。特にトルクメニスタンとの関係では、大統領訪日を機に、日本企業によるプラント建設などで総額約1兆円規模の契約や枠組協定が署名されるなど経済面で大きな成果があった。
「中央アジア+日本」対話の枠組みにおいては、2014年にキルギスで行われる予定の次回外相会合に向けて対話が積み重ねられた。3月には、外務省の主催で第5回東京対話(知的対話)が行われた。その際、日本及び中央アジア各国の専門家・有識者は、ASEANの経験を振り返りつつ、中央アジアの貿易・投資を促進させるための地域協力の在り方について活発な意見交換を行った。また、10月には、キルギスにおいて「中央アジア+日本」対話・第7回高級実務者会合が開催された。各国政府の代表は、2014年に同対話が10周年を迎えることを踏まえつつ、農業を始めとする貿易・投資促進や2014年末までのアフガニスタンからの国際治安支援部隊撤収を見据えた地域安全保障などにおける地域協力推進について、意見交換を行った。
(2)コーカサス諸国
2013年はコーカサス3か国全てにおいて大統領選挙が行われる「政治の年」となった。2月のアルメニア大統領選挙と10月のアゼルバイジャン大統領選挙では、いずれも現職大統領が再選を果たした。グルジアでは、退任するサーカシヴィリ大統領に代わって議会多数派「グルジアの夢」が擁立するマルグヴェラシヴィリ大統領候補が当選を決め、2012年10月の議会選挙で成立した政権交代の流れが確認される結果となった。同選挙には欧州安全保障協力機構/民主制度・人権事務所(OSCE/ODIHR)監視団として、日本の選挙監視要員も参加した。
2008年の南オセチア・アブハジア紛争(4)以来、グルジアとロシアの外交関係は断絶したままであるが、2012年に開始された両国の直接対話は2013年も継続されている。また、アゼルバイジャンとアルメニアはナゴルノ・カラバフ問題(5)をめぐって対立し、OSCEミンスク・グループ(6)などの仲介努力にもかかわらず問題解決の具体的見通しは立っていないが、11月に両国首脳は約2年ぶりに首脳会談を行った。
日本との関係で要人往来は引き続き活発であり、コーカサスからは、5月にパンジキゼ・グルジア外相が訪日した。また、日本側からは、11月に牧野外務大臣政務官のグルジア・アルメニア訪問が行われ、総理特使としてグルジア大統領就任式に出席した。このような要人往来を通じて、日本とコーカサス各国の関係強化に向けて活発な意見交換が行われている。
4 2008年8月、グルジアからの分離独立を目指す南オセチアとグルジアの武力衝突にロシア軍が介入し、グルジア・ロシア両国の武力紛争に発展したが、紛争発生後約1週間でEU議長国であるフランス等の介入により停戦。その際の合意に基づき、関係者間で安全保障及び人道問題に関する協議を行う国際会議がジュネーブで行われている。
5 ナゴルノ・カラバフの帰属問題をめぐるアルメニアとアゼルバイジャン間の紛争。アゼルバイジャン内に存在する同地域住民の大半はアルメニア人であり、ソ連末期にアゼルバイジャンからアルメニアへの帰属変更要求が高まったため、1991年のソ連解体にともなって、アルメニアとアゼルバイジャン間の紛争へと発展した。アルメニアは、1993年までにナゴルノ・カラバフのほぼ全域及びアルメニアとの回廊地帯を占拠。1994年、ロシア及びOSCEの仲介により停戦合意したが、現在までに死傷者を伴う衝突が繰り返されている。OSCEミンスク・グループによる仲介で、1999年以降、アルメニア・アゼルバイジャン両国首脳・外相など様々なレベルで直接対話が継続して行われている。
6 ナゴルノ・カラバフ問題の平和的解決に向けたOSCE仲介努力を推進するグループ。メンバー国は共同議長国であるフランス・ロシア・米国のほか、ベラルーシ、ドイツ、イタリア、スウェーデン、フィンランド、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、OSCEトロイカ(OSCE前議長国、現議長国、次期議長国)。