ブルネイは、石油・ガスなどの豊富な天然資源への過度の依存からの脱却を図るため、中・下流産業や非石油関連産業の育成を進める経済多角化を推進している。
日本との関係では、7月にブルネイ友好推進議員連盟会長を務める渡部恒三衆議院議員と同議連幹事長を務める二階俊博衆議院議員が二国間関係強化への功績を理由にハサナル・ボルキア国王陛下から叙勲されたほか、ブルネイからヤスミン・エネルギー相やアブドゥル・ラーマン第二財務相が訪日するなど、様々なレベルでの交流を通じて二国間関係が強化された。また、11月のASEAN関連首脳会議の際の日・ブルネイ首脳会談では、経済的な互恵関係を始めとする良好な二国間関係を一層強化していくことが確認された。2013年1月、岸田外務大臣は就任後初の外国訪問先の3か国目としてブルネイを訪問し、外相会談において、ブルネイが2013年にASEANの議長国を務めることも踏まえ、緊密に協力していくことを確認した。
内政面では、日本などの支援を受け2007年に開廷したクメール・ルージュ裁判(1)において、2月に政治犯収容所所長に対し最高審判決で終身刑が言い渡されたことにより、内外から注目が集まった。また、1月の上院選挙や6月の村・地区評議会選挙において与党人民党が議席を増大させる一方、8月には野党第一党のサム・ランシー党と第二党の人権党が将来の合併を見越し協力を模索するなど、2013年の総選挙に向けて政党間の動きが活発となった。10月には、シハヌーク前国王陛下が療養先の北京で崩御された。
外交面では、カンボジアは2012年のASEAN議長国として、7月のASEAN関連外相会議や11月の首脳会議などを主催した。2008年のプレアビヒア寺院の世界遺産登録を契機に再燃したタイとの国境問題については、タイのインラック政権との間で、2011年に発出された国際司法裁判所(ICJ)の仮保全措置の実施に関する協議が継続された。2012年7月、双方は、ICJが設定した寺院周辺の非武装地帯からの兵力の一部撤退を実施した。
日本は、4月に第4回日本・メコン地域諸国首脳会議のために訪日したフン・セン首相との首脳会談や7月のASEAN関連外相会議の機会に実施した外相会談において、経済協力や地域協力などに関して意見交換を行った。また、6月には皇太子殿下が初めてカンボジアを御訪問になり、皇室・王室間においても活発な交流が行われた。経済分野では日本企業のカンボジア経済特区への進出など、投資額も増大した。2013年1月には、両国の外交関係樹立60周年を祝うべく「日・カンボジア友好60周年」開会式典が執り行われた。
インドネシアは、安定的な第2期ユドヨノ政権の下、堅調な成長を維持し、新興経済大国としての存在感を示している。外交面でも、7月のASEAN外相会議において共同コミュニケが発出されない異例の事態となった後、ASEANの中心性と一体性の確保のためにマルティ外相がASEAN各国を歴訪して調整を行い「南シナ海に関するASEANの6項目原則についてのASEAN外相声明」の取りまとめに貢献するなど、ASEAN議長国を務めた前年に引き続きその存在感を示した。また、11月には、初の首脳級会合となる第5回バリ民主主義フォーラム(BDF)を開催するなど地域の民主化促進にも積極的に取り組んでいる。
日本との関係では、6月のG20サミットと9月の国連総会の際に日・インドネシア首脳会談が行われ、地域の安定と繁栄に向けて両国の「戦略的パートナーシップ」を一層強化していくことが確認された。8月にはジョコ・スヤント政治・法務・治安担当調整相が、さらに、10月にはハッタ・ラジャサ経済担当調整相が訪日するなど、ハイレベルの要人の訪日も活発に行われた。11月にバリで行われた第5回BDFには、榛葉賀津也外務副大臣が総理特使として出席した。また、2013年1月には、安倍総理大臣が就任後初の訪問先の一つとしてインドネシアを訪問して首脳会談を行うとともに、同会談終了後に対ASEAN外交5原則を発表した(詳細については第2章第1節6(3)日・ASEAN関係参照)。また、2月にはマルティ外相が訪日し、岸田外務大臣との間で第4回閣僚級戦略対話を行った。経済面でも両国の協力関係は進展しており、10月には、第2回閣僚級経済協議、ジャカルタ首都圏投資促進特別地域(MPA)第3回運営委員会及び第4回経済合同フォーラムが行われた。第2回閣僚級経済協議では、インフラ整備、資源・エネルギー、気候変動、投資環境の改善などの分野における協力などについて協議した。MPA第3回運営委員会では、MPAマスタープランを承認し、インフラ整備のための協力を推進していくことで一致するなどの成果が得られた。
2011年の党大会で成立したチュンマリー党書記長を筆頭とする党指導部とトンシン首相を首班とする政府は、安定した政権運営を行い、順調な経済成長を維持した。また、外交面では、2012年11月にASEM9を含む関連諸会合を初めて主催した。
日本との関係では、活発な相互訪問が行われ、2012年3月には、トンシン首相が2011年の新政権成立後、初のASEAN諸国以外の外国訪問先として日本を訪問した。その際の首脳会談では、日本の支援への謝意と今後の協力への高い期待がラオス側から表明され、両首脳間で「包括的パートナーシップ」を一層強化することに合意した。また、同会談に際し、インフラ整備の事業としては7年ぶりとなる有償資金協力の供与に関わる交換公文の署名を行った。4月、再び第4回日本・メコン地域諸国首脳会議出席のためトンシン首相が訪日し、首脳間で地域協力の推進を確認した。さらに、6月には、皇太子殿下がラオスを初めて公式に御訪問になり、ラオスは国を挙げて歓迎し、両国の友好・親善が一層深まった。その後、11月には、野田総理大臣がラオスを公式訪問し、ASEM9に出席するとともに、ラオス首脳との間で協力関係の強化を確認した。また、ラオスからは東北被災地への支援の一環としてゾウの貸与が行われるなど、両国間の様々なレベル・分野での交流が行われた(詳細についてはコラム参照)。
ナジブ政権は、「ワンマレーシア(国民第一、即実行)」のスローガンの下、2010年に発表した「政府変革プログラム」、「新経済モデル」、「第10次マレーシア計画」及び「経済変革プログラム」を着実に実施し、民族融和、行政改革や国民福祉の充実を図っている。2020年までの先進国入りを目指し、国際競争力強化のため規制緩和・自由化を進めており、国内経済は投資と国内消費に支えられて2012年も安定した成長を維持した。内政面では、2007年と2011年の選挙改革を求める大規模デモを受けて、政権は選挙制度改革、政治的権利に関する改善策を打ち出したが、4月に再び大規模デモが起きた。
日本との関係では、2012年は、マハティール元首相が日本などの成功と発展に学ぶことを提唱した東方政策30周年に当たり、3月に野田総理大臣とナジブ首相との間で祝賀メッセージが交換されたほか、1年間を通じて各種行事が開催された。10月にはアブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー第14代国王王妃両陛下が国賓として訪日されたほか、4月のアニファ・アマン外相の訪日、9月のAPEC首脳会議の際の日・マレーシア首脳会談などを通じ、ハイレベルでの交流が緊密に行われた。また、6月には東方政策の集大成として位置付けられる日・マレーシア共同プロジェクトであるマレーシア日本国際工科院(MJIIT)の開校式がクアラルンプールの新キャンパスで開催され、鳩山由紀夫元総理大臣(総理特使)とナジブ首相が出席した。
1988年以降、ミャンマーでは軍政が敷かれ、国民の政治参加が著しく制限されていた。しかし、2011年3月の民政移管以降、ミャンマー政府による政治・経済改革に向けた様々な動きが進んでいる。2012年1月12日、1948年の独立以降長年にわたり政府と対立していたカレン民族連盟(KNU)との停戦合意が実現し、翌13日には、政府は、著名な活動家を含む300名以上の政治犯を釈放した。また、4月1日に開催された議会補欠選挙では、前年に政党登録を行ったアウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が全45議席中43議席を獲得して躍進し、アウン・サン・スー・チー氏は、下院に設置された法の支配・平和安定委員会委員長に就任した。このほか、ミャンマー政府は、事前検閲制度の廃止や海外の反政府活動家への入国制限の撤廃などを行い、民主化・国民和解に向けた努力を行った。
日本は、ミャンマー政府によるこれらの改革が進展するためには改革の果実をミャンマー国民が実感することが極めて重要であるとの観点から改革努力を後押ししている。2012年4月、テイン・セイン大統領がミャンマーの国家元首としては28年ぶりに日本を公式訪問した。その際に行われた首脳会談で、野田総理大臣はミャンマーに対する経済協力方針を根本的に見直し、国民の生活向上支援、経済・社会を支える人材の能力向上や制度の整備支援、持続的経済成長のために必要なインフラや制度の整備支援といった3つの柱を中心に幅広い支援を行っていく考えを表明した。その後、11月のASEAN首脳会議の機会に行われた首脳会談では、2013年1月に延滞債務の解消措置を実施し、その後のできるだけ早い時期に概(おおむ)ね500億円規模の新規円借款による支援を行うことを検討していると表明した。また、2013年1月には麻生太郎副総理兼財務大臣がミャンマーを訪問し、テイン・セイン大統領と会談した。
国際社会との関係では、ミャンマーの改革を受けて、欧米による経済制裁の大幅な緩和が実現したほか、4月のキャメロン英国首相、11月のオバマ米国大統領など多くの要人がミャンマーを訪問し、ミャンマーの国際社会への復帰を後押ししている。
7割を超える高い大統領支持率を背景に、アキノ政権は安定した政権運営を行っている。汚職撲滅を掲げるアキノ政権は、引き続きアロヨ前政権の不正追及を行い、5月にアロヨ前大統領が任期終了直前に任命したコロナ最高裁判所長官が弾劾裁判により罷免されるに至った。フィリピン政府とイスラム反政府勢力との間で40年以上にわたって続いているミンダナオでの紛争については、10月にフィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)との間で、最終和平に向けた「枠組み合意」が署名された。今後、2016年のバンサモロ自治政府設立に向けた和平交渉と移行プロセスの進展が期待される。経済面では、2012年はマクロ経済の回復基調が鮮明となり、サービス産業が引き続き好調であったほか、輸出も回復した。外交面では、従来、米国、日本及び中国を重視する全方位外交を展開しているが、4月には南シナ海に位置するスカボロー礁をめぐってフィリピンと中国の艦船が対峙する事態となるなど中国との対立が顕在化した。
日本との関係では、6月のデル・ロサリオ外相訪日及び11月のASEM9首脳会合の際の日・フィリピン首脳会談において、経済・経済協力、人的交流、海上安全保障、ミンダナオ和平などの分野での協力を深め、「戦略的パートナーシップ」を引き続き強化することが確認された。2013年1月には、岸田外務大臣が初めての外国訪問先としてフィリピンを訪問し、外相会談において政治・経済両面において関係を強化していくことを確認した。経済面では、道路整備等のインフラ整備、河川改修等の防災対策、灌漑(かんがい)施設の改修、投資環境整備などを支援するため、総額約668億円の円借款供与を実施した。また、12月にミンダナオ島を襲った台風により死者・行方不明者が1,800人を超える被害が生じたことを受け、4,500万円相当の緊急援助物資の供与や420万米ドルの緊急無償資金協力を実施した。
人民行動党(PAP)が率いるシンガポールの政治体制は引き続き安定している。しかし、国民の政治意識に変化が見られ、2011年5月の総選挙以降、シンガポール政府は、積極的な外国人受入れなどのこれまでの政策の一部見直しを進めている。また、8月と11月には内閣改造を実施し、「第4世代」といわれる次世代の指導者候補の起用を進め、世代交代にも着手している。
日本との関係では、6月のシャンムガム外相の訪日や9月のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際の日・シンガポール首脳会談の際に、二国間関係の強化や地域の安定と繁栄に向けて協力していくとの認識を共有した。2013年1月には、岸田外務大臣が初の外国訪問先の2か国目としてシンガポールを訪問し、日・シンガポール外相会談において地域の平和と繁栄のための積極的な役割を果たすことを強調した。シンガポールからは、日本のリーダーシップに対する強い期待が表明された。なお、2012年5月には、ジャヤクマール元副首相が、天皇陛下から旭日大綬章を授与された。経済面では、多くの日系企業がシンガポールに地域経済活動の拠点を置いており、インフラの分野でも両国企業の連携が進んでいる。また、「21世紀のための日本・シンガポール・パートナーシップ・プログラム(JSPP21)」を通じて、開発途上国に対して共同で技術協力を行っている。
内政面では、現政権派(タクシン元首相を支持する勢力)と反タクシン元首相勢力との対立が2012年を通じて続いたが、同年10月及び11月に開催された数万人規模の反政府集会においても、死者が発生するような衝突には至らなかった。インラック首相(タクシン元首相の実妹)は、タクシン元首相の復権を推し進めることを自重しつつ、軍との関係にも配慮しながら、比較的安定的に政権を運営している。インラック首相にとっての2012年の最大の課題は、2011年後半に発生し、タイ経済に大きな損害をもたらした洪水被害からの復興であったが、大規模な予算措置を伴う復旧措置や被災者、企業への支援を実施したことから、国民からの大きな批判にさらされることはなかった。
外交面では、インラック政権成立以来、近隣国との関係は改善している。特にミャンマーとの関係は、同国の政治情勢の変化に伴い、特に経済面で緊密化している。2012年11月には、李明博韓国大統領、オバマ米国大統領、温家宝中国首相が相次いでタイを訪問するなど、東南アジア地域におけるタイの存在感の向上を印象付けた。
日本との関係では、2012年6月に皇太子殿下が、同年11月に秋篠宮殿下がタイを御訪問になり、プミポン国王陛下を始めタイ王族からの歓迎を受けられた。インラック首相は、2012年3月に公式実務訪問賓客として訪日し、野田総理大臣との間で首脳会談を実施した。両首脳は、「恒久的な友情の絆に基づく戦略的パートナーシップに関する共同声明」を発表し、民主主義など基本的な価値を共有する両国が防災分野を始め、二国間や地域国際場裏の課題に協力して取り組んでいくことを確認した。同首相は、4月にも日本・メコン地域諸国首脳会議に出席するため訪日した。2013年1月には、安倍総理大臣が、就任後初の訪問先の一つとしてタイを訪問し、インラック首相との日・タイ首脳会談において二国間関係や地域情勢について意見交換を行った。
ベトナムが、2011年2月から行っている金融引き締め政策により、2012年の同国のインフレ率は、昨年の18.6%を大きく下回る9.2%となり、インフレ抑制目標は一定程度達成された。しかし、2012年の成長率は5.0%であり、当初目標の6~6.5%を下回った。内政面では、5月に開催された第5回共産党中央委員会総会において、共産党政治局直属の党中央汚職防止指導委員会の設置が、また、10月の第6回中央委員会総会において、党中央経済委員会の設置がそれぞれ決定され、共産党の復権ともいえる動きが見られる。
外交面では、6月21日の中国による海南省三沙(さんさ)市の設立と同日のベトナムによる海洋法の制定を受けて、中国との関係が緊張した。ハノイ市内では、7月に複数回の対中抗議デモが発生し、11月には中国漁船によるベトナムの探査船ケーブル切断事件が発生した。
日・ベトナム間では、引き続き活発な要人往来が行われた。4月には日本・メコン諸国首脳会議に合わせてズン首相が訪日し、首脳会談が実施され、経済分野の協力強化などについて野田総理大臣との間で意見交換を行った。また、7月には玄葉外務大臣がベトナムを訪問の上、ミン外相との間で日・ベトナム協力委員会第4回会合を実施し、主に経済分野の協力強化に向けて具体的な協力案件等について協議を行った。12月にはフン国会議長が訪日した。また、2013年1月には、安倍総理大臣が、就任後初の訪問先の一つとしてベトナムを訪問して日越首脳会談などを行い、政治・経済の双方の分野における協力強化で一致した。また、日・ベトナム経済関係も急速に発展しており、2月には累積投資額で日本がベトナムに対する最大の投資国になった。また2013年は日・ベトナム外交関係樹立40周年となる「日本ベトナム友好年」であり、両国の「戦略的パートナーシップ」が更に深化するよう、両国において様々な文化交流事業などが行われる予定である。
2012年に独立10周年を迎えた東ティモールでは、3月に大統領選挙が行われ、4月の決選投票の結果、ルアク前国軍司令官が大統領に就任した。また、7月には国民議会選挙が行われ、グスマン首相の続投が確定し、8月に新政権が発足した。これらの選挙に当たっては、日本からも選挙監視団を派遣し、成功裏の実施に貢献した。東ティモール政府における治安維持能力の向上を受け、日本からも要員を派遣していた国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)が12月末に任務を終了するなど、東ティモールは自立的な発展の段階へと移行しつつある。
日本との関係では、日・東ティモール外交関係樹立10周年に当たる2012年を「友情と平和の年」として、各種交流やハイレベルの活発な要人往来などが行われた。1月にはラモス=ホルタ大統領、3月にはダ・コスタ外相及びグスマン首相が訪日し、日本からは5月20日に行われた東ティモール独立10周年記念式典及び大統領就任式典に中野外務大臣政務官が特派大使として出席した。また、3月には、国道整備支援のため、初の円借款供与(総額約53億円)が決定された。
1 国連とカンボジア政府との合意文書に基づき、カンボジア司法官と国際司法官が協力して、1970年代後半にカンボジア刑法、ジェノサイド条約上の犯罪や人道に対する罪など、重大な犯罪を犯したクメール・ルージュ政権の上級指導者及び最も重大な責任を持つ者を裁くための裁判。