3 コーカサス諸国

2008年8月の南オセチア紛争8以来、グルジアとロシアは国交断絶状態にあるが、ジュネーブにおける当事国及び関係国による対話を通じ、解決に向けた努力が現在も続けられている。

アルメニアとトルコとの国交正常化及び両国間の国境開放に対しては、両国内外の反対が根強く、ナゴルノ・カラバフ問題9をめぐりアルメニアと対立するアゼルバイジャンの反発もあって、現在交渉は事実上中断されている。ナゴルノ・カラバフ自治州をめぐる領土問題については、ロシアの仲介により3か国首脳会談などが行われているが、いまだ具体的な解決に至っていない。

日本との関係では、5月に徳永久志外務大臣政務官が、アゼルバイジャンとアルメニアを訪問し、それぞれ政府関係者と日本との二国間関係等について意見交換を行い、両者関係の深化を図った。また、東日本大震災の際に、各国政府・国民から多数の見舞いと支援が寄せられた。

 

COLUMN
J-FEST 2012 現代日本文化フェスティバルに参加して ~アーティストのKANさんからのメッセージ~

2011年11月19日(土)、中央芸術家会館の地下ライブスペースで、事前に用意して繰り返し練習したロシア語のしゃべりを挟みながら、7曲45分のステージを行いました。

それが現代日本文化フェスティバル(在ロシア日本大使館主催)である以上、少なくとも日本になんらかの興味を持つモスクヴィッチが集うのであろうことは希望的に予測してはいたものの、メドヴェージェフさんよりも年上なのに学生服を着る、素性も分からぬアーティストに、200人以上もの若者が集まって、その演奏とカタコトのロシア語を熱心に聴きとり盛り上げてくれたことは、私の人生において忘れることのできない重要な経験です。

また、ファッションショーに出演する20歳前後と思われるお嬢さんたちが、私の持つこれまでのロシア女性のイメージとはウラハラに、「えぇ~? なになになに~? やだ~」みたいな、妙に日本のギャルっぽいノリで群れていたことは、とても印象的な光景でした。アメリカのロックミュージシャンに憧れる日本人がそのような雰囲気を追い求めるのと同じ感じなのでしょうか。終演後、「シャシンヲトッテクダサイ」と日本語で話しかけてきたお嬢さんに「カニェーシナ!(もちろんさ!)」と言って一緒にピースサインをしたのは、先に書いたこととは別の意味で私の人生において絶対に忘れることのない美しい思い出です。

1998年に初めてモスクワを旅して以来、ロシア及び旧ソ連諸国への興味はだんだん強くなり、ここ数年は、キエフ、アシカバッド、バクー、トビリシ、ミンスクを訪れました。2011年になってやっとロシア語を勉強し始めた矢先に偶然いただいた機会にとても感謝していますし、次にロシアで演奏機会がある時には、カンペなしのロシア語で気持ちを伝えられるようになっていることをイメージしながら、ロシア語のレッスンに通っています。そして、「寒い・暗い・スパイ?」という、ロシアをまだ見ぬ日本人の意識を、自分の周りから変えていくのも私の楽しみの一つです。ちなみに、次の旅行目的地はタジキスタンのドゥシャンベです。

KAN

《コラム》地下ライブスペースでのステージの様子(1)
地下ライブスペースでのステージの様子(1)
《コラム》地下ライブスペースでのステージの様子(2)
地下ライブスペースでのステージの様子(2)

8 2008年8月、グルジアからの分離を目指す南オセチア武装勢力とグルジア軍の衝突にロシア軍が介入し、グルジア・ロシア両国の武力紛争に発展したが、紛争発生後1週間弱で、EU議長国であるフランスなどの介入により、停戦。停戦合意に基づき、関係者間で安全保障及び人道問題に関する協議を行う国際会議が行われている。

9 アゼルバイジャン領内のナゴルノ・カラバブ(NK)自治州の帰属問題をめぐるアルメニアとアゼルバイジャン間の紛争。NK住民の大半はアルメニア人であり、ソ連末期にアゼルバイジャンからアルメニアへの帰属変更要求が高まり、1991年のソ連解体に伴い、アルメニアとアゼルバイジャンの間の紛争に発展した。アルメニアは、1993年までにNKほぼ全域及びアルメニアとの回廊地帯を占拠。1994年、ロシア及びOSCEの仲介により停戦合意したが、現在までに死傷者を伴う停戦違反が繰り返されている。OSCEミンスク・グループ(米国、フランス、ロシアが共同議長)による仲介で、1999年以降、アルメニア・アゼルバイジャン両国首脳・外相等様々なレベルで直接対話が継続して行われている。

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