日本は、2002年9月の日朝平壌宣言にのっとり、拉致問題、核・ミサイル問題といった北朝鮮をめぐる諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算し、日朝国交正常化を図ることを基本方針とし、韓国、米国を始めとする関係国と緊密に連携しながら様々な努力を行っている。
この方針は、2011年12月の金正日国防委員長の死去後も変わらない。
2011年12月19日、北朝鮮は金正日国防委員長が17日に死亡したことを発表した。その後、北朝鮮では、同氏の三男とされる金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長が中心となる形で金正日委員長の追悼行事が実施され、また、同副委員長が新たに朝鮮人民軍最高司令官に就任するなど、金正恩副委員長を後継者とする体制の確立が進められている。
金正日委員長死去の報を受け、日本は、相次いで日韓首脳電話会談、日米首脳電話会談、日米外相会談及び日韓外相電話会談を行い、この事態が朝鮮半島の情勢に悪影響を与えないよう韓国及び米国を含む関係各国と緊密に連携していくことを確認した。また、中国やロシアとの間でも外相電話会談を行ったほか、12月25日、26日の日中首脳会談の際にも北朝鮮情勢について緊密に意思疎通していくことを確認した。
北朝鮮では金正日国防委員長の死去後、金正恩副委員長を中心とした後継体制確立が進められており、「先軍政治」と呼ばれる軍事優先政策の継承が表明されている。また、北朝鮮は故金日成(キムイルソン)主席の生誕100周年、故金正日委員長生誕70周年に当たる2012年を「強盛復興の全盛期がもたらされる誇りに満ちた勝利の年」にするとして重視している(1)。日本政府としては、これらの動きも踏まえ、北朝鮮の内政を今後とも注視していく考えである。
経済情勢に関しては、北朝鮮は社会主義圏崩壊以降の厳しい経済難から、1990年代中盤以降、部分的な経済改革に着手するなど(2)近年は経済復興に努めてきたとされる。2010年には、第三国からの投資呼び込みを目的として「国家開発銀行」を設立したり、中朝国境地帯に経済貿易地帯を設置するなど、外資誘致を目指す動きも見せた。これらの動きに加え、平壌(ピョンヤン)では、大規模な住宅建設が行われるなど、北朝鮮は2012年に向けて経済の立て直しに力を入れてきていると見られるが、その一方で、経済全般は依然として厳しい状況にあると見られており、政府としては今後の動向について引き続き注視していく考えである。
2010年の北朝鮮の経済成長率は、マイナス0.5%(韓国銀行推計値)とマイナス成長を記録しており、依然として資金やエネルギーの不足、生産設備の老朽化、技術水準の遅れなどの構造的な問題が産業全体に存在しているものと見られる。また、食糧事情についても、近年、慢性的な肥料不足などの影響で穀物総生産量が低調な水準で推移しており、2011年も厳しい状況にあったと考えられる。
北朝鮮は、近年中国との経済関係を急速に拡大しており、経済的に中国に依存する傾向が顕著になっている。2010年の北朝鮮の対中貿易額は総額で約34.7億米ドルに上り(大韓貿易投資振興公社(KOTRA)推計値)、北朝鮮の対外貿易の5割以上を占めている。
2009年、日本を含む国際社会が強く自制を求めたにもかかわらず、北朝鮮はミサイル発射や核実験を強行した。これに対し、国連安保理が新たな制裁を課す決議第1874号を全会一致で採択するなど、国際社会は北朝鮮に挑発的行為の自制と状況改善のための前向きな行動をとるよう働きかけてきた(3)。しかし、北朝鮮は2010年3月に韓国哨戒艦沈没事件(4)、同11月には韓国の延坪島に対する砲撃事件(5)を引き起こしたほか、同月、訪朝した米国人科学者らに対してウラン濃縮施設などを視察させた。このような挑発的行為を契機とした北朝鮮をめぐる不安定な情勢は2011年に入っても続いた。
このような情勢を受け、2011年7月にバリ(インドネシア)において行われた日米韓外相会合の共同プレス声明では、2005年の六者会合共同声明に対するコミットメントを改めて表明するとともに、六者会合再開には南北対話を含めた北朝鮮による誠意ある努力が必要であること、同年7月22日に実施された非核化に関する南北対話を歓迎し、南北対話が今後とも継続され前進されるべきプロセスである旨が強調された。また、北朝鮮に拉致問題等の解決に向けた行動を要求した(7月の南北対話については下記ウ参照)。
2011年5月、金正日委員長は胡錦濤(こきんとう)中国国家主席の招きに応じ、中国を非公式訪問し中朝首脳会談を行った。両者は中朝の友好協力関係に基づき、ハイレベル及び様々な分野での交流強化や互恵協力の拡大、国際・地域情勢や重要課題に関する意思疎通を強化することで一致した。また、胡錦濤中国国家主席は、関係各国が朝鮮半島の平和と非核化を目標に、冷静と自制を保ち、柔軟性を示して、障害を取り除き、相互の関係を改善することを主張した。また、今後の中朝関係について、中朝親善のバトンをしっかりと受け継いでいく上で歴史的責任を全うしていくだろうと述べたとされる(6)。金正日委員長は、経済建設のための安定した周辺環境の必要性や、六者会合の早期再開を主張し、南北関係の改善についても一貫して誠意を抱いている旨表明した。
2011年8月、金正日委員長はロシアを訪問し、メドヴェージェフ・ロシア大統領と露朝首脳会談を実施した。この会談においては、六者会合の早期再開やエネルギー分野での協力等について議論が行われた。
韓国と北朝鮮との間では、2011年7月及び9月の2度にわたり非核化に関する南北対話が行われた。韓国は7月の南北対話について、いくつかの過程の端緒を開き、双方が丁寧かつ誠意のある姿勢で相互の立場を交換したという点で意味があったと評価した。また、9月の南北対話については、韓国は、核問題に関する双方の立場の全般に関して相互理解の幅を広げ、また、このような対話を続ければ、相互の接点を見つけることができるという期待を持つことになったと説明した。
米国は、2011年7月の南北対話の実施を受け、同月及び10月に北朝鮮との間で2度にわたり米朝対話を実施した。7月の米朝対話では、非核化に向けた具体的かつ不可逆的な措置をとるという北朝鮮の意思を探るべく、建設的かつ実務的なやりとりが行われたとした。また、10月の米朝対話については、米国側はいくつかの点で意見の相違を狭めたとしつつ、合意に達するにはより多くの時間及び議論が必要であるとの結論に達したと説明した。北朝鮮側は、この米朝対話終了後、早期に次回の対話を開催することへの期待感を示した。
日本はこれらの南北対話、米朝対話が実施されたこと自体は北朝鮮をめぐる諸問題の解決に向けた動きとして歓迎する。同時に、北朝鮮が対話を通じて、非核化を始めとする自らの約束を真剣に実行する意思を、具体的な行動により示すことこそが重要であるとの立場であり、引き続き関係国と緊密に連携して、北朝鮮に対して前向きな対応を求めていく考えである。
2008年には、日朝実務者協議が2度にわたり開催され、8月の協議では拉致問題に関する全面的な調査の実施及びその具体的態様などにつき日朝間で合意した。しかし、同年9月に北朝鮮側から、引き続き日朝実務者協議の合意を履行する立場であるが、調査開始を見合わせるとの連絡があった。それ以降、日本政府は北朝鮮側に早期の調査開始を繰り返し要求しているが、北朝鮮はいまだに調査を開始していない。政府としては、今後も関係国と緊密に連携・協力しながら、北朝鮮に対し、拉致問題を含む諸懸案の包括的解決に向けた具体的な行動を求めていく考えである。
現在、日本政府が認定している日本人拉致事案は12件17名であり、そのうち12名がいまだ帰国していない。北朝鮮は、12名のうち、8名は死亡し、4名は入境を確認できないと主張しているが、そのような主張について納得のいく説明がなされていない以上、日本政府としては、安否不明の拉致被害者は全て生存しているとの前提で問題解決に向けて取り組んでいる。北朝鮮による拉致は、日本の主権及び国民の生命と安全に関わる重要な問題であり、日本政府としては、その解決を最重要の外交課題の一つと位置付け、生存者の即時帰国、安否不明の拉致被害者に関する真相究明などを、北朝鮮側に対し強く要求している。
2010年3月の韓国哨戒艦沈没事件を受け、日本政府は従来から実施している措置(7)に加え、新たな対北朝鮮措置(8)を実施することを決定した。これらの措置は現在も継続されている。また、現在までに採択された国連安保理決議第1695号、第1718号及び第1874号に基づく様々な措置についても、関係各国と連携しながら着実に実施している。
日本は、各種の国際会議、首脳・外相会談などの外交上の機会を捉え、拉致問題を含む北朝鮮問題を提起し、諸外国からの理解と協力を得ている。
2011年5月の日中韓サミットの際には、北東アジア情勢に関し、六者会合共同声明に従った諸懸案の解決に向けて、具体的行動を北朝鮮から引き出すべく、三国間で連携していくことで一致した。この会合で、菅総理大臣は韓中両国首脳に対し、拉致問題の解決に向けて、韓中両国からの更なる協力を要請した。
同年5月に行われたG8ドーヴィル・サミット(於:フランス)では、菅総理大臣から、北朝鮮のウラン濃縮活動は安保理決議及び六者会合共同声明の明らかな違反であり、北朝鮮の核放棄を迫る国際社会の取組に対する大きな挑戦であることを強調し、国連安保理がしっかりとメッセージを発出すべき旨発言した。これに対し、他の首脳からも日本の懸念を共有する旨の発言がなされた。また、菅総理大臣は拉致問題を含めた北朝鮮における人権状況への懸念を提起し、これが首脳宣言に盛り込まれた。
同年9月には、野田総理大臣が国連総会の一般討論演説において、北朝鮮の核及びミサイルの問題が、国際社会全体にとっての脅威であり、その解決に向けた北朝鮮の具体的な行動を引き続き求めること、特に、拉致問題は、基本的な人権の侵害という普遍的な問題であり、国際社会全体にとっての重大な関心事項であること、日本は、各国との連携も強化しながら、全ての被害者の一日も早い帰国に向けて全力を尽くすことを強調した。また、日朝関係については、日朝平壌宣言にのっとって、諸懸案の解決を図り、不幸な過去を清算して、国交正常化を追求していくとの方針を改めて表明し、これに向けた対話を行うため、北朝鮮の前向きな対応を求めた。
同年12月には、日本とEUが国連総会に共同で提出している北朝鮮人権状況決議が過去最多の賛成票(123票)で採択され(本決議の採択は7年連続7回目)、拉致問題を含む北朝鮮の人権状況に対して引き続き強い懸念があることを示し、国際社会が一体となって、北朝鮮に対して明確なメッセージを発することができた。
北朝鮮から逃れた脱北者は、滞在国当局の取締りや北朝鮮への強制送還などを逃れるため潜伏生活を送っており、日本政府としては、こうした脱北者の保護及び支援について、北朝鮮人権法の趣旨を踏まえ、人道上の配慮、関係者の安全、脱北者の滞在国との関係などを総合的に勘案しつつ対応している。2011年9月に能登半島沖で子供3名を含む脱北者9名が保護された事案において、日本政府は、人道上の見地から適切に対応するとの方針の下、本人たちの意向を踏まえ、韓国への移送を行った。なお、日本国内に受け入れた脱北者については、関係省庁間の緊密な連携の下、定着支援のための施策を推進している。
日韓両国は、自由と民主主義、基本的人権等の基本的価値を共有する重要な隣国同士であり、北朝鮮問題を始め、核軍縮や不拡散、気候変動等、地域・地球規模の様々な課題について連携して協力していくことで一致している。2011年3月11日の東日本大震災後、海外からの最初の人的支援として韓国の救助犬チームが到着し、続いて、救助隊102名が合流したほかにも、40億円を超える寄附(韓国側概算)や1万通以上の手紙が寄せられるなど、韓国から官民あらゆるレベルにおいて多くの支援が寄せられ、日本を応援する動きが大きく盛り上がった(9)。2011年5月22日、日中韓サミットの際に行われた日韓首脳会談においては、両首脳は、「日韓原子力安全イニシアティブ」、「東北地方復興・観光のための日韓パートナーシップ」に合意し、原子力安全・防災・復興・観光の分野での協力について、今後更に協力を進めていくことで一致した(10)。これらを受け、原子力安全分野では、韓国の原子力専門家を日本に長期間受け入れ、情報交換を行う等の協力が行われている。また、12月には、細野原子力事故収束・再発防止担当大臣は、訪日した姜昌淳(カンチャンスン)韓国原子力安全委員会委員長と会談を行い、原子力安全分野でも日韓協力を強化していくことで一致した。復興については、11月に韓国の政府・民間からなる復興投資ミッション(使節団)が東北地方を訪問し、復興や観光支援などについて、日本側と意見交換を行った。
日韓関係の重要性に鑑み、日韓の首脳・外相レベルにおいても頻繁に緊密な意見交換が行われており(11)、2011年9月の国連総会の際には、野田総理大臣は李明博大統領と、玄葉外務大臣は金星煥(キムソンファン)外交通商部長官とそれぞれ会談を行ったのに続き、野田総理大臣と玄葉外務大臣は、共に二国間会談のための初の外国訪問先として韓国を訪問した。10月6日に玄葉外務大臣が外相会談を行い、10月19日には、野田総理大臣が首脳会談を行い、その際に、両首脳は、日韓両国が基本的価値などを共有していることを確認し、首脳レベルを含む「シャトル外交」など、両国の人の往来を活発化させ、緊密に意見交換していくことで一致した。また、この訪韓の際に、野田総理大臣は、2011年6月に発効した日韓図書協定に基づき(12)、5冊の図書を引き渡した(さらに12月、1,200冊の図書が韓国側に引き渡され、同協定が定める合計1,205冊の図書の引渡しが完了した)。
12月18日に京都で行われた日韓首脳会談では、野田総理大臣は、重層的で未来志向の日韓関係を構築していく旨述べ、東日本大震災を受け、被災地との青少年交流を通じて日本再生に関する理解を増進する「アジア大洋州地域及び北米地域との青少年交流(キズナ強化プロジェクト)」の下で、2013年3月末までに、韓国との間で約1,300人規模の青少年交流を実施することを表明した。また、両首脳は、「第3期日韓歴史共同研究」の開始に合意した。一方、同会談において、過去をめぐる問題に関し、李明博大統領から慰安婦問題についての発言があった(13)。これまで日本は財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(14)を通じて様々な人道的取組を行っており、同会談においても野田総理大臣からは日本の一貫した法的立場について述べるとともに、日本が人道面での努力を行ってきたことを説明し、これからも人道的見地から知恵を絞っていくことを伝えた。同時に、野田総理大臣から、困難な問題はあっても、日韓関係全体に悪影響を及ぼすことがないよう大局的見地から協力していくことの重要性を述べ、両首脳は頻繁なシャトル外交を行っていくことに同意した。
近年、日韓両政府が両国民の交流環境の整備のための施策を講じていることもあって(15)、日韓両国民の相互理解と交流の流れは着実に深化・拡大してきている。特に最近、日本において「K-POP」や韓国ドラマなどの「韓流」が世代を問わず幅広く受け入れられ、また、韓国において日本の漫画・アニメや小説を始めとする日本文化が人気を集めている。さらに、国交正常化当時には僅か年間約1万人であった両国間の人の往来は、東日本大震災の影響があったものの、2011年には約500万人に達した。また、2007年度から5年間の予定で開始された「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS)」の下、2011年度は、約1,500人の韓国の中高生、大学生、教員等が訪日した。2011年に7回目を迎えた「日韓交流おまつり」は震災からの復興をテーマに、9月にソウルで、10月に東京でそれぞれ開催され、成功裏に終了した。
国際社会に共に貢献する日韓関係を構築していくことを念頭に、将来の新たな日韓協力の在り方について両国の専門家が共同で研究する「第2期日韓新時代共同プロジェクト」の発足総会が、2011年12月12日に行われた(16)。このプロジェクトにおいては、特に日韓両国が直面する安保・エネルギー・環境といった分野の諸課題について研究が行われている。
日韓間には竹島をめぐる領有権の問題があるが、竹島は歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土であるという日本政府の立場は一貫している。日本は、様々な媒体でそのような日本の立場を対外的に周知するとともに(17)、韓国閣僚・国会議員の竹島訪問、韓国による竹島やその周辺での建造物の構築等については、韓国政府に対して累次にわたり抗議を行ってきている。日本としては、この問題の平和的解決のため、今後も粘り強い外交努力を行っていく方針である。
排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉についても、日韓両国間で協議を重ねてきており、EEZ境界画定に関する交渉と同時に、海洋の科学的調査に関する暫定的な協力の枠組み交渉も韓国側と行っている。
そのほか朝鮮半島出身者の遺骨返還(18)問題、在サハリン「韓国人」支援(19)、在韓被爆者問題への対応(20)、在韓ハンセン病療養所入所者への対応(21)など、多岐にわたる分野で真摯に取り組み、目に見える具体的な進展を図ってきた。
日韓の経済関係は様々な分野で緊密化が進んでいる。2011年の日韓の貿易は、東日本大震災などの影響により、日本への韓国からの輸入が大幅に伸びたが、貿易総額は対前年比6.0%増の約8.44兆円になり、韓国にとって日本は第2位の、日本にとって韓国は第3位の貿易相手国である。なお、韓国の対日貿易赤字は、前年比29.0%減の約2.10兆円となった(財務省貿易統計速報値)。また、日韓間の投資額は、2011年の日本からの対韓直接投資額は、前年比107.7%増の1,944億円であり、韓国からの対日直接投資額は、約32.5%減の約158億円となった(財務省対外・対内投資統計)。
このような経済状況の中、10月に部品素材専門工業団地への投資ミッションを派遣し、11月に3回目の日韓部品素材調達・供給展示会を開催するなど、2011年も日韓の産業間交流は活発に行われた。
このような緊密な日韓経済関係を一層強固にし、アジア地域の経済統合に主導的な役割を果たすためにも、日本政府としては日韓経済連携協定(EPA)の締結は重要であると考えている。2010年5月末の日韓首脳会談にて、交渉再開に向けたハイレベルの事前協議を行うことで一致し、9月に第1回局長級事前協議を、2011年5月に第2回局長級協議を開催した。また、2011年10月の日韓首脳会談において、野田総理大臣は、可能な限り早期の交渉再開に合意できるよう、交渉再開(22)に必要な実務的作業を本格的に行いたいと発言し、李明博大統領から賛同を得た(日中韓自由貿易協定(FTA)については、第2章第1節6「地域協力・地域間協力」参照)。
また、これ以外にも日韓の協力関係は一層緊密になっている。
金融分野では、2011年10月の日韓首脳会談で、両首脳は、日韓通貨スワップ(23)について、金融市場の安定確保のため総額700億米ドルに拡充することで一致した。
環境分野では、2009年10月の日韓首脳会談において両国首脳が推進することで一致した「日韓グリーン・パートナーシップ構想」の下、環境分野における両国の協力が進展している。2011年9月には、第14回日韓環境保護協力合同委員会を開催し、日韓間の環境分野における懸案に加え、気候変動問題を始めとする地球環境問題に対する両国の環境協力などについて議論を行った。
原子力分野においても、2010年12月に署名された「原子力の平和的利用における協力のための日本国政府と大韓民国政府との間の協定」は、2011年12月に日本の国会で承認され、2012年1月21日に発効した。同協定の締結により、両国間で移転される原子力関連資機材等の平和的利用等が法的に確保され、両国間の原子力協定における安定的な基盤の整備に資することが期待される。
2011年は、李明博政権が就任4年目を迎えたが、与党ハンナラ党(2012年2月に「セヌリ党」と改称)は4月の国会議員等補欠選挙において同党の基盤といわれているソウル近郊の選挙区等で最大野党の民主党に敗北した。これに続き、10月のソウル市長補欠選挙においても野党の統一候補として出馬した無所属の朴元淳(パクウォンスン)氏が当選した。同選挙の敗北及びハンナラ党の一部議員秘書による選挙時の不正行為関与(24)の発覚等により、洪準杓(ホンジュンピョ)代表を始めとするハンナラ党執行部は辞職し、12月に朴槿恵(パククネ)元同党代表を委員長とする非常対策委員会が発足した。一方の野党側においても、12月に幾つかの政党が統合し、新たに「民主統合党」、「統合進歩党」が誕生した(25)。また、近年は、韓国国民の中の既存政党への不満の高まり等から既存政党に属さない「第三勢力」からの新たなリーダーを求める韓国の世論が高まっており、2012年の二つの大きな選挙(2012年4月11日に国会議員総選挙、12月19日に大統領選挙)の結果に大きな関心が集まっている。
李明博政権は米国、中国、ロシアを含む周辺主要国との戦略的関係の強化を目標としている。米国との間では、10月に行われた韓米首脳会談の際に、李明博大統領は、オバマ米国大統領との間で韓米FTAの重要性につき同一の見解を示した。このFTAは、2011年10月に米議会で実施法が承認され、韓国国会においても野党の強い反対はあったものの、11月末に可決された。また、李明博大統領は11月にロシアを訪問し、メドヴェージェフ・ロシア大統領との間でロシアと朝鮮半島を縦断するガスパイプラインの敷設について協力していくことに合意した。さらに、2012年1月には、李明博大統領は中国を訪問し、胡錦濤中国国家主席との間で、1992年の国交正常化以来の経済を始めとする韓中関係の発展を評価するとともに、2011年12月に北朝鮮の金正日国防委員長が死去したことを受け、朝鮮半島の平和と安定のために共に協力していくことで一致した。
2011年、GDPの成長率は3.6%を記録し、前年の6.2%よりも伸び悩んだ。これについて、韓国政府は、欧州経済危機による世界経済の不振により、輸出が大幅に鈍化したためなどと分析している。総輸出額は、前年比18.7%増の約5,537億米ドルであり、総輸入額は、前年比22.7%増の約5,216億米ドルとなり、貿易総額が1兆米ドルを超えた。また、貿易黒字は約321億米ドルとなった(韓国側統計)。
2011年中の主な経済政策として、韓国政府は、6月に発表した「下半期経済政策方向と課題」において、物価・雇用の安定といった一般国民の生活の安定に重点を置くとともに、韓国経済の体質改善と持続成長のための努力も着実に推進させていくことを明らかにしている。また、韓国政府は、米国・EU・中国などとの自由貿易協定を推進してきている(26)。韓国は、グリーン成長分野では、太陽光・風力発電・原子力発電分野を積極的に育成するとの政策をとっており、11月に「第4次原子力振興総合計画」を発表した。その中で、原子力を韓国の代表的輸出産業として育成し、電力の安定需要のため、今後5年間で原発6基を新設することを発表した。2012年1月2日、李明博大統領は新年の演説において、2011年の経済運営目標として「庶民生活の安定」を掲げ、物価を3%台前半に抑制し、家賃を安定させ、新規雇用創出に10兆ウォン以上を投資するとことを表明した。
1 2012年1月1日・新年共同社説
2 2002年7月には、価格体系や配給制度の変更を含む「経済管理改善措置」を実施し、一定範囲で利潤の追求を認めた。また、2003年には公の管理の下に、総合市場を全土に300か所余り設置したとされ、個人や企業が農産品や消費財を販売している。
3 同決議は、北朝鮮の核実験を非難し、北朝鮮に対し、更なる核実験及び弾道ミサイル技術を利用した発射を行わないこと、全ての弾道ミサイル計画関連活動の停止、全ての核兵器及び既存の核計画の放棄並びに関連活動の即時停止を要求し、武器禁輸の強化(禁輸対象を全ての武器及び関連物資に拡大)、輸出入禁止品目の疑いがある貨物の検査の強化、金融面の措置(資産凍結などの強化による資産移転防止、新規援助や貿易関連の公的資金支援禁止)といった北朝鮮に対する制裁措置を課すことを内容としている。日本では、この決議を受け、貨物検査特措法が2010年5月28日に成立。
4 2010年3月26日、韓国海軍哨戒艦「天安(チョナン)」号が黄海・白翎(ペンニョン)島の近海で沈没し、乗組員104名のうち46名(6名の行方不明者含む)が犠牲となった。5月20日、米国、英国、オーストラリア、スウェーデンの専門家を含む軍民合同調査団は、その調査結果報告において、「天安」号は北朝鮮製魚雷による外部水中爆発によって沈没し、この魚雷は北朝鮮の小型潜水艇から発射されたものであると結論付けた。
5 2010年11月23日、北朝鮮は海洋上の南北軍事境界線(NLL)に近接した海域に位置する韓国の延坪島に向けて砲撃を行った。これにより、韓国軍人2が死亡、15名が重軽傷を負っただけでなく、民間人2名が死亡し、3名が負傷した。
6 朝鮮中央放送・平壌放送(2011年5月26日)による。
7 2006年7月5日には北朝鮮によるミサイル発射を受け、万景峰(マンギョンボン)92号の入港禁止を含む9項目の対北朝鮮措置を即日実施し、同年10月9日の北朝鮮による核実験実施の発表を受け、同11日、全ての北朝鮮籍船の入港禁止及び北朝鮮からの輸入禁止を含む4項目の対北朝鮮措置を発表した。2009年には、4月5日の北朝鮮によるミサイル発射を受け、同10日に①北朝鮮を仕向地とする支払手段などの携帯輸出について届出を要する下限額を100万円超から30万円超に引き下げること、②北朝鮮に住所などを有する自然人などに対する支払について報告を要する下限額を現行の3,000万円超から1,000万円超に引き下げることを発表した。また、2009年5月25日の北朝鮮による核実験実施発表を受け、6月16日に①北朝鮮に向けた全ての品目の輸出を禁止、②「北朝鮮の貿易・金融措置に違反し刑の確定した外国人船員の上陸」及び「そのような刑の確定した在日外国人の北朝鮮を渡航先とした再入国」を原則として許可しないことを発表した。さらに、6月13日に採択された国連安保理決議第1874号を受け、7月6日に①北朝鮮の核関連、弾道ミサイル又はその他の大量破壊兵器関連の計画などに貢献し得る活動に寄与する目的で行う資産移転などの防止及び②北朝鮮の拡散上機微な核活動などに係る専門教育・訓練の防止などを発表した。日本が実施する貨物検査などに関する特別措置法案については、10月30日に閣議決定、同日国会に提出し、2010年5月28日に成立した。
8 ①北朝鮮を仕向地とする支払手段などの携帯輸出について、届出を要する下限額を30万円超から10万円超に引き下げること、②北朝鮮に住所などを有する自然人などに対する支払について報告を要する下限額を1,000万円超から300万円超に引き下げること、③措置の執行に当たり、第三国を経由する迂(う)回輸出入などを防ぐため、関係省庁間の連携を一層緊密にし、更に厳格に対応していくことを内容とする。①及び②については、2009年4月10日に、北朝鮮のミサイル発射を受けて発表された措置を更に厳格化したもの。
9 詳細については、巻末の「諸外国からの物資支援・寄附金一覧」を参照。
10 「日韓原子力安全イニシアティブ」においては、①原子力安全に関する国際場裏における協力、②通常時の情報交換強化、③緊急時の意思疎通、④原子力に関するハイレベルの協議の開催などで一致した。
11 2011年には、4回の首脳会談(5月(於:東京)、9月(於:ニューヨーク)、10月(於:ソウル)、12月(於:京都))、及び7回の外相会談(1月(於:ソウル)、2月(於:東京)、3月(於:京都)、5月(於:東京)、7月(於:バリ)、9月(於:ニューヨーク)、10月(於:ソウル))を実施した。
12 本協定は、2010年8月の総理大臣談話を受け、日本政府から朝鮮半島に由来する特定の図書を韓国政府に引き渡すため、韓国政府と締結したもの。同年11月に前原誠司外務大臣及び金星煥外交通商部長官により本協定の署名が行われ、2011年6月、日本の国内手続が完了したことを韓国側に通告し、同協定は発効した。
13 韓国憲法裁判所は、2011年8月に元慰安婦や原爆被害者らの個人の請求権問題に関する違憲審査の申立てにつき、韓国政府が日本と日韓請求権経済協力協定に基づく手続に従って解決しないのは被害者の基本的人権を侵害し、憲法違反に当たる旨決定を出した。これを受け、韓国外交通商部から9月に日韓請求権・経済協力協定に基づく協議に係る申入れがあった(11月にも再度同様の申入れがあった)。
14 日本が合計48億円を拠出したアジア女性基金は、1995年に国民と政府との協力の下で設立され、韓国においては元慰安婦の方々に対し、「償い金」の支給、「総理の手紙」の手交、医療福祉事業の実施などを行ってきた。
15 2006年3月1日から短期滞在査証免除措置の無期限延長を実施した。また、2005年8月1日から羽田―金浦(キンポ)間の航空便は倍増し、1日8便が運航しているが、2010年10月以降、1日当たり最大12便とすることに合意している。また、2011年9月21日、日韓両国政府は、予定の期日であった2012年末より前にワーキング・ホリデーの査証発給枠を現行の7,200人から1万人に拡大することを発表した。
16 2010年10月に発表された「第1期日韓新時代共同研究プロジェクト」報告書は、外務省HP(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/10/1022_03.html)で閲覧可能。
17 2008年2月、外務省は「竹島 竹島問題を理解するための10のポイント」と題するパンフレットを作成した。現在、日本語、英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語、中国語の10言語版が外務省ホームページで閲覧可能。
18 第二次世界大戦終戦後、日本に残された朝鮮半島出身の方々の遺骨返還問題。韓国政府から返還要請があった遺骨につき、可能なものから順次返還を進めている。
19 第二次世界大戦終戦前、様々な経緯で旧南樺太(サハリン)に渡り、終戦後、ソ連による事実上の支配の下、韓国への引揚げの機会が与えられないまま、長期間にわたり、サハリンに残留を余儀なくされた朝鮮半島出身者に対し、日本は、一時帰国支援、永住帰国支援を行ってきている。
20 第二次世界大戦時に広島又は長崎に在住して原爆に被爆した後、日本国外で居住している方々に対する支援の問題。これまで日本は、被爆者援護法に基づく手当や被爆者健康手帳などに関連する支援を行ってきている。
21 第二次世界大戦終戦前に日本が設置した日本国外のハンセン病療養所入所者が、「ハンセン病療養所などに対する補償金の支給などに関する法律」に基づく補償金の支払を求めていたが、2006年2月に法律が改正され、新たに国外療養所の元入所者も補償金の支給対象となった。
22 日韓EPAの交渉は2003年12月に交渉が開始されたが、2004年11月の第6回交渉会合以降中断された。その後、2008年4月の日韓首脳会談で交渉再会に向けた検討及び環境醸成のための実務者協議を開催することで一致し、2009年12月までに4回協議を開催した。
23 異なる通貨間で将来の金利と元本を交換する取引。
24 ハンナラ党所属議員の秘書がソウル市長選挙の際に選挙管理委員会のホームページへのサイバー攻撃に関与していたとされる事件。
25 民主党、市民統合党及び韓国労働組合総連盟が統合し「民主統合党」となり、民主労働党、国民参与党、新進歩統合連帯が統合し、「統合進歩党」となった。
26 2011年7月に韓国とEUとのFTAが暫定発効(一部、EU加盟国の手続が必要な事項を除き発効)し、2012年3月に米国とのFTAが発効した。また、2012年1月の韓中首脳会談にて、韓中FTAの公式交渉開始に必要な韓国の国内手続を踏んでいくこととなった。