2010年は日本がAPEC議長、カナダがG8・G20の議長だったこともあり、様々な要人往来を通じて日加関係が一層緊密になった。首脳間では、6月には菅総理大臣が総理大臣就任後初めての外遊先としてカナダを訪問した。また、11月には、ハーパー首相が訪日し、その際に行われた日加首脳会談において、両国首脳は「政治、平和及び安全保障協力に関する日加共同宣言」に署名した。この共同宣言で、両国は外務、防衛当局による次官級「2+2」対話の立ち上げを決定し、また、12の分野における日加協力を進めていくことを確認した。外相レベルでは、3月に岡田外務大臣が訪加した他、11月にキャノン外務大臣が訪日して、日加関係進展のための幅広い分野での意見交換が行われた。
日加経済関係に関しては、11月の首脳会談において、日加間の経済連携につき前向きに取り組んでいくことや、資源開発に関する連携を緊密化することなどについて一致した。また、6月及び11月にヴァンローン国際貿易大臣が訪日し、岡田外務大臣他と二国間の経済関係強化について意見交換が行われた。さらに、3月には日加次官級経済協議、12月には貿易投資対話が開催されるなど、日加経済枠組みの下で、投資、貿易促進のための様々な取組が進められ、2011年2月には、日加経済連携協定(EPA)の可能性に関する共同研究を開始することで一致した。
2010年10月、第28代カナダ総督(1)としてジョンストン氏が就任した。同総督は、就任スピーチにおいて、7年後に150周年を迎えるカナダが目指す国家像が「賢さと思いやりを備えた国家」であるとし、それを達成するには、①家族と子供たちを支えること、②学習とイノベーションの促進、及び③博愛とボランティア精神の奨励が必要であると述べた。また、同総督は、こうした国家像の実現へ向け、異なる出身の人々、異なる世代間の橋渡しの役割を自ら果たすとの旨を述べた。
また、ハーパー首相は、保守党政権発足5年目を迎えているが、少数政権ながら安定した政権運営を持続している。保守党は政党支持率調査で自由党を上回る傾向が続いたものの、下院議会で過半数を確保するために最低限必要とされる40%には届いていない。また、野党である自由党も党首の指導力の欠如などが指摘され、政権奪回には至っていない。
外交面では、ハーパー首相はG8、G20議長として、これら首脳会談の成功へ向けて指導力を発揮した。また、同首相は、引き続き国際社会において強いカナダを目指しているが、その中でも特にその利用方法などを巡り関係国間で立場の違いがある北極に関する政策について4つの優先事項を打ち出すなど、北極地域の重視姿勢を示した。また、アフガニスタン復興支援については、2011年にカナダ軍を撤収し、文民の活動により支援を行うとの方針が打ち出された。
カナダ経済は、景気後退期に政府が実施した大規模な景気刺激策や堅固な経済ファンダメンタルズ(指標)を受け順調に推移しており、実質GDP(前期比、年率換算)も2009年第3四半期以降はプラス成長に転じている。カナダ銀行は2009年4月に過去最低水準の0.25%となった政策金利である翌日物金利の誘導目標を、2010年9月には1.00%まで引き上げた。失業率も2010年9月には約1年半ぶりに8%を切り、雇用の回復が徐々に進んでいる。
2010年は、徳川幕府による遣米使節団の派遣から150周年という節目の年でした。日本から初めての公式な派遣となった遣米使節団は、当時米国で様々な歓迎を受け、日米交流の原点となった出来事でした。
150周年を記念して、米国では様々な行事が行われました。ここでは使節団が訪問したニューヨーク、サンフランシスコでの記念行事の主催者から、両都市で開催されたイベントについて御紹介します。
ニューヨーク市博物館では、展覧会「Samurai in New York:The First Japanese Delegation, 1860(ニューヨークの侍:最初の日本からの使節団、1860年)」を開催しました。東洋からの来客に対するニューヨークの人々の関心の高まりや、使節団の到着を受けて行われたパレードや舞踏会の盛り上がりを記録した稀少な工芸品、写真、新聞記事の彫版などが展示されました。また、日本から貸し出された幾つかの展示品は、使節団員が経験したことを彼らの視点で記録した貴重なものでした。資金集め、日本からの展示物借入や使節団員の子孫の方々の参加を得ての開幕式開催など、展覧会のあらゆる側面で在ニューヨーク日本国総領事館と緊密に協力しました。当博物館は、ニューヨークの素晴らしい歴史を紐解(ひもと)き、ニューヨークの日本人社会との関係を築く貴重な機会を得ました。この展示は、ニューヨーク・タイムズ紙、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で報じられるなど、大きな反響を呼びました。開催期間5か月の間に来訪者は約8万人に達し、展示会に付随して行われた特別の教育プログラムは、多くの学生や教員が利用しました。
サンフランシスコは、咸臨丸乗組員及び万延(まんえん)元年(1860年)遣米使節団が米国本土の土を最初に踏んだ場所であり、日米史上初めて米国市民と日本の代表団が交流を行った舞台となりました。この重要な歴史的事件を祝う為、地元日系社会は在サンフランシスコ日本国総領事館の支援も得て咸臨丸150周年実行委員会を立ち上げ、日本町での桜の植樹、咸臨丸停泊地への記念銘板設置を始め、航海訓練所練習帆船「海王丸」、海上保安庁練習船「こじま」、海上自衛隊練習艦隊による3回の日本艦船の寄港、咸臨丸乗組員ジョン万次郎にちなむ日米草の根交流サミットを含め、実に年間を通じ30以上のイベントを成功裏に実施しました。特に、咸臨丸と同じ帆船として同じ航路をたどり、咸臨丸乗組員の子孫も乗り組んだ「海王丸」の寄港は、米国のメディアも関心を持って取上げました。サンフランシスコでは、これらの行事を通じ、これまでの日米交流の歴史に思いをはせ、更に一層の交流を進めていくことの重要性を考える良い機会となりました。
1 カナダの国家元首であるエリザベス二世英国女王を、カナダにおいて代表する。