チャレンジ41カ国語 ~外務省の外国語専門家インタビュー~

チャレンジ41カ国語~外務省の外国語専門家インタビュー~

シンハラ語の専門家 岩瀬さん

(写真)現地の男の子とニッコリ
現地の男の子とニッコリ

アーユーボーワン(アーユーボーワン)=こんにちは!

 岩瀬さんは、現在外務本省に8人しかいないシンハラ語専門家の1人です。シンハラ語とは、どこで話されている言葉かご存じですか?
 「約2,000万のスリランカ人のうち、その7割を占めるシンハラ人が使用する言葉です。」
 インド洋に浮かぶ島国スリランカ。その面積は北海道の80%ほどです。

岩瀬さんの英語にはシンハラ人がついてくる?

 岩瀬さんは高校生の時に、家庭教師を頼んで英語を習っていたのですが、まずその先生がなぜかシンハラ人。そして大学生の時にニュージーランドに語学留学したところ、なんとそこでも、ホストファミリーがスリランカから移住してきたシンハラ人だったそうです。
 「英語を勉強するためにはるばる来たのに、シンハラ語が聞こえてくると最初は少し複雑な気持ちでした。でもせっかくの機会だから、英語と一緒にシンハラ語も覚えてしまおう」と、何ごとにも前向きな岩瀬さん。

赤い糸で結ばれたというより「赤紙」

 その後、外務省に入省して言い渡された研修語は、まぁ、まずないだろうな、と思った第5希望の、そう、シンハラ語だったのです。
-こうなるともはや運命的なものを感じたのではないですか?
 「外務省より研修言語の結果が封書で郵送されてきた時は『赤い糸』ならぬ、『赤紙』が来た、というカンジでした(笑)。結果的には満足していますし、これも運命だったのかなと思っています。」

シンハラ語と東北弁の共通点?

 シンハラ文字は、一見文字には見えないのですが...。
 「母音と子音の組合せからなる表音文字です。カタツムリとか、カエルの顔に似ていると言われることが多いですね。アとエの中間のような日本語にない音もありますが、それ以外は日本語に近くて発音し易いです。文法も、基本的な語順は『主語+目的語+述語』なので、日本人にとって習得しやすい言語だと思います。それに、シンハラ語に日本の東北弁によく似た言葉がいくつかあるんです。」
-東北弁ですか?
 「例えば、『食べない』を東北弁で『くわねぇ』あるいは『かねぇ』と言いますよね。シンハラ語では『かんねえ』。不思議でしょう?」

  • (写真)タミル人のヒンドゥー式結婚式にて

    タミル人のヒンドゥー式結婚式にて

  • (写真)現地の小学校を訪れて

    現地の小学校を訪れて

スリランカ到着、「この先どうなっちゃうんだろう...」

 研修地に向かう途中に立ち寄ったコロンボ。当時の印象を聞いてみると・・・
 「着陸態勢に入った飛行機の窓から見下ろす景色はジャングル!ぽつんぽつんと点在する白いストゥーパ(仏舎利)が印象的でした。空港から、車でコロンボ市内に向かう途中は、街灯が薄暗くて、道の真ん中に牛がいるし、犬が走り回っているし、一体この先どうなっちゃうんだろう、といった感じでしたね。当時(2000年8月)はまだ内戦中だったため、銃を持った兵士をよく見かけましたし、警備の厳しさに身の引き締まる思いでした。」

いまだ続く内戦の犠牲者

 1983年に、スリランカ北・東部を中心に居住する同国少数民族タミル人過激派がスリランカからの分離独立を要求し、反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」を結成して武装闘争が始まります。2002年、ノルウェー政府が仲介して、スリランカ政府とLTTEとの間で停戦合意が成立しますが、残念ながらその後の和平プロセスは進展していません。紛争で亡くなった人は、2006年だけでも3,000人以上に上ります。

研修地は世界遺産「聖地キャンディ」

 岩瀬さんは、スリランカ第2の都市、キャンディで研修を行いました。スリランカには世界遺産が7つありますが、スリランカ仏教の総本山「聖地キャンディ」はその1つで、文化遺産として登録されています。ペラディニア大学文学部に設置された外国人用クラスでは、先生をほとんど独り占め状態、という恵まれた環境で勉強できたそうです。

岩瀬流の勉強法は・・・

 「メモ帳を常に持ち歩いて、知らない単語が聞こえてきたら、カタカナでもいいのでとにかく書き留めて後で辞書で調べる。ネイティブの友人に確認して、実際に使ってみる。というのを繰り返しました。」

  • (写真)シンハラ・タミル正月の儀式で

    シンハラ・タミル正月の儀式で

  • (写真)授業風景

    授業風景

スリランカの両親

 「スリランカのNGOが、住民と共に図書館や幼稚園を造っているというので、その活動を見にハクマナという村へ行ったのですが、そこで知り合ったご夫妻が、私にとってはスリランカの両親なんです。」
 水と空気がおいしい小さな山村で、シンハラ人の本当の優しさに触れることが出来た、と岩瀬さんは話します。
 「『手紙を書きますね。』と言い残して村を去ったら、ずっと手紙が来るのを待っていてくれるような純真な心を持った人々なんです。スリランカを離れる時、涙ぐんで別れを惜しんでくれて、本当の家族のように接してくれました。」

少しずつ変わっていく村の生活

 このように素朴な人々が暮らす村も、各家庭にテレビや冷蔵庫が普及し、人々の生活が少しずつ変わっていきます。
 「昭和30年代の日本のように、1台のテレビに皆が集まって同じ画面を見ていたのが、それぞれの家庭で見るようになり、また、それまで毎日野菜を買いに行っていた村人が、まとめ買いをして冷蔵庫に保存するようになり、村の人たちの間に会話が減っていくのは寂しい気がします。でも、生活が豊かになるのを止めることは出来ません。」

被災者を捜して

 研修を終え、在スリランカ日本大使館に書記官として勤務していた2004年12月。スマトラ沖大地震が発生します。
 「さっそく私も現地に飛びました。日本人被災者を捜して病院などを飛び回り、スリランカ政府と交渉したりしました。こういった混乱の中、現場で情報収集するには、英語ではなく現地の言葉でないとうまくいきません。当時の経験はたいへん辛いものでしたが、習得した言葉を生かせた瞬間でもありました。」
 世界でも珍しいシンハラ語の専門家として、一層の活躍を期待しています。


岩瀬さんのシンハラ語

 岩瀬さんのスリランカに対する思いの深さ、愛情のようなものがひしひしと伝わってきます。

便利なフレーズ

 アーユーボーワン(アーユーボーワン):こんにちは。(かしこまった場で使う挨拶ことば。「長生きしてください」が本来の意味で、聞くとスリランカの田舎の元気なおばあちゃんの顔が思い出され、心温まります。)

 ワトゥラ・ワーゲー(ワトゥラ・ワーゲー):朝飯前さ。直訳すると「水のようだ」。

 カマック・ネー(カマック・ネー):いいよ。気にしないよ。(「構わない」の意。スリランカ人のおおらかさを示すことばです。)

 ストゥーティ(ストゥーティ):ありがとう。(実は研修当初、あまり「ありがとう」ということばを聞かなかったので調べてみたら、もともと、はっきり「ありがとう」と表現する文化がなかったことに加え、どうやらスリランカでは何かをしてもらった人は、「徳を積ませてあげたのだからむしろ感謝されるべき」と考える場合が多いことも理由らしいです。これはカルチャーショックでした。)

シンハラ語を主要言語とする国: スリランカ民主社会主義共和国

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