チャレンジ41カ国語 ~外務省の外国語専門家インタビュー~

チャレンジ41カ国語~外務省の外国語専門家インタビュー~

スワヒリ語の専門家 濱野さん

Hamjambo!(ハム・ジャンボ)=こんにちは!

(写真)タンザニア ダルエスサラームの町並み
タンザニア ダルエスサラームの町並み

 「旅行で訪れたタンザニアに一目惚れ。それでスワヒリ語(タンザニアの公用語)が勉強できるという外務省に入ることにしました。」と第一声からタンザニアへの熱い思いを語る濱野さん。大学を卒業した後、なんと2カ月間のアフリカ旅行に出かけ、訪れたタンザニアの穏和で素朴な雰囲気が気に入り、「ここで暮らせたら幸せじゃないか。」と、そのまま住んでしまおうとまで思ったそうです。濱野さんは、タンザニアの人々、政治、歴史・・・などなどについて話し始めると、とどまることを知りません。

1億人の言語

 そもそもスワヒリ語が、世界のどこで話されている言語かをご存知の方は少ないのではないでしょうか。スワヒリ語を公用語としているのは、アフリカのタンザニア連合共和国とケニア共和国。その他にもウガンダ共和国、ブルンジ共和国、ルワンダ共和国、コンゴ民主共和国、モザンビーク共和国などでも多く話されていて、スワヒリ語人口はなんと約1億人にも上ります。日本語人口とほぼ同じではないですか!

(写真)タンザニアのビーチ
タンザニアのビーチ

スワヒリ語を母語とする人はいない?

 「皆さん、よく誤解していると思うんですけど、ケニア人やタンザニア人の全てがスワヒリ語を「母語」としているわけではないんですよ。例えばタンザニアには、120を超えるエスニック・グループ(部族)がいて、みんなそれぞれ独自の言語(母語)を持っています。その120ものエスニック・グループの中で、海岸地方に住む特定のグループの母語がスワヒリ語だと思ってもらえばよいでしょう。そして全てのタンザニア人は自らの母語に加えて、コミュニケーションの手段として、共通の言語を持っています。それがスワヒリ語です。もっとも最近は都市部を中心にスワヒリ語を事実上の母語とする人たちも増えてきているみたいですね。ちなみに、スワヒリ語は、もともとタンザニアの海岸地方で話されていたバンツー系の言葉にアラビア語などが混じってできた言葉だと考えられています。」

日本人におすすめ?

 ところで、スワヒリ語は、日本人にとって発音がしやすい言葉だとか。いわゆるカタカナ発音で通用するので、欧米人に比べて、よく発音がきれいだと誉められるとのことでした。
 「文字はアルファベットだし、文法もそれほど難しくないし、発音も簡単だし、日本人にはオススメな言語の一つだと思います。今はインターネットを通じて現地の新聞も簡単に読めるようになったので、日本のスワヒリ語人口がもっと増えて欲しいと思っています。」

スワヒリ語の文法

―スワヒリ語の文法は具体的にどのようなものですか?
 「名詞が8つの種類に分類されることが特徴です。人、モノ、抽象名詞、場所などに分かれます。そして動詞の前には必ずその名詞の種類に対応した接頭語がつきます。前置詞もありますが、前置詞の代わりに動詞の語尾が変化することも多く、これが最初は難しいですね。語順は、主語、動詞、目的語(補語)が基本ですから、英語と同じです。他方、語順をいじらなくても語尾をあげればそのまま疑問文になるので、そこは日本語と同様です。」

学校教育のたまもの

―それでは、スワヒリ語を母語としない多くの人々にとっても簡単に話せる言語なのでしょうか。
 「タンザニア人なら誰でもスワヒリ語を話します。タンザニアは日本より2.5倍も大きな国ですが、どんな田舎に行っても、スワヒリ語が通じないことはありません。全ては学校教育のおかげです。」
 「タンザニアは、80年代の終わり頃まで社会主義を標榜していた関係で、教育を含め、公共サービスは全て無料でした。特に初等教育の普及には熱心で、当時の就学率は90%以上だったと言われています。これはアフリカ大陸ではかなりの高水準です。小学校の授業はスワヒリ語で行われているので、ほとんどの国民がスワヒリ語を読んで、書いて、話すことができるというわけです。他方、大学などの高等教育で、専門的な話になるとやはり英語が使われることが多いようですね。」

  • (写真)キリマンジャロとその火口
  • (写真)キリマンジャロとその火口

キリマンジャロとその火口

「DNA」をスワヒリ語で言うと・・・

―スワヒリ語にはまだ充分な語彙がないということでしょうか?
 「他の言語に比べるとそうかもしれませんね。それでも、『国立スワヒリ語協会』という、スワヒリ語を規律する立派な組織があって、外来語に対応するスワヒリ語を一生懸命作っています。でも、難しい単語の場合はなかなか一言で置き換えられる単語にならなくて・・・。例えば、『DNA』をスワヒリ語にすると、・・・・「細胞」という単語はありますが、「核酸」に相当する単語はないんじゃないかな。少なくとも僕は知りません(笑)。おそらく、『ほぼ全ての生物を構成して遺伝情報を担っているもの』というんじゃないでしょうか。それで、現地でも難しい単語はそのまま英語を使うことになり、必然的に英語とスワヒリ語のチャンポンになることが多いですね。」

助け合いの文化

 アフリカと聞いてまず濱野さんに質問してしまったのが、「治安は大丈夫ですか?」「インフラは?」「何か困ったことはありませんでしたか?」。しかし、濱野さんの説明は、
 「もちろん、日本に比べれば物資は豊かではないし、インフラの整備も遅れていますが、日常生活に支障があるというほどではありません。治安は非常に良かったです。もともと、独立以来、一度も内戦を経験したことがない平和で安定した国ですから、いい意味でも悪い意味でも、皆のんびりしていますね(笑)。それに、もともと農村の共同体社会の中で育ってきた人たちですから、助け合いの文化がよく根付いており、困った時に、こちらが助けられる場面もしばしばありました。」

タンザニアの知恵

 「これは僕の考えですけれど、アフリカで、よく内戦や紛争が起こるのは、恐らく、コミュニケーション不足、すなわち言葉の問題が大きいと思います。アフリカというのは、ひろ~い広大な大地に、少数の人々から成る独立したグループが点在しているイメージを持ってもらえばよいかと思います。十分な交通手段や通信手段がない長い長い歴史の中で、それぞれが交流せず、混じり合うことなく、独自の文化や言葉を保ってきました。」

(写真)ンゴロンゴロ保全地域
ンゴロンゴロ保全地域

 「それが、ある日突然、『1つの国家になりました』、といって強引にまとめられても、お互いにコミュニケーションがとれない。意思疎通の欠如が部族間の争いにつながる・・・ですから、人口約3,500万人のタンザニアが、1つの国としてアイデンティティをもち、国民のナショナリズムを盛り上げるために、スワヒリ語が果たした役割は大きいと思います。スワヒリ語を公用語としたこと以外にも、政治思想や社会制度など、アフリカの平和構築を考える上で、「タンザニアの知恵」は大いに参考になると思います。」

「建国の父」ニエレレ元大統領は先生

 「スワヒリ語では「先生」のことを「ムワリム(Mwalimu)」といいますが、タンザニアでは、ニエレレ元大統領のことを「ムワリム」と呼びます。ニエレレは非常に演説が上手で、教示に富む多くの名言を残しているのですが、ある時は国民を励まし、ある時は厳しく叱り、まさに国民全員の先生として、20年以上にわたりタンザニアを指導しました。ニエレレは1999年に亡くなりましたが、今でもムワリムと言えばニエレレのことを意味します。大統領職にあった21年の間、政策には成功も失敗もあったでしょうが、全てのタンザニア人は今でも彼に対する感謝と尊敬の気持ちを忘れていません。その気持ちを込めてムワリムと呼ぶのです。世界広しといえでも、国の指導者が国民から「先生」と呼ばれ、心から慕われている国は、そうめったにはないでしょう。」

ザンジバル島で鼻を骨折、どうする...?!

 社会主義の名残をとどめる、のんびりとしたタンザニアならではのエピソードとして、濱野さんが楽しそうに語り始めたのは、とてものんびりと笑っていられるような話ではなく・・・
 タンザニア東海岸のインド洋上にザンジバル島という島があって、そこで話されているスワヒリ語が一番きれいだといわれているので、濱野さんはそこで研修を開始しました。
 「ザンジバル島で、鼻の骨を折るという大けがをしたんです。鏡を見ると、鼻そのものが3センチメートルくらい右に移動しているんです!これは大変だと思って島で一番大きな病院に行ったのですが、先生に「これは私の手には負えないから、本土の病院に行くしかない。」と言われました。翌日の朝一番の船で大陸に戻って、当時タンザニア中で一番大きな公立病院に行きました。」

  • (写真)研修地のザンジバル島

    研修地のザンジバル島

  • (写真)ザンジバルの町並み

    ザンジバルの町並み

不安でいっぱい・・・

 「タンザニア随一の病院でしたけれど、当時は治療器具がぜんぜん揃っておらず、最初は大いに不安でした。先生が看護婦に「○×△を出して」というと、看護婦が「ありません。」、―先生「では、□◇△をくれる。」―看護婦「それもありません。」―先生「ん~、じゃあこれでいいか。」という感じで手元にある道具箱の中をひっくり返しながら、あれでもない、これでもないとやっている。治療そのものは、それは、それは痛かったですよ!鼻血はコップ一杯以上出たんじゃないかな。痛くて、痛くて、先生の顔が涙で滲んできました。麻酔は全然効いてなかったし、あんな痛みを感じたことは、後にも先にもあの時だけです。本当に元通りになるのか心配だったのですが、あの時は、もう先生の腕を信じるしかなかったので、まな板の上の鯉の心境で「仕方がない」と腹をくくりました。それでも包帯がとれるまでは不安でしたねー。1週間後、再び病院で恐る恐る包帯を取って、実際に、鼻が元通り真っ直ぐなのを確認した時は、本当にほっとしました。」
 良かったですね。

(写真)ダルエスサラームの様子
ダルエスサラームの様子

インフラは悪くても

 濱野さんの鼻は、今では真っ直ぐで、一見したところ問題なしですから、道具はなくても、腕は確かだったということでしょうか。それにしても濱野さんは何事にもポジティブ思考のようです。
 「停電、断水等々日本より不便なことを挙げればきりがない。当時は今と違って社会インフラが整っていなかったので、例えば、日本から現地の大使館に電話をかけても、3回に1回しかつながらない感じでしたね。でも、きれいな海、山、たくさんの動物・・・不便さを補って余りある良いところもたくさんありますから。風光明媚な国土に素朴で優しい人々。いいところですよ。」
 とのことです。

たった1人の専門家

―大使館の仕事では、スワヒリ語を駆使する場面はありますか?そもそも大使館員の中で、スワヒリ語を話す人は何人いるのでしょう。
 「当時大使館には13~4人の館員がいましたが、スワヒリ語専門家は僕1人だけでした。首都のダルエスサラームでは英語も通じますが、地方ではやはりスワヒリ語がベスト。英語が通じないような辺境の村で、政府開発援助(ODA)の案件の現地視察や引き渡し式(ODAで、支援した物資などを実際に引き渡すときに行う式典のこと)を行う場合は、僕の出番です。例えば、ある地方の村で、ODAで作った井戸の引き渡し式を行うとしましょう。聴衆である一般大衆のほとんどは英語がわからないので、大使のスピーチをスワヒリ語に通訳することになります。こうした機会は、普段日本の情報に接する機会が少ない人々に対して、日本のメッセージを直接伝える機会として非常に重要で、地方出張にスワヒリ語は欠かせません。」

(写真)モシの水田
モシの水田

現代版ノアの箱船に乗って

 「地方出張といっても、とりわけ辺境地の村に行くような場合は、僕が一人で行きます。そういう出張は、車やホテルが用意されていて『行ってらっしゃ~い』、じゃないですよ。タクシーを借り上げる値段交渉をしたり、いつ出発するかわからない長距離バスに乗ったり、ノアの箱船みたいに様々な動物がぎっしり詰まった船に乗ったり。」

トラックの荷台の外交官

 「バスが来ない場合はトラックの荷台に乗せてもらったり、とにかく自分で何とかしなければ、目的地の村にもつけないし、大使館にも戻れない。飛行機を使えば、タンザニアから1泊2日で日本に帰れるけれど、例えば、タンガニーカ湖畔の村から大使館まで戻るのに、船とバスを乗り継いで、3泊4日はかかります。タンザニアで5年半暮らしてみて、日本がいかに便利な国であるかを改めて実感しました。」
 と、ホントに外交官がそんなことしているの?!というような数々のエピソードを持っている濱野さんです。機会があれば、また、愛するタンザニアの話を聞かせて下さい。


濱野さんのスワヒリ語

便利なフレーズ

思い出の言葉

スワヒリ語を主要言語とする国: タンザニア連合共和国ケニア共和国ウガンダ共和国

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