グローカル外交ネット
「私とアラブ世界との出会い」 中東第二課での勤務を通じて
外交実務研修員 牛草 智
(佐賀県から派遣)
1 はじめに
「君の人生を左右するチャンスが目の前にある。絶対にそのチャンスを掴むべきだ」と、外務省への出向の打診があった際に、出向元のとある先輩から胸が熱くなるような助言をいただき、その力強い言葉に背中を押され、外務省に身を置くこととなり早や1年が経過しました。
私は、2022年の2月に佐賀県から外務省に派遣され、外務省の中東第二課に約1年間勤務し、現在は地方連携推進室にて勤務しております。
佐賀県では、入庁後、保健福祉事務所でのケースワーカー、また、本庁では法規担当や観光振興に関する業務(民間企業への出向を含む)に従事してきました。
佐賀のような地方においても様々な面でグローバル化が進展し、また、国際情勢も複雑化していることもあり、将来的には国際関係部門での経験も希望はしておりましたが、私の人生において、まさかその分野の精鋭集団であり、また、外交の最前線に立たれている外務省職員の方々と働く日が来るとは想像してもおりませんでした。
このレポートでは、この1年間の振り返り、とは言いましても私自身も短期間しか在勤してないこともあり、外務省の方々の仕事の進め方、向き合い方や外交の意義等については確固たるものは語れないため、外務省での勤務を通じて私が感じたことについて、少し述べさせていただきたいと思います。
2 中東第2課での業務
私が所属していた中東第二課は、日本と中東諸国との外交政策、すなわち、政治、経済、防衛・安全保障、経済協力等に関する業務を所掌しております。
同課は、アフガニスタン、アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン、イラク、イラン、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア及びバーレーンを所管しているのですが、私は当課ではUAE及びバーレーンの担当をさせていただいておりました。
今回は、私が同課で携わった業務のうち、特に印象深かった業務についてご紹介いたします。
(注)業務内容の単なる列記のみならず、私自身が経験した業務において、どのような意味づけがあったのかという点、また、あわせて担当国の広報を兼ねて記載させていただきます。
(1)アラビア湾の真珠「バーレーン」への出張について
中東第二課ではバーレーンの担当をしていたと前述しましたが、サッカーやF1好きの方などであれば「あぁ、バーレーンね」と、ピンと来る方もいらっしゃるかと思いますが、大多数の人にとっては、あまり馴染みのない国ではないかと思います。
昨年(2022年)は、日本とバーレーンの外交関係樹立50周年となる記念の年でもあり、両国では様々な記念行事や多くの要人往来がありましたが、昨年6月に外務大臣政務官がバーレーンを訪問なされた際、私も同行させていただきました。
バーレーンは、ペルシア湾/アラビア湾に浮かぶ小さな島国で人口は150万人ほど、人口の半数は外国人が占めております。現地の気候は、一年のうち350日以上が晴天という環境であり、私が訪問(6月)した際も日中は45度近くまで上がり、暑いという感覚よりも息苦さの方が勝るほどでした。
現在のバーレーンの石油生産は小規模でありますが、実はバーレーンは湾岸諸国で初めて石油が発見(1931年)された国でもあり、その後、1934年に初めて原油が輸出されておりますが、その出荷先が日本であるなど、日本とバーレーンとの関係は、50年よりも更に古く、強い結びつきが存在しております。
また、バーレーンは法人税や所得税がなく交通インフラ等も整備されているため、日系企業も20社ほど拠点を置いており、これらの企業が同国内のインフラ案件も多数受注され、また、同国内を走っている自動車は日本車が多く、日本企業や日本製品のプレゼンスの高さがうかがえました。
これらの他にも、日本の皇室・バーレーンの王族との交流や、宇宙分野での連携、中東地域の要衝である米海軍第五艦隊司令部に海上自衛隊の方が派遣されているなど、日本との関わりは幅広い分野に及んでおり、バーレーン人の多くは日本の経済力と技術力、そして、それらを支える日本人の国民性とのその文化に対し、大きな敬意の念を抱かれておりました。
私が同行した6月の出張は、たった数日間の滞在でありましたが、行く先々でバーレーンの人々からの『We love Japan‼』ということを、いくつも身をもって体感し、このことについては、出向元である佐賀県庁にもしっかりと報告いたしました。
無論、そもそも私はこれまでの人生において、中東地域の一国・地域の日本に対する評価などを気にしたことはありませんでした。
しかし、今回の出張を経て、我が国や地方が他国との交流・理解を促進し、協力関係を深めるためには、その評価が良いものであろうが、悪いものであろうが、自分が身をもって感じたこと、また、なぜ日本がそのような評価を受けているのか(歴史、文化、背景等)を把握し、自分自身の中だけに留めず、それらを同じ日本人の方にも伝え、正しい理解や認識を広く浸透させていくことがとても重要であると感じました。
現在、国内の地方自治体では、様々な国や地域と国際交流を図られていると思いますが、世界には多くの国や地域があり、特定の国や地域から、また、その時々で、良い評価のみならず、悪い評価や批判を受けたりすることもありますが、前述したことを認識しておくことにより、より多くの日本人が、その言動に隠された意図や思いを理解でき、真なる相互理解及びより良い関係構築に繋がり得るのではないかと考えさせられる大変良い機会となりました。

(2)中東地域最大の観光立国 UAEの一般査証(ビザ)免除について
バーレーン同様、私が担当していたアラブ首長国連邦(UAE)も昨年(2022年)に日本と外交関係樹立50周年の節目の年を迎えました。UAEからは、日本全体の石油の約3割を輸入するなど、日本とUAEは長年、エネルギー分野での強固な関係があるほか、中東地域で最大の日系企業数を有し、同地域における拠点としても重要な役割を果たしております。また、UAEには、世界最大の高層ビル(ブルジュ・ハリファ、828メートル))や世界最大のショッピングモール(ドバイモール、約1200店舗)などの世界のナンバーワンや最先端のものが存在しており、日本のみならず世界中の人が注目する人気の観光地でもあります。
そのように中東地域の中でも特に活力に溢れたUAEですが、両国の積年の思いであったビザ免除措置の開始という、外交的にも大変重要な瞬間に立ち会うことができました。
UAEのビザ免除については、実は2017年に事前登録制によるビザ免除措置がとられており、長年、両国間で完全なビザ免除の開始に向けた調整が図られてきました。
ところが、その後、世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本国内において世界各国に対するビザ免除措置も一時停止されてしまったため、UAEに対する完全なビザ免除措置の実施の検討ができない状況となっておりました。
しかし、昨年10月11日以降、日本国内の水際措置が緩和され、一時停止中であった各国へのビザ免除措置が全て解除されたことに伴い、これまでその実施を保留としていたUAEに対する完全なビザ免除措置についても、早期の開始に向け検討することとなり、各所と至急調整した結果、無事に昨年11月1日から開始されました。
今回のUAEの案件は、長年、両国のハイレベルを含む様々なレベルで検討や調整がなされた上で、ようやく開始された、外交的に大きな価値があるものです。
日本とUAEとの間には、既に幅広い分野の協力関係が存在しておりますが、今回のビザ免除措置は、単に民間レベルのみならず、経済・ビジネス面での交流活発化に繋がるものでもあり、クリーンエルギーや先端科学技術などの新たな分野での協力強化にも寄与する重要なマイルストーンになったのではないかと考えております。
3 地方連携推進室での勤務について
外務省は、地方を重要なパートナーと位置づけ、その国際的取組を支援すべく、地方自治体等と連携して様々な事業・取組を実施しております。同室での私の研修期間中には、「地方創生支援 飯倉公館活用対外発信事業」の一部(3月に実施された栃木県との共催事業)に携わらせていただきました。
「地方創生支援 飯倉公館活用対外発信事業」は、外務大臣と地方自治体首長との共催で、駐日外交団等を外務省の飯倉公館に招き、地方の多様な魅力を内外に発信する事業です。これまでに栃木県を含め23回実施しており、今年度は、福島県との共催事業(昨年7月)及び栃木県との共催事業(3月)をそれぞれ開催しました。
栃木県との共催事業には、駐日外交団、駐日商工会議所、企業関係者、栃木県選出国会議員等が出席され、栃木県の魅力溢れる食、文化、歴史・伝統などを体感されました。ここ数年は、新型コロナによる制約で、事業を計画どおり実施できないこともあったと伺いましたが、そうした制限も緩和された中で行われた今回の事業は、栃木県の魅力の発信や栃木県と参加国の関係者の交流促進等に資するものとなったのではないかと感じております。


4 最後に
本省での約1年間は、振り返ればあっと言う間でしたが、様々なことを経験させていただき、非常に濃い時間を過ごすことができました。
中東第二課への出向を命じられたときには、私の人生でUAEやバーレーンはおろかアラブ地域その他諸外国との関わりも皆無でもあったため、戸惑いや不安もありましたが、中東第二課及び地方連携推進室並びに外務省関係者の皆様から多大なご支援いただき、この1年間を大変意義あるものとして過ごすことができました。お世話になった皆様に改めて、感謝申し上げます。
春からは、在外公館での勤務となります。現在、国際情勢は厳しさと不透明さが増し、世の中も目まぐるしいスピードで変化しておりますが、この1年間で学んだこと、また、人とのご縁を大事にしつつ、今後も出向元である佐賀県、そして、日本の発展のために尽力していきたいと考えております。