2014年版 政府開発援助(ODA)白書 日本の国際協力

開発協力トピックス 04

青年海外協力隊事業発足50周年-協力隊が紡ぎ出す大きな可能性

■ 青年海外協力隊とは

羽田空港を出発する初代の青年海外協力隊員たち(写真:JICA)

羽田空港を出発する初代の青年海外協力隊員たち(写真:JICA)

青年海外協力隊事業は、1965年12月に初代隊員がラオスに飛び立ってから2015年で50周年を迎えます。この事業は、様々な分野で技術・知識・経験を持ち、「途上国の人々のために自分の力を活かしたい」と望む20歳〜39歳の日本の青年が、派遣された国の人々と共に生活し、同じ言葉を話し、その国が抱える問題に共に取り組むことを通じ、その国の経済や社会の発展、復興へ貢献することを目的としています。同時に、派遣国と日本との間の友好親善、相互理解を深めること、そして、参加した隊員が国際的視野を持ち、自らのボランティア経験を日本社会に還元することも目指しています。これまで世界88か国で39,000人を超える隊員が草の根レベルのボランティアとして活動してきました。彼ら、彼女らの活動は、日本の「顔の見える援助」として国内外から高く評価されています。2014年5月にカメルーンで岸田外務大臣とアフリカ諸国の外務大臣等が一堂に会したTICAD V閣僚会合が開かれた際にも、アフリカ諸国の大臣から、協力隊による草の根レベルの活動はアフリカのニーズに応えるもので大いに役立っているという感謝の言葉が相次ぎました。

■ 隊員の派遣

協力隊事業は、日本政府の政府開発援助(ODA)予算により、国際協力機構(JICA)によって実施されています。毎年2回、春と秋に募集と選考が行われ、合格者は事前訓練を経て、原則2年間の任期で派遣されます。職種は理数科教育、看護師等の保健医療、自動車整備から、野菜栽培まで、10分野、約200職種とたいへん多岐にわたります(トンガの「珠算隊員」をコラムで紹介しています)。こうして採用された隊員たちの活動をいくつかご紹介しましょう。

■ パラグアイで培った柔軟性と度胸

パラグアイの選手と岡本崇広さん(写真:岡本崇広)

パラグアイの選手と岡本崇広さん(写真:岡本崇広)

大学卒業後、中学校の保健体育の臨時講師をしていた岡本崇広さんは、自分の得意なスポーツを通じて国際貢献ができると知って協力隊に挑戦。陸上競技のコーチとしてパラグアイ陸上競技協会に派遣されました。

パラグアイでは陸上競技はどちらかといえばマイナースポーツ。岡本さんは「普及活動」、「競技力向上」、「協会の改善」の3つのテーマを設定して活動しました。中でも「競技力向上」では他の協力隊員と協力して指導を行い、2年間で11の国内新記録を出すことができました。指導をした選手の中には、「暮らしのため、卒業したら働かないといけない」と語る少年もいました。帰国して数年後、現地の先生から、その少年が仕事をしながら体育学校に通って陸上競技を続け、指導者を目指しているという話を聞いて、岡本さんは自分も役に立つことができたとたいへんうれしく思ったそうです。

現在、岡本さんは京都市職員採用試験の協力隊経験者特別枠で採用され、京都市役所で働いています。最初は市役所の仕事に不安もあったそうですが、パラグアイで培った「相手の立場で考える」という思考の柔軟性や突拍子のないことが起こってもあわてない度胸が日々の仕事で大いに役に立っているそうです。

ベトナム人のスタッフと植林した幼木の状態をチェックする青年海外協力隊(森林経営)の清水文明さん(写真:加藤雄生/JICA)

ベトナム人のスタッフと植林した幼木の状態をチェックする青年海外協力隊(森林経営)の清水文明さん(写真:加藤雄生/JICA)

■ 日本とタイの架け橋に

加藤亜紀子(かとうあきこ)さんは、聾(ろう)学校で教員として勤務した6年目のときに、現職教員特別参加制度を利用し青年海外協力隊員としてタイの聾学校へ派遣されました。タイで養護教員として活動する中で、加藤さんは日本とタイの聾学校の子どもたちが互いを身近に感じ、同じ聴覚障害者として理解し合うことができないか常に考えていました。そこで、加藤さんは自分が働いていた聾学校へ現地の様子を綴(つづ)った便りを送り、学校に掲示してもらいました。便りを見た先生たちが、タイで活動する加藤さんのことを教室で話題にしてくれたおかげで、聾学校の子どもたちにとり、タイは「海の向こうの見知らぬ国」から「大好きな先生の住んでいる国」になりました。タイはどんな国なんだろうという生徒たちの関心が高まって、タイに実際に行ってみたいと思うようになりました。そして加藤さんが派遣されてから1年後に、加藤さんの勤務するタイの聾学校へ日本の聾学校の生徒と職員・保護者の訪問が実現しました。半日の短い時間でしたが、生徒たちはタイの子どもたちに校内を案内してもらい、昼食のテーブルを共に囲み、休み時間には一緒にサッカーをして遊びました。日本の生徒たちにとってタイの聾学校を実際に訪れた経験はタイを身近な国に変えました。交流は加藤さんの帰国後も続きました。協力隊の任期を終えて帰国した翌年、加藤さんは生徒たちや職員と派遣先の聾学校を再び訪問したのです。あらかじめ学んでいったタイ語の手話で自己紹介を行ったり、タイの子どもたちと一緒にタイ料理を習ったり、逆にタイの子どもたちにたこ焼きの作り方を教えたりしました。双方の生徒たちは互いの国をなお一層親しく感じることができました。加藤さんがつなげた輪によってタイの子どもたちも日本の生徒たちもお互いの文化に触れる貴重な経験を共にできたのです。

教員が現職で協力隊に参加することによって、日本の子どもと派遣国の子どもをつなぐ手伝いができると加藤さんは語ります。「私はクラスの子どもたちに、外国語で生活することの難しさや助けてもらってうれしかったことを話すようにしています。協力隊の活動を通して、自分たちの当たり前が、当たり前ではない世界があることを身をもって感じました。そんな体験を子どもたちに伝えていきたいと思っています」

■ 協力隊の新たな広がり

タイの聾学校で子どもたちに読み聞かせをする加藤亜紀子さん(写真:加藤亜紀子)

タイの聾学校で子どもたちに読み聞かせをする加藤亜紀子さん(写真:加藤亜紀子)

青年海外協力隊事業は50年の歴史の中で、日本と開発途上国の双方の社会におけるニーズの変化に合わせて変容を遂げてきました。青年を派遣する青年海外協力隊に加え、40歳〜69歳の人たちのためのシニア海外ボランティア、日系社会を協力の対象とする日系社会青年ボランティア、日系社会シニア・ボランティアとJICAの派遣するボランティアの種類も増え、より多くの日本の市民が、世界の様々な現場で活躍できるよう、制度の整備も進められてきました。

民間企業と協力隊の連携も最近の新しい流れです。たとえば、ウガンダでは保健医療分野の隊員が手洗いを指導してきましたが、水が不足する地域で石けんの使用が難しいという問題がありました。そのような状況を打開する鍵が、アフリカでの事業展開を目指す日本の洗剤・石けんメーカーのサラヤ株式会社との協力にありました。サラヤ社はJICAの協力を得て、水のいらない消毒剤がウガンダの市場に受け入れられるかを調べていました。このような消毒剤は協力隊が直面している問題の解決につながるかもしれません。そこで、現地事情に通じている協力隊員が協力することになりました。現地の病院で活動する看護師隊員が病院関係者へ消毒剤の使用方法や効果を説明し、病院側からは意見の聞き取りを行ったのです。その結果、サラヤ社はこの消毒剤のアフリカ市場での販売に向けて順調に準備を進めています。このような連携は、途上国市場への日本企業の関心が高まる中で広がりつつあります。

最近では、日本国内の民間企業や地方自治体、教育委員会の間で、職員が在職したままで協力隊に参加することを支援する動きも広がっています。また、帰国後の隊員を職員・教員として採用するところもあります。教員として在職中にタイに協力隊として派遣された加藤さん、隊員経験者として京都市に採用された岡本さんは、そのような形でキャリアを積んでいる好例です。JICAと大学が連携する例もあります。たとえば、広島大学や帯広畜産大学などでは、協力隊としての活動がカリキュラムの一部を構成するプログラムを実施しています。このように協力隊は、日本国内でグローバルな視野や経験を持つ人材の育成の場としても注目を集めています。

東日本大震災の被災市町村では自治体職員の人手不足が問題となっていましたが、2014年6月までには100名を超える協力隊員などJICAボランティアの経験者が復興庁に採用されました。採用された隊員経験者は、被災地の市町村で、土木・建築や教育等、それぞれの専門性に加え、ボランティア活動を通じて得た企画力、課題解決力、コミュニケーション力等の能力を発揮して活躍しています。

■ 輝き続ける協力隊

マラウイのチョロ県病院で、この日生まれたばかりの赤ちゃんの容態をチェックするマラウイ人助産師と青年海外協力隊(看護師)の横内美由紀さん(写真:今村健志朗/JICA)

マラウイのチョロ県病院で、この日生まれたばかりの赤ちゃんの容態をチェックするマラウイ人助産師と青年海外協力隊(看護師)の横内美由紀さん(写真:今村健志朗/JICA)

このように青年海外協力隊は、世界の国々と日本を国民一人ひとりとの友情と信頼を通してつなぎながら、途上国の様々な課題の克服に取り組んできました。そして、その経験者はグローバルな視野と経験を持った人材として、帰国後も様々な分野で活躍しています。新しい流れの中で変化の波に晒されながらも、青年海外協力隊に対して、世界の、そして日本の人々が寄せる信頼と期待は変わりません。

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